7月7日(土)
朝4時に九州へ出掛ける予定だった。凄い土砂降りで、高速が不通になるかどうか気配を窺っていた。
それでも家内と2人、9時前には家を出た。
明日は義母の1周忌で、身内だけが集まる事になっていた。夕方には大分県豊後高田市の亀の井ホテルに着いた。加古川の義兄夫婦もそこに泊まった。皆シングルだが、4,800円。シルバーは4,300円になった。
ジョイフルと関係のあるホテルで、歴史は古い。代表取締役社長の穴見保雄氏は、その評伝でこう語っている。
「ボクは一室250万円でつくった。宿泊費一泊4500円であればかなり儲かります」(夢 軌跡と野望~百年とこれから~ 岡田清治著)
ホテルは一室つくるのに約400万円かかる。宿泊料金は1000分の1、つまり4000円以上なら儲かるというのが基準である、と。
雨はすっかり止んでいた。
7月8日(日)
豊後高田の家でお寺さんを呼んで49日と1周忌が一度に執り行われた。暑い筈の夏であるにも拘らず、適度な温度だった。足は痺れたが。10人程の、極身内の集まりである。
墓に参り、それから席を移しての直会である。
大分の義兄夫婦の家で暫く休み、臼杵へと向かった。
平安から鎌倉にかけて彫られた臼杵の六十余体ある磨崖仏は圧巻だ。昭和37年には国の重要文化財に指定された。
一度ここを訪れているが、その時は頭部が下に置かれていた大日如来像が保存修理工事を終えて、首の上に頭が置かれた。それが平成7年6月に国宝に指定された。
泊まったのは臼杵湯の里で、そこに4家族が泊まった。晴れ渡っている。温泉が素晴らしかった。夢枕に現れた黄金に輝く仏像のお告げを信じて1300メートルを掘ったのだ。ボーリング費用が1億5000万円かかったと言う。肌がつるつるの、万病に効能のある温泉なのである。
2番目の義兄はお腹を壊し、部屋にいた。ビールや焼酎やフグのひれ酒が飲みたかった事だろう。その夜は、フグ尽くしだったのである。
その後もう一度温泉に浸かった。露天風呂に低く北斗七星が迫っていた。北極星は植え込みに遮られて、見る事が出来ない。
夜も更けた頃、外に一人出て、坂を上って行った。ぼんやりと石仏が何体か見られ、足場もはっきりしなかった。誰も居ず、怖い雰囲気だった。だが、星が綺麗だった。最も星が見たくて出て来たのだが、もう何十年も見た事のない、満天に零れる程の星が煌いていた。
北極星もはっきりと見えた。怖さを忘れる位、それは煌き迫っていた。天の川が走っていた。1日遅れだが、最近は牽牛と織女の出会いは2日位延長されているのではないかと思った。7日には星も見えなかったので、そうでも思わなければ2人が余りにも可哀想である。
坂の下に向かって星を見ると、疎らではっきりしなかった。ホテルの明かりや外灯の所為である事は明らかである。
ベッドの上でも、残像は消えず、目を閉じても4、5千の星は、チカチカと瞬いていた。
7月9日(月)
加古川の義兄夫婦と別れ、義妹と3人で、昨夜星を見た辺りを見る事にした。そこには何と、日本最大級の黄金の仏像70体の臼杵大仏殿があった。それはそれは見事なもので、口では表現出来ない。
大分の義兄夫婦とも別れ、高知の義妹と3人での行動となる。
臼杵市二王座歴史の道を散策した。商家や寺院の立ち並ぶ、鄙びたいい町並みだった。
義妹とも別れ、一路福岡の久留米へと。娘夫婦と孫が4月から転勤で住んでいる。久し振りの顔触れは懐かしさを増した。
その夜は、娘達の家に泊まった。
7月10日(火)
昼前に2台の車で、6人は家を出た。目指すは吉野ヶ里歴史公園。約700年続いた弥生時代の環濠集落で、墳丘墓の甕棺には歴代の王が眠っていると考えられている。
日差しは更に増し、じっと外にいるのは辛い。雨が降っていたらもっと辛かっただろう。もう蝉が鳴いていた。
孫達は走り回っている。こんな遺跡の中にいると、紀元前の世界が偲ばれる。赤米、黒米の栽培されていたあの時代の事が・・。それにしても、兎に角暑い。
虹の松原を見てから、佐賀ロイヤルホテルに泊まる。夜はホテル内の漁火と言う居酒屋で夕食を食べた。生ビールがサーッと喉を過ぎ、殊の外枝豆が美味かった。孫の顔を見るのと遊ぶのが目的だったから、殆ど孫と一緒にいた。
家内と彼と私は部屋で焼酎を飲んだ。2人は殆ど乾き物を食べて、好まなかった鯨の缶詰を私一人が食べていた。いつか食べていた懐かしい味だった。娘と孫達はすぐに部屋に帰り、白河夜船の世界に入り込んだ。彼も、瞼を重くしながら、やがて帰って行った。
7月11日(水)
朝のバイキングでも、2歳になろうとする下の孫は、得意気に走り回っている。
