11日午後12時に車を始動した。285キロの旅の始まりだ。

そこそこ休みも取り、20分位途中のサービスエリアで仮眠したとしても、4時間半で出雲に到着する。

途中必ず止まるサービスエリアがある。それは蒜山高原だ。理由はジャージー牛乳を使ったソフトクリームが目当てである。310円で割高だが、今までその値段を味が凌駕していた。が、今回350円になっていた。便乗値上げだとしても少し幅が大きいような気がした。しかし、トイレ以外はそれが目的なのだから仕方がない。

妹が4時には帰るように仕事を切り上げてくれる事になっていたので、スムーズに家に入る事が出来た。

少し休んでから、7時半に間に合うように、妹の車に乗った。駅の南側にある「大漁日本海庄や」で小学校時代の仲間が10人、集まる事になっていた。男子6人、女子4人が集った。県外からの者は6人いて、東京、横浜、神戸、宝塚、和歌山などから、男子3名女子3名が帰省組だ。

何十年振りかの者もいて懐かしかったが、すぐにあの頃の悪ガキの顔に戻ったりするのが可笑しかった。

この会が目的で帰った訳ではないが、気が置けない者といるのは楽しいものである。

2次会はカラオケのあるスナックで、2階に上がったが、下は端まで行けば見下ろす事が出来る。下と上との歌合戦のように、上下順番に歌い、拍手もしたりした。

もう遅くなった。11時を過ぎていた。解散する事になり、皆其々の方法で家や宿に散った。だが、U君は、自分の家が分からないと言う。去年は私が一緒に家まで送ったので毎度みたいな事になっていて驚きはしなかった。O君も残って、奥さんが車で迎えに来るのを待った。幸せな奴だ。

暫くこちらもうろうろして高瀬川の辺りで待っていると、車が来た。娘さんも一緒だった。彼は昔お父さんが炭屋さんをやっていて、売り物の炭俵の上を彼と走り回って叱られた思い出もある。懐かしい、いい奴で、3年前に広島での会社を退職して故郷に戻った。その彼に去年会った時は、しみじみと懐かしさが溢れたのを思い出す。

O君も方向が一緒だったので、乗せて貰って、出雲市駅方面に帰って行った。私は、歩いて、夜中でも川以外はすっかり変貌を遂げた街並みを、妹の住んでいる家に辿り着いた。蛙の声が一段と膨れて天を衝く。

出雲に来る途中で宍道湖が煙っていたが、それも喉が痛くなったのも、黄砂の所為ではないかと思ったりした。



12日はゆっくり起き、出雲の私が行った時に食べさせてくれる、牛肉の甘辛くしたもの(これは神戸でも食べるけれど、好物なのだ)、出汁巻き玉子ではないが少し分厚い玉子焼き、茄子の味噌炒め、シジミの味噌汁を食べた。鮭も焼いてくれたが、定番は最初の3種類で、それがあれば、朝食には贅沢だが満足な私だ。

今年もオカリナ演奏を、去年演奏した聴衆の前で依頼されていたので、出演出来ても出来なくても兎に角ピアノ伴奏をして貰ったUcさんに楽譜を渡しに行った。中心的な実行委員であるKaさんのピアノのある、宴会なども出来る温室で談笑した。それが10時過ぎから。

Kaさんはまだ話し合っていないが、今年もやる積もりだと話してくれた。それで、9月23日は略出演が決定した。28日は反省会をするから是非来て貰いたいとの事だったが、一度神戸に帰るので又、と言うのが無理に近い。演奏よりそっちに出たい位だが、多分又行けないだろう。

昨日のアルコールにジュースがとても美味しく、一気に飲んでしまった。帰り際に、私にも妹にもUcさんにも、凄い量の花束を頂いた。そんな仕事もされているとは言え、美しい花だった。

ここからがメインの話だが、何度かに分けて書くのが苦手なので一気に書く事にする。ただし、もう尻すぼみでも構わないと思っている。文章が長くなるのは私だって気が引けるのだ。

