5時35分で6時6分。31分。ゆっくり走っても、やや速く走っても、そんなに変わらない。超スロージョギングが目的なら、本来時間も関係がない。

前方に太ったおじさんが歩いている。早歩きでも何でもなく、ただゆっくり歩いているだけだった。これは、所謂ウオーキングとは違うと思われる。そして、普段出勤などで歩いている人には、そんなに功を奏するとは信じ難い。

Uターンの所でこの人は向こう側へ渡った。私は信号で止まった。青になり、向こうに渡った時は、また差が開いていた。が、ぐんぐん縮まって、追い越してしまった。私の速度は、普通の歩く速さよりは速いようだ。

何故か小学5、6年生で集めていた切手の事を思い出した。あの貴重なストックブックは今、何処にあるのだろう。郵送で送られて来る切手をヒンジから剥がし、残った切手と共に、購入した金額を送り返す。小遣いはそちらに回った。

正三角形の切手。平行四辺形の切手。そんな珍しいものもある。また、単純で素朴なハンガリーの切手も記憶にある。大型で、林檎の絵柄だったのを思い出す。自分では、かなりのマニアだったと思う。

別の事が頭を巡った。絶対に人を殴ったり、手を出したりしてはいけない事を教え込まれた私は、喧嘩が苦手だった。母親からは、特に厳しく言われて来た。だから4年生の頃、柔道を習いたいと言った。だが、骨が折れるからと言う理由で、それは叶わなかった。

6年生の時私より背は低かったが、喧嘩はそこそこの奴がいた。そいつは、私の腹に据えかねる事を言った。材木が積み重ねてある所へ誘って、理由を言い、初めて殴った。そいつは泣いた。母からの教えを始めて破ったのはそれだけだ。いや、もう一つある。

仕事に就いてから、1月4日だったと思うが、或る飲み屋に行って飲んでいた。店の女性と楽しく歌っていたのが気に食わなかったのか、左隣りに座って飲んでいる男が、私の横面に鉄拳を繰り出した。思わず顔を後ろに引いた。その鉄拳は空を切った。間もなく男は、私の左顎に火の付いた煙草を押し当てて来た。

母の言葉が蘇ったが、いくら何でもこれは酷い。我慢出来ずに男を引き摺り下ろし、逆手を取った。男は地べたで仰向けになっていた。だが、そんなに力は入れなかった。腕の骨が折れるかもしれないからだ。まだ、店が開いて間近だったが、飲み屋の女性はママに電話をしていた。

階段付近に来た。男は「痛い」と言った。私は「熱い」と言った。更に男は、「殺せ」とか「階段から落とせ」とか言って喚いた。「そんな事をしたら私は仕事が出来なくなる」と逆手を取ったまま言った。

ママが階段を駆け上がって来て、男に言った。「何て事をするん。もう、2度と来ないで」と。これは、母の教えを破った事にはならないだろうと思った。私が破ったのは、あの小学6年生の時の1回だ。

ああ、この終わりの坂道は苦しい。今、10メートルを全速力で走れるかを思った。無理だ。100万円やると言われたら? それは死に物狂いで走ると思う。だが、滑稽な位遅く見えるだろう。リハーサルを遣っておいたらどうだ。内なる声が響いた。それだけはご免だ。

何だか変な事を考えた、今朝の31分間の超スロージョギングだった。

殴られたら殴り返してもいいのではなく、殴られたら逃げるか、殴られる前に逃げるかした方がいいと思う。もっといいのは、そんな原因を作らないように心掛ける事がいいのだと思った。

「右の頬を打たれたら、左の頬も向けよ」。正しい言葉になってはいないかも知れないが、昔教えて貰ったこの聖書の言葉が、未だに私の中で解決されていない。これは、観念的には犠牲的な愛を示す言葉だと思うが、ずっと連れ添っているこの言葉の重みには感嘆する。