S君は、来れない事情が出来たようだった。卓球を11時半で終え、シャワーを浴びるとバス停まで時刻表を確認しに行った。
ほんの少しの時間だったが、オカリナの練習をして、バス停に向かった。新長田駅でK君と1時に出会い、「ちえ」へたこ焼きを食べに行った。少し並んでから、たこ焼き定食を注文した。それまでに中瓶ビールとたこの煮付を頼んだ。けれど、殆ど同時に全部が持ち運ばれた。
汁に浸けて食べるたこ焼きは、明石焼きと言われる。満員の「ちえ」を出た。
ジョイプラの3階に上がった。「徳之島一切(ちゅっきゃり)節大会」が行われていて、シマさんが出演するのだ。それをK君と聴きに行った。
まだ4番だった。彼は或るシマ唄の会の代表である。当然師匠なのだ。いい喉をしていた。第1部と第2部とに分かれている。第1部も第2部も14番まである。ここですぐにこの新長田勤労市民センターの大きな部屋を出た。
すぐ次の駅鷹取駅を降りると、だいち小学校へと向かった。昼過ぎ、「用守冷麺」に予約の電話を入れた時、「オリニマダン(子どものひろば)」が3時まであると聞いたからだ。もう殆どのイベントが済んでいた。けれど、少し体育館の掲示を見てから外に出た。
何だか見た事のある女の人が、長テーブルを前に座っていた。
「お会いした事があるような」
と言って覗き込むとはっとしたような顔をして、すぐに立ち上がった。
「お久し振りです」
「今日オリニマダンがある事を知りました。それで今来ました」
「そうでしたか。来年は案内しますから是非来て下さい」
「そうします。所で長田マダンはもうないんですか。あれは○○○さんが中心でやっておられますね。知ってますよね」
暫く考えていた風だったが、
「私はその連れ合いですけど」
と言われた。私とした事が何と。そうだった! やっとはっきりと状況が飲み込めた。以前に一度、そう聞いていたのだ。その連れ合いさんは、黙っておこうかどうか迷ったそうだ。それも、ちょっと意地が悪い。
隣にいる女の人も笑ったが、早々にそこを離れた。
ずっと時間がずれ込んでいるとシマさんから聞いていたので、ジョイプラの地下でソフトクリームを食べてから、再び会場に戻った。シマさんのお母さんを紹介され、初めてお会いした。
「○○と言います。シマさんにはいつもお世話になっています」
「息子がお世話になっています」
と、儀礼的な挨拶を済ませ、真ん中辺りの席に座った。2部の7番目が始まった。シマさんの最後から2番目の唄を聴いたらいいと思っていたので、最後まで一つ抜けて7曲聴いた。6月6日に受付などして小まめに動いていた女性のMさんが唄っている。ハヤシは勿論シマさんだ。Mさんからは、殆ど一切節が並んだ。シマさんも一切節を唄った。これは名調子だ。ハヤシがいつものMuさんで、名コンビである。MuさんともMさんと共に、6月のその日の打ち上げには、ご一緒している。
最後は或る教室の徳之島節で終わった。最後の挨拶の後、三線の4人(シマさんも)が、元気のいい曲を弾き、会場にいる100人ばかりの内の20数人が前に出て、踊りだした。2曲目は、もっとテンポの速い曲だった。踊りの手つきが堂に入っている。島では夜通し盛り上がるんだと、これで納得させられた。
シマさんはかなりの重鎮である。この全部のプログラムで、ハヤシを8回務め、中心の唄と三線を2回務めた。そしてこの2曲。大変な数をこなしていた。背広にネクタイ姿の彼は、また違ってオーラが出ている程の存在感を示していた。何度聴いても上手い。
閉会を告げてから、シマさんが挨拶を強いられていたが、あの今回の会を仕切ったと思われる3人の挨拶の後位に要請すればいいものを、この辺が段取りの行き当たりばったりを感じずにはおれなかった。まあ、これが私の故郷も含めて、田舎の生業と言うものである。
彼には挨拶せずに会場を出た。徳之島一切節実行委員会よりの挨拶文を、理解の助けに載せて置こう。
「2008年からはじまった『徳之島一切節大会』の第3回目を開催します。神戸・長田には多くの徳之島出身者が生活しています。島を出て頑張ってきたからこそ、故郷への想いがつのります。今日は存分に島の民謡・島唄を聞いて、なつかしんでください。今年徳之島は、米軍の沖縄普天間基地の移設候補地としてあげられ、島をあげての反対運動が起きるなど、大きな動きがありました。こうした激動の1年であるからこそ、しみじみと島のこと、島にいる身内のことを考えようではありませんか。神戸と島は心とうたでつながっているのです」
