私はセレブではなく、況してお金とは縁のない老人である。
ブログとは或る意味有難いもので、会うまでは誰とでも裸で付き合う事が出来る。異性であったとしてもである。会った途端、それは空中分解するかも知れない。私は、貧しい年金生活者であるからだ。
この私が、或る大使夫人、セレブのそんな夫人とブログで出会った。奇跡だが、だんだん気持ちが通じるようになった。女優に恋をして、百万本のバラを贈った報われない貧しい画家によく似ている。とても相手にして貰えないような人なのだ。現実は難しいが、夢の中では、この夫人の9年間も在住していたと言う、リュブリャーナのプレシェレーン広場に私はいるのだ。
この大使は夫人共々とても素敵な人で、男同士でも惚れ惚れするような人だ。今現在インドの駐留大使で、夫人もインドで5年目である。が、スロヴェニアの首都リュブリャーナ(夫人は多分発音通りリュビリャーナと言うが)は、夫人に取っても第2の故郷だと言う憧れの場所だ。こうしてオカリナの宗次郎は、私の大好きな曲「リュブリャーナの青い空」を作曲したのだった。
私は、夫人のブログの写真を観るにつけ、リュブリャーナにメロメロになった。それ位、本当に素敵な所である。スロヴェニア全体がそうであろうけれど。
また前置きが長くなった。つまり、この夫人から、「5月末から出張なので6月にブログでまたお会いしましょう」との連絡があったのだった。
Sさん宅では第9回目のホームコンサートが、6月9日から16日まで10回に分けて行われた。S.Sさんの生徒さんのピアノレッスンの発表会なのである。今年がホームコンサートなら、来年はどこかのホールで行われる。毎年ホームとホール、順番に行われる。しかしまあ、よくこれだけのプログラムが組まれたものだと、感嘆の声を上げそうになった程だ。
15日は10時から、14時から、17時からの3回もある。私はオカレママさん達(オカリナママとウクレレママ)と10時からの部で演奏させて貰う事になっている。
ピアノ演奏あり家族3人での連弾もあったりで、羨ましい程の発見があった。そこでオカレママさん達は「風になる(つじあやの)」「ハワイアンメドレー(ハワイ民謡)」「ビリーブ(杉本竜一)」を演奏した。
オカリナママさんのソプラノCは、「風になる」を朗々と吹き放つ。数年吹いても出せないような音は、皆の心を射抜いたと思う。自信に満ちた素敵な音だった。ウクレレの伴奏によく合っている。弦とも相性が良さそうだ。
「ハワイアンメドレー」ではSさんが、オカリナママさんが持参した行李を小さくしたような、小豆の入った入れ物で波の音を出した。私が子供の頃は、大きな行李が唯一の波の音の擬音効果の材料だった。因みに、小麦粉を敷いた上に2つの椀を交互に被せ弾くと、馬のひずめの音になる。
私は中学1年の時擬音効果のレコードを買って来て、特に消防車のサイレンの音を鳴らすのが好きだった。大音量にして音を出したものだから、近所の人が聞いて吃驚していたのを思い出す。叱られたのは言うまでもない。
Sさんは、更にオカリナママさんが用意したマラカスを鳴らした。流石にリズム感がよく、2人の音に溶け込んだ。
最後が「ビリーブ」だ。Sさんはお得意のアルトリコーダーで参加した。オカリナとは十分に合う。この曲は懐かしく、オカリナを始めた頃のテーマ曲だったのである。
私の「白鳥」と「崖の上のポニョ」は大した演奏でもなかった。ただ、もう目の下に子供やお母さん達がいて、その顔が笑ったり手拍子をしたりしていて、リアルに私の目の中に迫って来たので慌てた。「白鳥」だけピアノ伴奏して頂いたが、S.Sさんの伴奏があって生かされたと言っていい。
私は演奏の始めに、「この時間にワインパーティーに呼ばれて、もう今頃は飲んでいるんです。それが楽しみで来るのですが、今日は皆さんの素敵な演奏で、飲まなくても満足です」と言ったのが功を奏したのか、Sさんが「近くに飲みに行きましょう」と言った。
