起き出す前に、寝たままポータブルラジオを胸に乗せて、NHKに周波数を合わせていた。すると、新長田で韓国・北朝鮮在日の写真展があると言った。今日までである。しかも、私の知っているキム・シニョンさんがその実行者だと言う。卓球が済んでから行ってみようと決めた。

何とはなしにインターネットで調べて見ると、普段は20時まで展示しているが、今日は最終日で13時までと書いてあった。7日からあったにしては、ラジオを聴いていなかったら見る事はなかっただろう。卓球は中止だ。

題名のない音楽会で「マーラー」を聴くと、慌ててオカリナの練習を済ませ、10時45分頃家を出た。バスはすぐ来て、垂水駅で電車もすぐに来た。普通に乗らなければ新長田駅には止まらない。後続の快速に乗っても須磨でこの普通に乗り換える事になるので、最初から普通に乗って、楽に座った。

大丸とジョイプラザは繋がっていて、エレベーターに乗ると3Fで下りた。すぐに、神戸や大坂から提供された写真が110点拡大コピーして並んでいた。「在日100年家族・生活写真展」と銘打ってあった。キム・シニョンさんは、どちらかと言えば3世4世に見て貰いたいと、新聞に応じていた。

会えると思ったが、それは叶わなかった。最後に来るだろうと思う。「長田マダン」を始めたのもキム・シニョンさんで、もうかれこれ13回続いているようである。

順路に沿って見て行った。当時の1945年前後の写真が並んでいた。セピア色に褪せた拡大コピーは、もう過去のものと思えるのに、未だ続いている在日の思いが詰まっていた。昔、彼らが日本に来てから、親切にしていたら、どんなによかっただろう。

提供者が限られていて、複数の写真を提供している人も多かった。

結婚式の写真の前でじっと立ち止まってしまった。韓服に身を包み、筵の上に四角柱の台を2つ置き、その上に粗末なテーブルを置いたそれが二人の前にあった。テーブルは低かったのだろう。台の上で、脚は宙に浮いていた。斜め上方には裸電球、台の上には蝋燭が1本灯っていた。目の前には果物が2、3個置かれているだけだ。

日本にやって来た人達は、このようにして式を挙げた。まるで隠れ家のような場所での結婚式だ。

日本は1939年に全国の在日韓国・朝鮮人に「協和会会員章(手帳)」なるものを発行している。これがないと、自国にも帰られず、制裁も受けた。

葬式の姿も写真には残っていた。麻縄を頭と腰に巻き、白い布切れを着ている。喪服は韓国では白だ。

儒教の教えが強く、「両親の死は世話や誠意が及ばなかった子の罪であると考える。粗末な服は何の色にも染められていない罪深さの表れだ」と言うのだ。自分の両親と重ねると、私も全くこの通りの服装が似合っていると思った。

集合写真には人が多く、その決断力の強さを物語っている。

北朝鮮に帰ると言う弟妹を姉が送っている姿。帰った方が良かったのか悪かったのか、私には客観的にしか判断出来ない。

2000年前後の女の人の還暦の祝いには、梨、蜜柑、林檎、玉葱が飾られ、西瓜やメロンやパイナップルもデーンと置いてある。林檎などは3個が積み重ねられ、3個3個で前面に6個、後にも同じように6個くっ付けて重ねられている。意味があるのだろうか。重ねるのが嵩が高くなって見栄えがすると考えてているのだろうか。12個は、恐らく、12ヶ月を意味していないだろうかと考えた。

100日目を迎えた赤ちゃんの前にも西瓜とメロン。林檎、蜜柑、葡萄などが飾られていた。今と昔の在日の姿の違いに、言えぬ苦労と苦しみがあったのではないかと、胸が締め付けられる。

キム・シニョンさんが通ったと言う小学校は、その頃1学年で230人はいたものが、今は全校で200人になっていると書いてあった。在日の方々の絆は強く深く、そんな状況の中しっかりと結び付いていた。そこだけは、何とも羨ましい事実であると感じた。

逆を考えると、どんなにか辛かったであろう自分を見る事が出来る、一言では言い表せない写真展であった。


新長田の2号線を歩いて、次の西にある鷹取に向かった。久し振りに「鬼平」で揚げ物を買うのと、昼はもう1年も行っていない「用守冷麺」(ヨンスネンミョン)で昼食を取る為だった。

「鬼平」のコロッケは美味く、すぐになくなる事は知っていた。ガラスのケースを見ると、コロッケはなかった。

「コロッケはまだありますよ」

と声がした。もうそれを買うために来ているのを看過されているようだった。コロッケ5個。牛串2個。たまねぎ串2個。じゃが串2個。それにトンカツを1枚買った。

兎に角安くてでかい。じゃが串は1本70円だが、大きなメイクイーンが3個差してある。これは絶品である。北海道から取り寄せていると言う拘りようだ。紙袋に入れ、ビニール袋に入れてくれたが、丸見えである。近くのファミリーマートでしっかりした一番小さな袋を買って、それに入れた。

「用守冷麺」は開いていて、1人先客があり、もう1人入って来た。私の顔を見て驚いたようにママは言った。

「あっ! 変わってないね」

「ママも年を取らないね。髪をおかっぱにしたね」

私は言った。

今、9人釜山から友達が来ていて、昨日の夜はここで宴会をしたと言った。一人で料理をしたか聞くと、アルバイトがいた。以前は韓国人のアルバイトだったが、今は綺麗な中国のアルバイトらしい。

「本当に綺麗なんだから。ねえ○○さん」

すると、その男の人は、「まあまあだね」と言った。どっちなんだろう。一見する価値があるのと、余り来なかったから、近々誰かと行って見るか。

ママは年に2度は釜山に帰ると言っていた。また私の韓国熱が高くなった。今度ソウルに行った時、江華島に行って見たいと言った。その時はホテルを紹介するからと言ってくれた。知り合いがいると言うのだ。今度はガイドに頼らないで、自分で歩いてみたい。

ピビンバを食べたが、石鍋で焼いたものではなかった。色合いが美しい。韓国では石焼きではなく、元は普通に盛っていたそうだ。汁と大根のキムチが付けられていた。

ママは饒舌になっていた。久し振りだったから、いい方に取って、懐かしさを覚えたのだろうか。隣の男は酒を飲んでいた。

「この人ったら、毎日飲むかパチンコで、韓国に団体で行った時にも、ホテルから出なかったんだから」

と言った。久し振りに食べた美味いピビンバが空っぽになると500円払い、徐にこの店を出た。鷹取駅にすぐ近い店だが、駅に来ると高架を西行きの電車が入って来るのが見えた。もう間に合わない。だがそれは止まらなかった。快速だったのだ。すぐに切符を買ってホームに上がると、ものの3分もしない内に電車が来た。

よく来た町だと思いながら、電車の中では少しまどろんでいたようだ。