2月9日の朝日新聞「声」の欄より、リーダーシップをテーマの小学6年生長舩蒼一郎君の投稿を取り上げた。

今日16日の「声」の欄に、その事について書いた人の「声」が載っていた。何はともあれ、関連があるのでここに載せてみたい。



日本をになう小学生に期待

主婦 足立 道(大阪府茨木市76)

テーマ特集「リーダーシップ」(9日)の「橋下市長は平成の伊達成実」というご投稿を読んだ。小学6年生が今の日本の政治を案じる、しっかりした内容に驚いた。

彼が期待したいのは橋下徹大阪市長とのことで、同感だ。思ったことを堂々と発言し、自ら動き回る橋下さんの姿勢に私も感じ入っている。毎日のように新聞に載り、テレビに映らない日はないほど。そんなあわただしさの中でも、保育園を訪ねて園児と接する時のまなざしは優しく、父親そのもの。3男4女のお父さんとして、大阪市民の幸せを第一に、今後も頑張ってほしい。近隣の市からも応援している。

投稿した小学生は数年前から歴史の専門誌をよく読んでいるという。国の将来に思いを巡らせる、このような頼もしい若者がいる限り、日本もまだまだ捨てたものじゃない。日本の未来をになう小学生に期待したい。



特別注目されるような文章ではないけれど、12才の文章に同感する76才がいた。

さて、その6年生の少年の投稿が載った日の「天声人語」を載せておこう。

「天声人語」2012.2.9

小泉八雲に「占の話」という随筆があって、挿話がおもしろい。昔の中国で、ある瓦を枕にして眠っていると、1匹の鼠が顔を走った。怒って瓦を投げつけたが、鼠には当たらずに割れてしまう。

男は軽率を悔いて破片を眺め、そこに刻まれた字に気づく。「卯の年の四月十七日、巳の刻に、この瓦は枕になったあとで、鼠に投げられて砕ける」。あまりの的中に男は驚き、焼く前の粘土瓦に予言を書いたという老人を探しに出かける――。首都圏直下型地震の確立をめぐる最近のニュースに、ふと思い出した。

東大の研究者は4年以内に70%と試算した。片や京大の研究者は5年以内に28%とはじく。政府は前から30年以内に70%と言っている。当たり前だが「瓦」のように、日時予測とはとてもいかない。

予知の技術は未確立で、しょせん「見果てぬ夢」という人が多い。無用論もある。将来どれほど進んでも、地震が結局、ある日突然の辻斬りなのは変わるまい。

かつて話を聞いた学者が予知の困難を語っていた。「たとえば火山の一生を人の一生とすれば、いつ噴火するかは、その人がいつくしゃみをするか、という感じでしょうか」。くしゃみは鼻がむずむずするが、地震はもっと予兆がとらえにくい。46億年の地球に聴診器をあてる難しさが分かる。

確率の数字はばらつくが、どれも十分大きな「警告」だという。他人まかせでない身近な防災と減災を考えたい。忘れた頃ではない。忘れる間もなく、天災はやってくる。




内容もとても重要な事だが、それを伝える論説委員の文章力に感心させられる。今日の「声」の欄に、今年から中学生になると言う子の投稿が載っていた。概要を私が書くより、ここに写す方が正確だと思う。


「僕は昨年から天声人語を清書しています。きっかけは担任の先生に、書き写しで思考力がアップするとすすめられたからです。清書した後、思ったことを書き込んだり、気になったところに赤線を引いたりしています。しかし僕には難しい言葉が出てきて、最初はわかりませんでした。

全体の意味がわからなければ感想は書けないので、毎日がんばって書き写しました。すると、なんとなく意味がわかってきて、どんどん書けるようになりました。毎日続けることで、できなかったことができるようになったのです。

これも「天人」のおかげです。小学卒業まであとわずか。中学生になっても、がんばって続けていきたいと思います。(山本雅人 堺市南区 12)」


「天声人語」の効用はさて置いて、全ての「天声人語」は、上手く起承転結で構成されている。新聞では段落に▼の印がいつでも5つ入っている。つまり6つに区切られている訳だが、起承転結のどこかの部分がダブる事になる。

「天声人語」が登場したのは1904(明治37)年からだ。年月を経て「天声人語」が復活したのは1945(昭和20)年の9月からで、そうして今日まで67年間継続しているそうだ。

敗戦直後は数人で執筆していたと言うが、次の年からは担当者が1人になった。2007年まで9人交代して、そこから今までは2人となった。福島申二、冨永格の論説委員がそうで、共に現在55才の俊才。

5年前まで、1人で毎日書いていた事には驚く。今は2人だが、その日によって書き方の性格が違うのは感じていた事だ。

つかみは導入部分であるから、目を惹く文になるのは同じだ。また、結論も、社の思いにも通じるので、どう終わるかは重要であろう。そんな事を思いながら見る「天声人語」の起承転結は面白い。

それよりも地震の話だ。これは人任せには出来ない事がよく分かった。何年以内に何%と言った所で、それは確かに日時を予測するものではない。いつ起こっても、おかしくないのである。

パーセントは飽く迄確率であり、100%と言わない限り、絶対的ではない。私は極論を言って顰蹙を買う事があるが、99%でもそうではない事もあるだろうし、1%でもそうだという事がある。いい事なら奇跡と呼んでもいいのだが。

矢張り数字が大きい程、誰だって大きい方を信じるだろう。況して、予測しているのが研究者である。かなり研究した上での数字なのだろうから、これを侮る訳には行くまい。それに私などが何年以内に何%、と言った所で信憑性もなく、誰も耳を傾けないと思う。

はっきりいつと言う事が言えないのは研究者も私も同じなのだが、近い内に起こると予測出来るのは研究者だ。この数字を見て、それは嘘だとは言えないだろう。国民皆が心配している、信頼せざるを得ない予測だからだ。

来るなら出来るだけ遅く、出来るだけ小さな揺れが来るのを望むだけだ。本当は100%ではないのだから、プレートがこれ以上ずれずにいて欲しい。そして、地震など、来て欲しくはないのだ。

この日の「天声人語」は、天災を忘れてはいけないと言う事と、天災を侮ってはいけないと言う事の警鐘であり警告なのだと、心にしっかりと刻んで置かなければならないと思った。