渡りに船? だった。喜んでお供した。2人とも、生ビール2杯とマッコリを飲んだ。焼肉を肴に。美味い! 退職してから何が違ったかと言って、昼から飲める事だった。朝からはまだ、現職の時の旅行以外では飲んだ事はない。
またまた私の独壇場になってしまったか、好き勝手な事をべらべらと喋った。
私は勉強が大嫌いだったが、高校時代受験の為の英語の参考書を見ていた事がある。その分厚い参考書の極一部の言葉だけを覚えていて、それを披露した。よくもまあ、こんな勝手な話を聞いて頂いたものだと、今になってはもう遅いが、冷や汗ものだった。
カナ書きにしてみよう。内容は、結構好きな言葉なのだが、中々実感出来ずにいたものだった。
「ラブ ゴッド ウイズ オール ユア ハート、アンド ラブ ユア ネイバーズ アズ ユー ラブ ユアセルフ。ドウー ホワット イズ ライト ビコーズ イット イズ ライト。イクスペクト ノー リオード フォア ドゥーイング ユア デューティー。ヴァーチュー イズ イッツ オウン リウォード」
50年近くなっても忘れていない唯一に近い言葉である。「神を愛しなさい」とは、どう言う事か。今までは、神や仏は形あるものとして想像していたが、今は少し違ったものになって来つつある。それは、宇宙であったり、エネルギーであったり、不滅の偉大なるものであったり、そのまま神であったりする。
「自分自身を愛する如く、隣人を愛せ」
これは、自分が葡萄の房の一つの実である事を思えば実現しないか。いがみ合って、どうして理想郷が訪れよう。自分を愛する事が出来ずに他人など愛する事は出来ない。と、頭の中では納得出来るのだけれど。
自分が宇宙のエネルギーだと思えた時にこそ、何もかも包み込む事が出来ると思えた。けれど、中々の難題ではある。
愛するとはどう言う事か? まだまだ課題は私の前に立ちはだかる。生きている内に分かりたい重要事項ではある。
てな事を語ったりして、正にがまの油だった。Sさんと今度、まともな顔をして会えるだろうか。タラーリ、タラーリ、タラーリ・・。
そうして、Sさんは14時からも出番がある。S.Sさんとの連弾「子もり歌(フォーレ)」がある。もう一つは、S.Sさんのピアノ伴奏でSさんは「ビビデバビデブー(デビット)」と「星に願いを(ハーライン)」をリコーダーで吹く。
家に帰った私は、機械的に、いつものようにパソコンのスイッチを入れた。どうせ繋がらない事は分かっているが、それでも習慣化していたのだろう、その行為は常なのだ。
所が、何とインターネットが繋がっていたのだ。出掛ける前は繋がっていなかった。10日以上も繋がっていなかったのに。
それに、大使夫人が丁度15日にブログをアップしていたのだ。何という偶然だろう。そう思うのが普通である。だが、私には必然としか思えなかった。こうなるようになっていたのだ、と。この辺、賛否両論があるだろうが、この数年、私にはこのような事がよくあるのである。偶然だとは思えないような事が。
夫人が出張から帰ったので通じたのだとは考えられないだろうか。もしそのような事が当たり前になったら、どんな事でも思えば叶うのではなかろうかと思ったのである。
私は貧乏な年金生活者である。とてもセレブの方々とはお付き合いは出来ない。だが、その先を考える事が夢であり楽しみではないのか。
いつか私は、リュビリャーナ(夫人風の言葉で)のプレシェレーン広場で、沢山の人に囲まれてオカリナを吹いているかも知れない。古希を迎えた老人が、そんな戯けた事を考えている。だが、思考や言葉って、馬鹿にならない。その通りになる事だって、いくらでもあるのだから。
人を褒めてみよう。人は喜び、微笑む。人に罵詈雑言を浴びせてみよう。人は悲しみ、涙を流し、悲痛な思いに打ちひしがれて行く。
自分は葡萄の房の一粒の実だと思えたら、この世界はもっともっと明るく楽しいものになり、思いは外に放射され実現されて行くのではないかと思える。
