4時1分に走り出していた。「3時47分です」と携帯が呟いたものだから。何もこれはエスカレートした訳ではない。一度、4時頃から、明けるまでの道を走ってみたいと思っていただけだったから。
思ったほど暗くはなかったが、シャリンバイの花は見えなかった。その70センチ程の幅の長い植え込みは、黒っぽいけれど薄い色合いと言った感じだった。周りの草木の匂いがやたらとする。目の出番が薄まると、嗅覚が鋭くなるのだろうか。それとも、車の排気ガスの匂いが取り払われているからだろうか。
もう何日かで、半月になろうとするのか三日月になろうとするかの月に出会った。朝の挨拶を交わした。Uターンをすると少しずつ辛くなる。
努力とは、これ以上は出来ないと思っている事、或いは出来る筈がないと思っている事を、何某かの苦痛を感じて実践する事だと思った。私は、長距離はもとより、ジョギングさえも出来ないと信じていた。
もう思い出すのもずっと前の事になるが、国体にも出てかなりの成績を上げた人に、卓球を教わりに行った事がある。1回500円はいいとして、私は2回で止めた。指導を仰ぐ前に30分のジョギングと1000回の縄跳びが課せられていたからである。卓球は楽しいからやっているのに、私の出来もしないジョギングをさせるなんて。それに100回ならまだしも、1000回の縄跳びはとても無理だった。
今私は40分ばかりの、スローであってもそのジョギングをしているのである。出来ないと思っていた事を実行に移している。意を決してからやる先が努力だと思った。もうちょっと、もうちょっとと。
復路の空は明るくなる前の色だ。雲はまだ灰色のようだが、蘇るのは清少納言の枕草子だ。「春はあけぼの。やうやう白くなり行く、やまぎは少しあかりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」。「夏は夜。月の頃はさらなり。」と続く。
皆知っている文句だが、この冒頭は古文の授業で暗記した。それが今頃蘇ったのだ。まだ雲は紫立ってはいない。月から離れて、星が一つ、やや光を失って見えた。明けの明星であろう。
脚が重い。太腿や脹脛の筋肉がパンパンになっている。歩道の信号が赤に変わった時は狂気した。往路は空全体が灰色だ。再びそこでUターンをする。もう家路を辿る復路だ。その直線の歩道の、家まで500メートルと言う辺りで止まりたくなる。でも止まらない。努力とは、安易な方向を選択するものではないからである。止まりたい気持ちになっても止(や)めたくならないのがいい。夢があるからだ。西瓜のような腹を、あじ瓜を通り越してピーマンのようにする夢が。
もう復路に星はなかった。月もよく見ると殆ど半月だった。先入観と観察が見え方を二分した。想像の世界も楽しい。観察は出来なくても、古の古都に住んだ清少納言と遊ぶ幻想は、1000年の過去とそこからの1000年の未来が融合している。
家に辿り着くと、掛かった時間も気にならなかった。それでも5時39分。数分のロスタイムを入れて38分かかった。何故か40分を切れるようになっている自分が嬉しい。
右足の薬指が痛い。案の定爪の辺りから出血していた。ウオーキングをしていた頃左足の薬指が同じような状態になり、この、昨日干して乾いた運動靴の、その指の当たる部分が赤く染まっている。今回はそこまで酷くはなく、イソジンSで消毒してバンドエイドを巻いた。靴が窮屈なのだろう。
それからTシャツに汗の染みたままブログのリコメをし、このブログを書いて来た。もうその汗も乾いてしまった。やや寒いが、これから風呂に入る楽しみと、ジュースを作って飲む喜びが待っている。ちょっとした事に喜びを感じる自分を発見出来た事が、子供のように嬉しいのは何故だろう。今日は大阪では日中は27度になるそうだ。もう外は、すっかり夜が明けている。
思ったほど暗くはなかったが、シャリンバイの花は見えなかった。その70センチ程の幅の長い植え込みは、黒っぽいけれど薄い色合いと言った感じだった。周りの草木の匂いがやたらとする。目の出番が薄まると、嗅覚が鋭くなるのだろうか。それとも、車の排気ガスの匂いが取り払われているからだろうか。
もう何日かで、半月になろうとするのか三日月になろうとするかの月に出会った。朝の挨拶を交わした。Uターンをすると少しずつ辛くなる。
努力とは、これ以上は出来ないと思っている事、或いは出来る筈がないと思っている事を、何某かの苦痛を感じて実践する事だと思った。私は、長距離はもとより、ジョギングさえも出来ないと信じていた。
もう思い出すのもずっと前の事になるが、国体にも出てかなりの成績を上げた人に、卓球を教わりに行った事がある。1回500円はいいとして、私は2回で止めた。指導を仰ぐ前に30分のジョギングと1000回の縄跳びが課せられていたからである。卓球は楽しいからやっているのに、私の出来もしないジョギングをさせるなんて。それに100回ならまだしも、1000回の縄跳びはとても無理だった。
今私は40分ばかりの、スローであってもそのジョギングをしているのである。出来ないと思っていた事を実行に移している。意を決してからやる先が努力だと思った。もうちょっと、もうちょっとと。
復路の空は明るくなる前の色だ。雲はまだ灰色のようだが、蘇るのは清少納言の枕草子だ。「春はあけぼの。やうやう白くなり行く、やまぎは少しあかりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」。「夏は夜。月の頃はさらなり。」と続く。
皆知っている文句だが、この冒頭は古文の授業で暗記した。それが今頃蘇ったのだ。まだ雲は紫立ってはいない。月から離れて、星が一つ、やや光を失って見えた。明けの明星であろう。
脚が重い。太腿や脹脛の筋肉がパンパンになっている。歩道の信号が赤に変わった時は狂気した。往路は空全体が灰色だ。再びそこでUターンをする。もう家路を辿る復路だ。その直線の歩道の、家まで500メートルと言う辺りで止まりたくなる。でも止まらない。努力とは、安易な方向を選択するものではないからである。止まりたい気持ちになっても止(や)めたくならないのがいい。夢があるからだ。西瓜のような腹を、あじ瓜を通り越してピーマンのようにする夢が。
もう復路に星はなかった。月もよく見ると殆ど半月だった。先入観と観察が見え方を二分した。想像の世界も楽しい。観察は出来なくても、古の古都に住んだ清少納言と遊ぶ幻想は、1000年の過去とそこからの1000年の未来が融合している。
家に辿り着くと、掛かった時間も気にならなかった。それでも5時39分。数分のロスタイムを入れて38分かかった。何故か40分を切れるようになっている自分が嬉しい。
右足の薬指が痛い。案の定爪の辺りから出血していた。ウオーキングをしていた頃左足の薬指が同じような状態になり、この、昨日干して乾いた運動靴の、その指の当たる部分が赤く染まっている。今回はそこまで酷くはなく、イソジンSで消毒してバンドエイドを巻いた。靴が窮屈なのだろう。
それからTシャツに汗の染みたままブログのリコメをし、このブログを書いて来た。もうその汗も乾いてしまった。やや寒いが、これから風呂に入る楽しみと、ジュースを作って飲む喜びが待っている。ちょっとした事に喜びを感じる自分を発見出来た事が、子供のように嬉しいのは何故だろう。今日は大阪では日中は27度になるそうだ。もう外は、すっかり夜が明けている。