あけまして
おめでとう
ございます
2013年、平成25年の幕開きです。
皆様、今年も、よろしくお願いします。
夜遅かったので、ぐずぐずしながら8時30分頃に起き上がった。障子を開けてその方向を見ると、もう日は上がっていた。
レッグマジックをして、腕立て伏せをした。20回で限界に近い。いつだってそうだった。
もう一度障子を開け、ガラス窓も開け、初日の方を見た。一瞬で顔を戻した。目が眩んだ。
布団を上げ、正座をして、その場で新年の瞑想をした。そうして、考える事なく浮かんだ言霊があった。それが、今年の私の心掛けの基本となるのだろう。今まで、こんな閃き方をした事はなかった。
浮かんだ言葉は、「和」だった。聖徳太子を意識したものでも何でもない。
そして、そこから派生した言葉が、「破顔一笑」だ。私に欠けていたものだと思う。破顔一笑のオカリナの音を届けるのが、今年の課題となった。
それにつけ、月並みな事を考えてみた。明確な1年にしたいと思ったからである。
それは、
〔槁犬鮖?帖
計画を立てる。
実行する。
これが大切だと思った。
9時にジョギングに出ようとした。もう、年賀状が来ている。もう一度家に入り、帽子を取って読み始めた。書いて出したものよりは少ない年賀状だった。だが、丁寧に、味わいながら読んだ。
何通かは、心に残った。戻ってからまた読み直そう。そう思った。
10時2分出発。夫婦でウオーキングをしている人に出会った。犬の散歩をしている人にも出会った。空気は気持ちからなのか、澄んでいるようだった。空は黒っぽい雲があるものの、晴れている。
鼻先が冷たい。手袋は正解だ。足先は、靴下も靴も履いているのにジンとしていた。
昨日とは、随分気持ちが違った。1月1日は、気候も伴ってか、心が改まり、清々しい。
戻ると10時29分だったから、27分かかっている。3回信号で留まった所為もあったから、タイムはこんなものだ。みかんを、極短い、小指の先ほどの琵琶の木の枝に半分ずつ刺した。昨日のみかんは、2つとも消えていた。
そっとレースのカーテン越しに覗くと、珍しく、メジロが3、4羽来て、汁を吸っていた。
近くに住んでいる娘夫婦と孫が来たのは1時頃で、ここで初めてお雑煮と簡単なお節と対面だ。
ごまめ、たけのこ、黒豆、かまぼこ、昆布、それと牛肉を甘辛く煮たもの。今年は簡略化した。だが、お雑煮は子供の頃からずっと食べて来た、なくてはならないものだった。出雲で、母が必ず作っていたものである。
毎年出雲から、妹経由で調達している。
いりこで出汁をとった汁に入れるものは、何週間か前に妹が塩をしておいた鰤の切り身。手に入り難い、酒に浸した岩海苔。牛蒡のささがき。芹。豆腐。これだけである。
各家庭にはそれぞれの味と中味があり、どれがどうと言うものではなく、その家庭の雑煮が雑煮なのだ。だから、私にはこれ以上の雑煮はないのである。もう口には殆ど入らないが、河豚だって、皆が好きな河豚刺しでもなく、河豚ちりでもなく、私は河豚の味噌汁が一番なのだ。
餅が3個入っていた。疑わしい位な程、すぐに胃に入った。もう2個位食べようと思ったが、1個のお代わりにした。誰もお屠蘇を飲まないので、私は麦(本当は芋がいいのだが、ここにはない)焼酎をロックでちびちびやり始めた。
いい気分になって、今日はじっとしている事にした。明日は、神戸に来て初めての生田神社への初詣に出掛ける事にした。行けたら湊川神社にも行ってみたいが、三宮と神戸だから、どうなる事だろう。マウリッツハイス美術館展も観たいから。
いつか行けると思っていたのだが、1月6日で終わりだと知ったからである。言わずもがな、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が観たいのだ。もっと前に行っていたら、じっと見詰め合えただろうけれど、きっと並んで、オートメーションのように忙しなく押し出されて行くだろう。それでも、本物と出会える幸せと喜びがある。
今日の元旦のブログは、詩にしようと、ジョギングをしながら考えていたのに、焼酎が入ったらそれも出来なくなった。私の好きな若山牧水先生だったら、飲めば飲むほどに凄い歌が生まれて来るだろうのに。素人の私は、全く牧水先生と間逆を行く。
けふもまた 心の鉦を打ち鳴らし 打ちならし鳴らしつつ あくがれてゆく
