JR大阪駅からオフィスタワーの入口に向かい、一家族が生活出来る位大きな大型エレベーターで15階に上り、そこから低階層用のエレベーターで17階へ。NHK文化センター梅田教室の1室に入った。10時過ぎだった。
椅子を並べて110人程入れる部屋は、普段はダンス教室などを行っていて結構広い。
10時30分になると千住真理子さんが入って来た。ヴァイオリンを入れたケースを、大事そうに抱えていた。昨日のステージ衣装のようではなく、ショッキングライトブルーとでも言えばいいのだろうか、そんなワンピースを着ていた。後ろには黒板があり、それを背にして講演が始まる。
私は、入会金不要の一般コースで、1回きりの受講を申し込んでいた。
4メートル程先に、昨日演奏を聴いた素敵なアイドル(私には)、千住真理子がいた。それだけで感動だった。
「皆さん、こんにちは。
6月30日にフェステイバルホールで、コバケンと演奏します。どちらもリハーサルが好きではないので、そこが似ている所です。リハーサルをすると、即興性がなくなりますから。
皆さんの目が、このヴァイオリンケースに注がれていますね。これはいつも一緒にいて、トイレにも持って行きます。ケースの中に温度計と湿度計が入っていますが、60%になると音楽を聴かせられません。私は、途端に不機嫌になります。今は50%台だから、大丈夫です」
演台にも湿度計を置き、12年前に来たストラディヴァリウスを取り出して、演奏し始めた。無伴奏の「タイスの瞑想曲」だった。まさか、弾いて貰えるとは、誰も思わなかっただろう。薄い薄い期待を持った人もいたであろうけれど。
私の体からは血の気が引いた。震えが来る程に、やっと堪えた涙も揺れていた。こんな事ってあっていいのだろうか。目の前で、彼の千住真理子さんが、私に弾いてくれている。誰もそう感じただろう感動は、いつまでも心を震わせていた。
先日テレビでやっと分かったおおよそのストラディヴァリウスの値段。彼女のそれはストラディヴァリの絶頂期3年間の真ん中に作られたと、彼女の著書で読んでいた事がある。先日のそれが5億円なら、彼女のものはそれを超える事は必定だ。
「スイスから『見せたいヴァイオリンがあります』と言って来ました。とても考えられる事ではなく、見ないに越した事はありません。『忙しいから、スイスには行きません』。そう言うと、『だったら持って行きます』と言ったんです。
それは7月にやって来ました。私は、人生をこの楽器に捧げようと思いました。ヴァイオリンと弾き手は相性なんです。私は、このヴァイオリンと出会う為に生まれて来たと思いました。何も要らない。この楽器に時間を費やしたい、より良く鳴らせるヴァイオリン弾きになりたい、そう思いました。
ラッキーな千住真理子と思われているのではありませんか。皆さんと同じですよ、と言う話をしたいと思います。
12歳でデビューしました。来年1月で、デビュー40周年です。足し算終わりました?
2歳3ヶ月でヴァイオリンを始めました。2人の兄が先ず始めました。千住博は器用でした。何でも出来ます。明は、大人が泣く程説得力のある弾き方をすると言われていました。
私は練習が好きで練習が遊びでしたが、兄達は練習が好きではありませんでした。兄達は好きな事を見付けました。明はドラムセットを2階に入れ、どんちゃんやっていました。煩かったですが、ご近所は、もっと煩かった事でしょう。
私は鷲見三郎先生に習いました。ヴァイオリンをする人は、1度は潜っています。先生はとても優しくて、先生の膝の上で鳴らすヴァイオリンは、楽しいものでした。
或る時、父に相談しました。どうしたらいい練習が出来るかを。
すると『円グラフに、1日をどう使うかを書いてご覧』と言われました。そして、折れ線グラフに1日何時間練習したかを書くようにと。ストップウッチで計り、お手洗いや欠伸の時は入れないように言われました。
4時間の所に赤い線を入れて置きます。それを超えると達成感がありました。
先生の所では、月に1回コンクールの為に皆が同じ曲を弾く練習の日がありました。私は下手でしたから、『あら、真理子ちゃんも出てるのね』。他の親達は、にこにこして頭を撫でてくれました。私は、馬鹿にしていると思いました。
