午後4時10分に、バスは三宮に着いた。元町駅西口での待ち合わせ時間は、5時30分になっている。これには訳があって、ぶらぶらする目的があったからだ。
そごうデパートの地下への階段を下りる。食べたいものが一杯だが、デパ地下のものは高いといつも思う。
期間限定のワイン、カフェ・ド・パリ・「パリの雪」を酒類販売コーナーで探した。扱っていないと言う。あれば飲んでみたいと思っていた。
一頻り地下をうろつき、元町まで歩いた。途中ジュンク堂で韓国語講座のテキストを買った。まだまだ時間はある。元町商店街の路上には市が出来ていて、特に野菜などを中心に販売している。
100円の白菜や大根の値段表示が、50円になっていた。ちょっと心が動いたが、これから新年会があるのに、そんなビニール袋を持って行く訳にはいかないだろう。断念、断念。
西へ、5丁目辺りまで歩いて、またゆっくり戻った。しかし、お陰でまた食べ物の店を発見した。駅に近い平行に流れる通りに出て歩いた。そこにも、行ってみたい食堂などを見つける事が出来た。
早く来過ぎたかも知れないが、似て非なる言葉が浮かんで来て、一人で笑った。「怪我の功名」「犬も歩けば棒にあたる」。「猿も木から落ちる」や「弘法も筆の誤り」は、更に駄目だ。
5時20分位に元町駅に着いた。6人揃ったので、後の4人は店を知っているとか電話をすると言うので、料理屋「吾作」へ行った。すぐそこである。2階に上がると、10人分の席が用意されていた。
すぐにS君から電話があり、私が迎えに行った。
高校時代の同窓生であるが、45年振りに会う者が2人いて、すぐには思い出せなかった。顔が変形していたからである。変化とか変貌の方がいいかな。その2人からしても、私を同じように思ったかも知れなかった。
野郎ばかりの宴会は、ビールから始まった。先付けに小さな蒲焼があった。「総理大臣を食べるんか」と言って笑った。中指の3分の2位の大きさのどじょうの蒲焼である。子供の頃はよく食べたと言うより食べさせられたものだが、それ以後1度も食べた事はなかった。微かな泥の匂いがした。でも、とても珍味に感じられた。
ボトルの焼酎が得だと言って注文すると、殆どがお湯割りにした。梅干を入れた者が2人。私ではない。1人だけオンザロックがいた。これも私ではない。
メンバー紹介だ。敬称略。Ki、Om、Hi、Sa、Ha、K、Ku、S、N、そして私の10人だった。全員、かつてはむせ返っていたのに、もうおっさんを過ぎて、紳士を過ぎて、おじんの真っ只中。「この会、これからも続けたいなあ」と誰かが言ったが、みな同感だった。
ただ、場所を考えないと、大阪から来る者に取っては、私が大阪で宴会をして帰るのと同じ理屈で、ちょっときついかも知れない。ここの店は年1度にして、もう1回は別の場所ですればどうか、と言う案もあった。Nくんなどは、「4回やったらどうだ。春、夏、秋、冬に」と、冗談めいた事を真顔で言った。
歳を取ると、何をしていたかなど、どうでも良くなる。こうして集まって顔を見ているだけでも楽しいのだ。私はよく喋った。何でだろう。一番端っこの席に座ったから、焼酎のお代わりを作る役目も名乗り出た。
「向こうから手渡しでグラスを運んで来たら、作って持って行くよ」
と言ったら、そうした男もいたし、
「とんでもない」
と言って、グラスを持って来た者もいた。
「6・4で頼む」
と言うので、
「どっちが6や?」
と聞いたりした。
話はどんどん弾み、料理も中々美味かった。写真を載せられないので残念だが、宴会には使いたい店の一つだ。Ki君が呼びかけて段取りをしたので、彼の馴染みの店だった。女将さんを「よーこ」と呼び捨てにしていたが、彼が言うと最初はドキッとしたが、違和感はなくなった。彼の教え子だったのである。独特で、彼らしい。
焼酎のボトルはすぐに空いて、2本目。またなくなって3本目。オカリナを吹けと言うから、2曲吹いた。3連のオカリナだから珍しがる者もいた。下で聞いていたお客が、何か言っていたらしい。女将がそう教えてくれた。