さっきの出会いも、雨風が半端ではなく、飛行機で来る友もいるが出雲空港に着陸出来るのだろうかと心配もした。

1時半に日吉神社に行った。雨は小降りになっていたが、考えようによっては歓迎の雨だったのかも知れなかった。きっと思い出すに違いないと思った。

部屋の中には沢山の仲間が背広姿や着物姿で集っていた。段々体温で熱くなり、上着を脱いだ。2時までには本殿に移動し、そこでは祈願祭が執り行われた。60数人いたと思うが、祝詞を聞いたり太鼓や笛の音を聴いたりした。玉串を捧げお神酒を一献。

「もう一杯下さいなんて言ったら、神社始まって以来の語り草になるだろうな」

と、後で友と話し笑った。宮司さんは、戦後暫くして平均寿命が40歳を切った事が2度あったと言い、古稀はそれなら分かるけれど今は古稀を遥かに上回っていて古稀とは言い難いと言っていた。納得事項である。今なら古稀は90歳から100歳位かと思ったりする。

ピストン運転する数台のタクシーに乗り込んで、懇親会場であるホテル武志山荘へ行った。抽選の席で、私は一番前の左側、竹の席で7人と座った。

時間は結構持て余していたが、その前に記念写真を撮った。10回位シャッターを切った。豪華な思い出の写真となる事だろう。県外の仲間には全員には知らせていないそうで、それでも77人も集まるのは他の人数の多い年次でもなかなかないとの事だった。

4時30分からはその3階富士の間での懇親会が始まった。物故者への黙祷。オープニングの祝舞。世話人の挨拶。乾杯。祝宴と移った。祝宴はなぜかカラオケで、歌いたい者が歌い、聴き、雑談した。私は周りの者達と話したり、久し振りにテーブルでの宴会料理に舌鼓を打ったりしていた。勿論ビールと芋焼酎のお湯割りが私の基本となっていた。

何故か何人からかオカリナを持って来ているか聞かれた。依頼されていた訳ではないが、オオオサワトリプルとTNGのアルトをカバンに入れていた。

口に食べ物がある時、誰かが依頼に来た。伴奏もなにもないが、広いからマイクを用意して貰って吹いた。

「飲んでいるし、間違っても許してね」

と言って。

「今日は77人集まっているようですが、これは喜寿の会が7年後に持たれる予告のように思われます。その時に、もう一度会いたいですね」

何を吹いたかって? いい加減なものだ。

「今日はお祝いの目出度い会なので、悲しい曲にします。美空ひばりさんの悲しい酒を吹きます」

タイトルは会にそぐわないかもしれないが、メロディーは綺麗だし、3連で吹くのだから、ちょっとだけ音域が高くなるのも聴いて貰いたいと思った。あれだけ騒めいていた会場が、意外と静かになってそれも意外だった。

私は商売は苦手だし、売る事が下手だ。だが、言わなければ分からないので仕方なく恥ずかしい思いもしながら序でに言って席に戻った。

「去年の11月にCDを作りました。ただで聴いて貰いたいのは山々ですが、元手もかかっていますので買って貰えたら有難いです」

そうしてそのまま黙っていては、どうしたものかと思っている人もいるだろうし、目ぼしい人には声をかけるに限ると思った。

それでも何人かは傍まで来て、買ってくれた。その中に、ずっと話してもいなかった秀才のM君がいた。吃驚したのは言う間でもない。1枚渡したが余分にくれて「取っておいて」と言った。咄嗟に返しても受け取ってくれないと思い、CDをもう1枚渡した。小学4年生の頃彼の家に遊びに行って、オタマジャクシを貰って帰った事がある。

また誰かがやって来て、私の周りで「アンコール、アンコール」の声が広がった。やり過ぎも飽きられるが1曲では少ないのだろうか。もう一度ステージに上がった。

「悲しい歌続きで、今練習中の故郷の廃家を吹きます」

と言った。完全ではなかったけれど、せめて思い通りに吹けるようになりたいと思った。

後は何人かに声をかけて買って貰った。

全て終わると2次会会場へのバスが待っていた。それでも3分の2位は参加した。ここの方がCDの話はし易いと思った。だが、出しゃばらないタイミングが要る。買いそうにない人が買ってくれたり、買ってくれると思っていた人が「年金暮らしだから」と言って断って来たりした。

