鑑真和尚が今、中国に里帰りをしている。新聞の写しだが、和尚が日本に渡る時に言った言葉がある。
山川異域
風月同天
奇諸仏子
共縁来縁
5度も日本に来る事を阻まれ、やっと来れた時には、視力を失っていた。
「山川は違っても、風や月は日本も唐も同じ。共に仏の縁を結ぼうではないか」
そうこうしている内に、K君が本を貸してくれた。先日、ワインセラー開放セールで置き忘れた本だ。「出雲の神話」(文 上田正昭:写真 植田正治)がそうである。
最後の十数頁には、古事記、日本書紀、出雲風土記の抜粋が載っていた。古文はとてもすらすらとは読めないが、字面を追いながら、読むには読んだ。
さて、白黒の1頁程の大きさの写真が、随所に出て来る。これは、文を読むのに、助けと安らぎになる。カラー写真だったらどんなだっただろうと思うけれど、その頃はまだ白黒が主流だったように思う。そして、白黒は、創造力を掻き立てる。
出雲大社まで私の住んでいた場所から僅か6、7キロの距離である。そんな所に生を受け、何度出雲大社に行った事か。神社は出雲大社だけだと思った位だ。この本は、そんな出雲や出雲大社を思い出す切っ掛けとなった。
出雲大社には大国主命が祀られている。そして10月は神在月と言われるように、全国の神々が出雲に集い、会議を行うのだ。
小さい頃出雲大社によく連れて行かれた。あのお社の近くは緩い上り坂になっていて、或るみやげ物屋のショーウインドウには、人身大の大国主命が立っていた。私は、それを酷く怖がっていたようで、その横を通る事が出来なかった。
本の中味を覚えている部分はそんなに多くない。記憶力の薄れにも関係があるだろうが、ちょっと心に残っている部分を書き写していたので、そこだけ載せて、ブログの文章が長くなるのを防ぎたいと思う。
オオクニヌシとヌナカワヒメとの熱烈な恋の展開を、正妻であるスセリヒメが恨みに思って、オオクニヌシとの間にやりとりした歌がある。この愛情の滲み出るような素晴らしさと重なり合って、「古事記」神話の傑作となっている。私も、感動した件である。
「八千矛の 神の命や あが大国主 汝こそは 男にいませば うちみる 島の埼々 かきみる 磯の埼落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾れもよ 女にしあれば 汝をおきて 男は無し 汝をおきて 夫はなし」
私は小さい時にたった一つだけ諳んじていた百人一首の歌がある。それは、
「むら雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧立ち上る 秋の夕暮れ」
で、寂蓮法師の詠んだものだ。その寂蓮法師が、出雲大社に参詣しているのだ。
天雲の棚引く山の麓の、雲に分け入る千木の厳かで壮大な大社のたたずまいに、「この世のことともおぼえざりける」と感嘆している。そな高さ48メートルとも96メートルとも言われている神殿は、正に雲に聳えたっていたのだろう。
「やわらぐる 光や雲に 満ちぬらん 雲にわけ入る 千木の方そぎ」
これも、寂連法師の歌であろうか。何か知ら、不思議なものを感じずには居れない。
天下無双の神社と言われた出雲大社は、10世紀後半の「口遊(くちずさみ)」に上っていた。
「雲太、和二、京三」と。これは其々出雲大社、大和の東大寺、京都の大極殿を指す。
早く返そうとしたが、読むのに2日かかった。時間はそんなにかからなかったが、210頁の代物だ。しっかりした圧表紙の本が、何と650円。昭和40年6月30日発行と印刷されていた。今なら10倍かそれ以上するだろう。
久し振りに遠く古に遡って、その頃の御代に心を巡らせた。自然のもの以外で加工された物のない時代。それは、自然の運行と共にした神々の、素朴で大らかな、それでいて厳しい、大きな比重を占める精神世界ではなかったかと思わされた。
或る意味、無駄のない、自給自足や物々交換の最たる時代だったのであろう。今の世を想像だにしない、自らが自然であった時代、喜怒哀楽のあからさまな時代ではなかったかと思っている。
オオクニヌシは葦原の中つ国と言う国土を作った英雄であり、スクナビコナノカミの協力を得て出雲国を治め、国つ神の頂点に立った。後には天孫に国を譲り、皇孫が統一支配の土台を築くことになる。因幡の白兎の話にもあるように、大国主命は大きな袋を肩に掛けた優しい大黒様として知られている。
神話で片付けるのか、歴史として見つめるのか、そのどちらかだと思うのだが、どちらかが真実なのである。「古事記」「日本書紀」「出雲風土記」、そこに記された事が事実だったのかそうでないのかは、あなた自身が決める事である。
