2枚の葉書を持って、引き戸を開けた。おっ、雪。
11日に降って、また14日の今日、降るとは思わなかった。神戸では暫く振りの珍しい雪だ。滅多に見られない事を思い、雪の中を傘を差して歩き始めた。ちょっと大き目の傘。
足はそのまま、裸足につっかけを穿いて歩いた。いつもの事なので、別に冷たいとは思わなかった。途中、カサカサと音がする。雪で音がするなんて、考えてみた事もなかった。
ポストの前で、トレーニングパンツのポケットから2枚の葉書を出して入れた。また、戻り道。家近くなって、足に冷たさが感じられるようになった。
あれは高校生の時だった。元日の真夜中に出雲大社に初詣をして、その帰りにタクシーが全く来ず、4時間位立ちっ放しで、只管待った事を思い出した。靴を履いているのに足は冷たくなり、痛みさえ感じ出していた。体もどんどん冷えて行く。
家まで6、7キロなのに、歩いて帰る事など考えもしなかった。タクシーの1台や2台は、直に来ると思うばかりだったのだ。雪は降り積んで行く。多くの人で賑わっていると言うのに、私一人だけのような、孤独感の真っ只中にいた。タクシーを見た時は、助けられた気がした。
帰って実行した事は、風呂に入る事。どんなに熱くても、何も感じなかったと思う。元の体温になるまでに、かなり時間がかかったようだった。
この足の冷たさは、あの時の冷たさの入り口のようだ。このままで1時間歩けるかと自問してみた。いくら強がっても、これは無理だと思った。家に着いて、ホットカーペットだけを点けた炬燵やぐらに足を入れたが、冷たさは容易に回復しなかった。
急いで透けたカーテンを開け、しみじみと雪を眺めた。この前のようにすぐ止んでしまわないかと心配しながら。
無数の雪片の中に、大きい雪片も混じる。形は様々だが、大きい方が目立つ。風がある時は、大きい雪片は目立って舞い上がったり、急降下したりした。今はしんしんと、引力の法則に従って舞い降りている。
区切られた窓枠のスクリーンに、雪雲から生まれた夥しい踊り子達は、間断なく落ちて来る。
一片が地面に吸い込まれ融けても、際限なく次から次へと涌いて出る。まるで無数に群れ飛ぶ蜉蝣のようだ。儚い命を惜しむかのように、雲から生まれた雪達は、その道を只管に落ちて消える。
段々、前の家の屋根が、白い化粧を施し始めた。小さな庭の土の上も薄化粧だ。
さっき、昔放った種から育った琵琶の木の折れた小枝に、たんかんを突き立てた。少し上方の皮を剥がしておいた。鳥が来て食べるだろうと思ったのだ。琵琶の木はもう5メートルにはなる。
さっき多分目白だと思うが、辺りを警戒しながら、その甘い汁を吸っていた。あっ、今大きな山鳩のような鳥が来た。食べるには足掛かりがなくて、羽をバタつかせながら、あちこちの枝を転々とする。けたたましく鳴いた。これはつぐみなのだろうと思った。食べられそうな場所を選択する事までは、雪の所為で考えなかった。その鳥もいつしかいなくなった。
目白は部屋での動きを最小限にして、デジカメで写した。これは上手く行った。大いに記念になる。
少し風が出て来たようだ。縦横斜めに思い思いの動きを見せながら、雪は、落ちる。これは止みそうもない。車はシャーシャーと、融けた雪の雫を踏み飛ばしながら走り去る。今夜はもっと冷えるだろうか。
木の葉に降り積もった雪が、周りの姿を変えて行く。つぐみが庭に舞い戻ったが、私と目が合うと、慌ててまた何処かへ行ってしまった。遠慮しないで食べていいよと、そんな思いでたんかんを提供しているのに。
やがてその大きな鳥は戻って来て、嘴をたんかんに差し入れていた。大きな声を上げては、その甘い汁を吸っている。
気が早いが、明日の朝は一面雪景色だろう。バレンタインデーの昼下がりは、ホワイトデーとなった。学校を終えた子ども達が、三々五々、傘を差して帰って行く。
2月7日に朝日新聞に載った谷川俊太郎さんの詩を載せるだけだったのに、これではあべこべではないか。雪とは全く関係のない、月1回掲載される谷川俊太郎さんの2月の詩である。
丘の音楽
谷川俊太郎
私を見つめながら
あなたは私を見ていない
見ているのは丘
登ればあの世が見える
なだらかな丘の幻
そこでは私はただの点景
音楽が止んで
あなたは私に帰ってくる
終わりのない物語の
見知らぬ登場人物のように
私のこころが迷子になる
あなたの愛を探しあぐねて
3時を回った。おやつ代わりに、下手なオカリナの練習をしよう。
