13日朝7時に福岡へ向かって出発。嫁と娘と3人で午後3時に着いた。上の孫が4月に小学校に入学して以来だ。勿論娘夫婦とも楽しく過ごしたが、2人の男の子の孫と会うのは格別だった。
下の孫はタブレットで遊んでいる。まだ確かな喋りは出来ないが、その扱いは大人顔負けだ。
上の孫に鶴の折り方を教えたが、その集中力はかなり持続した。初めてやるのだから上手くは出来ないが、10回位は付き合った。
14日は簡易プールを設営した。と言っても空気を入れて水を入れたら仕舞いだが、その喜びようと言ったらなかった。旦那が昼過ぎに帰って来て、自分も海水パンツに着替えると、プールに入ったり、水鉄砲で水をかけたり、孫と一緒になって遊び、我々はそれを興味深く眺めた。
夜は花火をした。昔ながらの簡単なものだが、孫には新鮮で、我々には懐かしく、やはり夏の風物だと思った。
15日午後3時には我々2人は大分に向かった。娘は夕方、長距離バスで神戸に帰った。そんなに長く会社を休む訳には行かなく、苦渋の選択ではあった。バス停まで全員に送って貰ったそうだが、孫は2人とも泣いたそうだ。そう言う事を感じられる事を嬉しく思う。
もっと詳しく書きたいのは山々だが、長くなる予感が最初からあったので、ブログ上はさらっと行きたいと思った。
15日は豊後高田の亀の井ホテルに泊まった。上の義兄はその近くに住んでいるのでここには泊まらなかったが、夜は美味しいピザをご馳走になった。
下の義兄は加古川から来ていたが、友達と会っていたのでピザは奥さんだけが頂いた。5人で食べたけれど、本当の窯で焼いた何種類かのピザを食べたので、結局は1枚丸々食べた計算になる。
亀の井ホテルに戻った時、9時にはなっていただろうか。私達の部屋で関西組4人、喋ったり飲んだりした。この年になると、話しだけでは楽しみがない。飲みながら話す楽しみは、なくてはならない行為であり儀式のようなものだ。
次の日16日は、九州まで来たメインの行事、義母の3回忌の法要を昼前から営んだ。実家で身内だけのものだった。車を置いて家まで歩く間が暑い。神戸ではジョギング以外殆ど外に出ないのでそんなに暑いかと首を捻る位だったが、テレビで観る35度以上の気温が初めて実感された。
特に書く事もないが、自分としては30分以上の読経の間は、正座を意識して崩さない挑戦をしていた。痺れていても、
「自分は重くない。軽くて痺れる事なんかない」
と自己暗示をかけながら、上を向いた2つの足の裏を重いだろうお尻で押さえ付けていた。
和尚さんの前のお経を全部唱えるのだろうかと思った。半分位捲られた時、降伏しなければならないだろうかと考えながら、覚悟を決め兼ねていた。義兄達はとっくに足を崩していた。素直に、自分の気持ちや感じの赴くままに動けばいいものを、意思を持って何かをやる事は中断出来ない厳しさがある事を確認する。
況して、私のそんな意地みたいなものを後ろで見ている人もいると思うと、余計に崩し難くなっている。
お経は三分の二までしか行っていないようだったが、口調や木魚や鈴が終わりそうな気配を感じさせていた。意地を通し終えた。
その後、場所を移しての昼食会。こんな時だから会える人達もいた。美味しいご馳走に、生ビールと芋焼酎が花を添えた。
義母には弟や妹になる人達と別れると、私たちと義兄たちの6人が残る。大体いつもそうだ。今度は6人が泊まる温泉へと3台の車を向けた。
国東半島が育んだ山香温泉「風の郷」(大分県杵築市山香町大字倉成3003番地)。感動的な温泉宿だった。これはお勧めなのだ。JR日豊本線では中山香駅が近くになる。
車でそこから数十分で行ける場所に、大分空港、湯布院、日出、安心院、大分農業文化公園などがある。因みに、大分農業文化公園では、オカリナフェスティバルに2回ほど出演した事がある。