外気は穏やかで、そこには鉄人28号が待っていた。写真を写すなら午前中がいい。午後はかなりの逆光になってしまうのだ。K君は、
「あれは鉄板では出来ていないだろう」
と言って傍に近づくと、トントンと脚の辺りを叩いた。耳慣れた音が返って来た。
「おお、鉄板だ」
それから琉球ワールドに行って、焼酎や泡盛などを見て回った。一升が1万円を越えるものもある。
「お金を貯めて、それを買おうや」
と、冗談交じりに言った。
オレンジやブルーのグラスが美しい。いつか気に入ったグラスを幾つか揃えたいと思っている。
K君は黒糖を買った。私は春ウコンを買った。春と秋では効能が違うようで、春物は血圧を安定させると言っていた。秋物? それは二日酔いに効くそうだ。
5時に予約を入れていた「用守冷麺」には、歩いて行く事にした。一駅西側にある。
2号線に面してある「鬼平」でコロッケを5つ買い、5時に韓国料理店に着いた。
「アンニョン ハセヨ.コンガン ハセヨ.」
2人が今日初めての客だった。先ずビール。2本。後はマッコリ1瓶。食べ物は、サンギョプサル、カムジャタン、チジミ、キムチ・・。コロッケも1個づつ食べて、後3個はママさんに上げた。大層喜んでいた。韓国料理で結構満腹になって、冷麺を食べるには至らなかった。
もう、昼からずっと会っているので、今日はこの辺でと言う事で、8時過ぎには店を出て別れた。この前この店に来た時から気になっていたが、とうとう中国人のアルバイトの人に出会った。「ニイハオ」と言ったら驚いていた。後で、発音がいいと褒めてくれたが、私はこの他に「ツァイチェン」と「ニイチンツォ」しか知らない。もう一つあった。
「ビール ハオブハオ?」
と聞くと咄嗟に、
「ハオ」
と返って来た。でも、中国語ではビールとは言わない。
私たち2人の後、4人が来て、1人来て、2人来て、1人来て、4人帰り、2人帰り、2人帰り、1人来て、1人来た。そして我々2人が帰った。
ほんの少しの時間だったが、オカリナの練習をして、バス停に向かった。新長田駅でK君と1時に出会い、「ちえ」へたこ焼きを食べに行った。少し並んでから、たこ焼き定食を注文した。それまでに中瓶ビールとたこの煮付を頼んだ。けれど、殆ど同時に全部が持ち運ばれた。
汁に浸けて食べるたこ焼きは、明石焼きと言われる。満員の「ちえ」を出た。
ジョイプラの3階に上がった。「徳之島一切(ちゅっきゃり)節大会」が行われていて、シマさんが出演するのだ。それをK君と聴きに行った。
まだ4番だった。彼は或るシマ唄の会の代表である。当然師匠なのだ。いい喉をしていた。第1部と第2部とに分かれている。第1部も第2部も14番まである。ここですぐにこの新長田勤労市民センターの大きな部屋を出た。
すぐ次の駅鷹取駅を降りると、だいち小学校へと向かった。昼過ぎ、「用守冷麺」に予約の電話を入れた時、「オリニマダン(子どものひろば)」が3時まであると聞いたからだ。もう殆どのイベントが済んでいた。けれど、少し体育館の掲示を見てから外に出た。
何だか見た事のある女の人が、長テーブルを前に座っていた。
「お会いした事があるような」
と言って覗き込むとはっとしたような顔をして、すぐに立ち上がった。
「お久し振りです」
「今日オリニマダンがある事を知りました。それで今来ました」
「そうでしたか。来年は案内しますから是非来て下さい」
「そうします。所で長田マダンはもうないんですか。あれは○○○さんが中心でやっておられますね。知ってますよね」
暫く考えていた風だったが、
「私はその連れ合いですけど」
と言われた。私とした事が何と。そうだった! やっとはっきりと状況が飲み込めた。以前に一度、そう聞いていたのだ。その連れ合いさんは、黙っておこうかどうか迷ったそうだ。それも、ちょっと意地が悪い。
隣にいる女の人も笑ったが、早々にそこを離れた。
ずっと時間がずれ込んでいるとシマさんから聞いていたので、ジョイプラの地下でソフトクリームを食べてから、再び会場に戻った。シマさんのお母さんを紹介され、初めてお会いした。