少し上手くなると、段々そんな人の目が厳しくなり、話しかけて来なくなりました。私は、よしよしと思いました。
その成果もあり、小4で2位になりました。でも、それが悔しくて今があります。
『2位になった人は翌年には出てはいけない』と言う話があります。明らかに1位を狙っている事が丸分かりで、審査員がいい評価をしないと言うのです。それでも私は出ました。それで全国1位になりました。けれど、嬉しくありませんでした。目標が奪われたようなあっけなさを感じたからです。
もっと手の届かない目標を持とう。12歳、6年生の時デビューしました。これこそ素晴らしい事でした。NHK交響楽団と江藤俊哉先生との共演です。それから、江藤先生の弟子になりました。鷲見先生とは白と黒、まるで違います。褒める事は絶対にありませんでした。
『巷では天才少女と言われているね。だったら天才らしく弾きなさい。貴女が下手になったら、私の所為だと思われる』。そう先生は言いました。
天才でない事がばれたらどうしよう。私は、慶応中等部に入りました。勉強もしなければなりません。勉強とヴァイオリンは、中高とも、シーソーゲームでした。ヴァイオリンをすると成績が落ちます。勉強をするとヴァイオリンが下手になるのです。
私は1日14時間の練習をしました。プレストは、前代未聞の速さで弾きました。フォルテッシモは、凄い音で弾きました。しかし、これらは音楽ではありません。自分の信じるものが見えなくなると、ステージでも弾けなくなりました。
20歳の時、ヴァイオリンを止めるか人間を止めるかのどちらかに迫られました。
母に話すと、一緒になって泣いてくれました。『ヴァイオリンが好きで、離さなかった。でも、こんなに苦しむなんて。ごめんなさい』。母はそう言い、私は止める決断をしました。
兄達も言いました。『見ていられない。今までよく頑張ったじゃないか。寧ろ止めてくれ。大学生活もある。幸せに生きて欲しい』と。
ですが、慶応義塾大学で数学を教えている寡黙な父は、『ダイヤモンドの原石は汚い石。けど、誰かが拾って磨く。その繰り返しでダイヤモンドになる。そうなれないかな』
毎日のようにそう言われて、或る夕食の時席を立って遊びに行きました。どうしてお父ちゃまはこんな事言うんだろう。今から思えば、本当に父の言う通りだと思います。ダイヤでなくても、この世に1つの石になるのではないか、と。
私はヴァイオリンから逃げました。スキーをしたり、映画を観たり、買い物に行ったりしました。だけど、ヴァイオリンが嫌いではないのに・・。授業を受けていても、力学でもヴァイオリンと結び付けて考えていました。
そんな或る時、ボランティア団体からの電話がありました。ホスピスの患者さんの夢を叶える団体です。その或る患者さんが、千住真理子に会いたいと言っていると言うのです。私は、その人の前に現れてあげたいと思いました。その患者さんは、『ああ、来てくれましたか』と言いました。
暫く弾いていなかったケースを開けました。そして弾きましたが、ろくに弾けませんでした。でもその患者さんは、『ありがとう。痛くて昨日までは何の為に生きていたんだろうと思っていたけれど、今日は生きていて良かったと思いましたよ』と言われました。
この言葉に、自分が救われました。ありがとうが、こんなに素晴らしい言葉なのかと思いました。
この人の大切な時に、一番酷い音を出した。私は逃げて帰るように帰り、ヴァイオリンを唯々弾きました。もう1度リベンジ出来るように。でも、その人は1週間後に亡くなりました。
そこで思った事は、ホスピスの患者さんは天才弾きを要求していないと言う事でした。心が一つになったり、温かくなったり、感動したり、勇気が出たり、そんな事を思っているのでした。
ボランティアの場で、音には命が宿っていなければ音楽にならない事を知らされました。20歳になって音楽と出会えたと思いました。よく見ると、血が通っています。悲しんでいる人と一緒になっています。これが音楽なんだと。
或る日、もう一度挑戦しようと思いました。2年間ヴァイオリンを止めていたのですが。
上手く弾ける筈がありません。2日休めば、人にも分かる、と言われている位です」
こうして話している千住真理子さんの右肩が上がっている。長年弾き続けたヴァイオリンの所為だと私は思った。
