ソフトクリーム300円と書いてあった。300円銭受けに置くと「324円です」と言った。ちゃんと書いておいて欲しいなあ。
食べながら、家に帰った。胃が凍て付くようだった。まだ酔いが回っている。
王子公園駅に9時45分に待ち合わせだ。どうしても交通機関の所為で、早く着く。30分に着くとシマさんがいた。右目の視力がかなり落ちていて、眼鏡が鬱陶しい。斜交いに奥さんがいた。
すぐにそらの陽さんが改札を潜り、オカリナママさんとHさんは、約束時間の30秒前に着いた。
熱い日差しが空気を焦がさんとする勢いだ。奥さんは足が痛いのでシマさんとはタクシーだ。後2人乗れるので、そらの陽さんとHさんが便乗する事になった。私とオカリナママさんは歩いた。しかし、全員同じ時間にSさん宅に着いた。
S.Sさんのお母様も聴きにいらっしゃって、先ずは演奏をした。
シマさんが準備していた「安里屋ユンタ」をS.Sさんのピアノで練習した。オカリナ、タケリーナ、リコーダー、太鼓、三線。ピアノの伴奏のリードが抜群で、気持ち良くすぐにものになった。
オカリナママさんもそらの陽さんも、楽譜を持って来ていた。「翼をください」。これも攻略。「見上げてごらん夜の星を」。これもなんなくクリアー。「津軽のふるさと」は皆、余り知らなかった。後回し。
「野に咲く花のように」にしても、大体3パートだった。12Cが入ったりして、かなり奥行きが出た。
「みかんの花咲く丘」は2パートだが、簡単に済んだ。「雪の降る街を」は名曲だ。
「こんな暗い曲が好きだなあ」
と言ったのは私だった。本当に暗いメロディーが好きな訳ではない。終戦後暫くして出来たこの曲に、何だか日本の心を見るのである。♪あたたかきしあわせのほほえみー。この歌詞は暗い筈がないが、メロディーは、哀愁を帯びている。
10時が約束の時間で、それから12時近くまで皆で楽しんだ。Sさんとオカリナママさんの旦那さんは、外でバーベキューのセッティングだ。私も出ようとしたが、後一人ひとり演奏した。Hさんなど、そのオカリナの進歩たるや、並ではなかった。努力が窺われる。
オカリナママさん。そらの陽さん。シマさんと巡って私の番になったが、私はここしか出番はないとでも言うように、娘の作った赤ちゃんから2歳児まで位の履ける靴を見て貰った。娘は、もし買って貰えるなら、売ってもいいと言っていた。私は、ただ見るだけで終わると思っていた。それが何と、2足買って頂いた。目で見て、厭なら買わないだろうが、可愛い靴ではある。買って頂けて感謝だ。
ワークショップでは、即売や注文の形で売れていたが、今回は私の顔で売れたのだろうか。それともこの品物を気に入ってくれて売れたのだろうか。
その後庭に出て、バーベキュー大会。オカリナママさん夫婦が酒類を準備して下さっていた。ビヤホールさながらのセッティング。
Sさんの乾杯の音頭。S.SさんやSさんには何から何まで準備して下さっていて、肉の量も半端ではなかった。
「これは、キリンではないね」
そう言うが早いか、
「キリンです」
とオカリナママさんの旦那さんは即答した。私は、とてもビールソムリエにはなれないと思った。
ワインも持って来てあった。エミリアロマーニャ州の微炭酸赤ワインを飲んだ。皆が美味いと言った。オカリナの里、ブドリオ市のある州のワインである。オカリナの祖、ドナーティーを偲んで飲んだ。南アフリカの赤ワインも、結構な味だった。
「ああ、イタリアに行って、銅像と飲みたい」
と言うと、透かさずSさんが言った。
「リュブリャーナではないですか」
そうだ、私にはリュブリャーナがある。
「もし行けたら行きますか」
と言うと、S.Sさんが、
「行きたい」
と言った。その時がもし来たら、旦那さんも一緒に、行けたらいいなと思っている。問題は、交通費である。叶わぬかも知れない夢を抱く事で、心の内が火のように燃えるのだ。
2時になるのはすぐだった。S.Sさんは3時から仕事がある。私はピアノを弾いて貰いたい曲があった。それを合わせた。皆は外でまだ食べていたが、Sさんも私と同じ所をリコーダーで吹いた。初見ですぐに吹けるのは、これまた技である。「タイスの瞑想曲」は、以前の伴奏譜と今度渡していた伴奏譜とどちらがいいか聞く為のものだった。「愛の悲しみ」は初めてだったが、ピアノと合うと思った。私のテンポは遅れたけれど、それはこれからの課題だ。