7時からの夕食まで時間があるので、ジョギングをしようと思った。上の義兄の奥さんがウオーキングをすると言ったので、折角だから私もウオーキングをする事にして、この温泉宿の周りを歩いてみた。自然の草原や草木の匂いが昔嗅いだ懐かしさを引き出して行く。
階段を下りて行くと、どう見てもゴルフ場のような場所があった。後でパンフレットを見たら、それは「風の郷パークゴルフ場」と言って、何と平日大人は300円で楽しめるコースだった。
戻ると、私は温泉に入った。広々として気持ちがいい。
部屋は101から109までと、離れに3棟ある。101と102は義兄達が使ったが、この2つだけは洋室で室内の風呂に温泉が引かれている。103から109は和室だが、温泉ではない。
我々は107で、広いし塀に囲まれた庭にも出たり眺めたり出来る。
7時から夕食。皆意見が一致して、山香牛のステーキになった。それが分厚い肉で格安だったのだ。美味しかったが、これで2,000円にもならない。
生ビールと芋焼酎が山香肉とコラボをした。
食事が終わると、義兄の部屋に集まって、話が弾んだ。氷を貰って来ていたので、この時は麦焼酎も弾んだ。11時前に解散した。
一人で外に出た。遠くの邪魔になる明かりを手で遮って空を見た。降るような星で、簡単に見分けられる星座が、一つとして分からなかった。何とかカシオペアを見つけたような気がしたが、北極星が分からなかった。反対側の北斗七星も見当たらなかった。それだけ、星屑でごった返していたのだ。
2度、流れ星も見た。何か願い事をと思う間もなく、消えてしまった。そんな時の為に、何か呪文のような瞬間的に言える言葉を決めて置かなければなあと思ったものだ。1秒もかからない呪文の必要性がある。
首が痛くなったので、部屋に戻った。ガラス戸を開けて外に出た。その縁側と言うか板の上に寝転んで、暫く星を見ようとした。屋根とか木とか建物に遮られて満天は見られなかったが、それでも星屑の町が迫って来る。
部屋の明かりを消すと、それはそれは美しかった。だが、知っている星座は認識出来なかった。どこか人工の明かりのない、満天が眺められる場所に行きたいと思った。それは、是非いつか実現したいものである。夢に出てくれるようにしっかりと星屑を刻み眠った。しかし、それは叶わなかった。
流れ星は、1回見た。が、呪文は口を吐かなかった。
17日の朝は温泉に行った。一人の女性とはすれ違ったが、男湯には誰も入っていなかった。貸切のような温泉となった。勿論露天風呂もだが、風が心地よい。
朝食は8時から6人で食べた。その前に亀のいる池を見に行ったが、池の縁に上がっていた十数匹の亀が池に入り私の方に寄って来た。成る程、餌を貰えると思ったのだ。餌を買って来て皆で投げ与えた。沢山あったのに、30円だった。
生ビールと焼酎があればいい程の、少しずつの盛り付けでも種類の多い贅沢な食事だった。それ以外の5、6品は自由に取りに行けるので、私はトマトとそれに大好物のポテトサラダを盛った。普通の量の3、4倍の量は皿に乗せた。
美味いおかずなので、ご飯は2杯目となった。これが、夕方になってもお腹の減らない原因となった。牛乳も飲んだしコーヒーも飲んだ。13日の夜から気を付けていたが、ついにその重さは2キロも増えた。胃が唸り出していた。
9時にチェックアウトをして、途中実の付いた稲の青々としている山に囲まれた道を走り、壁に書かれた鏝絵を見たり、眼鏡橋を見たりした。
トイレ休憩の為に3台の車を止めたが、それを向こうから直視している白バイがあった。如何してか分からない間は気持ちのいいものではない。
下の義兄が歩いて聞きに行った。勿論私達の事は問題外だった。丁度道を家屋が道を遮っている場所なので、白バイにはスピード違反などの追跡に格好の場所だったのである。
