眠っては起き、3度目に立ち上がった。

5時25分出発。外は小雨。止めるなんて嫌だし、傘差してのウオーキングはしたくない。ゴルフの時に被っていた野球帽。直接のTシャツではなく、下にランニングシャツ。七部のアンダーパンツ。寒そうだと思っての事だ。

寒い。況して腕に当たる雨は冷たい。メ-プルの並木が走り慣れた目の先に広がり、韓国ドラマ「冬のソナタ」で出て来たチュンチョンのあの並木のように見えた。もう余り観光客も行かないだろうから、あの並木を一人で歩く後姿を撮りたいと思った。初老の翳りが背中に哀愁と化した切ない姿。

雨に濡れると、普段とはまた違う事が見える。車が通ると、雨に押し付けられた排気ガスの匂いが克明に鼻につく。周りには、誰もいない。昨日の事を思い出しながらスローで走った。

Mさんの30周年記念のコンサートが新長田の二葉小学校の廃校の後の施設で行われた。シマさんに師事してから長いが、撥さばきも唄も、自分を確立して来ているように思えた。シマさんは鹿児島から早朝の新幹線に乗り、直行して来ていた。午後1時からの開演だった。

シマさんのブログできっと詳しく載ると思うので曲目や様子は控えるが、シマさんは師匠ではあっても時々相方を演じた。相変わらず三線はメリハリがあり、声には艶があった。Mさんと相方としてのシマさんとの、亀津朝花節から始まった。

小学校1年生だと言うお孫さんの太鼓も上手で驚いた。途中踊りがあったり詩吟があったり中学生の少女のお孫さんのピアノがあったりした。徳之島から駆けつけて来たMさんの同級生や関係者もいる。その方々は、司会をしたり何度か花束を渡したりしていた。

私の故郷島根県の民謡安来節で、どじょう掬いを踊った女性がいた。ひょっとこの面を被っているので踊れるのだろう。難しいし、恥ずかしい。全35番まであり、終わり3つは「ワイド節」「餅給れ節」「六調」だった。元気の出る曲で、20人ばかりの人が引き寄せられるように前に出て、輪になって踊った。

「餅給れ節」では餅を撒くのだろうが、その気分を出す為にか黒飴を撒いた。態々立ち上がる訳にも行かず、私は拾わなかった。が、その辺を歩きながら、配ってくれた人がいた。2個の飴と水色の画用紙を小さく切ったと思われる紙に包まれたものが、手の中に納まった。帰りに開けてみると、赤い紐が穴に通されて結ばれた5円玉だった。大切に別の財布にしまった。

35番までの演目が終了してMさんの挨拶が終わると、4時30分になろうとしていた。3時間半近い記念リサイタルだった。長いと思うだろうが、不思議と退屈しないで過ぎた。Mさんの30年に亘る奄美の三線の集大成だ。心からおめでとうを言いたい。

エンジニアが2人いたが、一人はマイクの出し入れや配線で休む暇がない程で、裏方の大変さを思った。人数がその都度変わる為、目まぐるしく動く。立って唄う人のマイク。座って三線を弾きながら唄う人はマイクが2本要る。やっぱり色んな人に支えられて出来る事なのであった。

シマさんも、強行軍で大変だったとは思うが、愛弟子の30周年には、心から喜んでいたに違いない。私にピアノの伴奏をしてくれる人がいるように、Mさんは、シマさんの相方をずっと続けている女性だ。

雨の降る日のジョギングは、何か見えるものが違う。歩道や植え込みのゴミが目立った。普段も同じだとは思うけれど、こんなに多いとは思わなかった。ビニル袋。ペットボトルの大小。空き缶。じゃがりこのカップ。ダンボール。訝しく思わざるを得ない状況だった。タバコの吸殻は数本、目にするだけだった。吸い口が黄土色のタバコ。私が覚えているのは、キャビンとハイライト位だが、これは何と言うタバコかは分からない。70円だったハイライトは、今もあるのだろうか。あれば、幾らになっているのだろう。

誰にも出会わなかったと書いたが、前半Uターンする前80ヤード前方に、2人の傘を差した人影が出現した。男と女だった。白い傘と黒い傘。ループ状に2度Uターンするのだが、向こうが速ければ擦れ違うのは1度だけだ。が、手前のループを回った時に、再び擦れ違った。約500メートル走った所で、2人は10メートル位しか前進していなかった。

女はビーグル犬を連れていた。男は70代。女は60代だと勝手に想像している。白く見えた傘はクリーム色で、周りには同じ線描が明るいブルーで幾つも並んでいた。男の黒だと思った傘は、深い青色をしていた。女の方の傘は、どう見ても日傘のような形をしていた。今は、男の日傘も出回っているようだ。

腕を濡らす雨の為、冷たさが汗を押さえているのだろうか。コメカミ近くに滲む汗を感じる位のものだった。第4コーナーに差し掛かる前の直線は、地獄の上り坂だ。そこで挫けそうになる。記録更新を考えていたが、もう最後の手段を取らざるを得ない。それは、このジョギングの原則に従って、超スローにする事だった。コーナーを回っても道は上る。

携帯は、途中では1度も見ていない。昨日と同じようなペースだと思った。到着するとさっと携帯をポケットから出して見た。6時3分。一瞬33分かと思った。しかし、それは違った。38分の計算になる。今34分が最高記録だが、これでは30分を切る事など、先ずないかと思われる。

基本に戻ると言うが、記録が目的ではない。飽くまで、超スロージョギングが本来の姿だと思えば、もうゆっくり歩くように走ることこそ、私がやらなければならない事なのである。

もう止めたい、とそう思う。だが、次の日は当たり前のようにジョギングに出掛ける。何が私の心をジョギングに駆り立てるのだろうか。

答えは簡単だ。西瓜のようなこのお腹を引っ込める事が、最大の目的なのだ。その度にポンポンと叩いてみる。西瓜を叩く時のような音がする。両手で摘まんでみる。百科事典だ。ああ、哀愁の初老。チュンチョンの並木道で撮る後姿。とても前に向かって歩いて来る姿は、撮る事が出来ない。

今は、西瓜があじうりのようになってくれる事を望む。忍び寄る食への誘惑に、随分と嵌まり続けて来たものだ。そのまま行けば、突然どっこいしょになる所だった。中々西瓜があじうりになるのは遠い。今やらなければ、もうやる時は来ない。そう思うと、朝作ってジュースを飲む自分が愛おしく思われる。