4月9日(火)午後4時に車で出発した。孫風に言えばバアバとジイジの長旅は、久留米の初孫の小学校入学式が10日にあるからだ。
目的地に着く前に、既に夜中の1時になっていて近くのサービスエリアで野宿をした。
全てを終えて神戸に帰り着いたのは、14日(日)の午前1時半。車で8時間かかった事になる。
10日(水)
小学校へは2歳半の孫を連れて行った。すぐに何処へ行ったか分からなくなる孫だが、この日、私と手を繋いで歩いた。娘夫婦も、驚きの目で見ていた。誰とでも、黙って手を繋ぐ事などなかったからだ。
どちらも男の子だが、初孫の体育館に座っている姿は胸に迫るものがあった。
この日、大きな一大行事が終わった。
11日(木)
初孫が11時過ぎに学校から帰って来る。皆で出迎えた。とても楽しそうな様子だった。それはそうだろう。幼稚園とは、世界が大きく違うから。
ランドセルが異常な程大きい。A4判に対応するように出来ているからだろうと思う。だから、実際はA3サイズに近いランドセルなのだろうか。しっかり確認して置けばよかった。ただ、今まで見たランドセルよりは、はっきり大きい事だけは確かである。
楽しそうにタブレットを自在に操って、ゲームをしている。言葉も儘ならぬ孫も、奪い取っていとも簡単に写真を呼び出し、スマホのように指で右に左に送って観たりする。何とも不思議な光景に思えた。
夜2歳半の孫が、本を読んでと絵本を持参で布団に入って来た。これも初めての事だった。一緒に寝転ぶ事などなかった。
「あーあ、おててをよごしたね。ふいてあげるよ、しゅつしゅつしゅつ」
「ふいてあげるよ」の所を読むと「ハイ」と言う。喜んで聴いている。楽しんで見ている。その姿が面白かったのか皆が寄って来て、その孫の反応を見ていた。
12日(金)
この日に帰る事にしていたが、明日から孫は2日間学校がないのに遊んでやろうと言う事になり、もう1日延ばす事になった。
初孫とスーパーに買い物に行った。夜は私が蕎麦を作るからと。孫にはうどんの玉を買った。出汁は私がいつも使っているものはなかったが、白だしを買った。刻み葱とキムチも。掻き揚げはなかったが天麩羅があったのでそれで代用だ。
夕方、孫にうどんを作った。白出しに刻み葱だけなのに、全部食べてしまった。新しい味を感じたのだろうか。
パパは仕事から帰るのが9時を過ぎる。私は勿論待っている。ビールや焼酎を飲むのが2人の習慣のようなものだからである。彼も私も、蕎麦を2杯食べた。そうだった、2杯目は海老の天麩羅を入れた。
下の孫が、また本を持って来て、私の布団に入って来た。昨日と同じ流れとなった。上の孫も潜り込んで来た。その後、膝を折って高くなった布団の上に下の孫が乗って来る。すかさず折った膝を伸ばす。孫は途端にどんと落ちた感じになる。また膝を折ると高く持ち上がって孫の体は転がって行く。2人は、何度も何度もそれに興じ、皆はそれを見ていた。
13日(土)
明け方目が覚める。バアバの妹からで、バアバの携帯が鳴った。慌ててテレビのスイッチを入れる。
5時33分に地震があったようだ。淡路島が震源で、震度は6弱だったろうか。神戸は震度4と報道されている。もう、阪神・淡路には地震はないだろうと思っていた。淡路では、かなりの被害があるようだった。
パパは会社だ。朝からおにぎりを作ったりおかずを作ったりしている。百年記念公園に行こうと言うのだ。久留米は躑躅が有名で、つつじ祭り真っ只中だった。
昼過ぎに出かけた。人出が多い。先ずは腹ごしらえで、ビニルシートを敷いてピクニック気分。外で食べるおにぎりは格別だ。おかかの入ったおにぎりは私専用。そして卵焼き。唐揚げ。少しだけれど、牛肉の甘辛煮が目に付いた。これで私には完璧になった。ウインナーは子供用に入れてあるのだけれど。
食べた後は新1年生の孫とフリスビーで遊んだ。下の孫はまだまだ目が離せない。
躑躅を見て回った。こんなに美しい躑躅の公園を見た事はない。本とに綺麗だ。
別の場所では躑躅を売っている。家には白とピンクの躑躅はあるが赤がない。かつてはあったけれど、枯れてしまったのだ。
2鉢バーバが買った。安いと言えば安いが、鮮やかな赤は400円で「今猩々」と名が付けてあり、くすんだ赤は500円で「火の国」と名付けられていた。
将棋をよくした。動き方はよく覚えていた。攻め方が分かって来たら、もっと上手くなるだろう。私など小学校の頃ちょっとだけ覚えた位だから、もう1年もすれば負けるような気がしている。
神戸に帰る時間となった。午後5時30分頃、車に乗った。上の孫は悲しそうだった。下の孫は涙が零れていた。こうして、人生とか人間とかを知って行く事だろう。
と言う訳で、ヘッドライトやテールランプの灯りがなかったら暗闇だっただろう道を帰り着いたのは、14日の真夜中1時30分だった。
晩飯はどうしたかって? サービスエリアに入って車の中で、昼に残っていたおにぎりとあの甘辛い肉で済ませた。もう完璧さは失われていたが、肉の脂と醤油と砂糖が重なって、口中に満足な味のハーモニーが広がった。
余り眠れなかったが、卓球に出かけた。いつもの動きと切れがなかった。何人かがそれを指摘した。理由はすぐに分かった。寝不足と疲れの所為だ。
どんな事でも、何かをする時は特に十分な睡眠が必要だと実感出来た。
