ながーい、おつきあい。と言えば、京都銀行。5月3日は、京都銀行ではなく、「京都銀行創立70周年記念 第九コンサート」に行って来た。JR京都駅から地下鉄で北山まで行く。京都植物園のある所だ。

4時からの開演にはまだ大分時間があるので、「白竜」で中華ランチを食べた後は、鴨川の岸辺を歩いてみた。躑躅も美しいが、もっと土手の小さな草花に目がいった。オオイヌノフグリこそ咲いてはいなかったが、可憐な日本タンポポの群生を目にした時は狂喜した。

向こう岸まで繋がっている飛び石を踏んで行くと、川の反対側まで行く事が出来る。だが、ひっくり返っても格好悪いので、それはしなかった。昔なら、好奇心の塊りであった私は、必ず渡っていただろう。

京都コンサートホールは、素敵なホールだった。

毎年年の末になると演奏し歌われる第九。正直言ってマンネリ化しているように思えて、余り関心もなかった。だが、チャンスがあれば聴いてみようと、消極的な期待は抱いていた。それが、こんな時期に演奏されるのを知った。

とにかく、一度聴いてみる事に決めた。それも、森麻季(ソプラノ)や錦織健(テノール)の知名度の高い歌手の出演もあり、それも決め手になったのだが。後の2人は手嶋眞佐子(メゾ・ソプラノ)と三原剛(バリトン)とあるが、私は知らなかった。

指揮は東京交響楽団常任指揮者の大友直人だ。今日は京都市交響楽団の指揮をする。

ソリスト変更のお知らせがあった。森麻季が治療静養を必要とする体調不良になり、鈴木慶江(ソプラノ)に変更となった。これには特に拘らない事にした。ステージ下手の、楽団とコーラスの継ぎ目のような3階の席なので、どうせ歌っている4人の歌手の後姿しか見えないのだ。その代わり、抽選で選ばれた男女350人の顔は、皮肉なほど良く見える。この350人の中には50人の行員が含まれている。それにしても大所帯だ。

ベートーヴェン:「エグモント」序曲op.84から始まった。

いよいよ、ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱付」op.125が。

やっぱりベートーヴェンはいい。

アレグロ・マ・ノン・トロッポ,ウン・ポコ・マエストーソ
モルト・ヴィヴァーチェ
アダージョ・モルト・エ・カンタービレ
プレスト~アレグロ・アッサイ

後半、バリトンから歌い始めた。順に歌うのだが、皆いい声をしている。歌い方が素晴らしい。そうして合唱が入って来る。男女別々の時もあれば一緒の時もある。

高まり、感極まって行く。大音量の声。楽器の音を乗り越えて、波頭の如く胸を貫く。350人の凄まじい程の歓喜の声。テレビなどで聴くのとは大違いだった。この日の為に練習を重ねて来た350人余。私の感動も極まった。

錦織健に今迄そんなに興味はなかった。テレビにはよく出ていたものの、関心すらなかったのだ。それが、ここでソロを聴いて、何と素晴らしい歌い方だろうか、と思われたのである。チャンスがあれば、リサイタルに聴きに行こうと思った位だ。

錦織健は出雲の出身で、私と同じ所で空気を吸っていたのだ。妹など、中学でも自分の方が先輩だと言って威張っている。そう思って見る後姿は、なんだか神々しいものにさえ見えて来た。応援したい気にもなった事は否めない。

それより第九。少年だった頃、「大工だ大工だ」と言っていた頃が恥ずかしい。こんな歓喜の歌をまともに聴いた事がなかった。そこには、人間の悲しみなど掻き消して行ってしまう程の歓喜で覆い尽くされた瞬間があった。私は、惜しみない拍手を送っていた。

指揮者に。楽団員に。4人の歌手に。この第九を企画した銀行に。そして、350余人の大コーラスに。集った聴衆に。それから、聴くことの出来た自分に。ベートーヴェンに・・。

アンコールの代わりに「翼をください(作詞:山上路夫 作曲:村井邦彦)」で、会場が一体となった。



翼をください

1.いま私の願いごとが
  かなうならば翼がほしい
  この背中に鳥のように 
  白い翼をつけてください
  この大空に翼をひろげ
  飛んで行きたいよ
  悲しみのない自由な空へ
  翼はためかせ
  行きたい

2.いま富とか名誉ならば
  いらないけど翼がほしい
  子どものとき夢みたこと
  今も同じ夢に見ている
  この大空に翼をひろげ
  飛んで行きたいよ
  悲しみのない自由な空へ
  翼はためかせ
  行きたい

  この大空に翼をひろげ
  飛んで行きたいよ
  悲しみのない自由な空へ
  翼はためかせ

  この大空に翼をひろげ
  飛んで行きたいよ
  悲しみのない自由な空へ
  翼はためかせ
  行きたい


生きていること、それは限りなく愛しいことだ。切ないほどに求め合い、抱き合う。相手の中に途轍もない優しさを見出し、涙が出そうなほどに歓喜する。その中にそっと自分を置いて、溶け合うことの幸せがあれば何も要らないと思ってみる。そうして、人々がみなそんな気持ちを取り戻し、世界を再生出来たらと思う。 そう、願う。