いつの間にかそれは錆付いた鉄の粉のようになって、コンクリートの道の上に散らばっていた。雨に降られても流されず、人には見向きもされず踏みしだかれ、それでも土に帰る道筋がない。あの甘い香りを放っていた金木犀の花は、もう誰の心にも、話題にすら上って来なくなった。
花の命は儚いと言うが、人事ではない。それが生きるものの最後の姿なのだ。だから尚更に精一杯生きて、自分の花を咲かせたいと思う。
157回になるジョギングを終えると、シャワーを浴びてからオカリナの練習をした。今、毎日のように吹いているのは、自分のオリジナル曲だ。曲の番号と日付の一致したものを、1曲ずつ吹く。10年ちょっと前から作り続けていた曲が33曲となり、1ヶ月で大体吹き終わる予定である。
何年も前から作曲はやっていない。もう、メロディーが天から降って来ないのだ。それでも、この中の32曲は全部ピアノの伴奏付きだ。殆ど忘れていて、ほんの数曲しか暗譜では吹けない。それをまた、暗譜で吹けるよう努力をしなければならないのである。
それと、他の3曲は毎日のように練習している。「さよならの夏~コクリコ坂から~」と「アルハンブラの思い出」と、それに「春の海」だ。全部トリプル(3連)のオカリナでやるので、結構時間が掛かる。
話が最初から飛んでいる。今日は、ザ・シンフォニーホールへ行った事を書きたかったのだ。
弱冠22歳の金子三勇士(かねこみゆじ)のピアノ・リサイタルだ。~フランツ・リスト生誕日に捧ぐ~と題した、大阪初の演奏会だった。
プロフィールの一部を転記してみよう。
「1989年、日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれる。6歳よりハンガリーのピアノ教育第一人者チェ・ナジュ・タマーシュネーに師事、単身ハンガリーに留学し祖父母の家よりバルトーク音楽小学校に通う。1997年と2000年に全国連弾コンクールで優勝し、2001年には全国ピアノコンクール9~11歳の部で優勝。2001年(11歳)飛び級で国立リスト音楽院大学ピアノ科に入学、エックハルト・ガーボル、ケヴェハージ・ジュンジ、ワグナー・リタの各氏に師事」
各国際コンクールは、悉く優勝している。
「2006年(16歳)ピアノ科全課程修了と共に日本に帰国。・・・現在、東京音楽大学ピアノ演奏科コースエクセレンス4年在籍中。22歳の新星ピアニストとして今後の活躍が期待されている」
礼儀正しい好青年である。最後(アンコール)まで言葉は発しなかったが、曲が終わる度に下手に消えては現れた。
力強い、若さに溢れる演奏は、並みのものではなかった。もう、将来が保証されていると思った。
2010年10月にリリースされたデビューアルバム「プレイズ・リスト」はレコード芸術誌の特選盤に選ばれているそうだ。
リスト生誕200年記念と言いながら違う作曲家の演奏をしているが、全部リストに縁のある音楽家なのである。「ここで問題です」とは言わないが、どんな繋がりがあるか考えてみるのも一興だと思う。
プログラムを紹介しよう。
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番 嬰ハ短調
バルトーク:10のやさしいピアノ小品より“トラシルヴァニアの夕べ”
バルトーク:ルーマニア民族舞曲
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 ハ短調op.13
ショパン:夜想曲第2番 変ホ長調op.9-2
ショパン:ポロネーズ第6番「英雄」 変イ長調op.53
休憩20分
リスト:パガニーニ大練習曲より第3番「ラ・カンパネラ」 嬰ト短調
リスト:愛の夢第3番 変イ長調
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
アンコールは、「折角ですから」と言って、バッハの曲。2曲目はリストの「小人の踊り」。3曲目はリストの小曲だった。
「ラ・カンパネラ」で言えばフジコ・ヘミンングと比較されるだろうが、強弱もメリハリがあり、かなり正確性を重視した弾き方だったようだ。ただ、円熟さに於いては、彼女の人生と表現の深さには及ばないだろう。
技術には凄いものがあるので、今後が楽しみな青年ピアニストではある。
こうして色々な音楽家の演奏を聴くと、私の拙いオカリナにも刺激を得る事が出来る。行き詰まっている部分も、乗り越えて行こうとする意欲が湧くのだ。そして、年を取ってから始めたオカリナではあるが、私は私の演奏でいいのだと心が平安になり、そして満たされて行くのを感じる。
誰の真似をしなければいけないと言うのだろうか。自分は自分なのだ。私は、余りのオカリナ界の目まぐるしさに、初心を忘れていたのではなかろうか。自分が演奏したいジャンルの曲を熱い思いで吹いたらいいのだ、と言う気がした。
現在の、或る流れに乗った方向に精魂を傾けるより、自分が楽しめる、伝えて行きたい曲を聴いて貰う事の方が大切かも知れない。難曲とかパッセージの速い、聴く人が驚くような曲を諦めるとか言う問題ではなく、自分の心に響く、自分が愛する曲を演奏したいのだと思った。
それは、童謡だっていい。演歌だって、自作の曲だっていい。名人と言われるような人の演奏する曲と比較する必要もなく、そこまで挑戦する必要もない。所詮土俵が違うのである。
挑戦や努力は大切だが、方向が違ったり見失ったりすると、食い倒れではないけれど、共倒れとなってしまう危険性がある。