「○○と言います。シマさんにはいつもお世話になっています」
「息子がお世話になっています」
と、儀礼的な挨拶を済ませ、真ん中辺りの席に座った。2部の7番目が始まった。シマさんの最後から2番目の唄を聴いたらいいと思っていたので、最後まで一つ抜けて7曲聴いた。6月6日に受付などして小まめに動いていた女性のMさんが唄っている。ハヤシは勿論シマさんだ。Mさんからは、殆ど一切節が並んだ。シマさんも一切節を唄った。これは名調子だ。ハヤシがいつものMuさんで、名コンビである。MuさんともMさんと共に、6月のその日の打ち上げには、ご一緒している。
最後は或る教室の徳之島節で終わった。最後の挨拶の後、三線の4人(シマさんも)が、元気のいい曲を弾き、会場にいる100人ばかりの内の20数人が前に出て、踊りだした。2曲目は、もっとテンポの速い曲だった。踊りの手つきが堂に入っている。島では夜通し盛り上がるんだと、これで納得させられた。
シマさんはかなりの重鎮である。この全部のプログラムで、ハヤシを8回務め、中心の唄と三線を2回務めた。そしてこの2曲。大変な数をこなしていた。背広にネクタイ姿の彼は、また違ってオーラが出ている程の存在感を示していた。何度聴いても上手い。
閉会を告げてから、シマさんが挨拶を強いられていたが、あの今回の会を仕切ったと思われる3人の挨拶の後位に要請すればいいものを、この辺が段取りの行き当たりばったりを感じずにはおれなかった。まあ、これが私の故郷も含めて、田舎の生業と言うものである。
彼には挨拶せずに会場を出た。徳之島一切節実行委員会よりの挨拶文を、理解の助けに載せて置こう。
「2008年からはじまった『徳之島一切節大会』の第3回目を開催します。神戸・長田には多くの徳之島出身者が生活しています。島を出て頑張ってきたからこそ、故郷への想いがつのります。今日は存分に島の民謡・島唄を聞いて、なつかしんでください。今年徳之島は、米軍の沖縄普天間基地の移設候補地としてあげられ、島をあげての反対運動が起きるなど、大きな動きがありました。こうした激動の1年であるからこそ、しみじみと島のこと、島にいる身内のことを考えようではありませんか。神戸と島は心とうたでつながっているのです」
外気は穏やかで、そこには鉄人28号が待っていた。写真を写すなら午前中がいい。午後はかなりの逆光になってしまうのだ。K君は、
「あれは鉄板では出来ていないだろう」
と言って傍に近づくと、トントンと脚の辺りを叩いた。耳慣れた音が返って来た。
「おお、鉄板だ」
それから琉球ワールドに行って、焼酎や泡盛などを見て回った。一升が1万円を越えるものもある。
「お金を貯めて、それを買おうや」
と、冗談交じりに言った。
オレンジやブルーのグラスが美しい。いつか気に入ったグラスを幾つか揃えたいと思っている。
K君は黒糖を買った。私は春ウコンを買った。春と秋では効能が違うようで、春物は血圧を安定させると言っていた。秋物? それは二日酔いに効くそうだ。
5時に予約を入れていた「用守冷麺」には、歩いて行く事にした。一駅西側にある。
2号線に面してある「鬼平」でコロッケを5つ買い、5時に韓国料理店に着いた。
「アンニョン ハセヨ.コンガン ハセヨ.」
2人が今日初めての客だった。先ずビール。2本。後はマッコリ1瓶。食べ物は、サンギョプサル、カムジャタン、チジミ、キムチ・・。コロッケも1個づつ食べて、後3個はママさんに上げた。大層喜んでいた。韓国料理で結構満腹になって、冷麺を食べるには至らなかった。
もう、昼からずっと会っているので、今日はこの辺でと言う事で、8時過ぎには店を出て別れた。この前この店に来た時から気になっていたが、とうとう中国人のアルバイトの人に出会った。「ニイハオ」と言ったら驚いていた。後で、発音がいいと褒めてくれたが、私はこの他に「ツァイチェン」と「ニイチンツォ」しか知らない。もう一つあった。
「ビール ハオブハオ?」
と聞くと咄嗟に、
「ハオ」
と返って来た。でも、中国語ではビールとは言わない。
私たち2人の後、4人が来て、1人来て、2人来て、1人来て、4人帰り、2人帰り、2人帰り、1人来て、1人来た。そして我々2人が帰った。