「それは、弾けないかも知れないと思っていた事が、確信に変わりました。弾けないに違いないという確信に。
私は綱渡りの人の事を、凄いと思いました。命綱を付けずに渡るのですから、高い所から落ちたら死んでしまいます。どう信じたら渡れるのだろう。私は、如何にして騙すか、如何にしてコントロールするかを考えていました。
7年目の或る日、今日も駄目かな。でも、今日こそはこの綱を渡り切ろうと思いました。チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトを弾いている時でした。全ての感覚が演奏途中に戻って来たのです。それまで、地獄のような7年間でした。
弾けるようになってから10年経ってこの楽器が来ました。
7月14日は、スイスから話のあった日。そして、父の誕生日でした。偶然とは思えません。
このストラディヴァリウスは300年間プロに弾かれていませんでした。変化する音が堪りません。男性的な音、女性的な音、硬い音、柔らかい音、研ぎ澄まされた音、幅の広い音・・。
東日本大震災で今も困っている人が沢山いらっしゃいます。そこでヴァイオリンを弾く事が良い事かどうか分かりません。でも、私はボランティアで東北に出掛けるのです。
最後に、この曲で終わりにしたいと思います」
思ってもいなかった2曲目を、千住真理子さんは弾いてくれた。目を閉じて、感慨深く。私も、じっと目を閉じて聴いた。千住真理子の「アメイジング・グレイス」を。弦を豊かに擦る音が、耳から入り体中を駆け巡る。勿論東日本大震災を思い弾いているのだが、それに加え私の為に弾いてくれていると思いながら聴いた。贅沢な、夢のような、感動で打ち震える「アメイジング・グレイス」だった。
最後の、たった1音が、今も残っている。嬉しくて、幸せで、有り難くて。誰が講演で、世界的なヴァイオリニストが、2曲も聴かせてくれるだろうか。それも、愛嬌とか酔狂とかの類ではない。それこそ、心の通う音だった。
何人か質問を受けますと言った。ヴァイオリンを習っている小学生に主に係りがマイクを運んだが、大人の質問として、こんなのがあった。
男1「ファンレターが来ると思いますが、返事は書かないのですか」
千住真理子「余り書かないですが、音楽の事で嬉しい事が書いてあったりすると、思わず返事を出したりします。中には音楽以外の事が書いてあり、いらいらする事もあります」
男2「チャイコフスキーのヴァイオリンコンツェルトを弾いていた時に神が降りたように全てが戻ったと言われましたが、もう少し詳しく話して貰えませんか」
千住真理子「詳しくは、又の日に。私は無神論者ですが、その時は神様がいると思いました。本当に、演奏途中で全ての感覚が戻ったのです」
子供達(小学4年の女の子)の質問は、千住真理子さんが4年生や5年生のコンクールで何を弾いたかだとか、初めて弾いた曲は何だったかとかだった。そして「あなたは」と聞き、その度に「凄い!」と言い、「ヴァイオリニストになるの」と聞いた。そして、どの子にも、優しく「頑張ってね」と言った。
幸せすぎて幸せすぎて・・。「夕べの秘密」(小川知子)にこんな歌詞があったと思うが、それはどっちでもいい。大好きな千住真理子さんが目の前にいた事。凄く真摯な人だと言う事が分かった事。何よりもその優しさは、2曲ものヴァイオリンを弾いてくれた事で、幸せ感は一気に増した。本当のプロの音楽家は、出し惜しみをせず勿体ぶらないと言う事が、私の定義となった。
今日が父の日だそうである。昨日福岡の娘の旦那から720ミリリットルではあるが、2本お酒が届いていた。「千寿久保田」と「虎千代純米酒」だ。今日はそれを飲みたいと思っていた。
「千寿久保田」をちびりちびりやろうとした。少し甘目かも知れないが、その美味さは例えようがない。有難い気持ちで飲めるからでもあろう。コートジボワールに負けた事の分かっているサッカーだが、経緯を確かめたくてそれをテレビ観戦しながら飲み始めた。
前半1点先取しているではないか。結果は分かっているのに、負ける気がしなかった。同時に、このブログを書き始めた。飲みながら書くと、非常に勝手にスムーズに筆? が運ぶ。
書き始めてから4時間経っただろうか。「千寿久保田」はもう半分になっている。今から本腰を入れて飲んでやろうと思っている。しつこいが、余りにも素敵な1日、いや、お昼までの1時間半だったから。