ブログとは或る意味有難いもので、会うまでは誰とでも裸で付き合う事が出来る。異性であったとしてもである。会った途端、それは空中分解するかも知れない。私は、貧しい年金生活者であるからだ。
この私が、或る大使夫人、セレブのそんな夫人とブログで出会った。奇跡だが、だんだん気持ちが通じるようになった。女優に恋をして、百万本のバラを贈った報われない貧しい画家によく似ている。とても相手にして貰えないような人なのだ。現実は難しいが、夢の中では、この夫人の9年間も在住していたと言う、リュブリャーナのプレシェレーン広場に私はいるのだ。
この大使は夫人共々とても素敵な人で、男同士でも惚れ惚れするような人だ。今現在インドの駐留大使で、夫人もインドで5年目である。が、スロヴェニアの首都リュブリャーナ(夫人は多分発音通りリュビリャーナと言うが)は、夫人に取っても第2の故郷だと言う憧れの場所だ。こうしてオカリナの宗次郎は、私の大好きな曲「リュブリャーナの青い空」を作曲したのだった。
私は、夫人のブログの写真を観るにつけ、リュブリャーナにメロメロになった。それ位、本当に素敵な所である。スロヴェニア全体がそうであろうけれど。
また前置きが長くなった。つまり、この夫人から、「5月末から出張なので6月にブログでまたお会いしましょう」との連絡があったのだった。
Sさん宅では第9回目のホームコンサートが、6月9日から16日まで10回に分けて行われた。S.Sさんの生徒さんのピアノレッスンの発表会なのである。今年がホームコンサートなら、来年はどこかのホールで行われる。毎年ホームとホール、順番に行われる。しかしまあ、よくこれだけのプログラムが組まれたものだと、感嘆の声を上げそうになった程だ。
15日は10時から、14時から、17時からの3回もある。私はオカレママさん達(オカリナママとウクレレママ)と10時からの部で演奏させて貰う事になっている。
ピアノ演奏あり家族3人での連弾もあったりで、羨ましい程の発見があった。そこでオカレママさん達は「風になる(つじあやの)」「ハワイアンメドレー(ハワイ民謡)」「ビリーブ(杉本竜一)」を演奏した。
オカリナママさんのソプラノCは、「風になる」を朗々と吹き放つ。数年吹いても出せないような音は、皆の心を射抜いたと思う。自信に満ちた素敵な音だった。ウクレレの伴奏によく合っている。弦とも相性が良さそうだ。
「ハワイアンメドレー」ではSさんが、オカリナママさんが持参した行李を小さくしたような、小豆の入った入れ物で波の音を出した。私が子供の頃は、大きな行李が唯一の波の音の擬音効果の材料だった。因みに、小麦粉を敷いた上に2つの椀を交互に被せ弾くと、馬のひずめの音になる。
私は中学1年の時擬音効果のレコードを買って来て、特に消防車のサイレンの音を鳴らすのが好きだった。大音量にして音を出したものだから、近所の人が聞いて吃驚していたのを思い出す。叱られたのは言うまでもない。
Sさんは、更にオカリナママさんが用意したマラカスを鳴らした。流石にリズム感がよく、2人の音に溶け込んだ。
最後が「ビリーブ」だ。Sさんはお得意のアルトリコーダーで参加した。オカリナとは十分に合う。この曲は懐かしく、オカリナを始めた頃のテーマ曲だったのである。
私の「白鳥」と「崖の上のポニョ」は大した演奏でもなかった。ただ、もう目の下に子供やお母さん達がいて、その顔が笑ったり手拍子をしたりしていて、リアルに私の目の中に迫って来たので慌てた。「白鳥」だけピアノ伴奏して頂いたが、S.Sさんの伴奏があって生かされたと言っていい。
私は演奏の始めに、「この時間にワインパーティーに呼ばれて、もう今頃は飲んでいるんです。それが楽しみで来るのですが、今日は皆さんの素敵な演奏で、飲まなくても満足です」と言ったのが功を奏したのか、Sさんが「近くに飲みに行きましょう」と言った。