私がお取り寄せした大阪・四天王寺「茜丸の五色どらやき」を皆に食べて貰った。感想などは要らない。5つの豆(小豆、白小豆、うぐいす豆、虎豆、金時豆)が入っているどら焼きを食べて貰いたかっただけだ。
そろそろお暇しなければならない時が来た。王子公園駅まで、Sさん、オカリナママさん、そらの陽さん、Hさんと私の5人は歩いた。シマさん夫婦は、大丸横のミュンヘンまでタクシーで行った。駅では、オカリナママさんとHさんと別れた。
ミュンヘンでは、5人で黒ビールと唐揚げでまたまたお喋りをした。何を喋ったのだろう。まだ酔いが覚めていないので、思い出せない。10月12日に計画している我々の音楽会の話もしたと思う。1時から4時半位まで、また楽しい音楽会をしたいと思っている。
外に出ると雨がパラパラ。激しくはなかった。
シマさん夫婦はタクシーで大丸を離れた。Sさんは、地下に行ってみたいと言った。そらの陽さんは商店街を歩きたいと言った。私は、元町駅まで歩き、垂水まで電車で。そこからバスで帰った。とても座れるような順番ではなかった。だが、一番後ろが空いていた。気持ち良く乗っておれた。
下りると、Sさんの言った言葉が蘇った。
「地下で、ソフトクリームが食べたい」
染まり易い私は、家の近くのケーキ屋さんでソフトクリームを買った。Sさんは食べたのだろうか、と思いながら、クリームの山を舌で崩して行った。カキ氷で米神がキーンとすると言う人がいるが、私はそんな経験はない。胃袋が、暫く冷たさで騒ぐ。私は動けない。
家に着くと、上の山はコーンと平らになっていた。このソフトクリーム、意外に美味い。部屋に入っても、コーンをガリガリ噛み砕きながら、冷たいねっとりした塊を、冷たいのを分かっていながら胃に送り込んだ。
その瞬間は、ビールやワインを飲んだ事を忘れた。全て食べ終えると、今日の心地よいバーベキューと皆の顔が蘇った。皆、笑っていた。
食べながら、家に帰った。胃が凍て付くようだった。まだ酔いが回っている。
王子公園駅に9時45分に待ち合わせだ。どうしても交通機関の所為で、早く着く。30分に着くとシマさんがいた。右目の視力がかなり落ちていて、眼鏡が鬱陶しい。斜交いに奥さんがいた。
すぐにそらの陽さんが改札を潜り、オカリナママさんとHさんは、約束時間の30秒前に着いた。
熱い日差しが空気を焦がさんとする勢いだ。奥さんは足が痛いのでシマさんとはタクシーだ。後2人乗れるので、そらの陽さんとHさんが便乗する事になった。私とオカリナママさんは歩いた。しかし、全員同じ時間にSさん宅に着いた。
S.Sさんのお母様も聴きにいらっしゃって、先ずは演奏をした。
シマさんが準備していた「安里屋ユンタ」をS.Sさんのピアノで練習した。オカリナ、タケリーナ、リコーダー、太鼓、三線。ピアノの伴奏のリードが抜群で、気持ち良くすぐにものになった。
オカリナママさんもそらの陽さんも、楽譜を持って来ていた。「翼をください」。これも攻略。「見上げてごらん夜の星を」。これもなんなくクリアー。「津軽のふるさと」は皆、余り知らなかった。後回し。
「野に咲く花のように」にしても、大体3パートだった。12Cが入ったりして、かなり奥行きが出た。
「みかんの花咲く丘」は2パートだが、簡単に済んだ。「雪の降る街を」は名曲だ。
「こんな暗い曲が好きだなあ」
と言ったのは私だった。本当に暗いメロディーが好きな訳ではない。終戦後暫くして出来たこの曲に、何だか日本の心を見るのである。♪あたたかきしあわせのほほえみー。この歌詞は暗い筈がないが、メロディーは、哀愁を帯びている。
10時が約束の時間で、それから12時近くまで皆で楽しんだ。Sさんとオカリナママさんの旦那さんは、外でバーベキューのセッティングだ。私も出ようとしたが、後一人ひとり演奏した。Hさんなど、そのオカリナの進歩たるや、並ではなかった。努力が窺われる。
