10日のジョギングは9日の夜にしておいた。

10日の朝6時頃、連れ合いと長女と私の3人で出掛けた。高知に住む義妹とは、福山で合流した。2台の車でそのまま行ったり、2人ずつに乗り換えたりして、九州へと向かった。

11日に義母の49日の法要をする。10日は、別府湾ロイヤルホテルに1泊の予定なので、それまでに福岡県田川市にある田川市石炭・歴史博物館を訪ねた。早い話が、炭坑節のふるさとだ。

採炭現場のジオラマがあったり、石炭を運んだ蒸気機関車(9600型)があったり、山本作兵衛氏の炭鉱記録画などがあったりした。

産業ふれあい館には昭和期の炭鉱住宅が復元されていたが、どれもこれもその生活や有様には、想像を超えたものがあった。

竪坑の動力用として設置された蒸気機関の排煙用煙突は明治41年に築造され、その第一・第二煙突は、炭坑節のモデルとなったものである。

♪月が出た出た月が出たヨイヨイ、三池炭鉱の上に出た、あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろうサノヨイヨイ。

余りにも有名な歌だ。

加古川の義兄夫婦と別府湾ロイヤルホテルで合流した。おかずになるものと納豆の巻き寿司、それに焼酎を買って、晩ご飯の代わりにした。11日の朝はバイキングだ。

11日の朝は5時過ぎに風呂に行った。朝日が昇るのを待ったが、なかなか出ない。海に接した所は、厚い雲で覆われていた。露天風呂に浸かろうと、外に出た。一人二人と、裸のまま海を眺めていた。

私も10分位佇んでいたが、一向に昇る気配がない。また湯に浸かると、暫くして立ったまま海を眺めた。鯨に両翼が付いたような雲の翼の一部が、薄い朱色に染まった。もうすぐかと思われた。何人かの男たちがその時を待ちながら、すっぽんぽんで立つ姿も、何だか滑稽に思われる。

待ち切れずに、風呂から上がった者もいる。雲の周りが、まるで電気コンロのニクロム線が赤くなるように張り詰めて輝いた。もう昇るのではないかと思われたが、それがなかなか昇らない。

空は薄く水色になった。稜線が赤くなっているかのようなのは、雲に限られる。4、5人が海に向かって裸で立った。雲の眩さが増した。その時朝日の頭が覗いた。つるつるした新しい太陽だった。

じっとは見つめていられなかったが、目を逸らせながら3分は見ていたがろうか。すっかりまん丸な朝日となった。そのあと立て札の文字を読もうとしたが、目が眩んで所々が薄くなり読む事が出来なかった。私が見た日の出は、6時5分であった。

7時に6人が揃い、バイキング。ちょっとだけにしようと決心していたのに、少しずつ取って行ったにも係わらず、2食分位の和食となった。こんな朝食、この時を逸したら食べられない。もう昼は要らないと言いながら、食事タイムを終えた。

法要のため、曹洞宗妙覚寺へと向かった。10時から49日の法要が始まる。大分の義兄夫婦と出会い8人となり、親戚の者2人が加わって10人が参列した。

このお寺は初めてだが立派で、和尚さんと写った写真が目線高く飾られていた。神田うの、舘ひろし、白鵬とのツーショットの写真などだった。何とか痺れも切れる事なく、正座で終える事が出来た。

後、墓に車で行き、そこにお骨を納めた。これで、大分の義兄の役目も終わり、先ずは皆でのお参りも終わった。

仕上げの膳は料理屋さんで昼食兼で催された。一人加わり11人で、夜しかしないと言うのを、昼にして貰っての会だった。運転は代わって貰う事にして、生ビールを2杯飲んだ。

3時にこの料理屋で会う事にして、すぐ近くの昭和の町を娘と義妹との3人で歩いた。娘が、アイスクリンが食べたいと言った。それはなかったが、懐かしいアイスクリームやキャンディーがあった。それは、昔食べたミルクの味がした。

少し歩くと通りの右奥が広くなり、土産屋だとか催し物が展示されている所があった。そこでは、双葉山の写真が並べられていた。

私は買ったばかりの、トリプルの大沢オカリナを取り出して吹いた。こんな形で、見知らぬ人前で吹いた事がない。恥ずかしい気もあったが、ほろ酔いの所為もあってか周りを気にせずに吹いた。

「春の海」。終わると、川を挟んだ斜め向こうに座っていた若い女性達から拍手が起こった。土産物屋の人も、笑顔でこちらを見ていた。10人位の人が聴いていたのだ。調子に乗って、もう1曲吹いた。「白鳥」を。これも、終わると拍手が沸いた。