ああ、うめ~。
椅子を並べて110人程入れる部屋は、普段はダンス教室などを行っていて結構広い。
10時30分になると千住真理子さんが入って来た。ヴァイオリンを入れたケースを、大事そうに抱えていた。昨日のステージ衣装のようではなく、ショッキングライトブルーとでも言えばいいのだろうか、そんなワンピースを着ていた。後ろには黒板があり、それを背にして講演が始まる。
私は、入会金不要の一般コースで、1回きりの受講を申し込んでいた。
4メートル程先に、昨日演奏を聴いた素敵なアイドル(私には)、千住真理子がいた。それだけで感動だった。
「皆さん、こんにちは。
6月30日にフェステイバルホールで、コバケンと演奏します。どちらもリハーサルが好きではないので、そこが似ている所です。リハーサルをすると、即興性がなくなりますから。
皆さんの目が、このヴァイオリンケースに注がれていますね。これはいつも一緒にいて、トイレにも持って行きます。ケースの中に温度計と湿度計が入っていますが、60%になると音楽を聴かせられません。私は、途端に不機嫌になります。今は50%台だから、大丈夫です」
演台にも湿度計を置き、12年前に来たストラディヴァリウスを取り出して、演奏し始めた。無伴奏の「タイスの瞑想曲」だった。まさか、弾いて貰えるとは、誰も思わなかっただろう。薄い薄い期待を持った人もいたであろうけれど。
私の体からは血の気が引いた。震えが来る程に、やっと堪えた涙も揺れていた。こんな事ってあっていいのだろうか。目の前で、彼の千住真理子さんが、私に弾いてくれている。誰もそう感じただろう感動は、いつまでも心を震わせていた。
先日テレビでやっと分かったおおよそのストラディヴァリウスの値段。彼女のそれはストラディヴァリの絶頂期3年間の真ん中に作られたと、彼女の著書で読んでいた事がある。先日のそれが5億円なら、彼女のものはそれを超える事は必定だ。
「スイスから『見せたいヴァイオリンがあります』と言って来ました。とても考えられる事ではなく、見ないに越した事はありません。『忙しいから、スイスには行きません』。そう言うと、『だったら持って行きます』と言ったんです。
それは7月にやって来ました。私は、人生をこの楽器に捧げようと思いました。ヴァイオリンと弾き手は相性なんです。私は、このヴァイオリンと出会う為に生まれて来たと思いました。何も要らない。この楽器に時間を費やしたい、より良く鳴らせるヴァイオリン弾きになりたい、そう思いました。
ラッキーな千住真理子と思われているのではありませんか。皆さんと同じですよ、と言う話をしたいと思います。
12歳でデビューしました。来年1月で、デビュー40周年です。足し算終わりました?
2歳3ヶ月でヴァイオリンを始めました。2人の兄が先ず始めました。千住博は器用でした。何でも出来ます。明は、大人が泣く程説得力のある弾き方をすると言われていました。
私は練習が好きで練習が遊びでしたが、兄達は練習が好きではありませんでした。兄達は好きな事を見付けました。明はドラムセットを2階に入れ、どんちゃんやっていました。煩かったですが、ご近所は、もっと煩かった事でしょう。
私は鷲見三郎先生に習いました。ヴァイオリンをする人は、1度は潜っています。先生はとても優しくて、先生の膝の上で鳴らすヴァイオリンは、楽しいものでした。
或る時、父に相談しました。どうしたらいい練習が出来るかを。
すると『円グラフに、1日をどう使うかを書いてご覧』と言われました。そして、折れ線グラフに1日何時間練習したかを書くようにと。ストップウッチで計り、お手洗いや欠伸の時は入れないように言われました。
4時間の所に赤い線を入れて置きます。それを超えると達成感がありました。
先生の所では、月に1回コンクールの為に皆が同じ曲を弾く練習の日がありました。私は下手でしたから、『あら、真理子ちゃんも出てるのね』。他の親達は、にこにこして頭を撫でてくれました。私は、馬鹿にしていると思いました。
少し上手くなると、段々そんな人の目が厳しくなり、話しかけて来なくなりました。私は、よしよしと思いました。
