11月8日(月)10時から14時まで
いつものように、王子公園駅を下りると、坂道を上って行った。
阪急三宮駅からの9時42分にいつも間に合わず、ホームに駆け上がると丁度42分を過ぎている辺りだ。次の普通は52分になり、どうしても10時にはピアノの先生S.Sさんの家には着けず、10時5分から10分までの間になる。
天気予報とは裏腹に、気持ちの良い秋空だ。つい1週間程前の歩道には、疎らに桜の葉が落ちていたが、今日は纏まって落ちていて、その大きさもこの前とは違ってかなり大きな落葉だった。1枚拾ってはみたものの、カバンに入れたらどうせ傷んでしまうと思い、2つ3つ先の木の横の落葉がかたまっている所にはらっと落とした。
気候もいいと見えて汗ばんでいる。ダイエットには持って来いの坂道だ。S.Sさんが言うには、小さい頃からここに住んでいるので坂があるのが当たり前だと思っている、との事だった。人間には、慣れると言う能力があるのだ。
練習して来た積もりだったが、甘かった。何度も間違い格好が付くのに時間がかかった。自分で練習している時は自分の速さで吹くのだから「出来た!」と思ってしまうのだ。その数小節はかなり速い指遣いを要する。家で再び練習しようと思った。
S.Sさんはピアノのプロでもあり音楽のプロでもある。惜しげもなく私の弱点が暴露されて行く。ソロは好きなように、しかもメロディーを奏でればいいが、アンサンブルとなると、必ずしも主旋律だけと言う訳には行かない。それも、きっちり合わせないといけないのだ。
速い部分は練習あるのみで、挑戦する楽しみもある。細かい所もS.Sさんはちゃんと指摘してくれる。音が半音高くなってしまっている所とか、付点の付いている音符をどちらも8分音符として吹いている所とか、レだと思い込んで吹いていた所が実はシだったり。音楽を習いに来ているような感覚に陥った。そして、アンサンブルは面白いと言う事と、オカリナなんて吹いた事もないピアノの先生でも、オカリナは教えられると言う事を確信した。
オカリナが少々吹ける先生よりピアノのプロに教えて貰う方が却って上手くなるのではないかと思ったのだ。きちんとした音楽性も身に付くと思う。それは、オカリナが凄く上手い人か、ピアノもオカリナも両方出来る人ならいいけれど、どちらもほんの少し出来る位の人に教えて貰っても、大きな進歩は期待出来ないだろう。囲碁で、囲んだら相手の石を取れるからと教えられ、囲んでは取る事ばかりやっていると大局観も育たないばかりか、2桁の級止まりで面白くないものとなろう。
教師でも、全て出来なければ教えられないかと言うとそうではなく、自らはもう走ったり跳んだり出来なくても、ちゃんと体育の授業をこなしている。家庭科を上手に教えている男の先生もいる。子どもがその先生を人間として信頼していれば、自ら学んで行くのである。
話が逸れたようだ。小さい間違いは少しあっても、1、2回、何とかなった時があった。後からまた練習するとして、またお昼をよばれてしまった。天気がいいので庭で焼肉をすると言うのである。
ワインのボトルが1本、目に付いた。これがあるとご飯が要らない。主食がワインなんて素敵ではないか。野菜炒めも沢山出て来た。すぐ傍に住んでいる私よりやや年配の、元気なOさんが自転車で戻って来た所だった。Oさんも誘って、4人で話が弾んだ。
すぐ向こうに4、5筋の畝がこしらえられ、苺やその他野菜が育てられていた。私の母の里の岡山や連れ合いの大分の家の前の畑を思い出す。こんな都会に懐かしい田舎があるような・・。振り向けば田舎、前を向けば都会と言った風情があった。まだ、小さな蝶々が1匹ひらひらと飛んでいた。
大きな植木鉢程もある3メートルばかりの車軸が外国から発注され、それを4本海に落としてしまった人が2人即刻会社をクビになった話や庭の盆栽や花や木も面倒を見ていると言う話など、酔うほどに面白かった。
散財させてしまったようだが、Sさんがワインがなくなったからと、近くから芋焼酎を買って来た。これはお湯割りにするととても旨く、このまま飲んでしまっては後の練習が出来ないので、そこそこにOさんとも別れた。
私の「浜辺の歌」の伴奏をして貰い、あとアンサンブルを2度位練習してお開きとなった。2時をちょっと回っていただろうか。とんでもなく間違ったりしたが、S.Sさんは上手い教え方をする。それに的確な指導だ。忙しい中、ご馳走までして頂き、楽しい時が過ごせて感謝だ。
「外で食べると美味しいね」
S.Sさんが言い、全く同感だった。チェリーちゃんが今日はえらく跳ね回っていたが、焼肉の時は外に繋いで貰っていた。欲しそうにこちらを見つめていたが、
「これは上げられないな」
とSさんが言った。
いつも思うのだが、楽しい事がすぐに過去にへばりつき、動きを失ってしまう。そして今度は頭の中で、その出来事が動き回る。楽しい事がどんどんと、過去の引き出しに仕分けられる頭の中のファイルが増えて行く事が楽しみである。時々引っ張り出すファイルの一齣が、鮮明に踊る程の製造を、今しておかなければ、と思う。