昨日は既に買ってくれている人を除いて全員が買ってくれた。今日も20数枚持って行っていたが、よく買ってくれた。友達だからお義理もあるだろうが、本心は、何度でもいつでも聴いて貰えるCDであって欲しいのだ。サインもした。この記念の日の日付が値打ちだろうから。

この「お多幸」と言う昔からある店のママも買ってくれた。

CD販売の話になるようで情けないが、次の3次会にタクシーに乗った。私たちが行った店には17人位だったかと思うが、3次会ともなるとグループが分かれる。私はこちらの仲間の方が何故か合い易い。

それはそうと、マイクを握るものは限られ、皆聴いたり話し込んだりした。心の内を話して来る者。自分の趣味を聞かせてくれる者。世界の動向を憂えて話しかける者。こんな時は酔いに任せて気分も舌もよく回っている。

ここでもCDを買ってくれて、何人かに銀色のサインペンでサインをした。前に座っているH君が私のサインの速さに目を丸くしていて、3度、目が大きく見開いた。

「これは上手いのがよくわかるわ」

と言った。サインはいい加減だしオカリナは大した事はないし、どちらの事を言ったのか聞き逃した。彼は2次会で買ってくれた。そして、

「去年弥生の森に行きたかったけど行けなかったので、今年は必ず行くから」

と言ってくれた。

「どうして知っているの」

「宣伝していたよ」

それから、誰かも言っていた。

「テレビのニュースで演奏しているのが流れていたよ」

と。

何だか知らないが、知らない内に話題にもなっているようで、出雲ではひょっとして有名人になっているのかと思った。出雲在住の者か出雲出身者しか演奏出来ないので、私は出演させて貰えている。それでテレビも加勢して、一部に知れて行ったのだろう。

去年だけでお払い箱にならなくて良かったと、それは素直に喜んでいる。

そこのマスターと同級生のTさんは所謂同業者だ。私は出雲に帰ると大体Tさんの店に行き、そこで話したり飲んだりする。いつも1人ではなく、3人から10人位が集まる。

Tさんは顔を覗かせるといつもこう声をかけて来る。

「お帰りなさい」

これでほっこりした気持ちにならない者はいないだろう。小学校低学年の頃、同じ学級にはならなかったが、何度か遊んだ事がある。昔は、スーパーを経営していた有名店のお嬢さんでもあったのだ。

私は今飲んでいるこの店のマスターにダメ元で言ってみた。

「CD買ってくれない」

すると、

「Tさんから貰ったから」

と言った。Tさんは要らないのだろうかと思った。

もう12時を回りそうだ。帰ろうと思ったし帰る者も出始めた。すると誰かが言った。

「オカリナ吹いて貰えませんか」

マスターだった。誰かが、帰ろうとしていた者を引き留めた。えっ? と正直思った。最後の最後に吹くなんて考えていなかったからだ。咄嗟の選曲は困る。ちょっと最初の曲を吹いてみると、誰かが「知っている」と言って、歌い出す者もいた。それは小学校の校歌だったからだ。

次に、ある愛の詩を吹いた。これで止めようと思ったが、

「里の秋は」

と言うとS君が、

「それ吹いてよ」

と言った。秋でもないのに、相応しい曲が浮かばなかった。皆が知っていたら、季節はいつだっていいだろう。3連で吹き、2コーラス目はオクターブ上げて吹いた。もういいかい?

そう思ったか思わないかの内にマスターが、

「1枚買うわ」

と言った。品定めをしたのだろうか。それにしても下手な演奏だったのに。そして、弥生の森でいつやるのかをえらい熱心に聞いて来た。やっぱりオカリナは凄い。音が人の心に入り込み、隙間を大きく開くからだ。

まだ残りたそうにしている者もいたし、4次会に行く者もいるだろう。だが、私はS君に声を掛けたら、帰ると言った。

狭い代官町の路地をタクシーが何台も入って来る。その度にS君は手を上げて乗ろうとした。けれど、どのタクシーも予約のタクシーだった。私は20分もあれば帰れるので歩く積もりでいた。

