去年の7月3日に、オカリナが切っ掛けで親友になったTさんが瞑目した。昨日が命日だった。一度も行っていないお宅なので、行くのを躊躇した。兎に角、冥福だけを祈った。
今朝は5時40分に出た。6時13分に着き、33分掛かった。5段階の通信簿に置き換えると、5(30分)、4(31分)、3(32分)、2(33分)、1(34分)。この表は、いつかまた書き換えられるだろうが、これが私の評価としての物差しになっている。今日は2だ。
苦しいとか辛いとかの愚痴にも似た言葉を平気で吐きながら、今日は47回目を終えた。これが体の重い原因だと感じた。何と言う思い上がりだった事だろう。こうして走らせて貰っている喜びと感謝の気持ちを忘れてしまっていた。マンネリの中で、色褪せてしまっていた。
なにくそと思って気力を燃え上がらせるのも原動力になるだろうが、感謝しながら走る事でそれが乗り切られる力になる事もある。もう一度気持ちの原点に返って、あの初期の新鮮な感動を思い浮かべながら走る事にしよう。これは所詮自分だけの事であって、他人事ではないのである。
私のずっと前方に、同じように走っている男がいた。追い着くだろうかと思案していたら、急に歩きに替えた。辛くなったからか、歩いたり走ったりを組み入れているのかは分からない。その横を、難なく通り過ぎてしまった。それでも、走る様子は見られなかった。
色々な走りをしている人に出会うが、皆淡々と走っていて、一向に心の中まで覗けない。私のように苦しそうな顔をすれば様子は分かるだろうが、土台人の心の内など分かろう筈もない。何食わぬ顔をしていても、深い悲しみを湛えているかも知れないだろうから。
事実が表面化された時に、共鳴するか共感するか慰めるかしか、その方法を知らない。人それぞれ、広さが違うからだ。池もあれば湖もあり海さえあろう。池だけ考えても、その広さや深さや状況は違うものだ。
今日の朝は、私は反省をしながら原点に返ろうとし、苦しさが紛れると思い色々な事を祈りながら走った。これは功を奏したようで、その間は、余り苦しいとは思わなかった。そうして、家に近い所まで来ていた。
通信簿は2かも知れないが、この日の走りは自分では5にも匹敵すると思った。悲しみや苦しみを、何とか笑顔に替える努力をしないといけないなとも思った。自分が正しいと思った事でも、それを非難される事もある。けれど、すぐに言い返す事が正しいとは言えないだろう。何故なら、自分の過去の正しくなかった原因が、ここに来て同時にぶつけられているのだから、ぐっと堪えて、微笑みに変えて行こうとするく努力も必要なのだ。
Tさんは、この数日味わった重たい足に、そんな事を教えてくれたのかも知れなかった。
今朝は5時40分に出た。6時13分に着き、33分掛かった。5段階の通信簿に置き換えると、5(30分)、4(31分)、3(32分)、2(33分)、1(34分)。この表は、いつかまた書き換えられるだろうが、これが私の評価としての物差しになっている。今日は2だ。
苦しいとか辛いとかの愚痴にも似た言葉を平気で吐きながら、今日は47回目を終えた。これが体の重い原因だと感じた。何と言う思い上がりだった事だろう。こうして走らせて貰っている喜びと感謝の気持ちを忘れてしまっていた。マンネリの中で、色褪せてしまっていた。
なにくそと思って気力を燃え上がらせるのも原動力になるだろうが、感謝しながら走る事でそれが乗り切られる力になる事もある。もう一度気持ちの原点に返って、あの初期の新鮮な感動を思い浮かべながら走る事にしよう。これは所詮自分だけの事であって、他人事ではないのである。
私のずっと前方に、同じように走っている男がいた。追い着くだろうかと思案していたら、急に歩きに替えた。辛くなったからか、歩いたり走ったりを組み入れているのかは分からない。その横を、難なく通り過ぎてしまった。それでも、走る様子は見られなかった。
色々な走りをしている人に出会うが、皆淡々と走っていて、一向に心の中まで覗けない。私のように苦しそうな顔をすれば様子は分かるだろうが、土台人の心の内など分かろう筈もない。何食わぬ顔をしていても、深い悲しみを湛えているかも知れないだろうから。
事実が表面化された時に、共鳴するか共感するか慰めるかしか、その方法を知らない。人それぞれ、広さが違うからだ。池もあれば湖もあり海さえあろう。池だけ考えても、その広さや深さや状況は違うものだ。
今日の朝は、私は反省をしながら原点に返ろうとし、苦しさが紛れると思い色々な事を祈りながら走った。これは功を奏したようで、その間は、余り苦しいとは思わなかった。そうして、家に近い所まで来ていた。
通信簿は2かも知れないが、この日の走りは自分では5にも匹敵すると思った。悲しみや苦しみを、何とか笑顔に替える努力をしないといけないなとも思った。自分が正しいと思った事でも、それを非難される事もある。けれど、すぐに言い返す事が正しいとは言えないだろう。何故なら、自分の過去の正しくなかった原因が、ここに来て同時にぶつけられているのだから、ぐっと堪えて、微笑みに変えて行こうとするく努力も必要なのだ。
Tさんは、この数日味わった重たい足に、そんな事を教えてくれたのかも知れなかった。