近鉄奈良線の河内小阪駅は歴史を感じたが、難波で準急に乗り換えると2時27分に到着した。K君とは30分に待ち合わせだったので寸分違わぬ時間に改札を出てから出会った。

司馬遼太郎記念館は、500円の入館料で十分に元が取れた。駅から12分の所にある。歩き尽くされ住み尽くされれた下町風情の落ち着いた町並みは、違和感もなく、しかも凛として包み込んでくれる。

東大阪市中小阪公園の石碑には、「21世紀に生きる君たちへ」の一部が刻まれている。司馬遼太郎の若者への願いが託されていた。

立派な佇まいで、玄関はシャットアウト。先ず庭園の広さに驚かされた。いつもこれらの木や花や草たちを見ながら、また匂いを自然に嗅ぎながら活動の為の基地にしていたと思うと、今を生きた人の強い確固とした輪郭と個性を感じた。

書斎は外から見る事が出来、庭の直径1メートル程の土管にはナノハナやツユクサを植えて彼はそれを愛でていたと言う。自然のままを好む彼は、夏に生い茂る雑草も殆ど抜かなかったそうである。そこは雑木林のイメージがあって、クス、シイ、クヌギ、カエデ、ヤマモモ、ヤマボウシ、エゴノキを始め、バラ、ボケ、ツバキ、モクレン、アシビ、クチナシなどの花木、それにツユクサ、タンポポ、ナノハナ、ツワブキ、ホトトギス、ヤブランが四季を演出する仕掛けになっている。

歩いていると彼の自筆による花供養碑があり、高さ1.2メートル、長さ2.3メートルのイタリア産カナリア石に「ふりむけば 又咲いている 花三千 仏三千 昭和61年春 司馬遼太郎」とある。

暫く庭を眺め展示室に入る。その聳え立つ書棚に吃驚仰天。一体何なのかと、最初は思いが至らなかった。この高さ11メートルの大書架は、およそ2万冊の蔵書がイメージ展示されている。自宅には自著本も含め6万冊が玄関、廊下、書斎、書庫と所狭しと収まっていると言う。

K君は一番下のずらりと並んだ司馬遼太郎の本は全部読んだと言った。これにも感心していた。

ホールは150余席あり、講演会や演奏会が開催されている。そこで、15分程度の映写会があり、「ポーツマス講話条約のニュース映像」を放映していた。白黒の無声映画で、ポーツマス講和会議の代表団が船に乗る所を随分長く映していた。変化に乏しく眠りそうになったが、1905年、小村寿太郎とロシアのセルゲイ・ヴィッテが会談した事でもあり、その頃写した映像としては捨て難いものがある。殆ど全員がシルクハット。頭がつかえないように屈んで船に入る様子が、可笑しい。後はかんかん帽子の集団。パッカードに乗った人の映像など。

また時間を置いて、「司馬遼太郎の遺した言葉」を放映。これは音声も入り、カラー映像だった。昔なら天然色と言っただろうか。

説明より、実際に行って見るのを勧めたい。何故かと言うと、私自身もう一度行ってもいいなと言う気にさせられたからだ。ホールの壁面には、大阪書籍「小学国語6年下」に載った「21世紀に生きる君たちへ」が全文掲示してある。

「・・自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。 このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。 他人の痛みを感じることと言ってもいい。 やさしさと言いかえてもいい。 『いたわり』 『他人の痛みを感じること』 『やさしさ』 みな似たような言葉である。 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。 この根っこの感情が、自己の中でしっかりねづいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、21世紀は人類が仲良しで暮らせる時代になるのにちがいない。・・」

私は、歴史小説を書いてきた。 
もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。

こう言う書き始めである。彼は赤、黄、緑などの色鉛筆を使って校正したりしている。上記の「もともと」は後から挿入されていて、原稿用紙の写真を見ると文章と格闘している様子や思いが伝わり、大変興味深く、親しみさえ覚えた。それは人柄や考え方からもよくよく分かる事ではある。

コーヒーを飲んで2時間ばかり居たであろう司馬遼太郎記念館を出た。もう一度「花供養碑」を見てから。手のひら程の真っ赤ではない2輪の赤いバラの花が、入る時も出る時も印象的だった。正直言って遠い所にある事が私を億劫にさせていたが、こうして来て見ると新しい発見がある。K君には感謝である。


K君と鶴橋まで戻り、環状線で京橋まで行く。S君と6時に待ち合わせているが、出口が色々あって、私一人なら何処で待てばいいのかよく分からない程だ。15分位時間があって、昼食を故意にではなく食べそびれた私は、彼と構内で売っているシュウクリームを食べた。何とかパパ、と言う専門店だ。旨い。

