「雨ニモマケズ」は紛れもなく、宮沢賢治の詩である。それをブログのタイトルにしたものだから、何だか気が引ける。前文を載せないではいられない心境だ。今日は、その詩を載せる事が、私の予定なのである。
賢治はあの北上川の畔の岩手県花巻で生まれた。この同じ小さな町で石川啄木が10年早く生まれている。賢治は1896年、明治29年8月27日の生まれだ。因みに私に影響を与えた祖母は、その10年後明治39年の生まれ。ちょっと思い出したので。
賢治の手帳には「11月3日」とだけ書いてある。「雨ニモマケズ」はその詩の冒頭の文である。だが「11月3日」では余りにも味気なく、タイトルに必然性が感じられない。そこで最適な題名が生まれたのだ。
遊び盛りで好奇心旺盛な頃、この詩は暗誦の対象でしかなかった。今それが私に重圧を与え、その精神に圧倒される。とてもこんな生き方は出来ないが、ここには心に関係する大切なものがあるように思う。この歳まで歩んで来て、大切なものはそんなに沢山ない事に気付くのである。
素晴らしいこの詩を、宝物のように慈しみながら、今度は心の中で暗誦する為に、一字一字打ち込んで行きたいと思う。
十一月三日(雨ニモマケズ)
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
もう一つ、心が潰れそうになる詩がある。それは、「永訣の朝」である。
賢治はあの北上川の畔の岩手県花巻で生まれた。この同じ小さな町で石川啄木が10年早く生まれている。賢治は1896年、明治29年8月27日の生まれだ。因みに私に影響を与えた祖母は、その10年後明治39年の生まれ。ちょっと思い出したので。
賢治の手帳には「11月3日」とだけ書いてある。「雨ニモマケズ」はその詩の冒頭の文である。だが「11月3日」では余りにも味気なく、タイトルに必然性が感じられない。そこで最適な題名が生まれたのだ。
遊び盛りで好奇心旺盛な頃、この詩は暗誦の対象でしかなかった。今それが私に重圧を与え、その精神に圧倒される。とてもこんな生き方は出来ないが、ここには心に関係する大切なものがあるように思う。この歳まで歩んで来て、大切なものはそんなに沢山ない事に気付くのである。
素晴らしいこの詩を、宝物のように慈しみながら、今度は心の中で暗誦する為に、一字一字打ち込んで行きたいと思う。
十一月三日(雨ニモマケズ)
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
もう一つ、心が潰れそうになる詩がある。それは、「永訣の朝」である。