いよいよマチュピチュを見る事になったが、表示のある坂道を上るとすぐそこだった。綺麗な山並みがあり、その右端にマチュピチュに似た形の山がある。
期待するほどの事もなかったが、見られるものは見ておくに越したことはない。「百聞は一見に如かず」と言うのは、いつしか私の好奇心に火を付けてしまっていた。
1眼レフのに望遠レンズを装着したデジタルカメラを持った男性と奥さんと娘がいた。上の義兄がそのカメラを渡されて、写して貰っていた。
2回シャッターを切ったが、男性に「上手い」と褒められていた。すると奥さんも、見ないのに「上手だ」と言った。構え方がいいと言った。成る程。この旦那の奥さんなら、それ位の事なら見なくても分かる訳だ。上手いと言うのはお世辞ではない事が分かった。義兄だって、写真はよく撮っているから上手いのである。
皆昼食は入らないらしいので、コーヒーを飲みに行った。これがまた素晴らしい眺めの所にある。これで2度目だが、リピーターもある程で、上の義兄たちはひと月に2度は遠路来るそうだ。
素敵なので紹介しておこう。すぐに若い女性が2人入って来た。その度に大きな白色に近い老犬が迎えに出て来てくれる。10歳だと言っていた。若いと言えば若い夫婦がやっているが、原則何かの為に休む事はしないと言った。兎に角美味い。
大分県中津市耶馬渓町大字大島3818-1
「豆岳珈琲」と言い、月曜火曜が定休日。10:00~17:00の営業だ。
開放された戸や窓から、涼しい風が入って来る。手作りのケーキも美味しい。ここにはこの夏の熱風地獄はないのだろう。それにしても義兄は、美味い所を色々よく知っている。それがまた、素敵な場所なのだ。
途中で3台の車は分かれた。我々は道の駅に寄り、それから百聞は・・の理論から、門司港レトロに寄った。3時頃だったが、嫁はものは試しと、名物焼きカレーを食べた。私は何も入らない。焼きカレーを勧められてもそれは無理だった。やっと冷やしうどんにした。
建物は税関などレトロなものがあり、人力車をを引く人もいて古を感じさせたが、何分暑くて歩けるものではなかった。人も三々五々だし、殆ど外にはいなかった。
早々にここから離れる事にして、一路神戸へ。
到着は、夜11時30分頃だった。
もう18日になり、昼を過ぎた。がっかりだが2キロは増えていた。ここで踏ん張らなければならないと思い、4キロ走った。
道の駅で買った卵かけ醤油で卵ご飯にして食べた。いい醤油と出会ったと思った。250円ほどだったか。味は1回で300円の値打ちは十分にある。後何十回食べられるのだろうか。海苔を焼いて一緒に食べた。
さてと、昼ご飯の時間だ。これは白いご飯に山香牛がほんのちょっと混ざった、瓶詰めの佃煮を乗せて食べよう。やっと2キロ戻ったのだから。
4時からは居酒屋で3人で会う事になっている。またまた生ビールと焼酎を飲む事は間違いないので、昼はこれで押さえておかなければ。自分をコントロールするのは、かなり厳しい事業なのだ。
タイトルをマチュピチュにしたが、私が行ったのかと思ってこの長いブログを読んで頂いたかも知れない。日本のマチュピチュと書けば、見なくて通り過ぎる人も増えただろうと思うと、ちょっとばかし後ろめたい気もする。
タイトルがマチュピチュで、この体たらくだ。が、終わりまで読んで下さった方々には、本当に嬉しく感謝したい。
また、義兄夫婦には、いつも楽しませて頂き、ご馳走して頂き、感謝しても仕切れない。だが、重ねて感謝したい。これから何度会えるか分からないが、遠くへ行く甲斐がある。
13日から17日までの旅を、短く? まとめてみた積もりである。
えっ? 大笑いだ。
