2月1日が来たと思った。奄美大島の真ん中辺り、住用村の国道58号線からマングローブの全容を眺めていた。この村は94パーセントを山林が占めている。
車の中では誰が一人用のカヌーに乗るか、誰と誰が二人用のカヌーに乗るかで盛り上がっていた。兎に角カヌーに乗る場所まで行った。一人1500円だと言った。すると伝馬船ではないが、10人位一緒に乗れる船があると言う。すぐにそれになった。
カヌーの体験学習もいいが、伝馬船が一気に状況を共有出来るし、万が一の危険もない。だが一人2000円は高いのではないか。
何も言ってくれなかったから、我々は「かも」だったかも。乗ったのはいいが、船頭が口を開いた。「今が干潮のピークで、マングローブの奥までは行けません。昨年の10月の大雨で浅瀬と深い流れの所が変わってしまったので」。
普段行けた道筋がすっかり変わっていた。案の定洲の向こう側はどんどん水が引いて、砂地が現れて行く。上手く向こうに行っても、帰れなくなる程だ。この伝馬船も、洲に乗り上げて、何十年もやっているベテラン船頭も、竹竿一つで押したりしていたが、その場をぐるぐる回っているばかりだった。
やっと抜けると、もう先には行けず戻る事になった。5人で2000円でも良かった位だ。一人1000円でも高いと思った程だ。納得の行かないのは、私一人ではなかった。乗る前に説明して欲しかった。車に乗ってからも、暫くはこの事で不平と不満は尽きなかった。
船頭も、休む事なく話し続けた。「ハブを取ると、1匹4000円になり、結構な収入になります」と言った。また、「マングローブには日本では樹種が7種分布し、住用村では2種あります。それはオヒルギとメヒルギです」と説明した。オキナワアナジャコと言う蟹もいると言ったが、この寒さでは見る事も出来なかった。
昼は味園と言う食堂で食べたが、その前に他にも店はないか探した。最後はここに落ち着いたけれど。12時前に着いたのに、海鮮丼がなかなか出て来ない。30分は待っていた。田舎時間は承知の上だが、1時には次の予定がある。男女の体験中学生が働いている。
おばさんが突然姿を現し、ここでしか食べられない魚などの説明をして厨房に戻った。
慌てて食べると、次の半潜水船のある船着場に行った。1時出航である。始めは船の上にいて、景色を眺めていた。海の周りは全て360度が山に囲まれている。こんな景色は見た事がなかった。
女船長は、中に入るよう促した。いくつものテレビの画面のようなガラスから、海の底が見える。青色の色調の中に珊瑚礁が現れると、そこには南国の魚が群れをなしていた。特に黄色の魚は目を引いた。釘付けになって海の底を眺めていた。
奄美大島は1日あれば周囲は全部回る事が出来る。しかし、見学したり説明を聞いたりすると、1日では回り切れない。次に案内して貰ったのは、島南端のホノホシ海岸である。奄美海峡を隔てて南には加計呂麻島があり、更に南には、小さな与路島と請島がある。
そこには力強い景観が迫り、ごつごつした岩ではなく、太平洋の荒波に洗われた石は丸い玉石になっていた。片手で握られるものから両手で抱えるものまで様々で、明るい灰色をしていた。珍しいので、記念に小石を3個拾ってバッグに入れた。
軍配草が根を深く石ころや砂地に下ろしながら、ナメクジのように執拗に這っていた。その葉は、艶々とした緑色だった。
高知山展望台からの眺めは、流石に展望台を付けた値打ちを感じさせた。長い石段を上り、そこでも美しい景色は見られたが、はあはあ言いながらもう一息展望台に上ると、そこには遥かに開けた海が見渡せた。私は急いで上ったので、息せき切っていた。
シマさんと奥さんが上って来た。何も考えないで、オカリナを取り出した。吉塚の赤いソプラノG管とソプラノC管である。2曲吹いたが、はあはあ言いながら吹いた曲名など、言った所でどうなるものでもない。
同じような光景が続いた。サトウキビやソテツの道。そして山と海の道。けれど、立ち止まって見る景色はそれぞれに個性があった。海は広く、岩は特徴があり、水平線は緩やかな弧を描いていた。
