激しい雨が降っていた。寝床の中でどんな格好でジョギングに出ればよいのかを考えていた。中々纏まらない。雨の中を果敢にTシャツで走ったのは、甘酸っぱい青春の夢のようだった。もう老骨には、湧き上がるものはなかった。

Tシャツとジョギングパンツの下にランニングシャツを着て、七分のステテコを穿く。が、ずぶ濡れになる事は目に見えている。30分、分かっていて濡れるのは体に良くない。傘を差して走る。歩くなら兎も角、ジョギングに傘は負担が大きい。

ゴルフをしていた頃、雨の日に着た防水のウエアがある。それを引張り出して着る事も考えた。だが、暑苦しい。最後の結論は、ジョギングパンツにTシャツの上はジャージを着ることだった。

目覚ましの音を目が覚めていて聞いた。すぐに止めて起き上がった。雨は、すっかり止んでいた。

5時8分、飴1個持参。口中に1個。タオルは不所持。これは忘れている事に気付いたが、余り必要としない。帽子を被って、いざ出陣。

頭の中には、昨日の午後の出来事が浮かぶ。いつも通りの苦しいジョギングの中、その事を反芻しながら走り終えた。5時38分。不思議に30分間のジョギングタイムだった。

地下鉄の名谷駅の改札の外側で待っていた。どっと降りて来る客の中に、彼はいない。すると私の背後から、

「Tadashiです」

と声が掛かった。

「ああ」

彼は名刺を出そうとしていた。

「それは、後でしましょうか」

「そこで、食べていたんです」

微妙な時間なので、食べて貰っていて良かった。私も、ほんの少しだが、食べて来ていた。もしまだなら、うどんでもと思っていたのだ。そうして、1時から3時まで予約して置いたスタジオに足を向けた。

自動販売機で今しがた買った、黒豆のお茶の小さなペットボトルを渡した。何だか、この人と歩いているのが、夢か現か分からない感じがしていた。

「えっ、こんな立派なスタジオで。どっか外で2、3曲吹いて終わりかと思っていました」

「そんな訳にも・・」

と言って笑った。

先ず、Tadashiさんから吹いて貰った。彼はCDと譜面台持参。私はMD持参。

オリジナル曲を2曲吹いた。よく響く綺麗な音で、心に染み透った。3年やそこらの音とは思えなかった。宗次郎さんや谷さんの事をよく知っていて、どちらかと言えば、その癒し系の音が彼の求めているものだと分かった。

「宗次郎さんの演奏を聴きに行ったんですが、別の世界の人のような音でした。やっぱり格が違いますね」

「オカリナは始めた頃は皆、宗次郎さんのように吹こうと思うのです。宗次郎さんが目標になるんですね。彼の功績は大きく、宗次郎さんを外してオカリナは考えられません。今は多様な方向や可能性が出て来てはいますが」

私も吹き、交互に好きな曲を吹いた。彼の楽器はカンターレだと、すぐに分かった。カンターレしか知らないと言った。最初は大沢聡さんでもカンターレで吹いていたのだ。佐藤一美さんは、知る人ぞ知るカンターレの女王。Tadashiさんは佐藤一美さんとは面識はあるが、その一美さんから学んだと言う先生に師事している。

「最近、細かい所まで注意されちゃって」

それは、Tadashiさんがうんと上手くなったからに他ならない要求だと思った。カンターレの音を私はTadashiさんによって堪能した。

一昨年の12月にカンターレの工房に電話をした。1Cと4Cを注文した。電話に出た女の人と楽しく話をさせて貰った。彼女は、3ヶ月位待たないといけないけれど、私には年内に送ると言ってくれた。私は楽しみに待った。だが、届かなかった。3月を待った。届かない。1年待った。無しの礫だ。1年半経った今はもういらないけれど、縁がないとはこう言う事だと思った。

素敵な音のするオカリナではあるが、もう私にはそんなに購入する余力はない。これで良かったのだと思うし、ただ柔らかい音だけを求めているのではない自分に変化しているように思うので。

これはその女の人が悪いのではなく、私の手元に、カンターレが来る運命になかったのだ。本当に落手する定めなら、まだ送って来ていないと催促すればいいのだから。そうすれば、女の人は笑って送り届けてくれたに違いない。

少し話を交わしながらも、交互に吹くオカリナの音がスタジオに満ちる。Tadashiさんとのブログでの交流が始まり、今月6月には兵庫県にも来て見る積もりだと言った。そして、私とオカリナが吹き合えれば嬉しいと言う事も言っていた。それで、神戸にも来る事になったのだ。栃木県からよく来て貰ったと、感慨深いものを感じていた。

やっぱり不思議な出会いだけれど、会うべくして会ったのだと思った。私がジョギングを始め、彼はウオーキングを始めた。格段に違う素敵な自然の中でのウオーキングは、それこそ至福の時であるに違いない。