もう、こんな時間! そうだ。昼は食べないで出かけよう。あれっ? 5,000字を過ぎて、アップ拒否をされている。あ~あ。何処を削ろうか。
下の孫はタブレットで遊んでいる。まだ確かな喋りは出来ないが、その扱いは大人顔負けだ。
上の孫に鶴の折り方を教えたが、その集中力はかなり持続した。初めてやるのだから上手くは出来ないが、10回位は付き合った。
14日は簡易プールを設営した。と言っても空気を入れて水を入れたら仕舞いだが、その喜びようと言ったらなかった。旦那が昼過ぎに帰って来て、自分も海水パンツに着替えると、プールに入ったり、水鉄砲で水をかけたり、孫と一緒になって遊び、我々はそれを興味深く眺めた。
夜は花火をした。昔ながらの簡単なものだが、孫には新鮮で、我々には懐かしく、やはり夏の風物だと思った。
15日午後3時には我々2人は大分に向かった。娘は夕方、長距離バスで神戸に帰った。そんなに長く会社を休む訳には行かなく、苦渋の選択ではあった。バス停まで全員に送って貰ったそうだが、孫は2人とも泣いたそうだ。そう言う事を感じられる事を嬉しく思う。
もっと詳しく書きたいのは山々だが、長くなる予感が最初からあったので、ブログ上はさらっと行きたいと思った。
15日は豊後高田の亀の井ホテルに泊まった。上の義兄はその近くに住んでいるのでここには泊まらなかったが、夜は美味しいピザをご馳走になった。
下の義兄は加古川から来ていたが、友達と会っていたのでピザは奥さんだけが頂いた。5人で食べたけれど、本当の窯で焼いた何種類かのピザを食べたので、結局は1枚丸々食べた計算になる。
亀の井ホテルに戻った時、9時にはなっていただろうか。私達の部屋で関西組4人、喋ったり飲んだりした。この年になると、話しだけでは楽しみがない。飲みながら話す楽しみは、なくてはならない行為であり儀式のようなものだ。
次の日16日は、九州まで来たメインの行事、義母の3回忌の法要を昼前から営んだ。実家で身内だけのものだった。車を置いて家まで歩く間が暑い。神戸ではジョギング以外殆ど外に出ないのでそんなに暑いかと首を捻る位だったが、テレビで観る35度以上の気温が初めて実感された。
特に書く事もないが、自分としては30分以上の読経の間は、正座を意識して崩さない挑戦をしていた。痺れていても、
「自分は重くない。軽くて痺れる事なんかない」
と自己暗示をかけながら、上を向いた2つの足の裏を重いだろうお尻で押さえ付けていた。
和尚さんの前のお経を全部唱えるのだろうかと思った。半分位捲られた時、降伏しなければならないだろうかと考えながら、覚悟を決め兼ねていた。義兄達はとっくに足を崩していた。素直に、自分の気持ちや感じの赴くままに動けばいいものを、意思を持って何かをやる事は中断出来ない厳しさがある事を確認する。
況して、私のそんな意地みたいなものを後ろで見ている人もいると思うと、余計に崩し難くなっている。
お経は三分の二までしか行っていないようだったが、口調や木魚や鈴が終わりそうな気配を感じさせていた。意地を通し終えた。
その後、場所を移しての昼食会。こんな時だから会える人達もいた。美味しいご馳走に、生ビールと芋焼酎が花を添えた。
義母には弟や妹になる人達と別れると、私たちと義兄たちの6人が残る。大体いつもそうだ。今度は6人が泊まる温泉へと3台の車を向けた。
国東半島が育んだ山香温泉「風の郷」(大分県杵築市山香町大字倉成3003番地)。感動的な温泉宿だった。これはお勧めなのだ。JR日豊本線では中山香駅が近くになる。
車でそこから数十分で行ける場所に、大分空港、湯布院、日出、安心院、大分農業文化公園などがある。因みに、大分農業文化公園では、オカリナフェスティバルに2回ほど出演した事がある。