11日に降って、また14日の今日、降るとは思わなかった。神戸では暫く振りの珍しい雪だ。滅多に見られない事を思い、雪の中を傘を差して歩き始めた。ちょっと大き目の傘。
足はそのまま、裸足につっかけを穿いて歩いた。いつもの事なので、別に冷たいとは思わなかった。途中、カサカサと音がする。雪で音がするなんて、考えてみた事もなかった。
ポストの前で、トレーニングパンツのポケットから2枚の葉書を出して入れた。また、戻り道。家近くなって、足に冷たさが感じられるようになった。
あれは高校生の時だった。元日の真夜中に出雲大社に初詣をして、その帰りにタクシーが全く来ず、4時間位立ちっ放しで、只管待った事を思い出した。靴を履いているのに足は冷たくなり、痛みさえ感じ出していた。体もどんどん冷えて行く。
家まで6、7キロなのに、歩いて帰る事など考えもしなかった。タクシーの1台や2台は、直に来ると思うばかりだったのだ。雪は降り積んで行く。多くの人で賑わっていると言うのに、私一人だけのような、孤独感の真っ只中にいた。タクシーを見た時は、助けられた気がした。
帰って実行した事は、風呂に入る事。どんなに熱くても、何も感じなかったと思う。元の体温になるまでに、かなり時間がかかったようだった。
この足の冷たさは、あの時の冷たさの入り口のようだ。このままで1時間歩けるかと自問してみた。いくら強がっても、これは無理だと思った。家に着いて、ホットカーペットだけを点けた炬燵やぐらに足を入れたが、冷たさは容易に回復しなかった。
急いで透けたカーテンを開け、しみじみと雪を眺めた。この前のようにすぐ止んでしまわないかと心配しながら。
無数の雪片の中に、大きい雪片も混じる。形は様々だが、大きい方が目立つ。風がある時は、大きい雪片は目立って舞い上がったり、急降下したりした。今はしんしんと、引力の法則に従って舞い降りている。
区切られた窓枠のスクリーンに、雪雲から生まれた夥しい踊り子達は、間断なく落ちて来る。
一片が地面に吸い込まれ融けても、際限なく次から次へと涌いて出る。まるで無数に群れ飛ぶ蜉蝣のようだ。儚い命を惜しむかのように、雲から生まれた雪達は、その道を只管に落ちて消える。
段々、前の家の屋根が、白い化粧を施し始めた。小さな庭の土の上も薄化粧だ。
さっき、昔放った種から育った琵琶の木の折れた小枝に、たんかんを突き立てた。少し上方の皮を剥がしておいた。鳥が来て食べるだろうと思ったのだ。琵琶の木はもう5メートルにはなる。
さっき多分目白だと思うが、辺りを警戒しながら、その甘い汁を吸っていた。あっ、今大きな山鳩のような鳥が来た。食べるには足掛かりがなくて、羽をバタつかせながら、あちこちの枝を転々とする。けたたましく鳴いた。これはつぐみなのだろうと思った。食べられそうな場所を選択する事までは、雪の所為で考えなかった。その鳥もいつしかいなくなった。
目白は部屋での動きを最小限にして、デジカメで写した。これは上手く行った。大いに記念になる。
少し風が出て来たようだ。縦横斜めに思い思いの動きを見せながら、雪は、落ちる。これは止みそうもない。車はシャーシャーと、融けた雪の雫を踏み飛ばしながら走り去る。今夜はもっと冷えるだろうか。
木の葉に降り積もった雪が、周りの姿を変えて行く。つぐみが庭に舞い戻ったが、私と目が合うと、慌ててまた何処かへ行ってしまった。遠慮しないで食べていいよと、そんな思いでたんかんを提供しているのに。
やがてその大きな鳥は戻って来て、嘴をたんかんに差し入れていた。大きな声を上げては、その甘い汁を吸っている。
気が早いが、明日の朝は一面雪景色だろう。バレンタインデーの昼下がりは、ホワイトデーとなった。学校を終えた子ども達が、三々五々、傘を差して帰って行く。
2月7日に朝日新聞に載った谷川俊太郎さんの詩を載せるだけだったのに、これではあべこべではないか。雪とは全く関係のない、月1回掲載される谷川俊太郎さんの2月の詩である。
丘の音楽
谷川俊太郎
私を見つめながら
あなたは私を見ていない
見ているのは丘
登ればあの世が見える
なだらかな丘の幻
そこでは私はただの点景
音楽が止んで
あなたは私に帰ってくる
終わりのない物語の
見知らぬ登場人物のように
私のこころが迷子になる
あなたの愛を探しあぐねて
3時を回った。おやつ代わりに、下手なオカリナの練習をしよう。