牧水
おめでとう
ございます
2013年、平成25年の幕開きです。
皆様、今年も、よろしくお願いします。
夜遅かったので、ぐずぐずしながら8時30分頃に起き上がった。障子を開けてその方向を見ると、もう日は上がっていた。
レッグマジックをして、腕立て伏せをした。20回で限界に近い。いつだってそうだった。
もう一度障子を開け、ガラス窓も開け、初日の方を見た。一瞬で顔を戻した。目が眩んだ。
布団を上げ、正座をして、その場で新年の瞑想をした。そうして、考える事なく浮かんだ言霊があった。それが、今年の私の心掛けの基本となるのだろう。今まで、こんな閃き方をした事はなかった。
浮かんだ言葉は、「和」だった。聖徳太子を意識したものでも何でもない。
そして、そこから派生した言葉が、「破顔一笑」だ。私に欠けていたものだと思う。破顔一笑のオカリナの音を届けるのが、今年の課題となった。
それにつけ、月並みな事を考えてみた。明確な1年にしたいと思ったからである。
それは、
〔槁犬鮖?帖
計画を立てる。
実行する。
これが大切だと思った。
9時にジョギングに出ようとした。もう、年賀状が来ている。もう一度家に入り、帽子を取って読み始めた。書いて出したものよりは少ない年賀状だった。だが、丁寧に、味わいながら読んだ。
何通かは、心に残った。戻ってからまた読み直そう。そう思った。
10時2分出発。夫婦でウオーキングをしている人に出会った。犬の散歩をしている人にも出会った。空気は気持ちからなのか、澄んでいるようだった。空は黒っぽい雲があるものの、晴れている。
鼻先が冷たい。手袋は正解だ。足先は、靴下も靴も履いているのにジンとしていた。
昨日とは、随分気持ちが違った。1月1日は、気候も伴ってか、心が改まり、清々しい。
戻ると10時29分だったから、27分かかっている。3回信号で留まった所為もあったから、タイムはこんなものだ。みかんを、極短い、小指の先ほどの琵琶の木の枝に半分ずつ刺した。昨日のみかんは、2つとも消えていた。
そっとレースのカーテン越しに覗くと、珍しく、メジロが3、4羽来て、汁を吸っていた。
近くに住んでいる娘夫婦と孫が来たのは1時頃で、ここで初めてお雑煮と簡単なお節と対面だ。
ごまめ、たけのこ、黒豆、かまぼこ、昆布、それと牛肉を甘辛く煮たもの。今年は簡略化した。だが、お雑煮は子供の頃からずっと食べて来た、なくてはならないものだった。出雲で、母が必ず作っていたものである。
毎年出雲から、妹経由で調達している。
いりこで出汁をとった汁に入れるものは、何週間か前に妹が塩をしておいた鰤の切り身。手に入り難い、酒に浸した岩海苔。牛蒡のささがき。芹。豆腐。これだけである。
各家庭にはそれぞれの味と中味があり、どれがどうと言うものではなく、その家庭の雑煮が雑煮なのだ。だから、私にはこれ以上の雑煮はないのである。もう口には殆ど入らないが、河豚だって、皆が好きな河豚刺しでもなく、河豚ちりでもなく、私は河豚の味噌汁が一番なのだ。
餅が3個入っていた。疑わしい位な程、すぐに胃に入った。もう2個位食べようと思ったが、1個のお代わりにした。誰もお屠蘇を飲まないので、私は麦(本当は芋がいいのだが、ここにはない)焼酎をロックでちびちびやり始めた。
いい気分になって、今日はじっとしている事にした。明日は、神戸に来て初めての生田神社への初詣に出掛ける事にした。行けたら湊川神社にも行ってみたいが、三宮と神戸だから、どうなる事だろう。マウリッツハイス美術館展も観たいから。
いつか行けると思っていたのだが、1月6日で終わりだと知ったからである。言わずもがな、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が観たいのだ。もっと前に行っていたら、じっと見詰め合えただろうけれど、きっと並んで、オートメーションのように忙しなく押し出されて行くだろう。それでも、本物と出会える幸せと喜びがある。
今日の元旦のブログは、詩にしようと、ジョギングをしながら考えていたのに、焼酎が入ったらそれも出来なくなった。私の好きな若山牧水先生だったら、飲めば飲むほどに凄い歌が生まれて来るだろうのに。素人の私は、全く牧水先生と間逆を行く。
けふもまた 心の鉦を打ち鳴らし 打ちならし鳴らしつつ あくがれてゆく
牧水