オカリナママさん。そらの陽さん。シマさんと巡って私の番になったが、私はここしか出番はないとでも言うように、娘の作った赤ちゃんから2歳児まで位の履ける靴を見て貰った。娘は、もし買って貰えるなら、売ってもいいと言っていた。私は、ただ見るだけで終わると思っていた。それが何と、2足買って頂いた。目で見て、厭なら買わないだろうが、可愛い靴ではある。買って頂けて感謝だ。
ワークショップでは、即売や注文の形で売れていたが、今回は私の顔で売れたのだろうか。それともこの品物を気に入ってくれて売れたのだろうか。
その後庭に出て、バーベキュー大会。オカリナママさん夫婦が酒類を準備して下さっていた。ビヤホールさながらのセッティング。
Sさんの乾杯の音頭。S.SさんやSさんには何から何まで準備して下さっていて、肉の量も半端ではなかった。
「これは、キリンではないね」
そう言うが早いか、
「キリンです」
とオカリナママさんの旦那さんは即答した。私は、とてもビールソムリエにはなれないと思った。
ワインも持って来てあった。エミリアロマーニャ州の微炭酸赤ワインを飲んだ。皆が美味いと言った。オカリナの里、ブドリオ市のある州のワインである。オカリナの祖、ドナーティーを偲んで飲んだ。南アフリカの赤ワインも、結構な味だった。
「ああ、イタリアに行って、銅像と飲みたい」
と言うと、透かさずSさんが言った。
「リュブリャーナではないですか」
そうだ、私にはリュブリャーナがある。
「もし行けたら行きますか」
と言うと、S.Sさんが、
「行きたい」
と言った。その時がもし来たら、旦那さんも一緒に、行けたらいいなと思っている。問題は、交通費である。叶わぬかも知れない夢を抱く事で、心の内が火のように燃えるのだ。
2時になるのはすぐだった。S.Sさんは3時から仕事がある。私はピアノを弾いて貰いたい曲があった。それを合わせた。皆は外でまだ食べていたが、Sさんも私と同じ所をリコーダーで吹いた。初見ですぐに吹けるのは、これまた技である。「タイスの瞑想曲」は、以前の伴奏譜と今度渡していた伴奏譜とどちらがいいか聞く為のものだった。「愛の悲しみ」は初めてだったが、ピアノと合うと思った。私のテンポは遅れたけれど、それはこれからの課題だ。
私がお取り寄せした大阪・四天王寺「茜丸の五色どらやき」を皆に食べて貰った。感想などは要らない。5つの豆(小豆、白小豆、うぐいす豆、虎豆、金時豆)が入っているどら焼きを食べて貰いたかっただけだ。
そろそろお暇しなければならない時が来た。王子公園駅まで、Sさん、オカリナママさん、そらの陽さん、Hさんと私の5人は歩いた。シマさん夫婦は、大丸横のミュンヘンまでタクシーで行った。駅では、オカリナママさんとHさんと別れた。
ミュンヘンでは、5人で黒ビールと唐揚げでまたまたお喋りをした。何を喋ったのだろう。まだ酔いが覚めていないので、思い出せない。10月12日に計画している我々の音楽会の話もしたと思う。1時から4時半位まで、また楽しい音楽会をしたいと思っている。
外に出ると雨がパラパラ。激しくはなかった。
シマさん夫婦はタクシーで大丸を離れた。Sさんは、地下に行ってみたいと言った。そらの陽さんは商店街を歩きたいと言った。私は、元町駅まで歩き、垂水まで電車で。そこからバスで帰った。とても座れるような順番ではなかった。だが、一番後ろが空いていた。気持ち良く乗っておれた。
下りると、Sさんの言った言葉が蘇った。
「地下で、ソフトクリームが食べたい」
染まり易い私は、家の近くのケーキ屋さんでソフトクリームを買った。Sさんは食べたのだろうか、と思いながら、クリームの山を舌で崩して行った。カキ氷で米神がキーンとすると言う人がいるが、私はそんな経験はない。胃袋が、暫く冷たさで騒ぐ。私は動けない。
家に着くと、上の山はコーンと平らになっていた。このソフトクリーム、意外に美味い。部屋に入っても、コーンをガリガリ噛み砕きながら、冷たいねっとりした塊を、冷たいのを分かっていながら胃に送り込んだ。
その瞬間は、ビールやワインを飲んだ事を忘れた。全て食べ終えると、今日の心地よいバーベキューと皆の顔が蘇った。皆、笑っていた。