「何処まで帰るの」

「兄貴の家まで」

それは9号線の北側で、方向は私と同じだった。私の方がまだ遠い。2人は、すっかり変わってしまった通りの事などを懐かしく話しながら歩いた。もう、雨も止み、風も納まっていて、田圃の蛙の合唱は、今夜も故郷の懐かしさをを思い出させるのに十分だった。


13日は眠かったが携帯の目覚ましがいつも鳴るので、それを止めなければならない。この日は帰ったら暫くして寝たが、朝の5時頃に寝ても6時15分には必ず起こされる。この日は目覚ましを止めてからゆっくり起きようと思って、起きたのが8時を回っていた。

お腹は昨日の食べ過ぎ飲み過ぎで一杯だったので、朝食は要らないと言っていた。それでも妹は食べものを勧めたり作ったりする。いつもその手に乗って、また以前のようにお腹が膨らんで来ている。この危機を脱しないと、元の木阿弥と化すところまで落ちるだろう。ほんとに哀れな自分が見えるようで怖い。

それでも朝食が用意してあると食べない訳にはいかなかった。勝手な考えを作り上げた。昼は食べないようにしたらいいではないか。

流石に玉子焼きはなかったが、牛肉の甘辛は作ってあった。もう堪らない。豆腐と若布の味噌汁も美味い。後何があったかは覚えていないが、ご飯を2杯食べたのは間違いない。

2時から昔から駅通りで近所付き合いをしていた家のYちゃん夫婦の家に行く予定にしていた。するとO君が駅裏のホテルから電話をして来た。出雲大社に行かないかとの・・。宮司の千家さんと言えば60年の式年遷宮では去年テレビでも有名になった人だが、何かで話す事があった折、出雲に帰ったら社務所を訪ねるように言われていたらしい。

私はすぐに風呂に入り、彼を迎えに出掛けた。11時を約束していたが、20分遅れでホテルに着く事となった。

もう駐車場は観光客などの車でごった返していた。神楽殿と本殿で2礼4拍手1礼をする筈が、最初は4拍手の事が飛んでしまっていて2拍手になっていた。本殿では4拍手した。その後広い社務所に行き、彼は会えるかどうかを聞いていた。やがて水色の袴を付けた事務職員と思しき人がやって来て、O君の事を宮司は知っているとの返事を伝えた。

今勅使が来ていて手が離せないと言う事だった。1時間もしたら顔を見られるらしかったが、特別な用事がある訳でもなかった彼と私は、そこを辞した。次は電話をして欲しいとの事だった。社を案内すると水色の君は言ってくれたが、もう参拝した後だった。それに、私も彼も子供の頃から何十篇も出雲大社には来ていて、馴染も深かった。

参道を、鳥居のある入口まで戻った。蕎麦はもう、満腹で食べられなかった。その代わり、ぜんざいを食べる事に決まった。ぜんざいの店は1軒ではなく、テレビなどで有名な、狭いけれど美味しそうな店に入った。「日本ぜんざい学会壱号店」と言えば、思い出した人もいるのではなかろうか。

人懐っこい楽しい店の人と話した。何故出雲がぜんざいの発祥の地かなど。ぜんざいは、神在(じんざい)餅が出雲弁(ずーずー弁)で訛ってずんざいとなり、それがぜんざいとなって京都に伝わったと言う。発祥の根拠は、江戸初期の「祇園物語」や「梅村載筆」(林羅山筆)、「雲陽誌」に記されている事に依るとある。

大社駅に紫陽花の鉢が飾られていた。それは、私が妹から貰って帰った紫陽花と同じものだった。島根県で作られた新種で、去年も妹は買おうとしたが買えなかったほど、手に入り難いものだ。今回も、既に売り切れて、他の店で入って来た所を買ったものだった。花弁が幾層かに重なっていて万華鏡を連想させる。それで、その紫陽花の名も「万華鏡」と言う。私のCDの1番目に入っている曲と同じ名前である。大事に育てたい。

2時過ぎから妹と出かけた。Wさん夫婦の家は玄関の間口も広く、家の中は書院造りでその部屋も広く、欄間の彫刻も立派なものだった。

何を話したか、寧ろ聞いたり、見せて貰う事の方が多かった。Wさんは結構知名人との交流があったり写真を2人で写したりしている。永六輔さんから葉書が来ていたり、童門冬二さんんからはサイン入りの本が何冊も送られて来ていたり、毎年暮れに今年の漢字を毛筆で書き表す清水寺の貫主がいるが、その方との立派な2ショットもある。