その成果もあり、小4で2位になりました。でも、それが悔しくて今があります。
『2位になった人は翌年には出てはいけない』と言う話があります。明らかに1位を狙っている事が丸分かりで、審査員がいい評価をしないと言うのです。それでも私は出ました。それで全国1位になりました。けれど、嬉しくありませんでした。目標が奪われたようなあっけなさを感じたからです。
もっと手の届かない目標を持とう。12歳、6年生の時デビューしました。これこそ素晴らしい事でした。NHK交響楽団と江藤俊哉先生との共演です。それから、江藤先生の弟子になりました。鷲見先生とは白と黒、まるで違います。褒める事は絶対にありませんでした。
『巷では天才少女と言われているね。だったら天才らしく弾きなさい。貴女が下手になったら、私の所為だと思われる』。そう先生は言いました。
天才でない事がばれたらどうしよう。私は、慶応中等部に入りました。勉強もしなければなりません。勉強とヴァイオリンは、中高とも、シーソーゲームでした。ヴァイオリンをすると成績が落ちます。勉強をするとヴァイオリンが下手になるのです。
私は1日14時間の練習をしました。プレストは、前代未聞の速さで弾きました。フォルテッシモは、凄い音で弾きました。しかし、これらは音楽ではありません。自分の信じるものが見えなくなると、ステージでも弾けなくなりました。
20歳の時、ヴァイオリンを止めるか人間を止めるかのどちらかに迫られました。
母に話すと、一緒になって泣いてくれました。『ヴァイオリンが好きで、離さなかった。でも、こんなに苦しむなんて。ごめんなさい』。母はそう言い、私は止める決断をしました。
兄達も言いました。『見ていられない。今までよく頑張ったじゃないか。寧ろ止めてくれ。大学生活もある。幸せに生きて欲しい』と。
ですが、慶応義塾大学で数学を教えている寡黙な父は、『ダイヤモンドの原石は汚い石。けど、誰かが拾って磨く。その繰り返しでダイヤモンドになる。そうなれないかな』
毎日のようにそう言われて、或る夕食の時席を立って遊びに行きました。どうしてお父ちゃまはこんな事言うんだろう。今から思えば、本当に父の言う通りだと思います。ダイヤでなくても、この世に1つの石になるのではないか、と。
私はヴァイオリンから逃げました。スキーをしたり、映画を観たり、買い物に行ったりしました。だけど、ヴァイオリンが嫌いではないのに・・。授業を受けていても、力学でもヴァイオリンと結び付けて考えていました。
そんな或る時、ボランティア団体からの電話がありました。ホスピスの患者さんの夢を叶える団体です。その或る患者さんが、千住真理子に会いたいと言っていると言うのです。私は、その人の前に現れてあげたいと思いました。その患者さんは、『ああ、来てくれましたか』と言いました。
暫く弾いていなかったケースを開けました。そして弾きましたが、ろくに弾けませんでした。でもその患者さんは、『ありがとう。痛くて昨日までは何の為に生きていたんだろうと思っていたけれど、今日は生きていて良かったと思いましたよ』と言われました。
この言葉に、自分が救われました。ありがとうが、こんなに素晴らしい言葉なのかと思いました。
この人の大切な時に、一番酷い音を出した。私は逃げて帰るように帰り、ヴァイオリンを唯々弾きました。もう1度リベンジ出来るように。でも、その人は1週間後に亡くなりました。
そこで思った事は、ホスピスの患者さんは天才弾きを要求していないと言う事でした。心が一つになったり、温かくなったり、感動したり、勇気が出たり、そんな事を思っているのでした。
ボランティアの場で、音には命が宿っていなければ音楽にならない事を知らされました。20歳になって音楽と出会えたと思いました。よく見ると、血が通っています。悲しんでいる人と一緒になっています。これが音楽なんだと。
或る日、もう一度挑戦しようと思いました。2年間ヴァイオリンを止めていたのですが。
上手く弾ける筈がありません。2日休めば、人にも分かる、と言われている位です」
こうして話している千住真理子さんの右肩が上がっている。長年弾き続けたヴァイオリンの所為だと私は思った。
「それは、弾けないかも知れないと思っていた事が、確信に変わりました。弾けないに違いないという確信に。