3本目が空く頃には時間もよろしく、4時間の時が過ぎた。大阪へ帰る2人は駅へと向かったが、Ki君の強い要望でカラオケで歌う事になり、三宮まで歩いた。そこで1時間半歌い、飲み物はマッコリにした。ビールやコーラやウーロン茶を飲む者もいた。誰かが勝手に入れて、私は五木ひろしの「横浜たそがれ」を歌う嵌めになった。歌はあんまり歌いたくないのだけれど。
もう1曲は、同じく五木ひろしの「ふるさと」を歌った。まだ30分位あると思っていたのだが、電話が掛かってきて、「後5分でございます」と言った。まあそこそこに楽しんでいたと思うが、帰る時は3人になって歩いていた。K君とN君だ。
東門の南の入り口では、バンに乗って来ているお兄さんがいつもホットドッグを焼いている。これは本当に美味いので食べようとしたが、この日は来ていなかった。そんな時に限って無性に食べたいものだが、仕方がないので、東門を北に歩いた。
浅野ゆう子のお母さんが経営しているラウンジもある。それには関係なく、「金」と言う韓国の飲食物を売っている店を紹介し、ここで3人が買い物をした。今回はマッコリは買わず、韓国海苔とシンナミョン(韓国の辛いインスタントラーメン)5個入りを買った。このラーメンは辛くて汗が出るが、こんなに美味いインスタントもない。ユン・ソナが韓国の家で作っているのを、TVで観た事がある。
ラーメンが食べたくなった。K君は最後まで粘ってくれたが、宝塚まで帰らなくてはならない。彼とも別れると2人になった。実物大の水車小屋のあるうどん屋をちょっと北に上がり、最初のラーメン店「四天王」に入った。シンプルな味ではなかったので、これはこれでいいのだが、また、あっさりしたチャーシューの2切れ入ったラーメンを食べたいと思った。
もう豚まんは遅い。バスもない。垂水駅まで戻り、娘に迎えに来て貰った。12時を回っていた。渋々でも来てくれる。それは、私も何度も迎えに来ているからだ。これを「相身互い」とか「ギブアンドテーク」とか「お互い様」と言うのだろう。この言葉は、間違った使い方ではないと思う。
そごうデパートの地下への階段を下りる。食べたいものが一杯だが、デパ地下のものは高いといつも思う。
期間限定のワイン、カフェ・ド・パリ・「パリの雪」を酒類販売コーナーで探した。扱っていないと言う。あれば飲んでみたいと思っていた。
一頻り地下をうろつき、元町まで歩いた。途中ジュンク堂で韓国語講座のテキストを買った。まだまだ時間はある。元町商店街の路上には市が出来ていて、特に野菜などを中心に販売している。
100円の白菜や大根の値段表示が、50円になっていた。ちょっと心が動いたが、これから新年会があるのに、そんなビニール袋を持って行く訳にはいかないだろう。断念、断念。
西へ、5丁目辺りまで歩いて、またゆっくり戻った。しかし、お陰でまた食べ物の店を発見した。駅に近い平行に流れる通りに出て歩いた。そこにも、行ってみたい食堂などを見つける事が出来た。
早く来過ぎたかも知れないが、似て非なる言葉が浮かんで来て、一人で笑った。「怪我の功名」「犬も歩けば棒にあたる」。「猿も木から落ちる」や「弘法も筆の誤り」は、更に駄目だ。
5時20分位に元町駅に着いた。6人揃ったので、後の4人は店を知っているとか電話をすると言うので、料理屋「吾作」へ行った。すぐそこである。2階に上がると、10人分の席が用意されていた。
すぐにS君から電話があり、私が迎えに行った。
高校時代の同窓生であるが、45年振りに会う者が2人いて、すぐには思い出せなかった。顔が変形していたからである。変化とか変貌の方がいいかな。その2人からしても、私を同じように思ったかも知れなかった。
野郎ばかりの宴会は、ビールから始まった。先付けに小さな蒲焼があった。「総理大臣を食べるんか」と言って笑った。中指の3分の2位の大きさのどじょうの蒲焼である。子供の頃はよく食べたと言うより食べさせられたものだが、それ以後1度も食べた事はなかった。微かな泥の匂いがした。でも、とても珍味に感じられた。