山川異域
風月同天
奇諸仏子
共縁来縁
5度も日本に来る事を阻まれ、やっと来れた時には、視力を失っていた。
「山川は違っても、風や月は日本も唐も同じ。共に仏の縁を結ぼうではないか」
そうこうしている内に、K君が本を貸してくれた。先日、ワインセラー開放セールで置き忘れた本だ。「出雲の神話」(文 上田正昭:写真 植田正治)がそうである。
最後の十数頁には、古事記、日本書紀、出雲風土記の抜粋が載っていた。古文はとてもすらすらとは読めないが、字面を追いながら、読むには読んだ。
さて、白黒の1頁程の大きさの写真が、随所に出て来る。これは、文を読むのに、助けと安らぎになる。カラー写真だったらどんなだっただろうと思うけれど、その頃はまだ白黒が主流だったように思う。そして、白黒は、創造力を掻き立てる。
出雲大社まで私の住んでいた場所から僅か6、7キロの距離である。そんな所に生を受け、何度出雲大社に行った事か。神社は出雲大社だけだと思った位だ。この本は、そんな出雲や出雲大社を思い出す切っ掛けとなった。
出雲大社には大国主命が祀られている。そして10月は神在月と言われるように、全国の神々が出雲に集い、会議を行うのだ。
小さい頃出雲大社によく連れて行かれた。あのお社の近くは緩い上り坂になっていて、或るみやげ物屋のショーウインドウには、人身大の大国主命が立っていた。私は、それを酷く怖がっていたようで、その横を通る事が出来なかった。
本の中味を覚えている部分はそんなに多くない。記憶力の薄れにも関係があるだろうが、ちょっと心に残っている部分を書き写していたので、そこだけ載せて、ブログの文章が長くなるのを防ぎたいと思う。
オオクニヌシとヌナカワヒメとの熱烈な恋の展開を、正妻であるスセリヒメが恨みに思って、オオクニヌシとの間にやりとりした歌がある。この愛情の滲み出るような素晴らしさと重なり合って、「古事記」神話の傑作となっている。私も、感動した件である。
「八千矛の 神の命や あが大国主 汝こそは 男にいませば うちみる 島の埼々 かきみる 磯の埼落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾れもよ 女にしあれば 汝をおきて 男は無し 汝をおきて 夫はなし」
私は小さい時にたった一つだけ諳んじていた百人一首の歌がある。それは、
「むら雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧立ち上る 秋の夕暮れ」
で、寂蓮法師の詠んだものだ。その寂蓮法師が、出雲大社に参詣しているのだ。
天雲の棚引く山の麓の、雲に分け入る千木の厳かで壮大な大社のたたずまいに、「この世のことともおぼえざりける」と感嘆している。そな高さ48メートルとも96メートルとも言われている神殿は、正に雲に聳えたっていたのだろう。
「やわらぐる 光や雲に 満ちぬらん 雲にわけ入る 千木の方そぎ」
これも、寂連法師の歌であろうか。何か知ら、不思議なものを感じずには居れない。
天下無双の神社と言われた出雲大社は、10世紀後半の「口遊(くちずさみ)」に上っていた。
「雲太、和二、京三」と。これは其々出雲大社、大和の東大寺、京都の大極殿を指す。
早く返そうとしたが、読むのに2日かかった。時間はそんなにかからなかったが、210頁の代物だ。しっかりした圧表紙の本が、何と650円。昭和40年6月30日発行と印刷されていた。今なら10倍かそれ以上するだろう。
久し振りに遠く古に遡って、その頃の御代に心を巡らせた。自然のもの以外で加工された物のない時代。それは、自然の運行と共にした神々の、素朴で大らかな、それでいて厳しい、大きな比重を占める精神世界ではなかったかと思わされた。
或る意味、無駄のない、自給自足や物々交換の最たる時代だったのであろう。今の世を想像だにしない、自らが自然であった時代、喜怒哀楽のあからさまな時代ではなかったかと思っている。
オオクニヌシは葦原の中つ国と言う国土を作った英雄であり、スクナビコナノカミの協力を得て出雲国を治め、国つ神の頂点に立った。後には天孫に国を譲り、皇孫が統一支配の土台を築くことになる。因幡の白兎の話にもあるように、大国主命は大きな袋を肩に掛けた優しい大黒様として知られている。
神話で片付けるのか、歴史として見つめるのか、そのどちらかだと思うのだが、どちらかが真実なのである。「古事記」「日本書紀」「出雲風土記」、そこに記された事が事実だったのかそうでないのかは、あなた自身が決める事である。