雲が多く、夕日は見られないと諦めた。夕日と星はセットである。早々に名瀬に戻った。名産のたんかんが目に入った。今日から解禁だと言った。早速5キロの、小振りだが割安の袋を2つ買った。娘は、ホノホシ海岸で拾った石を、たんかんの箱に入れた。これを一緒に送って貰う為である。明るい良く喋るお姉さんが、これは取ってはいけない石だと言った。あの海岸は国定公園だと言った。私は、「警察には言わないでね」と言った。だが、「言っておきます」と言って笑った。
ホテルに着くまでに、夕食をする事になった。鶏飯を食べる事にしていた。その辺をぐるぐる回ったが、その店はもうなかった。が、その「新穂花」は、その辺りでは賑やかな通りに、系列の店として存在していた。
シマさんは、ビールや焼酎がない事を知ると、真剣に他の店に行こうと言った。まあまあ、鶏飯が食べられるのだから、辛抱しないといけない。ホテルに帰ってから飲めばいいと言う事になった。1日中車を運転して、気も使っている。
鶏飯が出て来た。ご飯の上に鶏肉や錦糸玉子などを乗せ、だし汁をその上にかけて食べる。美味いけれど、この島でしか食べられない味がした。日本中、どこでもカツ丼ばかり食べていたのでは特徴が分からない。
ご飯はお代わり自由である。鶏飯。最初は京阪とダブッて困った。「うこん」と新聞に書いてあると、他意はないけれどすぐに「う○こ」と読んでしまう。洗脳と言うのは、こんな事なのだろうと思った。
すぐにホテルに戻ると、シマさんの部屋に集まった。「お礼の言葉」と言って娘に言わせ、焼酎で乾杯。何と、彼が昨日吟亭で、女将にプレゼントされた焼酎だった。明日が早い。ちょっと飲んで、自分の部屋に戻った。
窓のカーテンを開けてみた。部屋の明かりを消しても、星の一つも見えなかった。もし見えたら、外に出て見る積もりだったのだ。
何とかマツコデラックスの夢だけは見ないようにと念じながら、4時起床にタイマーをセットして、眠りに就いた。明日は、朝6時に出港だ。愈々シマさんの生まれた徳之島へと、船で渡るのである。
車の中では誰が一人用のカヌーに乗るか、誰と誰が二人用のカヌーに乗るかで盛り上がっていた。兎に角カヌーに乗る場所まで行った。一人1500円だと言った。すると伝馬船ではないが、10人位一緒に乗れる船があると言う。すぐにそれになった。
カヌーの体験学習もいいが、伝馬船が一気に状況を共有出来るし、万が一の危険もない。だが一人2000円は高いのではないか。
何も言ってくれなかったから、我々は「かも」だったかも。乗ったのはいいが、船頭が口を開いた。「今が干潮のピークで、マングローブの奥までは行けません。昨年の10月の大雨で浅瀬と深い流れの所が変わってしまったので」。
普段行けた道筋がすっかり変わっていた。案の定洲の向こう側はどんどん水が引いて、砂地が現れて行く。上手く向こうに行っても、帰れなくなる程だ。この伝馬船も、洲に乗り上げて、何十年もやっているベテラン船頭も、竹竿一つで押したりしていたが、その場をぐるぐる回っているばかりだった。
やっと抜けると、もう先には行けず戻る事になった。5人で2000円でも良かった位だ。一人1000円でも高いと思った程だ。納得の行かないのは、私一人ではなかった。乗る前に説明して欲しかった。車に乗ってからも、暫くはこの事で不平と不満は尽きなかった。
船頭も、休む事なく話し続けた。「ハブを取ると、1匹4000円になり、結構な収入になります」と言った。また、「マングローブには日本では樹種が7種分布し、住用村では2種あります。それはオヒルギとメヒルギです」と説明した。オキナワアナジャコと言う蟹もいると言ったが、この寒さでは見る事も出来なかった。
昼は味園と言う食堂で食べたが、その前に他にも店はないか探した。最後はここに落ち着いたけれど。12時前に着いたのに、海鮮丼がなかなか出て来ない。30分は待っていた。田舎時間は承知の上だが、1時には次の予定がある。男女の体験中学生が働いている。