遅いチェックアウトとなった。私は、唐津焼のご飯茶碗を買った。緑色を基調とした、今までに見た事のないものだった。また、ご飯が美味しいだろうと想像する。
呼子の朝市に行った。雨が予報されていたので、遠くからは売りに来ていなかった。食べて見なさいと言われるが、そんな事したら何だか買わないといけないような気になるから、私は兎に角走り回る孫を追いかけていた。手をつなごうとすると嫌がって振り解こうとする。その力の強い事。金太郎みたいだ。
昼過ぎだったが朝市を抜け呼子大橋を渡り海の見える丘公園に行った。なんの変哲もない寂れたような所だったが景色は美しく、遠く釜山を望める場所にあった。
この後、昼食の為に考えていた河太郎の暖簾を潜った(唐津市呼子町呼子1789-2)。
最後の感動だった。大きな回廊の生簀にいかが泳いでいる。「いか活き造り定食」を食べる為だった。
まるまる1匹がその場で調理されるのだから、頭と一緒に刺身にされたいかは透明だった。頭を触ると足がぴくっと動く。1人に1匹は勿体無いので、孫以外2人に一つにした。それでもお腹は膨れた。
前々からの望みが叶った。本当はいか釣り船に乗って、その場で釣り上げたいかを食べるのが夢だったが、今ここで回遊しているのだから、新鮮さはそんなに違わない。ゲソは、後から天ぷらにしてくれた。
美味い。何と言う新鮮さと噛み応え。美味いとしか言いようがなかった。1人前2,625円である。
感動を後にして、表で暫くの名残を惜しみ、久留米方面と神戸方面に分かれた。年長の孫は、分かれが寂しくて泣いた。ちょっとだけ。娘だって心の中には雨が降っていただろう。会えば別れはあるものだが、分かっていてもその時は嫌なものである。
こんなにあちこちで豪雨の被害に遭っていると言うのに、この時点まで全くの雨知らずであった。
ここで分かれたのが2時半だっただろうか。私は一切運転しなかったが、小賀SAで急に激しい雨に見舞われた。それでもそれからは、そんなに強い雨ではない高速道路を走った。
小谷のSAで夕食にしたが、8時半にはなっていたと思う。神戸に帰り着いたのが、11時30分頃だった。こうして、4泊5日の北九州の旅が終わった。
小賀SAで買った明太マヨネーズが殊に美味く、何に付けて食べても美味だ。500円だったが、もっと買って置けば良かった、と思った。
朝4時に九州へ出掛ける予定だった。凄い土砂降りで、高速が不通になるかどうか気配を窺っていた。
それでも家内と2人、9時前には家を出た。
明日は義母の1周忌で、身内だけが集まる事になっていた。夕方には大分県豊後高田市の亀の井ホテルに着いた。加古川の義兄夫婦もそこに泊まった。皆シングルだが、4,800円。シルバーは4,300円になった。
ジョイフルと関係のあるホテルで、歴史は古い。代表取締役社長の穴見保雄氏は、その評伝でこう語っている。
「ボクは一室250万円でつくった。宿泊費一泊4500円であればかなり儲かります」(夢 軌跡と野望~百年とこれから~ 岡田清治著)
ホテルは一室つくるのに約400万円かかる。宿泊料金は1000分の1、つまり4000円以上なら儲かるというのが基準である、と。
雨はすっかり止んでいた。
7月8日(日)
豊後高田の家でお寺さんを呼んで49日と1周忌が一度に執り行われた。暑い筈の夏であるにも拘らず、適度な温度だった。足は痺れたが。10人程の、極身内の集まりである。
墓に参り、それから席を移しての直会である。
大分の義兄夫婦の家で暫く休み、臼杵へと向かった。
平安から鎌倉にかけて彫られた臼杵の六十余体ある磨崖仏は圧巻だ。昭和37年には国の重要文化財に指定された。
一度ここを訪れているが、その時は頭部が下に置かれていた大日如来像が保存修理工事を終えて、首の上に頭が置かれた。それが平成7年6月に国宝に指定された。
泊まったのは臼杵湯の里で、そこに4家族が泊まった。晴れ渡っている。温泉が素晴らしかった。夢枕に現れた黄金に輝く仏像のお告げを信じて1300メートルを掘ったのだ。ボーリング費用が1億5000万円かかったと言う。肌がつるつるの、万病に効能のある温泉なのである。
2番目の義兄はお腹を壊し、部屋にいた。ビールや焼酎やフグのひれ酒が飲みたかった事だろう。その夜は、フグ尽くしだったのである。
その後もう一度温泉に浸かった。露天風呂に低く北斗七星が迫っていた。北極星は植え込みに遮られて、見る事が出来ない。
夜も更けた頃、外に一人出て、坂を上って行った。ぼんやりと石仏が何体か見られ、足場もはっきりしなかった。誰も居ず、怖い雰囲気だった。だが、星が綺麗だった。最も星が見たくて出て来たのだが、もう何十年も見た事のない、満天に零れる程の星が煌いていた。