この3泊4日の旅も、孫の成長に役立ったと思えた。どんな者にだって、刺激は成長に必要だ。
目的地に着く前に、既に夜中の1時になっていて近くのサービスエリアで野宿をした。
全てを終えて神戸に帰り着いたのは、14日(日)の午前1時半。車で8時間かかった事になる。
10日(水)
小学校へは2歳半の孫を連れて行った。すぐに何処へ行ったか分からなくなる孫だが、この日、私と手を繋いで歩いた。娘夫婦も、驚きの目で見ていた。誰とでも、黙って手を繋ぐ事などなかったからだ。
どちらも男の子だが、初孫の体育館に座っている姿は胸に迫るものがあった。
この日、大きな一大行事が終わった。
11日(木)
初孫が11時過ぎに学校から帰って来る。皆で出迎えた。とても楽しそうな様子だった。それはそうだろう。幼稚園とは、世界が大きく違うから。
ランドセルが異常な程大きい。A4判に対応するように出来ているからだろうと思う。だから、実際はA3サイズに近いランドセルなのだろうか。しっかり確認して置けばよかった。ただ、今まで見たランドセルよりは、はっきり大きい事だけは確かである。
楽しそうにタブレットを自在に操って、ゲームをしている。言葉も儘ならぬ孫も、奪い取っていとも簡単に写真を呼び出し、スマホのように指で右に左に送って観たりする。何とも不思議な光景に思えた。
夜2歳半の孫が、本を読んでと絵本を持参で布団に入って来た。これも初めての事だった。一緒に寝転ぶ事などなかった。
「あーあ、おててをよごしたね。ふいてあげるよ、しゅつしゅつしゅつ」
「ふいてあげるよ」の所を読むと「ハイ」と言う。喜んで聴いている。楽しんで見ている。その姿が面白かったのか皆が寄って来て、その孫の反応を見ていた。
12日(金)
この日に帰る事にしていたが、明日から孫は2日間学校がないのに遊んでやろうと言う事になり、もう1日延ばす事になった。
初孫とスーパーに買い物に行った。夜は私が蕎麦を作るからと。孫にはうどんの玉を買った。出汁は私がいつも使っているものはなかったが、白だしを買った。刻み葱とキムチも。掻き揚げはなかったが天麩羅があったのでそれで代用だ。
夕方、孫にうどんを作った。白出しに刻み葱だけなのに、全部食べてしまった。新しい味を感じたのだろうか。
パパは仕事から帰るのが9時を過ぎる。私は勿論待っている。ビールや焼酎を飲むのが2人の習慣のようなものだからである。彼も私も、蕎麦を2杯食べた。そうだった、2杯目は海老の天麩羅を入れた。
下の孫が、また本を持って来て、私の布団に入って来た。昨日と同じ流れとなった。上の孫も潜り込んで来た。その後、膝を折って高くなった布団の上に下の孫が乗って来る。すかさず折った膝を伸ばす。孫は途端にどんと落ちた感じになる。また膝を折ると高く持ち上がって孫の体は転がって行く。2人は、何度も何度もそれに興じ、皆はそれを見ていた。
13日(土)
明け方目が覚める。バアバの妹からで、バアバの携帯が鳴った。慌ててテレビのスイッチを入れる。
5時33分に地震があったようだ。淡路島が震源で、震度は6弱だったろうか。神戸は震度4と報道されている。もう、阪神・淡路には地震はないだろうと思っていた。淡路では、かなりの被害があるようだった。
パパは会社だ。朝からおにぎりを作ったりおかずを作ったりしている。百年記念公園に行こうと言うのだ。久留米は躑躅が有名で、つつじ祭り真っ只中だった。
昼過ぎに出かけた。人出が多い。先ずは腹ごしらえで、ビニルシートを敷いてピクニック気分。外で食べるおにぎりは格別だ。おかかの入ったおにぎりは私専用。そして卵焼き。唐揚げ。少しだけれど、牛肉の甘辛煮が目に付いた。これで私には完璧になった。ウインナーは子供用に入れてあるのだけれど。
食べた後は新1年生の孫とフリスビーで遊んだ。下の孫はまだまだ目が離せない。
躑躅を見て回った。こんなに美しい躑躅の公園を見た事はない。本とに綺麗だ。
別の場所では躑躅を売っている。家には白とピンクの躑躅はあるが赤がない。かつてはあったけれど、枯れてしまったのだ。
2鉢バーバが買った。安いと言えば安いが、鮮やかな赤は400円で「今猩々」と名が付けてあり、くすんだ赤は500円で「火の国」と名付けられていた。
将棋をよくした。動き方はよく覚えていた。攻め方が分かって来たら、もっと上手くなるだろう。私など小学校の頃ちょっとだけ覚えた位だから、もう1年もすれば負けるような気がしている。
神戸に帰る時間となった。午後5時30分頃、車に乗った。上の孫は悲しそうだった。下の孫は涙が零れていた。こうして、人生とか人間とかを知って行く事だろう。
と言う訳で、ヘッドライトやテールランプの灯りがなかったら暗闇だっただろう道を帰り着いたのは、14日の真夜中1時30分だった。
晩飯はどうしたかって? サービスエリアに入って車の中で、昼に残っていたおにぎりとあの甘辛い肉で済ませた。もう完璧さは失われていたが、肉の脂と醤油と砂糖が重なって、口中に満足な味のハーモニーが広がった。
余り眠れなかったが、卓球に出かけた。いつもの動きと切れがなかった。何人かがそれを指摘した。理由はすぐに分かった。寝不足と疲れの所為だ。
どんな事でも、何かをする時は特に十分な睡眠が必要だと実感出来た。
この3泊4日の旅も、孫の成長に役立ったと思えた。どんな者にだって、刺激は成長に必要だ。