兵庫県も各地で雨が凄かった。1時間の降水量の最大値が、西宮市で78ミリを観測されたと言うから、その豪雨振りも容易に想像出来る。

垂水区の私の住んでいる地域は、朝(25日)雨は普通に降っていた。ラジオ体操を終えると、雨の中ジョギングに出掛けた。雨の中をと思われるだろうが、暑い日々、久々の雨に打たれたかった。気持ちがいい。

今日は、シマさん中心に奄美の人達が集まって催される飯盒炊爨に参加する事になっている。Sさん、S.Sさん、そらの陽さんも参加予定だ。

S.Sさんからメールがあったがそれではもどかしいので、電話になった。灘区の方は土砂降りで、これでは外にさえ出られないと言うのだ。それで、出来たら不参加にしたいと。むべなるかな、である。

シマさんと話すと、食材も買ってあるから中止にするのは勿体無いと言うのだ。これも納得である。それで、10時半に神戸電鉄木津駅で会う事にしていた時間を11時半にして、それから先は遅れても構わないと言う事になった。兎に角飯盒炊爨は、やるのだ。

そらの陽さんは8時45分には姫路から出るそうで、連絡が少し遅れたら、随分木津駅で待たなければならなくなっていた。

SさんとS.Sさんにはこの事を伝えると、暫く雨の様子を見て連絡すると言う。だが、1時間後には、参加が決定した。それでも、出掛けてから集中豪雨のため、神戸駅で足止めを食っていた。

何とミステリアスな日だろう。そらの陽さんも、電車が遅れていると言う。

Sさん達が11時35分に着くと言っていたその電車に、私が上手く乗れて、私が1人木津に着いた。シマさんが待っていた。

10分歩くとその会場は斜面の上にある。途中シマさんは電話がかかり、再び駅に人を迎えに行き、私は会場に着いた。

雨の中、テントなどの野外設営などは出来ていた。10人近い人がいて、殆ど知り合いだが、挨拶をした。

11時頃にSさん達が木津駅に着いた。私はウオーキングが出来るので、喜んで迎えに行った。よく来て貰えたものだと思った。テント設営までは、それこそバケツをひっくり返したようだったそうなこの地も、今は小降りになっていた。

12時過ぎにはそらの陽さんが着いた。迎えに行った。

ここは山の草の匂いがする。竹薮がある。そこを抜けると、この広さは空に抜け、田んぼが広がり、稲が青々としていた。

シオカラトンボが飛んでいる。蛙がぴょんぴょん跳んでいる。久し振りの田舎の風景だった。

シマさんも車で迎えに行ったりした。そのすぐ前頃から、飲食が始まった。結局は20人弱の人数だったが、数える事はしなかった。もう殆ど雨も止んでいて、テントの外にも長椅子などを置いて、沢山座れるようにした。

皆、食べた。飲んだ。ビールに梅酒、黒糖焼酎。牛の焼肉。鹿肉。猪肉。豚足。鶏肉。憎らしい位だ。自家製の心太もモズクもある。美味いなあ、こんな所で食べるのは。

猪肉は、この場所を提供して下さる方が、冬の間に仕留めていたものだった。「凄いワイルド」と、S.Sさんは言った。

もう一つ猪肉と一緒に冬瓜やキノコの入った味噌汁を頂いた。シマさんが数日前にアップしていた別の冬瓜が、ここですぐに味わえるとは思わなかった。これは美味い。私が想像していたのに近い味がした。蕪を煮た時のような、独特のとろっとした味だった。大分後になってからだが、まだ残っていると言うので、お代わりしたのは言うまでもない。

三線の音が聞こえ出し、奄美のリズムと心情を感じながら、飲んだり食べたりした。談笑もし、知っている人も、始めて知った人も、この音に溶け込んだ。

SさんとS.Sさんはリコーダーの合奏をした。Sさんのソロもだ。いい響きが、天空に吸い込まれる。

そらの陽さんはタケリーナを吹いた。すぐそこの竹薮によく似合っていた。

私もオカリナを吹かせて貰った。違ったオカリナの方が良かったかなとも思ったりした。

それからは、暫く三線が続いた。手を頭上で動かしている人もいる。立って踊っている人もいる。こう言う雰囲気がとてもいい。会えば溶け込む強い繋がりを、私は知らなかった。

何人かは帰り、S.Sさんも用事で抜けた。より斜面の方に移り、シマさん達の三線を聴いた。そして、飲んだ。

もう暑い位に天候が回復し、太陽が眩しかった。そろそろ帰ろうと言うことになったが、5時半にはなっていたようだ。Sさんとそらの陽さんと私は駅へと向かった。

激しい雨、本降り、小雨、西の空が明るくなり、雲間から太陽が覗き、また元の暑さに戻った。大雨から晴れるまでを一気に見たようだった。

暑いと思ったが、雨の中での飯盒炊爨だったらと思うと、とても有り難い暑さだった。

飯盒炊爨と言うけれど飯盒があるわけではなく、鉄板で野菜を炒めたり、網で肉を焼くと言うものである。ご飯はおにぎりやソーメンなのだ。

でも、何故かこの名称が合っている。音楽あり、踊りあり、会話あり、食べ物飲み物一杯の、優しい心の覗いた奄美の飯盒炊爨だった。