AKB48の総選挙ではないが、私は今日ほどセンターポジションを取ったと感じた事はない。
芸術文化センターでの事だが、先ずタイムテーブルを書こう。7月9日の出来事。
13:15 開場
13:40 佐渡芸術監督によるプレトーク
14:00 ゲネプロ開始
第1幕(90分)
休憩(25分)
第2幕(60分)
17:00 終了
全て予定時間だが、略時間通りで、終わったのは午後5時に1分も違わなかった。因みにゲネプロと言うのは、ゲネラルプローベ(最終総稽古)の略である。本番通りの進行でシミュレーションをするのだ。
大体想像が付いたと思う。私は今、7月12日から8回に亘って開催される、歌劇「セビリヤの理髪師」の公開リハーサルを観にに来ている。只で観劇する機会を得た。それだけだったら、ここまで気合を入れて書いたりはしなかったと思う。
長くなるからオペラの内容までは書かないが、手直しをする段階のリハーサルではなく、本番を3日後に控えた、全くそれと変わらないものを観させて貰った。
キャストが2組で構成されているので、明日は今日とは違うメンバーでのリハーサルがある筈だ。
私が観たキャストを記し、その後ろに括弧書きで別のキャストを参考までに入れておこう。
アルマヴィーヴァ伯爵 鈴木 准 (中井亮一)
バルトロ 久保和範 (町 英和)
ロジーナ 林美智子 (森 麻季)
フィガロ 髙田智宏 (大山大輔)
バジリオ ジョン・ハオ(森 雅史)
フィオレッロ/アンブロージョ 晴 雅彦 (北川辰彦)
ベルタ 谷口睦美 (坂本 朱)
森麻季は他のステージで何度か観ていたので、今日はロジーナ役での林美智子の声は初めてだった。収穫の一つだ。また、特にフィガロ役の髙田智宏の歌と演技が光った。ドイツで活躍中の若手バリトンである。
何が凄いと言って、舞台構成や歌や演奏は元より、私の席だった。AKB48のセンターポジションの事に触れたが、最前列は演出家の飯塚励生(レオ)ともう一人のスタッフがいた。私と言えば、その次のB列でしかも略真ん中。演奏ボックスの演奏者とはまともに面して話しているような感じの位置だった。指揮者は僅か左側で背を向けている形となる。
指揮者は佐渡裕で、私からは2メートル程の至近距離である。これだけ親しく感じた事はなかった。タクトの動きは鮮明だし、背中の動きを目前ではっきりと見る事が出来た。
彼はダイエットをやっていると言う話を聞いていたが、確かに体はスリムになっていたし、顔も小さくなっていた。その所為か、疲れているようにも感じられた。それもだが、指揮者は体力が勝負で、並では務められない事が実感させられた。
日本語でのオペラだったからよく分かったし、演技も歌も演奏も、どれもこれも素晴らしかった。こんな近くで観られた事も感動で、もうこんなチャンスは来ないだろう。
休憩時にはボックスを覗いて見た。指揮者の朱を入れた楽譜や演奏者の少し大きめの楽譜を目の当たりにした。確かに今日は普段とは違った感触があり発見があった。
もう一つは、この歌劇は是非観たかった。だが、どんなに遠くても安いチケットが欲しかった。近くで観られるに越した事はないが、そんな高価なチケットを買う余裕はない。因みに、A12,000円。B9,000円。C7,000円。D5,000円。E3,000円だ。
今でも買えるとしたら、A席しか残っていない。E席だったら買っていたが、それは最初に売れてしまう。だから、断念していたのだ。
所がA席でしかも演出家などの最前列を除けば、私の席は煌く宝石のような特上席だった。ゲネプロだから、実際に入場料を払って観たのと全く同じ事だった。それも只で観る事が出来たのだ。それも12,000円の席だ。
同じ12,000円の席でも後ろではよく見えない。それに比して、この席なら20,000円の席だと言っても良かった。そんな嬉しい感動に満ちたオペラを観られて、夢のようだった。最近、夢が現実となったり、現実なのに夢のように感じたりする事が間々ある。不平不満が私から遠退いたからか、現状を受け入れ感謝出来るようになったからなのか、解決出来ていない事は勿論あるが、少しずつ膨れ上がっていると思われる我が心中がまだ萎えていない事を感じる。
マイナスの事は考えないし、マイナスだと感じている事を今修正すれば、近い将来は自分や自分の周りがプラスに変わっているだろう事を信じられるようになった。
私だけが勝手な事を言っているに過ぎないかも知れないが、今の自分は過去に播いた種の結果が実現しているのであって、今どうしようもない事を悔やんだり不平不満を言ったり当り散らしたりしていたら、良くなるものも深みに落ち込んでしまうだろう。
自分は演出家だと考えるといいと思う。明るい事を考え、思考や行動をプラスの方向に転換する演出をすれば、未来は必ず開けて行くのではないか、と。生きる事が愛おしく感じられるようになったからそう思えるようになったのだろうが、1度だけの人生、老人の戯言で終わらせたくはない。