おばさんが突然姿を現し、ここでしか食べられない魚などの説明をして厨房に戻った。
慌てて食べると、次の半潜水船のある船着場に行った。1時出航である。始めは船の上にいて、景色を眺めていた。海の周りは全て360度が山に囲まれている。こんな景色は見た事がなかった。
女船長は、中に入るよう促した。いくつものテレビの画面のようなガラスから、海の底が見える。青色の色調の中に珊瑚礁が現れると、そこには南国の魚が群れをなしていた。特に黄色の魚は目を引いた。釘付けになって海の底を眺めていた。
奄美大島は1日あれば周囲は全部回る事が出来る。しかし、見学したり説明を聞いたりすると、1日では回り切れない。次に案内して貰ったのは、島南端のホノホシ海岸である。奄美海峡を隔てて南には加計呂麻島があり、更に南には、小さな与路島と請島がある。
そこには力強い景観が迫り、ごつごつした岩ではなく、太平洋の荒波に洗われた石は丸い玉石になっていた。片手で握られるものから両手で抱えるものまで様々で、明るい灰色をしていた。珍しいので、記念に小石を3個拾ってバッグに入れた。
軍配草が根を深く石ころや砂地に下ろしながら、ナメクジのように執拗に這っていた。その葉は、艶々とした緑色だった。
高知山展望台からの眺めは、流石に展望台を付けた値打ちを感じさせた。長い石段を上り、そこでも美しい景色は見られたが、はあはあ言いながらもう一息展望台に上ると、そこには遥かに開けた海が見渡せた。私は急いで上ったので、息せき切っていた。
シマさんと奥さんが上って来た。何も考えないで、オカリナを取り出した。吉塚の赤いソプラノG管とソプラノC管である。2曲吹いたが、はあはあ言いながら吹いた曲名など、言った所でどうなるものでもない。
同じような光景が続いた。サトウキビやソテツの道。そして山と海の道。けれど、立ち止まって見る景色はそれぞれに個性があった。海は広く、岩は特徴があり、水平線は緩やかな弧を描いていた。
雲が多く、夕日は見られないと諦めた。夕日と星はセットである。早々に名瀬に戻った。名産のたんかんが目に入った。今日から解禁だと言った。早速5キロの、小振りだが割安の袋を2つ買った。娘は、ホノホシ海岸で拾った石を、たんかんの箱に入れた。これを一緒に送って貰う為である。明るい良く喋るお姉さんが、これは取ってはいけない石だと言った。あの海岸は国定公園だと言った。私は、「警察には言わないでね」と言った。だが、「言っておきます」と言って笑った。
ホテルに着くまでに、夕食をする事になった。鶏飯を食べる事にしていた。その辺をぐるぐる回ったが、その店はもうなかった。が、その「新穂花」は、その辺りでは賑やかな通りに、系列の店として存在していた。
シマさんは、ビールや焼酎がない事を知ると、真剣に他の店に行こうと言った。まあまあ、鶏飯が食べられるのだから、辛抱しないといけない。ホテルに帰ってから飲めばいいと言う事になった。1日中車を運転して、気も使っている。
鶏飯が出て来た。ご飯の上に鶏肉や錦糸玉子などを乗せ、だし汁をその上にかけて食べる。美味いけれど、この島でしか食べられない味がした。日本中、どこでもカツ丼ばかり食べていたのでは特徴が分からない。
ご飯はお代わり自由である。鶏飯。最初は京阪とダブッて困った。「うこん」と新聞に書いてあると、他意はないけれどすぐに「う○こ」と読んでしまう。洗脳と言うのは、こんな事なのだろうと思った。
すぐにホテルに戻ると、シマさんの部屋に集まった。「お礼の言葉」と言って娘に言わせ、焼酎で乾杯。何と、彼が昨日吟亭で、女将にプレゼントされた焼酎だった。明日が早い。ちょっと飲んで、自分の部屋に戻った。
窓のカーテンを開けてみた。部屋の明かりを消しても、星の一つも見えなかった。もし見えたら、外に出て見る積もりだったのだ。
何とかマツコデラックスの夢だけは見ないようにと念じながら、4時起床にタイマーをセットして、眠りに就いた。明日は、朝6時に出港だ。愈々シマさんの生まれた徳之島へと、船で渡るのである。