余り寝ていない義弟(おとうと)とその息子悠介。私はぐっすり眠って、心地よい寝覚め。それでも私に付き合うと言う。8月4日は5時17分に3人で家を出た。義弟は余り無理出来ないので、この日はウオーキングにした。6時45分に着いたから、1時間22分掛かっている。途中、斐伊川で遊んだからだ。
私は立ち幅跳びでは負けた記憶がない。これだけは負けない、と言って3人で競った。昔は立ったまま3メートル近く跳んでいた私が、1メートルちょっと。2人は楽々2メートルは越していると思う。こんな所に、歳の夕暮れが忍び寄って来ていたのだ。つまり、腰が入らないのである。
跳んだ瞬間、草むらに義弟の数珠風のブレスレットが飛んだ。さあ大変。これがなかなか見付からなかった。あるには違いないので、根気良く探した。真上に上がったようだと言った。消えたのではないか、と悠介が言った。
結局は、右手首にしていたその数珠は、跳んだ位置の左側2メートル位の草の上に乗っていた。地味な色だったので、なかなか目に入らなかったのだ。これも楽しい時間ではなかっただろうか。
まあなくて元々と言う気持ちで、田儀の海へ悠介の財布を探しに出掛けた。ついでに、ボールに入ったボベ貝やヤドカリを逃がしてやる事にした。とても食べられないとの結論に達したからだ。サランラップを掛けて、悠介が持った。逃がしてやったら見つかるかもしれないなどと話したが、それは、いい事をしたら見返りがあると言う昔話のようだった。
くまなく、昨日通った道や岩を辿った。だが、それは落胆を呼んだだけだった。ひらひらとボベ貝は海の底に沈み、魚が寄って来て突いた。ベラもいた。弱った貝は上を向いていた。
流石父親だ。家に帰ると、すぐに警察に電話するよう促した。悠介は、警察の職員と話し出した。名前と住所を言ったその時だった。2階から、妹の大きな声がした。鞄の中にあったと言うのだ。昨日、お金と財布を悠介から預かっていたのだった。胸を撫で下ろしたのは、悠介だけではなかった。ボベ貝の恩返しは嘘ではなかったのだ。
ほっとした気持ちで、昨日、悠介に予約の電話をして貰っていた道の駅湯の川に出掛けた。9時を回っていたと思う。大が4個、小が20個あると言っていたので、大は抑えておいた。大は870円。小は540円。何かと言うと、結構有名になっているケチャップだ。瓶に入っていた。私用に置いて貰っていた大3個と、20個の中から小2個を買った。大1個は妹の家に、小1個は悠介の家に。
帰ってから2人で舐めてみた。うっ、旨い! 普段食べているケチャップの味ではない。一流レストランでオムレツなどに乗っている、あの味だ。まるで、セレブの味なのだ。旨い、旨過ぎる。このままでも食べられると言って、2人でちょっとだけ食べた。
電話が書いてないが、3つの農家が出していて、これが一番オーソドックスだとの事だった。住所だけでも載せて置くが、道の駅湯の川に電話番号を探して訊ねたら、そこで購入も出来ると思う。騙されたと思って一度味わってみるのもいいだろう。夢のような味のケチャップだ。
製造者 島根県簸川郡斐川町大字上庄原1764-2番地 福間美智子
この日は午後から6人で墓参りをして、それから1ヶ所だけの観光をした。それは、20kmもない所にある、鰐淵寺(がくえんじ)だった。小学校の2、3年生の頃だっただろうか。親子遠足で行った所だった。それから、全く行っていない。
深山幽谷の仙境で、高い杉の木に囲まれ、鰐淵川(わにぶちがわ)のせせらぎの音と蜩のカナカナカナ・・と言う鳴き声しか聞こえなかった。
智春上人が推古天皇の眼病平癒を鰐淵川上流の滝で祈願すると、たちまち効験があったので、勅願寺としたと言う。
奈良時代以降、この滝の行場で修行する修験者達が跡を絶たなかった。梁塵秘抄の今様に「聖の住所(すみか)はどこどこぞ、箕面よ勝尾よ、播磨なる書写の山、出雲の鰐淵や日の御碕、南は熊野の那智とかや」とあって、中央まで知れ渡っていた事が窺われる。
弁慶も3年間修行したと伝えられている。秋は全山のイロハ紅葉が美しく、新緑もすばらしい、静かな穴場だと思う。また、来たい。
その帰りに、キムチや豚肉などを買った。私がキムチチャーハンを作ると言っていたからだ。夕食はそれである。ごま油などを入れ、韓国風仕立てにした。最後の決めては塩加減である。そして、半熟の目玉焼きを乗せる。目玉焼きは妹に任せた。お替りしたい者もいたが、きちんと7人前を作ったので、それは無理だった。妹がスーパーで買っていた蕎麦で満たした。