いい芸術を鑑賞すると、固かった缶の蓋も容易に開き、良きものに啓発されるものだ。
芸術文化センターでの事だが、先ずタイムテーブルを書こう。7月9日の出来事。
13:15 開場
13:40 佐渡芸術監督によるプレトーク
14:00 ゲネプロ開始
第1幕(90分)
休憩(25分)
第2幕(60分)
17:00 終了
全て予定時間だが、略時間通りで、終わったのは午後5時に1分も違わなかった。因みにゲネプロと言うのは、ゲネラルプローベ(最終総稽古)の略である。本番通りの進行でシミュレーションをするのだ。
大体想像が付いたと思う。私は今、7月12日から8回に亘って開催される、歌劇「セビリヤの理髪師」の公開リハーサルを観にに来ている。只で観劇する機会を得た。それだけだったら、ここまで気合を入れて書いたりはしなかったと思う。
長くなるからオペラの内容までは書かないが、手直しをする段階のリハーサルではなく、本番を3日後に控えた、全くそれと変わらないものを観させて貰った。
キャストが2組で構成されているので、明日は今日とは違うメンバーでのリハーサルがある筈だ。
私が観たキャストを記し、その後ろに括弧書きで別のキャストを参考までに入れておこう。
アルマヴィーヴァ伯爵 鈴木 准 (中井亮一)
バルトロ 久保和範 (町 英和)
ロジーナ 林美智子 (森 麻季)
フィガロ 髙田智宏 (大山大輔)
バジリオ ジョン・ハオ(森 雅史)
フィオレッロ/アンブロージョ 晴 雅彦 (北川辰彦)
ベルタ 谷口睦美 (坂本 朱)
森麻季は他のステージで何度か観ていたので、今日はロジーナ役での林美智子の声は初めてだった。収穫の一つだ。また、特にフィガロ役の髙田智宏の歌と演技が光った。ドイツで活躍中の若手バリトンである。
何が凄いと言って、舞台構成や歌や演奏は元より、私の席だった。AKB48のセンターポジションの事に触れたが、最前列は演出家の飯塚励生(レオ)ともう一人のスタッフがいた。私と言えば、その次のB列でしかも略真ん中。演奏ボックスの演奏者とはまともに面して話しているような感じの位置だった。指揮者は僅か左側で背を向けている形となる。
指揮者は佐渡裕で、私からは2メートル程の至近距離である。これだけ親しく感じた事はなかった。タクトの動きは鮮明だし、背中の動きを目前ではっきりと見る事が出来た。
彼はダイエットをやっていると言う話を聞いていたが、確かに体はスリムになっていたし、顔も小さくなっていた。その所為か、疲れているようにも感じられた。それもだが、指揮者は体力が勝負で、並では務められない事が実感させられた。
日本語でのオペラだったからよく分かったし、演技も歌も演奏も、どれもこれも素晴らしかった。こんな近くで観られた事も感動で、もうこんなチャンスは来ないだろう。
休憩時にはボックスを覗いて見た。指揮者の朱を入れた楽譜や演奏者の少し大きめの楽譜を目の当たりにした。確かに今日は普段とは違った感触があり発見があった。
もう一つは、この歌劇は是非観たかった。だが、どんなに遠くても安いチケットが欲しかった。近くで観られるに越した事はないが、そんな高価なチケットを買う余裕はない。因みに、A12,000円。B9,000円。C7,000円。D5,000円。E3,000円だ。
今でも買えるとしたら、A席しか残っていない。E席だったら買っていたが、それは最初に売れてしまう。だから、断念していたのだ。
所がA席でしかも演出家などの最前列を除けば、私の席は煌く宝石のような特上席だった。ゲネプロだから、実際に入場料を払って観たのと全く同じ事だった。それも只で観る事が出来たのだ。それも12,000円の席だ。
同じ12,000円の席でも後ろではよく見えない。それに比して、この席なら20,000円の席だと言っても良かった。そんな嬉しい感動に満ちたオペラを観られて、夢のようだった。最近、夢が現実となったり、現実なのに夢のように感じたりする事が間々ある。不平不満が私から遠退いたからか、現状を受け入れ感謝出来るようになったからなのか、解決出来ていない事は勿論あるが、少しずつ膨れ上がっていると思われる我が心中がまだ萎えていない事を感じる。
マイナスの事は考えないし、マイナスだと感じている事を今修正すれば、近い将来は自分や自分の周りがプラスに変わっているだろう事を信じられるようになった。
私だけが勝手な事を言っているに過ぎないかも知れないが、今の自分は過去に播いた種の結果が実現しているのであって、今どうしようもない事を悔やんだり不平不満を言ったり当り散らしたりしていたら、良くなるものも深みに落ち込んでしまうだろう。
自分は演出家だと考えるといいと思う。明るい事を考え、思考や行動をプラスの方向に転換する演出をすれば、未来は必ず開けて行くのではないか、と。生きる事が愛おしく感じられるようになったからそう思えるようになったのだろうが、1度だけの人生、老人の戯言で終わらせたくはない。
いい芸術を鑑賞すると、固かった缶の蓋も容易に開き、良きものに啓発されるものだ。