ブログからその書き手が飛び出て、他のブログから飛び出た書き手と実際に会ったとしたらどうだろう。それが起きたのが昨日(21日)の事だった。

今は、その事実がもう夢現となっている。何事もなかったかのように、ブログの額縁に戻った。

午後1時に出会う約束が1時間繰り上がり、12時頃に新長田駅の噴水を横手に見る場所で会う事になった。余り待たせてはと思い、すぐに家を出た。

黒い服、黒い帽子、黒尽くめだが、顔は肉感があり若さに溢れていた。私はコロコロを引いて来る事を知らせていたので、向こうから先に声を掛けて来た。私もこの彼だ、と思った瞬間だった。

当たる事は先ずないが、当然の事ながら想像とは違っていた。背も高く、顔は笑顔に満ち、溌剌としていた。

彼が高校2年生の頃、ブログで知った。小説家志望である事に興味を持った。それに、オカリナを吹いていたからだ。

頻繁ではない訪問が始まった。学校の屋上で一人オカリナを吹くと言う。センチメンタリズムが私の頭を掠めていた。でも、それは私の印象で、そんな事はどうでも良かった。時たま載せられている小説を読むと、文章力には高校生とは思えないものがあった。

ペンネームは八代翔と言う。ここからは、翔君と呼ぶ事にする。

受験に通ったら、一度会いたいと言っていた。

翔君は、筑波大学に合格した。それで、今年か来年には会うだろうと思っていた。所が、彼から8月に神戸に来ると連絡があった。旅行の中に兵庫県(神戸)を入れていたのである。

素晴らしい。薔薇色の青春がこれから降り注ぐ、と彼を見て私は実感した。

新長田はお好み焼き屋の多い町だが、たこ焼き屋は見当たらない。駅に近く、明石焼きの店が1軒ある。水曜日は定休日だが、そこには是非連れて行きたかった。幸いな事に、その日は開いていた。

話の内容までは長くなるので書かないが、明るい、好青年だ。初めて食べると言うのがいい。たこ焼きを出汁に浸けて食べる。定食なので炊き込みご飯も付いている。話も楽しく、弾んでいた。

それから向かったのが、或る事務所の2階である。オカリナの練習に借りていた場所だ。ここまで歩くのにも随分な汗で、体力も消耗するのだと言う事が分かった。何時間でも吹いていられるのに、この日は2時間で終わった。

1時から3時迄、翔君が吹いたり私が吹いたりした。彼はオカリナがとても上手い。主にジブリ系を吹いて聴かせてくれた。きっと、オカリナがポケットから離す事の出来ない人物になるだろう。

私は蒐集家でもあるかのように無駄なオカリナも買ってしまったが、彼は数本しか持たず、しかも選ぶオカリナを心得ている。随分買う前に研究した事と思う。

彼が好まないかも知れないので、ここでは所有のオカリナの種類は書かないでおくが、私も以前気になっていたオカリナを持って来ていた。結局は3本持参した。

オカリナをやる事に決めてから3年位になるそうだが、アカペラがとても上手い。それしか経っていないなど、誰も信じられないだろうと思う。ビブラートを上手くかけた演奏は、じっくり聴いていたい程だった。綺麗な、澄んだ音だった。

何度も感じたが、翔君と会えたなんて信じられない。だが、幾ら信じられない事でも、前向きに否定さえしないで歩いていると、そんな事は間違いなく起こるものだと・・。

息子のような、でもそれには歳が離れ過ぎている。孫のような、が、私の孫には大学生も高校生も中学生もいない。息子と孫の中間位の翔君であるが、歳の開きは50近い。この歳を無視させてくれたものこそが、オカリナだったのだ。

加古川におじいちゃんがいると言う。明日(22日)は東京に帰るので、おじいちゃんは2人でお酒を酌み交わすのを楽しみにしていると言う。まだ、6時までは時間があるそうだ。そこで、私は翔君をニューミュンヘンに連れて行く事にした。

短い時間でも、一緒に飲む積もりにしていた。まだ飲んだ事のない黒ビールを飲ませたかったし、普通とはちょっと違う、でっかいからっと揚がった唐揚げを食べて貰いたかった。

黒ビールは2人とも大ジョッキの注文。唐揚げは、3個か5個かで私は優柔不断になった。彼は5個は行けると言った。私は何度も来ているから大きさが分かる。3個でいいと思ったが、店員さんに「食べれなかったら持って帰れますよ」と言われ、悩んだ。こんな自分を見るのは久し振りの事だった。決断は早い方だが、言葉に負けた。私は逡巡し、2人とも5個になった。

こんな青年がいるのかと思う位、明るく感じのいい人物だと何度も思った。大学生活が楽しいことが即座に窺われる。その所為か、笑顔にも豊かな張りがあるのだった。

道ですれ違うような人は沢山いるが、話す事はない。だが、ブログで知った翔君と会い、こうして話し、唐揚げでビールを飲んでいる。これこそ何かの縁が働いているのだろうと思った。それがどんな縁かは全く分からないが、分かったら、どんな繋がりなのだろうか。それは分からないからこそ、尚更縁は大切にしたいと思う。

彼は朝日。私は夕日。そんな勢いの違いはあるが、正にこれも、オカリナが取り持った縁に違いない。最近思うが、オカリナと関係のない出会いに出くわした事が殆どない。

私には、オカリナのない老後は考えられない。どれだけ自分を青春のポジションに置いてくれている事か。サムエル・ウルマンではないが、これこそ生涯青春の所以だ。

そのオカリナを通して、幻のようで幻ではない、半世紀も歳の開きのある老人と青年が、このような出会いをした。

翔君のこれからの生き方を、我が身のように眺め、見守っていたい。そう思えるのは、ブログとオカリナがなかったら、全く有り得なかったからだ。

もう東京の、自宅に無事戻っている事だろう。不思議な程に清々しく、素晴らしい青年だった。会えて本当に良かった。

翔君の薔薇色の今とこれからに、もう一度乾杯だ。