何処に辿り着くか、何処に目標を置くか、何の為に演奏するのか。すぐに明確なものが出現し解答が引き出されるとは限らないが、人生には回り道があるものだし、紆余曲折は人それぞれの付き物なのではないだろうか。
花の命は儚いと言うが、人事ではない。それが生きるものの最後の姿なのだ。だから尚更に精一杯生きて、自分の花を咲かせたいと思う。
157回になるジョギングを終えると、シャワーを浴びてからオカリナの練習をした。今、毎日のように吹いているのは、自分のオリジナル曲だ。曲の番号と日付の一致したものを、1曲ずつ吹く。10年ちょっと前から作り続けていた曲が33曲となり、1ヶ月で大体吹き終わる予定である。
何年も前から作曲はやっていない。もう、メロディーが天から降って来ないのだ。それでも、この中の32曲は全部ピアノの伴奏付きだ。殆ど忘れていて、ほんの数曲しか暗譜では吹けない。それをまた、暗譜で吹けるよう努力をしなければならないのである。
それと、他の3曲は毎日のように練習している。「さよならの夏~コクリコ坂から~」と「アルハンブラの思い出」と、それに「春の海」だ。全部トリプル(3連)のオカリナでやるので、結構時間が掛かる。
話が最初から飛んでいる。今日は、ザ・シンフォニーホールへ行った事を書きたかったのだ。
弱冠22歳の金子三勇士(かねこみゆじ)のピアノ・リサイタルだ。~フランツ・リスト生誕日に捧ぐ~と題した、大阪初の演奏会だった。
プロフィールの一部を転記してみよう。
「1989年、日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれる。6歳よりハンガリーのピアノ教育第一人者チェ・ナジュ・タマーシュネーに師事、単身ハンガリーに留学し祖父母の家よりバルトーク音楽小学校に通う。1997年と2000年に全国連弾コンクールで優勝し、2001年には全国ピアノコンクール9~11歳の部で優勝。2001年(11歳)飛び級で国立リスト音楽院大学ピアノ科に入学、エックハルト・ガーボル、ケヴェハージ・ジュンジ、ワグナー・リタの各氏に師事」
各国際コンクールは、悉く優勝している。
「2006年(16歳)ピアノ科全課程修了と共に日本に帰国。・・・現在、東京音楽大学ピアノ演奏科コースエクセレンス4年在籍中。22歳の新星ピアニストとして今後の活躍が期待されている」
礼儀正しい好青年である。最後(アンコール)まで言葉は発しなかったが、曲が終わる度に下手に消えては現れた。
力強い、若さに溢れる演奏は、並みのものではなかった。もう、将来が保証されていると思った。
2010年10月にリリースされたデビューアルバム「プレイズ・リスト」はレコード芸術誌の特選盤に選ばれているそうだ。
リスト生誕200年記念と言いながら違う作曲家の演奏をしているが、全部リストに縁のある音楽家なのである。「ここで問題です」とは言わないが、どんな繋がりがあるか考えてみるのも一興だと思う。
プログラムを紹介しよう。
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番 嬰ハ短調
バルトーク:10のやさしいピアノ小品より“トラシルヴァニアの夕べ”
バルトーク:ルーマニア民族舞曲
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 ハ短調op.13
ショパン:夜想曲第2番 変ホ長調op.9-2
ショパン:ポロネーズ第6番「英雄」 変イ長調op.53
休憩20分
リスト:パガニーニ大練習曲より第3番「ラ・カンパネラ」 嬰ト短調
リスト:愛の夢第3番 変イ長調
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
アンコールは、「折角ですから」と言って、バッハの曲。2曲目はリストの「小人の踊り」。3曲目はリストの小曲だった。
「ラ・カンパネラ」で言えばフジコ・ヘミンングと比較されるだろうが、強弱もメリハリがあり、かなり正確性を重視した弾き方だったようだ。ただ、円熟さに於いては、彼女の人生と表現の深さには及ばないだろう。
技術には凄いものがあるので、今後が楽しみな青年ピアニストではある。
こうして色々な音楽家の演奏を聴くと、私の拙いオカリナにも刺激を得る事が出来る。行き詰まっている部分も、乗り越えて行こうとする意欲が湧くのだ。そして、年を取ってから始めたオカリナではあるが、私は私の演奏でいいのだと心が平安になり、そして満たされて行くのを感じる。
誰の真似をしなければいけないと言うのだろうか。自分は自分なのだ。私は、余りのオカリナ界の目まぐるしさに、初心を忘れていたのではなかろうか。自分が演奏したいジャンルの曲を熱い思いで吹いたらいいのだ、と言う気がした。
現在の、或る流れに乗った方向に精魂を傾けるより、自分が楽しめる、伝えて行きたい曲を聴いて貰う事の方が大切かも知れない。難曲とかパッセージの速い、聴く人が驚くような曲を諦めるとか言う問題ではなく、自分の心に響く、自分が愛する曲を演奏したいのだと思った。
それは、童謡だっていい。演歌だって、自作の曲だっていい。名人と言われるような人の演奏する曲と比較する必要もなく、そこまで挑戦する必要もない。所詮土俵が違うのである。
挑戦や努力は大切だが、方向が違ったり見失ったりすると、食い倒れではないけれど、共倒れとなってしまう危険性がある。
何処に辿り着くか、何処に目標を置くか、何の為に演奏するのか。すぐに明確なものが出現し解答が引き出されるとは限らないが、人生には回り道があるものだし、紆余曲折は人それぞれの付き物なのではないだろうか。