20日午後9時に家を出た。黒さで周囲の景色は目に入らなかった。前照燈だけがその暗闇を辛うじて退けている。
左に見える宍道湖も暗く、後続の車が接近しては離れ、すれ違う車のライトが時々眩しかったくらいだ。
播但道に入り中国自動車道に繋がり、やがて米子道に入った。蒜山のサービスエリアも、駐車している車も数える程で、尤も、食堂も売店すら開いていなかった。いつもは、必ずジャージー牛乳のソフトクリームを食べる事を常としていた。仕方がないので、少々仮眠の積もりで眠った。それも、ものの20分だっただろうか。
再び走り、米子へ出た。山陰道を通ると、出雲の家により近くなる。斐伊川を渡って妹の家に辿り着いた。夜中の2時に着いたのは、途中寝たにしては早かったと思う。
息子は既に眠っていたが、妹はまだ起きていた。着いたら電話をして起こすから、それまで眠っているように言っておいたが、聞いていたのだろうか。
少し話し、寝付いたのは3時半だった。
母親の7回忌などを行う為に帰った。余り子どもらしい事もしていなかったので、せめての罪滅ぼしの積もりだったかも知れない。
21日の朝の9時30分に、お寺さんを迎えに行った。沢山いればお寺でもいいが、今回は家で行う事になった。
住職の息子がやって来た。私とは初対面だ。以前から知り合いででもあったかのような気楽さだった。面白い息子住職だった。5年ほどの教職経験もあると言った。
法要が始まる前に、どのお経を読み、どう言った手順で行うかを丁寧に知らせてくれた。お陰で、いつ読経が終わるかを詮索しながら、痺れが切れるのを辛抱する事もなかった。
出来れば、息子住職と同じように唱和して欲しいと言った。勿論、お経本を2種類渡された。何故だか恥ずかしくもなく、自然と唱和していた。経文の横に振ってある振り仮名を読むのが精一杯だったが、小学校で習った平仮名の読みが、こんな所で役に立ったと改めて感じる一時だった。
終わっても、殆ど足の痺れがなかった。今までは決まったように痺れて、立った時に転びそうになるのが相場だった。集中して唱和した為だろうが、こんな所に集中する事の好結果が期待出来るとは思わなかった。
後、かなり楽しい話をして、妹と一緒にこの息子住職をお寺に送った。墓に塔婆を立て、祈る間住職は読経していた。
本堂に上がって般若心経を上げて貰って、焼香をし、お茶をよばれ、お菓子を食べ、そのままでは終わることもないかと思われた話を少しにして、こちらから腰を上げて早々に帰った。
皆とくるくる寿司を食べ、島根ワイナリーへ行ってワイン1本と孫の為の、飲んでくれるか分からない葡萄ジュースを買った。無駄遣いはしない積もりだった。
家で少し寝てから神戸に帰る積もりにしていたが、寝なかった。話したり、パソコンを覗いたりしていた。私のパソコンでは見られなかったが、なんと私の20代前半の写真が載せてあった。ウオーリーを探せ、ではないが、私のパソコンでは見る事叶わぬ、今とは想像出来ない顔を見る事が出来た人は、賞品はないが、賞賛したいと思う。
泊まればいいのだが、この日1日、娘が自分で赤ちゃんの為に病院に行っているので、車が入用だ。丁度神戸を出発して24時間の午後9時に、出雲の家を出た。
また暗い道路を、来た時の逆を辿った。流石に眠く、何度かサービスエリアでちょっとずつシートを倒して寝た。走りながらうとうとするのは危険だ。眠いと思った時、すぐに車を止めて寝るのが一番だ。夢現ではなく夢だけの世界に身を置き、現を考えなくていいからだ。
その結果、神戸に着いたのは22日の午前3時半だった。パソコンをいじっている内に6時頃になった。それから眠って、8時過ぎには起こされた。末娘が近くに引越しをして来て、内装の業者と検査の人が来ると言うのだ。行くと、もうすぐ1歳になる孫娘の面倒を見ていた。眠くて仕方がなかったが、眠るわけにはいかない。
昼過ぎて、娘の弁当も買って来て2人で食べた。業者達も帰ったので、途中から来ていた孫を連れて、バスで帰った。うとうとしていたし、とても我慢が出来ずに眠った。すぐに娘を病院に迎えに行って、遅い夕飯を食べ、孫を風呂に入れてから、やっと本格的に寝た。起きたのは、23日の朝6じ前だった。