京橋花月の4階にある「金魚すさび」は2年になると言う琉球料理の店で、三宮にあるのが本店である。三宮では、格別に旨かった印象がある。

Yさんは後から来ると言っていたが、3人で乾杯をして暫くして来た。これもK君のお世話で実現した事だが、その前に出雲に帰って35年振りかに小学校時代の同窓会をして来たS君が、会わないかと言ってからの話になった。

ともあれ、久し振りの再会は心和む。

とってもいい所を見つけてくれて、ここで白状していいのかどうかよくは分からないのだけれど、2周年記念限定50組のプレミアムプランだった。普通ならとても行っていないだろうが、8000円のコースが飲み放題付きで4000円なのである。半額で食べられた事もそうだが、内容に感動してしまった。

豪華60種類の飲み放題。しかもその中の泡盛は30種もある。全部飲めないのが残念ではあるが、43度、30度、25度、20度と様々である。

みんなでYさんに、「『琉球美人』があるよ」と言ったが飲まなかった。みんなが飲む泡盛を飲んだ。名前が沢山で何を飲んだか忘れてしまったが、私は最初「琉球王朝」の30度を水割りで飲んだ。皆はお湯割りで。やっぱり泡盛はお湯割りかと思い、次からはお湯割りにした。43度でも割れば平気だ。

運ばれた料理に先ず、みんなの目が激賞。琉球八寸前菜9種盛りは9つの四角の仕切りに入っていたが、目も楽しませてくれた。その中には9種、「じーまみ豆富、ぷちぷち海ぶどう、ミミガーの紅麹酢味噌和え、すくがらす豆富、豆富よう、島らっきょ、カステラかまぼこ、ミヌダル、ドゥル天」。これだけで酒のあてには十分だとの声が上がった程豊かである。

話もその場で大笑いして終わるものが多く、実際にブログに記そうとするとすっかり忘れてしまっている。どうか、これを読んで、コメント欄にメモしてくれたら有り難いのだが。勿論ここには書けない事もあり、それは覚えているのだから始末が悪い。楽しかったらそれでいいし、楽しい事に理屈は要らないだろう。私の駄洒落が今回は冴え渡っていただけの事かも知れない。

もう一つは、S君の同窓会での話題だった。その写真から、いくらでも話が弾む。彼は高校時代の同窓会の写真も持って来ていて、今との違いに驚きながらも、私も知っている人達の当時の顔々に懐かしさを覚えた程だった。当事者のS君は、その感動を伝えたかったのではないかと思った。

このコースはすぐ打ち切りになった位人気があった。

海鮮お造り三種盛り合わせ

沖縄県魚グルクンと産地直送島野菜の天麩羅

尚家の古酒ラフテーと野菜の煮物

「幻」の琉球在来黒豚あぐーの紙鍋

沖縄産島もずくのしゅうまい

尚家のごーやちゃんぷる

沖縄そばのラフテー添え

ブルーシーアイス

ああ、愛してる! と、思わず叫びたくなる程の量と旨さ。三宮でも「金魚すさび」の料理には舌鼓を打ったが、これはその集大成だと言っても良かった。いつか遠い日に、もう一度この夢にまどろみたい。

がぶがぶ飲む方ではないので3、4杯で終わった。3時間半ばかりいて切り上げた。大坂駅まで行くとすぐに神戸方面の電車に乗る為に6番ホームに走った。新快速が4番ホームから出ると表示してある。慌てて階段を駆け下りた。4番ホームに駆け上って滑り込んだ。その後でドアが閉まり、何事もなかったかのように新快速は滑り出した。

尼崎、芦屋、三宮・・。お陰で最終の高速バスに間に合った。家の近くの停留所に停まると暗がりの中に見覚えのある姿があり、覗き込んだ。一瞬はっと驚かれたが、同じバスと同じ電車に乗っていた仕事帰りの娘だった。コーラが飲みたくなって自動販売機で120円のボトルを取り出すと、飲みながら一緒に帰った。私の香料の匂いがしたと言うから、前か後に乗っていたのだろう。余り見ないジャケットだったから、私ではないと思っていたと言った。こんな事、これで何度目だろう。

今もデジカメの料理を見ながら、昨日の夜の事を楽しみながら思い出している。駄洒落のヒットが随分生まれた一時で、ゴールド金賞はS君の言葉だった。それが間違っていない事だけは確かなのだけれど、すっかり思い出せないでいる。

「今度は忘年会をしよう」とS君が言った。もう少し人数を集めてもいなと言う意見があった。あとN君とOさんがいたらここが相談などのベースキャンプとなるだろう。S君もK君もYさんも、本当にいい人達だ。それはそうだろう。得がたくもあり、気の置けない友達なんだからな。

2010.11.4(木)14:30~22:30