三宮にホテルを取っていて、この日は泊まるそうだ。21日は午前中に、異人館を見てみたいと言った。夜の一席も考えないではなかったが、私が決めていたのは、県外からの人への案内として入れている鉄人28号を見て貰う事だった。きっと大きさに驚いてくれると思ったが、案の定18メートルの鉄製の鉄人28号は、彼の確かな思い出の一コマになったと思う。ツーショットも、彼のカメラで、傍にいた若い女性に撮って貰った。

琉球ワールドもすぐ近くなので行ってみた。赤いひび割れ模様の入ったグラスでお酒を飲んでいるそうだ。私もそうだが、

「同じ趣味だね」

と彼は言いながら、泡盛などの焼酎を見て回った。その後行く所は決まっている。ちょっとでもお腹をすかせてからがいいと、新長田のこれらの場所を先に見た。それから行く所は、たこ焼きの「ちえ」である。

出汁に浸けて食べる明石焼きは食べた事がないと言う。中ビンのビールを2本と蛸の煮付け、それにたこ焼きを注文した。乾杯をして飲んだ1杯は、五臓六腑に染み渡った。楽しい事をした後のビールは爽快そのものであった。

とても落ち着いた素敵な人だった。私が思い描いていたのは、もっと年嵩の行った人だったが、聞いて吃驚した。私より7歳も年下だったのだ。ブログでは、同い年位か何歳か年上だろうと思っていたのだ。

「お腹が私より出ていませんね」

「そりゃあ、ジョギングしたからですよ。それまでは、こ~んなに出っ張っていましたよ」

とお腹の所で西瓜を撫でるような仕草をした。ちょっとと思ったが、体重も聞いてみた。それが、私の今の体重より3キロは軽かった。何と何と。私はまだまだ修行が足りない。

「以前は、今より12キロは軽かったんですよ」

唸るばかりだった。

「私は最近会う人に、これでも凄く痩せたねとか、顔が小さくなったねとか、病気じゃないのとか聞かれるんですよ。声も以前は張りがあったのに、何か疲れていそうな声、とか言われます」

今の所、朝1杯のジュースと昼のレトルトカレーでは止むを得ないだろう。今過渡期なのだから、それはちょっとの辛抱だ。

話が尽きずビールもう1本追加。たこ焼きをもう1人分追加。彼も地の人のように、たこ焼きにどろっとしたソースを刷毛で塗ってから、出汁に浸けて食べた。私はいつも、こうして食べている。

夢を見ているように時は瞬く間に過ぎる。2時間はあっと言う間だった。彼は来月アメリカへ語学留学の為に出発する。3年間の留学は理想的で、ベラベラになる事だろう。イングリッシュとオカリナ。彼にはそんな2輪の希望が溢れている。

お客さんも増えて来て、荷物の置き場に困り出したので、この辺で店を出る事にした。新長田の駅で再会を願って、握手をして別れた。彼は地下鉄に、私はJRのホームへと足を運んだ。

苦しい上り坂で、その出来事があったのか、なかったのか、の判断をし兼ね、アルソックのCMではないだらっとした遅い走りをした。昨日の出会いが、夢だったかのように思われてならない。

全く知らない者同士がブログで連絡を付けて初めて出会ったのだ。手順は可笑しくないが、昔なら有り得ないシチュエーションかなと思う。以前なら手紙を交換しながら、会うと言う事が考えられるが、それは誰かを仲介するだろう。

ブログのそれが、遂に初対面に及んだ。文明の兆速の進歩によって齎されたものだが、もうあの6時間ばかりの一コマは、驚く速さで過去の川に流された。それは楽しかった事で固定され、未来をどんどん取り込むのだから、そのままうんと遠く過去へと流されて行く。

現実を現在を如何に楽しく過ごすか、或いは有意義に過ごすか。その今が過去を決定付ける。それが、楽しく悔いのない川となって流れるのだ。

今を素敵なものにするのは自分だ。それがその端から瞬時に固まって流れて行く。昨日の出会いこそ、その典型的な例である。今も不思議な気持ちを持ちながら、また会える希望を抱えて、今日の行動に移ろうとしている。

私が小学6年から中学校の頃、NHKラジオの英会話講師は松本亨さんだった。彼も知っていた。「ハアールユートゥデイ?」。松本亨先生のあの独特の、耳慣れない開口一番の声が、今も聞こえて来る。「ハウアーユートゥデイ?」ならよく分かったのだけれど。

Tadashiさんと共有した楽しかった時に感謝すると共に、アメリカに行っても、日本語を忘れずに帰って来て欲しいと思っている。

そして、さりげなく手渡してくれた、おみやげの大吟醸酒、ありがとう。