渡りに船? だった。喜んでお供した。2人とも、生ビール2杯とマッコリを飲んだ。焼肉を肴に。美味い! 退職してから何が違ったかと言って、昼から飲める事だった。朝からはまだ、現職の時の旅行以外では飲んだ事はない。
またまた私の独壇場になってしまったか、好き勝手な事をべらべらと喋った。
私は勉強が大嫌いだったが、高校時代受験の為の英語の参考書を見ていた事がある。その分厚い参考書の極一部の言葉だけを覚えていて、それを披露した。よくもまあ、こんな勝手な話を聞いて頂いたものだと、今になってはもう遅いが、冷や汗ものだった。
カナ書きにしてみよう。内容は、結構好きな言葉なのだが、中々実感出来ずにいたものだった。
「ラブ ゴッド ウイズ オール ユア ハート、アンド ラブ ユア ネイバーズ アズ ユー ラブ ユアセルフ。ドウー ホワット イズ ライト ビコーズ イット イズ ライト。イクスペクト ノー リオード フォア ドゥーイング ユア デューティー。ヴァーチュー イズ イッツ オウン リウォード」
50年近くなっても忘れていない唯一に近い言葉である。「神を愛しなさい」とは、どう言う事か。今までは、神や仏は形あるものとして想像していたが、今は少し違ったものになって来つつある。それは、宇宙であったり、エネルギーであったり、不滅の偉大なるものであったり、そのまま神であったりする。
「自分自身を愛する如く、隣人を愛せ」
これは、自分が葡萄の房の一つの実である事を思えば実現しないか。いがみ合って、どうして理想郷が訪れよう。自分を愛する事が出来ずに他人など愛する事は出来ない。と、頭の中では納得出来るのだけれど。
自分が宇宙のエネルギーだと思えた時にこそ、何もかも包み込む事が出来ると思えた。けれど、中々の難題ではある。
愛するとはどう言う事か? まだまだ課題は私の前に立ちはだかる。生きている内に分かりたい重要事項ではある。
てな事を語ったりして、正にがまの油だった。Sさんと今度、まともな顔をして会えるだろうか。タラーリ、タラーリ、タラーリ・・。
そうして、Sさんは14時からも出番がある。S.Sさんとの連弾「子もり歌(フォーレ)」がある。もう一つは、S.Sさんのピアノ伴奏でSさんは「ビビデバビデブー(デビット)」と「星に願いを(ハーライン)」をリコーダーで吹く。
家に帰った私は、機械的に、いつものようにパソコンのスイッチを入れた。どうせ繋がらない事は分かっているが、それでも習慣化していたのだろう、その行為は常なのだ。
所が、何とインターネットが繋がっていたのだ。出掛ける前は繋がっていなかった。10日以上も繋がっていなかったのに。
それに、大使夫人が丁度15日にブログをアップしていたのだ。何という偶然だろう。そう思うのが普通である。だが、私には必然としか思えなかった。こうなるようになっていたのだ、と。この辺、賛否両論があるだろうが、この数年、私にはこのような事がよくあるのである。偶然だとは思えないような事が。
夫人が出張から帰ったので通じたのだとは考えられないだろうか。もしそのような事が当たり前になったら、どんな事でも思えば叶うのではなかろうかと思ったのである。
私は貧乏な年金生活者である。とてもセレブの方々とはお付き合いは出来ない。だが、その先を考える事が夢であり楽しみではないのか。
いつか私は、リュビリャーナ(夫人風の言葉で)のプレシェレーン広場で、沢山の人に囲まれてオカリナを吹いているかも知れない。古希を迎えた老人が、そんな戯けた事を考えている。だが、思考や言葉って、馬鹿にならない。その通りになる事だって、いくらでもあるのだから。
人を褒めてみよう。人は喜び、微笑む。人に罵詈雑言を浴びせてみよう。人は悲しみ、涙を流し、悲痛な思いに打ちひしがれて行く。
自分は葡萄の房の一粒の実だと思えたら、この世界はもっともっと明るく楽しいものになり、思いは外に放射され実現されて行くのではないかと思える。