7時からの夕食まで時間があるので、ジョギングをしようと思った。上の義兄の奥さんがウオーキングをすると言ったので、折角だから私もウオーキングをする事にして、この温泉宿の周りを歩いてみた。自然の草原や草木の匂いが昔嗅いだ懐かしさを引き出して行く。
階段を下りて行くと、どう見てもゴルフ場のような場所があった。後でパンフレットを見たら、それは「風の郷パークゴルフ場」と言って、何と平日大人は300円で楽しめるコースだった。
戻ると、私は温泉に入った。広々として気持ちがいい。
部屋は101から109までと、離れに3棟ある。101と102は義兄達が使ったが、この2つだけは洋室で室内の風呂に温泉が引かれている。103から109は和室だが、温泉ではない。
我々は107で、広いし塀に囲まれた庭にも出たり眺めたり出来る。
7時から夕食。皆意見が一致して、山香牛のステーキになった。それが分厚い肉で格安だったのだ。美味しかったが、これで2,000円にもならない。
生ビールと芋焼酎が山香肉とコラボをした。
食事が終わると、義兄の部屋に集まって、話が弾んだ。氷を貰って来ていたので、この時は麦焼酎も弾んだ。11時前に解散した。
一人で外に出た。遠くの邪魔になる明かりを手で遮って空を見た。降るような星で、簡単に見分けられる星座が、一つとして分からなかった。何とかカシオペアを見つけたような気がしたが、北極星が分からなかった。反対側の北斗七星も見当たらなかった。それだけ、星屑でごった返していたのだ。
2度、流れ星も見た。何か願い事をと思う間もなく、消えてしまった。そんな時の為に、何か呪文のような瞬間的に言える言葉を決めて置かなければなあと思ったものだ。1秒もかからない呪文の必要性がある。
首が痛くなったので、部屋に戻った。ガラス戸を開けて外に出た。その縁側と言うか板の上に寝転んで、暫く星を見ようとした。屋根とか木とか建物に遮られて満天は見られなかったが、それでも星屑の町が迫って来る。
部屋の明かりを消すと、それはそれは美しかった。だが、知っている星座は認識出来なかった。どこか人工の明かりのない、満天が眺められる場所に行きたいと思った。それは、是非いつか実現したいものである。夢に出てくれるようにしっかりと星屑を刻み眠った。しかし、それは叶わなかった。
流れ星は、1回見た。が、呪文は口を吐かなかった。
17日の朝は温泉に行った。一人の女性とはすれ違ったが、男湯には誰も入っていなかった。貸切のような温泉となった。勿論露天風呂もだが、風が心地よい。
朝食は8時から6人で食べた。その前に亀のいる池を見に行ったが、池の縁に上がっていた十数匹の亀が池に入り私の方に寄って来た。成る程、餌を貰えると思ったのだ。餌を買って来て皆で投げ与えた。沢山あったのに、30円だった。
生ビールと焼酎があればいい程の、少しずつの盛り付けでも種類の多い贅沢な食事だった。それ以外の5、6品は自由に取りに行けるので、私はトマトとそれに大好物のポテトサラダを盛った。普通の量の3、4倍の量は皿に乗せた。
美味いおかずなので、ご飯は2杯目となった。これが、夕方になってもお腹の減らない原因となった。牛乳も飲んだしコーヒーも飲んだ。13日の夜から気を付けていたが、ついにその重さは2キロも増えた。胃が唸り出していた。
9時にチェックアウトをして、途中実の付いた稲の青々としている山に囲まれた道を走り、壁に書かれた鏝絵を見たり、眼鏡橋を見たりした。
トイレ休憩の為に3台の車を止めたが、それを向こうから直視している白バイがあった。如何してか分からない間は気持ちのいいものではない。
下の義兄が歩いて聞きに行った。勿論私達の事は問題外だった。丁度道を家屋が道を遮っている場所なので、白バイにはスピード違反などの追跡に格好の場所だったのである。