あれやこれや際限のない話をしたり聞いたりしていると、あっと言う間に2時間が経った。来て良かったと思いながら、お暇する事にした。

家で一休みしてから6時になるとお墓参りを済ませ、「蔵寿司」に行き、回転寿司を食べた。殊更美味いと言う訳でもないが、好きなものを好きに食べられるのがいい。最近は回って来るケースも工夫されていて、かぴかぴに渇くような事もないし、ケースはワンタッチで開けて皿を取り出す事ができる。茶碗蒸しを頼んだり、パネルで新しいネタを注文したり、コーヒーを飲んだりも出来る。以前はデザートなども食べる事が出来なかった。

おまけに、食べた皿5枚を座ったまま開いた所に入れると、画面のキャラクターが戦って、勝てばその場でマスコットなどの景品が貰える。15皿食べれば3回抽選がなされる。妹の皿を何枚か足して3回抽選したが、全部ハズレだった。滅多に当らない仕掛けかも知れない。子供はそれが欲しさに、連れて来て貰うのだろうが、よく考えたものである。

もう倒れそうなくらい満腹した。今もこうしてパソコンの前にいても、この腹の出っ張りは凹まない。どうしよう。もう今対策を講じないと3年前と同じ事になる。ジョギングだけでも駄目で、やっぱりカロリーを考えた食事制限が必要だ。ジョギングをし出して体重が減り、お腹が凹み、筋肉が付いたと思った頃から好きに食べていたから、その祟りが今になって来ているのだろう。

妹の家で長椅子に少し横になった。気が付くと夜の9時に近かった。そろそろ出発だ。準備をして妹と別れ、出雲を後にした。前の車のテールランプか、向こうから来る車の前照灯かしか目には入らない。やっと米子道に入りサービスエリア蒜山高原に行ったが人影はなく、車は1台しか止まっていなかった。その車もそこを出てしまうと、後に1人取り残された。何だか気味が悪くなり、仮眠も取らずにすぐにその場を去った。

只管神戸へ。

丑三つ時の丁度真ん中、夜中の2時に家に着いた。眠りに就いたのは5時前。6時15分の携帯目覚ましの音楽を止めて少し寝ようとしたが、7時20分には娘の家に行かなければならない。保育園に一緒に孫を連れて行くからだ。旦那も車の電気系統が故障しているらしく、一緒に乗って来た。折り返し2人を高速バスの乗り場に連れて行き、そこで一段落したが、眠る事は出来なかった。

仕事ではないにしても、今回は忙しく慌ただしい3日間だった。友に会えた事は矢張り嬉しく、この友との出会いの不思議を思う。CDも買って貰えたし、後はそれを聴いて、買って良かったと思われる事をだけを只管期待したい。

だらだら長いばかりで、何とかもっとましな、歯切れのいい文章が書けないものだろうかと思う。

もう長いなんちゅうもんではない。ここまで読んだ人がいない事を願いたいし、読んでも何の価値もない事が分かるだけである。

CDを売る為に出雲に帰った訳ではない事は事実だし、強引に売った訳でもない事は確かだ。その印に、幾らか残ったCDが、妹の所には置いてある。もう1つ、私が古稀の祈願祭と懇親会の為に帰省した事が知られてしまっだ。

Wさん夫婦のYちゃんは、帰り際に妹と私に見事な刺繍をした袋をくれた。女性もののようだが、これは私が使おうかとも考えている。バスC管のオカリナまでなら入りそうだからである。本当は、100万円の札束が幾つ入るか確かめてみたいのだが。

それなら宝くじを買って1億円位当てればいいのだけれど、何故か積極的ではない私がここにいる。当たる事などないのに、当たったら当たったで怖いと思っている私もここにいるのだ。100万円は少ないし、1,000万円は中途半端だし、どうせ当たるなら1億円がいいがそれは怖いので、そんな事などを考えて遊んでいられる時が花ではないかと思う。