北極星もはっきりと見えた。怖さを忘れる位、それは煌き迫っていた。天の川が走っていた。1日遅れだが、最近は牽牛と織女の出会いは2日位延長されているのではないかと思った。7日には星も見えなかったので、そうでも思わなければ2人が余りにも可哀想である。
坂の下に向かって星を見ると、疎らではっきりしなかった。ホテルの明かりや外灯の所為である事は明らかである。
ベッドの上でも、残像は消えず、目を閉じても4、5千の星は、チカチカと瞬いていた。
7月9日(月)
加古川の義兄夫婦と別れ、義妹と3人で、昨夜星を見た辺りを見る事にした。そこには何と、日本最大級の黄金の仏像70体の臼杵大仏殿があった。それはそれは見事なもので、口では表現出来ない。
大分の義兄夫婦とも別れ、高知の義妹と3人での行動となる。
臼杵市二王座歴史の道を散策した。商家や寺院の立ち並ぶ、鄙びたいい町並みだった。
義妹とも別れ、一路福岡の久留米へと。娘夫婦と孫が4月から転勤で住んでいる。久し振りの顔触れは懐かしさを増した。
その夜は、娘達の家に泊まった。
7月10日(火)
昼前に2台の車で、6人は家を出た。目指すは吉野ヶ里歴史公園。約700年続いた弥生時代の環濠集落で、墳丘墓の甕棺には歴代の王が眠っていると考えられている。
日差しは更に増し、じっと外にいるのは辛い。雨が降っていたらもっと辛かっただろう。もう蝉が鳴いていた。
孫達は走り回っている。こんな遺跡の中にいると、紀元前の世界が偲ばれる。赤米、黒米の栽培されていたあの時代の事が・・。それにしても、兎に角暑い。
虹の松原を見てから、佐賀ロイヤルホテルに泊まる。夜はホテル内の漁火と言う居酒屋で夕食を食べた。生ビールがサーッと喉を過ぎ、殊の外枝豆が美味かった。孫の顔を見るのと遊ぶのが目的だったから、殆ど孫と一緒にいた。
家内と彼と私は部屋で焼酎を飲んだ。2人は殆ど乾き物を食べて、好まなかった鯨の缶詰を私一人が食べていた。いつか食べていた懐かしい味だった。娘と孫達はすぐに部屋に帰り、白河夜船の世界に入り込んだ。彼も、瞼を重くしながら、やがて帰って行った。
7月11日(水)
朝のバイキングでも、2歳になろうとする下の孫は、得意気に走り回っている。
遅いチェックアウトとなった。私は、唐津焼のご飯茶碗を買った。緑色を基調とした、今までに見た事のないものだった。また、ご飯が美味しいだろうと想像する。
呼子の朝市に行った。雨が予報されていたので、遠くからは売りに来ていなかった。食べて見なさいと言われるが、そんな事したら何だか買わないといけないような気になるから、私は兎に角走り回る孫を追いかけていた。手をつなごうとすると嫌がって振り解こうとする。その力の強い事。金太郎みたいだ。
昼過ぎだったが朝市を抜け呼子大橋を渡り海の見える丘公園に行った。なんの変哲もない寂れたような所だったが景色は美しく、遠く釜山を望める場所にあった。
この後、昼食の為に考えていた河太郎の暖簾を潜った(唐津市呼子町呼子1789-2)。
最後の感動だった。大きな回廊の生簀にいかが泳いでいる。「いか活き造り定食」を食べる為だった。
まるまる1匹がその場で調理されるのだから、頭と一緒に刺身にされたいかは透明だった。頭を触ると足がぴくっと動く。1人に1匹は勿体無いので、孫以外2人に一つにした。それでもお腹は膨れた。
前々からの望みが叶った。本当はいか釣り船に乗って、その場で釣り上げたいかを食べるのが夢だったが、今ここで回遊しているのだから、新鮮さはそんなに違わない。ゲソは、後から天ぷらにしてくれた。
美味い。何と言う新鮮さと噛み応え。美味いとしか言いようがなかった。1人前2,625円である。
感動を後にして、表で暫くの名残を惜しみ、久留米方面と神戸方面に分かれた。年長の孫は、分かれが寂しくて泣いた。ちょっとだけ。娘だって心の中には雨が降っていただろう。会えば別れはあるものだが、分かっていてもその時は嫌なものである。
こんなにあちこちで豪雨の被害に遭っていると言うのに、この時点まで全くの雨知らずであった。
ここで分かれたのが2時半だっただろうか。私は一切運転しなかったが、小賀SAで急に激しい雨に見舞われた。それでもそれからは、そんなに強い雨ではない高速道路を走った。
小谷のSAで夕食にしたが、8時半にはなっていたと思う。神戸に帰り着いたのが、11時30分頃だった。こうして、4泊5日の北九州の旅が終わった。
小賀SAで買った明太マヨネーズが殊に美味く、何に付けて食べても美味だ。500円だったが、もっと買って置けば良かった、と思った。