だらだらした日記に終わったようだが、ここで書いておかないと、またアップするのが延びると思って。
左に見える宍道湖も暗く、後続の車が接近しては離れ、すれ違う車のライトが時々眩しかったくらいだ。
播但道に入り中国自動車道に繋がり、やがて米子道に入った。蒜山のサービスエリアも、駐車している車も数える程で、尤も、食堂も売店すら開いていなかった。いつもは、必ずジャージー牛乳のソフトクリームを食べる事を常としていた。仕方がないので、少々仮眠の積もりで眠った。それも、ものの20分だっただろうか。
再び走り、米子へ出た。山陰道を通ると、出雲の家により近くなる。斐伊川を渡って妹の家に辿り着いた。夜中の2時に着いたのは、途中寝たにしては早かったと思う。
息子は既に眠っていたが、妹はまだ起きていた。着いたら電話をして起こすから、それまで眠っているように言っておいたが、聞いていたのだろうか。
少し話し、寝付いたのは3時半だった。
母親の7回忌などを行う為に帰った。余り子どもらしい事もしていなかったので、せめての罪滅ぼしの積もりだったかも知れない。
21日の朝の9時30分に、お寺さんを迎えに行った。沢山いればお寺でもいいが、今回は家で行う事になった。
住職の息子がやって来た。私とは初対面だ。以前から知り合いででもあったかのような気楽さだった。面白い息子住職だった。5年ほどの教職経験もあると言った。
法要が始まる前に、どのお経を読み、どう言った手順で行うかを丁寧に知らせてくれた。お陰で、いつ読経が終わるかを詮索しながら、痺れが切れるのを辛抱する事もなかった。
出来れば、息子住職と同じように唱和して欲しいと言った。勿論、お経本を2種類渡された。何故だか恥ずかしくもなく、自然と唱和していた。経文の横に振ってある振り仮名を読むのが精一杯だったが、小学校で習った平仮名の読みが、こんな所で役に立ったと改めて感じる一時だった。
終わっても、殆ど足の痺れがなかった。今までは決まったように痺れて、立った時に転びそうになるのが相場だった。集中して唱和した為だろうが、こんな所に集中する事の好結果が期待出来るとは思わなかった。
後、かなり楽しい話をして、妹と一緒にこの息子住職をお寺に送った。墓に塔婆を立て、祈る間住職は読経していた。
本堂に上がって般若心経を上げて貰って、焼香をし、お茶をよばれ、お菓子を食べ、そのままでは終わることもないかと思われた話を少しにして、こちらから腰を上げて早々に帰った。
皆とくるくる寿司を食べ、島根ワイナリーへ行ってワイン1本と孫の為の、飲んでくれるか分からない葡萄ジュースを買った。無駄遣いはしない積もりだった。
家で少し寝てから神戸に帰る積もりにしていたが、寝なかった。話したり、パソコンを覗いたりしていた。私のパソコンでは見られなかったが、なんと私の20代前半の写真が載せてあった。ウオーリーを探せ、ではないが、私のパソコンでは見る事叶わぬ、今とは想像出来ない顔を見る事が出来た人は、賞品はないが、賞賛したいと思う。
泊まればいいのだが、この日1日、娘が自分で赤ちゃんの為に病院に行っているので、車が入用だ。丁度神戸を出発して24時間の午後9時に、出雲の家を出た。
また暗い道路を、来た時の逆を辿った。流石に眠く、何度かサービスエリアでちょっとずつシートを倒して寝た。走りながらうとうとするのは危険だ。眠いと思った時、すぐに車を止めて寝るのが一番だ。夢現ではなく夢だけの世界に身を置き、現を考えなくていいからだ。
その結果、神戸に着いたのは22日の午前3時半だった。パソコンをいじっている内に6時頃になった。それから眠って、8時過ぎには起こされた。末娘が近くに引越しをして来て、内装の業者と検査の人が来ると言うのだ。行くと、もうすぐ1歳になる孫娘の面倒を見ていた。眠くて仕方がなかったが、眠るわけにはいかない。
昼過ぎて、娘の弁当も買って来て2人で食べた。業者達も帰ったので、途中から来ていた孫を連れて、バスで帰った。うとうとしていたし、とても我慢が出来ずに眠った。すぐに娘を病院に迎えに行って、遅い夕飯を食べ、孫を風呂に入れてから、やっと本格的に寝た。起きたのは、23日の朝6じ前だった。
だらだらした日記に終わったようだが、ここで書いておかないと、またアップするのが延びると思って。