ボトルの焼酎が得だと言って注文すると、殆どがお湯割りにした。梅干を入れた者が2人。私ではない。1人だけオンザロックがいた。これも私ではない。
メンバー紹介だ。敬称略。Ki、Om、Hi、Sa、Ha、K、Ku、S、N、そして私の10人だった。全員、かつてはむせ返っていたのに、もうおっさんを過ぎて、紳士を過ぎて、おじんの真っ只中。「この会、これからも続けたいなあ」と誰かが言ったが、みな同感だった。
ただ、場所を考えないと、大阪から来る者に取っては、私が大阪で宴会をして帰るのと同じ理屈で、ちょっときついかも知れない。ここの店は年1度にして、もう1回は別の場所ですればどうか、と言う案もあった。Nくんなどは、「4回やったらどうだ。春、夏、秋、冬に」と、冗談めいた事を真顔で言った。
歳を取ると、何をしていたかなど、どうでも良くなる。こうして集まって顔を見ているだけでも楽しいのだ。私はよく喋った。何でだろう。一番端っこの席に座ったから、焼酎のお代わりを作る役目も名乗り出た。
「向こうから手渡しでグラスを運んで来たら、作って持って行くよ」
と言ったら、そうした男もいたし、
「とんでもない」
と言って、グラスを持って来た者もいた。
「6・4で頼む」
と言うので、
「どっちが6や?」
と聞いたりした。
話はどんどん弾み、料理も中々美味かった。写真を載せられないので残念だが、宴会には使いたい店の一つだ。Ki君が呼びかけて段取りをしたので、彼の馴染みの店だった。女将さんを「よーこ」と呼び捨てにしていたが、彼が言うと最初はドキッとしたが、違和感はなくなった。彼の教え子だったのである。独特で、彼らしい。
焼酎のボトルはすぐに空いて、2本目。またなくなって3本目。オカリナを吹けと言うから、2曲吹いた。3連のオカリナだから珍しがる者もいた。下で聞いていたお客が、何か言っていたらしい。女将がそう教えてくれた。
3本目が空く頃には時間もよろしく、4時間の時が過ぎた。大阪へ帰る2人は駅へと向かったが、Ki君の強い要望でカラオケで歌う事になり、三宮まで歩いた。そこで1時間半歌い、飲み物はマッコリにした。ビールやコーラやウーロン茶を飲む者もいた。誰かが勝手に入れて、私は五木ひろしの「横浜たそがれ」を歌う嵌めになった。歌はあんまり歌いたくないのだけれど。
もう1曲は、同じく五木ひろしの「ふるさと」を歌った。まだ30分位あると思っていたのだが、電話が掛かってきて、「後5分でございます」と言った。まあそこそこに楽しんでいたと思うが、帰る時は3人になって歩いていた。K君とN君だ。
東門の南の入り口では、バンに乗って来ているお兄さんがいつもホットドッグを焼いている。これは本当に美味いので食べようとしたが、この日は来ていなかった。そんな時に限って無性に食べたいものだが、仕方がないので、東門を北に歩いた。
浅野ゆう子のお母さんが経営しているラウンジもある。それには関係なく、「金」と言う韓国の飲食物を売っている店を紹介し、ここで3人が買い物をした。今回はマッコリは買わず、韓国海苔とシンナミョン(韓国の辛いインスタントラーメン)5個入りを買った。このラーメンは辛くて汗が出るが、こんなに美味いインスタントもない。ユン・ソナが韓国の家で作っているのを、TVで観た事がある。
ラーメンが食べたくなった。K君は最後まで粘ってくれたが、宝塚まで帰らなくてはならない。彼とも別れると2人になった。実物大の水車小屋のあるうどん屋をちょっと北に上がり、最初のラーメン店「四天王」に入った。シンプルな味ではなかったので、これはこれでいいのだが、また、あっさりしたチャーシューの2切れ入ったラーメンを食べたいと思った。
もう豚まんは遅い。バスもない。垂水駅まで戻り、娘に迎えに来て貰った。12時を回っていた。渋々でも来てくれる。それは、私も何度も迎えに来ているからだ。これを「相身互い」とか「ギブアンドテーク」とか「お互い様」と言うのだろう。この言葉は、間違った使い方ではないと思う。