一番何も考えなかったジョギングだ。PCの前に胡坐を掻いて座っていると、どうしても姿勢が悪くなる。腰から背を伸ばそうとすると、ピリッと来てドスンと痛みを感じる。走るのは、何とか出来るようになったものの。

これも、走った事による腰痛ではなく、腹筋運動の結果であるようだ。仰向けに寝て、布団を外した炬燵の下に足を入れ、体を起こす。20回しかやらないのだが、かなり腹筋より腰に厳しい。2日程やらなかったら、快方に向かっている気がした。

5時8分に出る。飴を頬張り、もう1個ポケットに入れる事を忘れない。用意周到だ。

電柱に張り付いた「スピード落とせ」の文字が目に入る。随分昔の話ではあるが、送り仮名が当時は今のように活用する部分から送られていなくて、「スピード落せ」と書いてあった。私には違和感が拭い去れなかった。何年も何十年も頭に上って来た言葉の筆頭だ。どうしても「スピードおせ」と読んでしまう。

「終わり」にも拘った。改定以前は「終り」だった。「終える」など、活用する部分から繋げる方が、私はすっきりする。でも、東映や東宝や松竹の映画は違った。「終」だった。

漢字とひらがなの組み合わさった文字文化を持った日本では、このような問題は起こり得る。英語や表音文字を多用する国では、考えられない問題だろう。韓国の映画を観ると終わりは一文字で「ク」。話していても「ク」。便利だが、慣れているものの方がいい。漢字かな混じりは、意味が掴み易い利点がある。

走りながら思う。「スピード落とせ」と言っても、もうこれ以上は落とせない。ハーハー言いながら、走っている積もりでも歩いている速さだ。車の為であっても、私には大きな文字で圧し掛かる。朝の、看板や表示との対話の時間である。

歩道に横に延ばされた鉄板。昔は、何でも横に線が入っていると、5メートルや10メートル前から、その線のすぐ手前に左足が来るかどうかを予測して歩いたものだ。線を越えるか越えないか、それは良く当たった。私の利き足は左で、走り幅跳びでは左足で踏み切った。その習慣が、今でもそんな所に残されている。

信号が青に変わると、無意識に左足が出る。信号が文字で表されているとしたら、赤は「止まれ」と表示されるだろう。「止れ」と出たら、またまた面食らってしまう。

家に着いたのが5時38分。30分間、雨上がりの肌寒いが爽快なスロージョギングだった。一区切り、30日目が終わった。