ぺこっとお辞儀をして、3人でそこを離れた。どこでも、オカリナを取り出して吹いたらいいのだと言う事が分かった。今度は素面で吹いてみようと思う。

大分の義兄が用意してくれていたホテルに、8人で向かった。それは、「セントレジャー城島高原ホテル」だった。周囲には「城島高原ゴルフクラブ」「城島高原パーク」があり、周囲の美しい、豪華に見えるホテルだった。女性5人男性3人だが、女性には大好評だった。

広い和室と、少し離れた所に広い寝室があった。それで一部屋と言う訳だ。それが、そんなに高くないのだった。

このホテルには、平成7年に皇太子夫妻が泊まっている。城島高原の豊かな自然が一望出来るロイヤルスイートは168屬△蝓∀騨粒読屋にジャグジーも完備している。いつかその部屋に泊まれたら、と言う話になった。話だけはただである。

夕食のバイキングまでは時間があり、女性5人と私は、散歩する事にした。車を少し走らせた所に、志高湖がある。夕方が功を奏したのか、明から暗に至る流れを、皆は肌で感じていた。雲の流れ、湖の白鳥、陸で寛ぐ白鳥や家鴨。短く刈られた草地の緑。秋の紅葉が待たれる木々。それらは、女性達に、もう一度来たい感動を呼び起こしたみたいだ。

もう何年もやっていないゴルフを、ここに来てしたいと思った。

夕べのバイキングは、生ビールで乾杯。後は焼酎をロックで飲んだ。またまた食べ過ぎだ。土瓶蒸しもあったりして、ちょっぴり豪華なものだった。

後は、私達の部屋で少し飲んだり話したりして、明日12日、朝8時のバイキングまで、解散。

朝は家族3人で散歩をした。とても可愛いチャペルがあった。でもこれは本格的で、ステンドグラスが美しく、パイプオルガンも設置されている。入り口の窓ガラスの隙間から覗いて分かった事だ。オーストリアで初めて「聖しこの夜」が歌われたチャペルを模したものだと言う。

朝のバイキングは、パンにジャムを塗ってコーヒーを飲んで終えようと思っていた。が、それは無理な話だった。結局2人前位食べてしまった。美味いから仕方がなかった。もう2キロ位は太る覚悟をした。

それから、大分の義兄夫婦とはここで別れ、6人は3台の車で「九重“夢”大吊橋」を渡りに行く事にした。天空の散歩道と銘打っている程の事はあり、その九重連峰や滝を見渡すパノラマは壮大だ。この吊橋は500円払って渡る。

長さ390m、高さ173mは共に日本一だそうだ。揺れる足元から覗ける景色は、足が竦む程度の問題ではない。高所恐怖症の人だろうか。ロープをしっかり握って、蟹歩きでゆっくりゆっくり進んでいる人もいた。

向こう側に着いた時、きちんと揃えてある女性のハイヒールの靴を見て、一瞬ぎくっとした。思わず下を覗いてみた。きっと、渡るのに支障があり、ここで脱いで歩いていたのだろう。

ここでは加古川の義兄夫婦と別れ、我々3人は2台の車でやまなみハイウエーを走る事にした。山が違う。緑が違う。こんな美しい景色と色は、阿蘇へ繋がる道だからだろうか。本当に目の保養になる。素晴らしい景色である。

昼はカレーうどんを食べた。これから帰途に就く。観光に来た訳ではないが、またの機会に、もっと色々見てみたい所が沢山ある事を知った。

一路九州自動車道、山陽道に乗り、只管走る。

宮島のSAで夕食。私は、ビーフカレーを食べた。カレーうどんとはまた違ったカレーの味がする。ビーフカレーなのに、何故肉が小さくて少ないのだろう。いつもそこに不満がある。レトルトカレーには言わないが、せめて高価なカレーには3切れ位肉と思える塊りを付けて欲しいものだと思う。

福山辺りで義妹と高知と神戸とに分かれた。

13日は真夜中2時頃に着き、何度も起きながら10時過ぎまで寝た。昼から、明日14日の保育園での演奏の練習をして、17日の風見鶏の館での演奏の通し練習をして、後は大沢オカリナを吹いて遊んだ。

夕方ジョギングをして、シャワー浴びて、恐る恐る体重計に乗った。10日に出る前と少しも変わらなかった。沢山食べて、ホテルの風呂の体重計では確かに体重は増えていたが、筋肉が付いて来たのだろうか。脂肪がそこで燃焼され、10日の10.5kg減の状態に戻っていた。

嬉しくて、缶ビールを飲みながら、焼きナスと芋の蔓を炊いたもの、それに梅干を食べた。調子に乗って、後からドーナツを2個と小さな一袋の剥き甘栗を食べた。

PCが凍って、もう書けないかと思っていたが、やっと49日の法要に因んだ日々をあらすじのように書く事が出来た。こんなものを読んで貰おうなどとは思わないが、読んで頂いた方には、済まない気持ちとお礼の気持ちを抱いている事は事実である。