いつものように、王子公園駅を下りると、坂道を上って行った。
阪急三宮駅からの9時42分にいつも間に合わず、ホームに駆け上がると丁度42分を過ぎている辺りだ。次の普通は52分になり、どうしても10時にはピアノの先生S.Sさんの家には着けず、10時5分から10分までの間になる。
天気予報とは裏腹に、気持ちの良い秋空だ。つい1週間程前の歩道には、疎らに桜の葉が落ちていたが、今日は纏まって落ちていて、その大きさもこの前とは違ってかなり大きな落葉だった。1枚拾ってはみたものの、カバンに入れたらどうせ傷んでしまうと思い、2つ3つ先の木の横の落葉がかたまっている所にはらっと落とした。
気候もいいと見えて汗ばんでいる。ダイエットには持って来いの坂道だ。S.Sさんが言うには、小さい頃からここに住んでいるので坂があるのが当たり前だと思っている、との事だった。人間には、慣れると言う能力があるのだ。
練習して来た積もりだったが、甘かった。何度も間違い格好が付くのに時間がかかった。自分で練習している時は自分の速さで吹くのだから「出来た!」と思ってしまうのだ。その数小節はかなり速い指遣いを要する。家で再び練習しようと思った。
S.Sさんはピアノのプロでもあり音楽のプロでもある。惜しげもなく私の弱点が暴露されて行く。ソロは好きなように、しかもメロディーを奏でればいいが、アンサンブルとなると、必ずしも主旋律だけと言う訳には行かない。それも、きっちり合わせないといけないのだ。
速い部分は練習あるのみで、挑戦する楽しみもある。細かい所もS.Sさんはちゃんと指摘してくれる。音が半音高くなってしまっている所とか、付点の付いている音符をどちらも8分音符として吹いている所とか、レだと思い込んで吹いていた所が実はシだったり。音楽を習いに来ているような感覚に陥った。そして、アンサンブルは面白いと言う事と、オカリナなんて吹いた事もないピアノの先生でも、オカリナは教えられると言う事を確信した。
オカリナが少々吹ける先生よりピアノのプロに教えて貰う方が却って上手くなるのではないかと思ったのだ。きちんとした音楽性も身に付くと思う。それは、オカリナが凄く上手い人か、ピアノもオカリナも両方出来る人ならいいけれど、どちらもほんの少し出来る位の人に教えて貰っても、大きな進歩は期待出来ないだろう。囲碁で、囲んだら相手の石を取れるからと教えられ、囲んでは取る事ばかりやっていると大局観も育たないばかりか、2桁の級止まりで面白くないものとなろう。
教師でも、全て出来なければ教えられないかと言うとそうではなく、自らはもう走ったり跳んだり出来なくても、ちゃんと体育の授業をこなしている。家庭科を上手に教えている男の先生もいる。子どもがその先生を人間として信頼していれば、自ら学んで行くのである。
話が逸れたようだ。小さい間違いは少しあっても、1、2回、何とかなった時があった。後からまた練習するとして、またお昼をよばれてしまった。天気がいいので庭で焼肉をすると言うのである。
ワインのボトルが1本、目に付いた。これがあるとご飯が要らない。主食がワインなんて素敵ではないか。野菜炒めも沢山出て来た。すぐ傍に住んでいる私よりやや年配の、元気なOさんが自転車で戻って来た所だった。Oさんも誘って、4人で話が弾んだ。
すぐ向こうに4、5筋の畝がこしらえられ、苺やその他野菜が育てられていた。私の母の里の岡山や連れ合いの大分の家の前の畑を思い出す。こんな都会に懐かしい田舎があるような・・。振り向けば田舎、前を向けば都会と言った風情があった。まだ、小さな蝶々が1匹ひらひらと飛んでいた。
大きな植木鉢程もある3メートルばかりの車軸が外国から発注され、それを4本海に落としてしまった人が2人即刻会社をクビになった話や庭の盆栽や花や木も面倒を見ていると言う話など、酔うほどに面白かった。
散財させてしまったようだが、Sさんがワインがなくなったからと、近くから芋焼酎を買って来た。これはお湯割りにするととても旨く、このまま飲んでしまっては後の練習が出来ないので、そこそこにOさんとも別れた。
私の「浜辺の歌」の伴奏をして貰い、あとアンサンブルを2度位練習してお開きとなった。2時をちょっと回っていただろうか。とんでもなく間違ったりしたが、S.Sさんは上手い教え方をする。それに的確な指導だ。忙しい中、ご馳走までして頂き、楽しい時が過ごせて感謝だ。
「外で食べると美味しいね」
S.Sさんが言い、全く同感だった。チェリーちゃんが今日はえらく跳ね回っていたが、焼肉の時は外に繋いで貰っていた。欲しそうにこちらを見つめていたが、
「これは上げられないな」
とSさんが言った。
いつも思うのだが、楽しい事がすぐに過去にへばりつき、動きを失ってしまう。そして今度は頭の中で、その出来事が動き回る。楽しい事がどんどんと、過去の引き出しに仕分けられる頭の中のファイルが増えて行く事が楽しみである。時々引っ張り出すファイルの一齣が、鮮明に踊る程の製造を、今しておかなければ、と思う。