いよいよマチュピチュを見る事になったが、表示のある坂道を上るとすぐそこだった。綺麗な山並みがあり、その右端にマチュピチュに似た形の山がある。
期待するほどの事もなかったが、見られるものは見ておくに越したことはない。「百聞は一見に如かず」と言うのは、いつしか私の好奇心に火を付けてしまっていた。
1眼レフのに望遠レンズを装着したデジタルカメラを持った男性と奥さんと娘がいた。上の義兄がそのカメラを渡されて、写して貰っていた。
2回シャッターを切ったが、男性に「上手い」と褒められていた。すると奥さんも、見ないのに「上手だ」と言った。構え方がいいと言った。成る程。この旦那の奥さんなら、それ位の事なら見なくても分かる訳だ。上手いと言うのはお世辞ではない事が分かった。義兄だって、写真はよく撮っているから上手いのである。
皆昼食は入らないらしいので、コーヒーを飲みに行った。これがまた素晴らしい眺めの所にある。これで2度目だが、リピーターもある程で、上の義兄たちはひと月に2度は遠路来るそうだ。
素敵なので紹介しておこう。すぐに若い女性が2人入って来た。その度に大きな白色に近い老犬が迎えに出て来てくれる。10歳だと言っていた。若いと言えば若い夫婦がやっているが、原則何かの為に休む事はしないと言った。兎に角美味い。
大分県中津市耶馬渓町大字大島3818-1
「豆岳珈琲」と言い、月曜火曜が定休日。10:00~17:00の営業だ。
開放された戸や窓から、涼しい風が入って来る。手作りのケーキも美味しい。ここにはこの夏の熱風地獄はないのだろう。それにしても義兄は、美味い所を色々よく知っている。それがまた、素敵な場所なのだ。
途中で3台の車は分かれた。我々は道の駅に寄り、それから百聞は・・の理論から、門司港レトロに寄った。3時頃だったが、嫁はものは試しと、名物焼きカレーを食べた。私は何も入らない。焼きカレーを勧められてもそれは無理だった。やっと冷やしうどんにした。
建物は税関などレトロなものがあり、人力車をを引く人もいて古を感じさせたが、何分暑くて歩けるものではなかった。人も三々五々だし、殆ど外にはいなかった。
早々にここから離れる事にして、一路神戸へ。
到着は、夜11時30分頃だった。
もう18日になり、昼を過ぎた。がっかりだが2キロは増えていた。ここで踏ん張らなければならないと思い、4キロ走った。
道の駅で買った卵かけ醤油で卵ご飯にして食べた。いい醤油と出会ったと思った。250円ほどだったか。味は1回で300円の値打ちは十分にある。後何十回食べられるのだろうか。海苔を焼いて一緒に食べた。
さてと、昼ご飯の時間だ。これは白いご飯に山香牛がほんのちょっと混ざった、瓶詰めの佃煮を乗せて食べよう。やっと2キロ戻ったのだから。
4時からは居酒屋で3人で会う事になっている。またまた生ビールと焼酎を飲む事は間違いないので、昼はこれで押さえておかなければ。自分をコントロールするのは、かなり厳しい事業なのだ。
タイトルをマチュピチュにしたが、私が行ったのかと思ってこの長いブログを読んで頂いたかも知れない。日本のマチュピチュと書けば、見なくて通り過ぎる人も増えただろうと思うと、ちょっとばかし後ろめたい気もする。
タイトルがマチュピチュで、この体たらくだ。が、終わりまで読んで下さった方々には、本当に嬉しく感謝したい。
また、義兄夫婦には、いつも楽しませて頂き、ご馳走して頂き、感謝しても仕切れない。だが、重ねて感謝したい。これから何度会えるか分からないが、遠くへ行く甲斐がある。
13日から17日までの旅を、短く? まとめてみた積もりである。
えっ? 大笑いだ。
もう、こんな時間! そうだ。昼は食べないで出かけよう。あれっ? 5,000字を過ぎて、アップ拒否をされている。あ~あ。何処を削ろうか。