簡単で旨いので、機会と要望があったらレシピを載せたいと思う。
私は立ち幅跳びでは負けた記憶がない。これだけは負けない、と言って3人で競った。昔は立ったまま3メートル近く跳んでいた私が、1メートルちょっと。2人は楽々2メートルは越していると思う。こんな所に、歳の夕暮れが忍び寄って来ていたのだ。つまり、腰が入らないのである。
跳んだ瞬間、草むらに義弟の数珠風のブレスレットが飛んだ。さあ大変。これがなかなか見付からなかった。あるには違いないので、根気良く探した。真上に上がったようだと言った。消えたのではないか、と悠介が言った。
結局は、右手首にしていたその数珠は、跳んだ位置の左側2メートル位の草の上に乗っていた。地味な色だったので、なかなか目に入らなかったのだ。これも楽しい時間ではなかっただろうか。
まあなくて元々と言う気持ちで、田儀の海へ悠介の財布を探しに出掛けた。ついでに、ボールに入ったボベ貝やヤドカリを逃がしてやる事にした。とても食べられないとの結論に達したからだ。サランラップを掛けて、悠介が持った。逃がしてやったら見つかるかもしれないなどと話したが、それは、いい事をしたら見返りがあると言う昔話のようだった。
くまなく、昨日通った道や岩を辿った。だが、それは落胆を呼んだだけだった。ひらひらとボベ貝は海の底に沈み、魚が寄って来て突いた。ベラもいた。弱った貝は上を向いていた。
流石父親だ。家に帰ると、すぐに警察に電話するよう促した。悠介は、警察の職員と話し出した。名前と住所を言ったその時だった。2階から、妹の大きな声がした。鞄の中にあったと言うのだ。昨日、お金と財布を悠介から預かっていたのだった。胸を撫で下ろしたのは、悠介だけではなかった。ボベ貝の恩返しは嘘ではなかったのだ。
ほっとした気持ちで、昨日、悠介に予約の電話をして貰っていた道の駅湯の川に出掛けた。9時を回っていたと思う。大が4個、小が20個あると言っていたので、大は抑えておいた。大は870円。小は540円。何かと言うと、結構有名になっているケチャップだ。瓶に入っていた。私用に置いて貰っていた大3個と、20個の中から小2個を買った。大1個は妹の家に、小1個は悠介の家に。
帰ってから2人で舐めてみた。うっ、旨い! 普段食べているケチャップの味ではない。一流レストランでオムレツなどに乗っている、あの味だ。まるで、セレブの味なのだ。旨い、旨過ぎる。このままでも食べられると言って、2人でちょっとだけ食べた。
電話が書いてないが、3つの農家が出していて、これが一番オーソドックスだとの事だった。住所だけでも載せて置くが、道の駅湯の川に電話番号を探して訊ねたら、そこで購入も出来ると思う。騙されたと思って一度味わってみるのもいいだろう。夢のような味のケチャップだ。
製造者 島根県簸川郡斐川町大字上庄原1764-2番地 福間美智子
この日は午後から6人で墓参りをして、それから1ヶ所だけの観光をした。それは、20kmもない所にある、鰐淵寺(がくえんじ)だった。小学校の2、3年生の頃だっただろうか。親子遠足で行った所だった。それから、全く行っていない。
深山幽谷の仙境で、高い杉の木に囲まれ、鰐淵川(わにぶちがわ)のせせらぎの音と蜩のカナカナカナ・・と言う鳴き声しか聞こえなかった。
智春上人が推古天皇の眼病平癒を鰐淵川上流の滝で祈願すると、たちまち効験があったので、勅願寺としたと言う。
奈良時代以降、この滝の行場で修行する修験者達が跡を絶たなかった。梁塵秘抄の今様に「聖の住所(すみか)はどこどこぞ、箕面よ勝尾よ、播磨なる書写の山、出雲の鰐淵や日の御碕、南は熊野の那智とかや」とあって、中央まで知れ渡っていた事が窺われる。
弁慶も3年間修行したと伝えられている。秋は全山のイロハ紅葉が美しく、新緑もすばらしい、静かな穴場だと思う。また、来たい。
その帰りに、キムチや豚肉などを買った。私がキムチチャーハンを作ると言っていたからだ。夕食はそれである。ごま油などを入れ、韓国風仕立てにした。最後の決めては塩加減である。そして、半熟の目玉焼きを乗せる。目玉焼きは妹に任せた。お替りしたい者もいたが、きちんと7人前を作ったので、それは無理だった。妹がスーパーで買っていた蕎麦で満たした。
簡単で旨いので、機会と要望があったらレシピを載せたいと思う。