私は綱渡りの人の事を、凄いと思いました。命綱を付けずに渡るのですから、高い所から落ちたら死んでしまいます。どう信じたら渡れるのだろう。私は、如何にして騙すか、如何にしてコントロールするかを考えていました。
7年目の或る日、今日も駄目かな。でも、今日こそはこの綱を渡り切ろうと思いました。チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトを弾いている時でした。全ての感覚が演奏途中に戻って来たのです。それまで、地獄のような7年間でした。
弾けるようになってから10年経ってこの楽器が来ました。
7月14日は、スイスから話のあった日。そして、父の誕生日でした。偶然とは思えません。
このストラディヴァリウスは300年間プロに弾かれていませんでした。変化する音が堪りません。男性的な音、女性的な音、硬い音、柔らかい音、研ぎ澄まされた音、幅の広い音・・。
東日本大震災で今も困っている人が沢山いらっしゃいます。そこでヴァイオリンを弾く事が良い事かどうか分かりません。でも、私はボランティアで東北に出掛けるのです。
最後に、この曲で終わりにしたいと思います」
思ってもいなかった2曲目を、千住真理子さんは弾いてくれた。目を閉じて、感慨深く。私も、じっと目を閉じて聴いた。千住真理子の「アメイジング・グレイス」を。弦を豊かに擦る音が、耳から入り体中を駆け巡る。勿論東日本大震災を思い弾いているのだが、それに加え私の為に弾いてくれていると思いながら聴いた。贅沢な、夢のような、感動で打ち震える「アメイジング・グレイス」だった。
最後の、たった1音が、今も残っている。嬉しくて、幸せで、有り難くて。誰が講演で、世界的なヴァイオリニストが、2曲も聴かせてくれるだろうか。それも、愛嬌とか酔狂とかの類ではない。それこそ、心の通う音だった。
何人か質問を受けますと言った。ヴァイオリンを習っている小学生に主に係りがマイクを運んだが、大人の質問として、こんなのがあった。
男1「ファンレターが来ると思いますが、返事は書かないのですか」
千住真理子「余り書かないですが、音楽の事で嬉しい事が書いてあったりすると、思わず返事を出したりします。中には音楽以外の事が書いてあり、いらいらする事もあります」
男2「チャイコフスキーのヴァイオリンコンツェルトを弾いていた時に神が降りたように全てが戻ったと言われましたが、もう少し詳しく話して貰えませんか」
千住真理子「詳しくは、又の日に。私は無神論者ですが、その時は神様がいると思いました。本当に、演奏途中で全ての感覚が戻ったのです」
子供達(小学4年の女の子)の質問は、千住真理子さんが4年生や5年生のコンクールで何を弾いたかだとか、初めて弾いた曲は何だったかとかだった。そして「あなたは」と聞き、その度に「凄い!」と言い、「ヴァイオリニストになるの」と聞いた。そして、どの子にも、優しく「頑張ってね」と言った。
幸せすぎて幸せすぎて・・。「夕べの秘密」(小川知子)にこんな歌詞があったと思うが、それはどっちでもいい。大好きな千住真理子さんが目の前にいた事。凄く真摯な人だと言う事が分かった事。何よりもその優しさは、2曲ものヴァイオリンを弾いてくれた事で、幸せ感は一気に増した。本当のプロの音楽家は、出し惜しみをせず勿体ぶらないと言う事が、私の定義となった。
今日が父の日だそうである。昨日福岡の娘の旦那から720ミリリットルではあるが、2本お酒が届いていた。「千寿久保田」と「虎千代純米酒」だ。今日はそれを飲みたいと思っていた。
「千寿久保田」をちびりちびりやろうとした。少し甘目かも知れないが、その美味さは例えようがない。有難い気持ちで飲めるからでもあろう。コートジボワールに負けた事の分かっているサッカーだが、経緯を確かめたくてそれをテレビ観戦しながら飲み始めた。
前半1点先取しているではないか。結果は分かっているのに、負ける気がしなかった。同時に、このブログを書き始めた。飲みながら書くと、非常に勝手にスムーズに筆? が運ぶ。
書き始めてから4時間経っただろうか。「千寿久保田」はもう半分になっている。今から本腰を入れて飲んでやろうと思っている。しつこいが、余りにも素敵な1日、いや、お昼までの1時間半だったから。
ああ、うめ~。