23日の朝は、物凄い雨だった。
9時40分頃に垂水駅西口南側のロータリーから、K君の車で出発した。Kさんとその奥様Eさん、Yさんと私だ。
12時前に着いたのは岡山県牛島だった。昼食を取ってから向かったのは、「自由空間DON」だ。窪田聡「歌のある風景」の10年に50回行われた改訂版が行われる。1階40人、2階20人の約60人程は入れる空間(ホール)は満員だった。1時半から始まる。うたごえ60選「歌の手帳」も買った。
窪田聡さんは「かあさんの歌」の作詞作曲者である。1935年生まれ。そして牛島に移り住んだと言う話をインターネットで見て感動したのが数年前の事だった。しかも健在でこうして歌う会まで開いているのはある種の衝撃ではあった。
私はオカリナのレパートリーに「かあさんの歌」を入れている。最後に吹く位、気に入っているメロディーと歌詞である。いつの日かそれを本人の前で聴いて貰いたいと、純粋な思いを抱いていた。いつか牛島に行って、聴いて貰おう・・。
来年か再来年か、そんな気持ちでいた。所が牛島の地名をK君に喋った瞬間、「牛島は是非行って見たい所だ」と言ったかと思うと、数日してから「牛島に行かないか」と電話をして来た。えっ、こんなに早く。そう思ったが、思い立ったが吉日、に便乗する事にした。
ホテルがキャンペーン中だと言う事で、安くなっていると言うのだ。ただ基本的には2人部屋で、2人なら1人分は10,000円2食付である。1人なら16,000円になると言う話だった。
私はYさんを誘った。暫く保留になっていた返事が来て、「行けそうだ」との事。彼が加われば一段と楽しい旅行になるのは目に見えている。内心その事もだが、費用が無駄にならない事も喜びの対象に十分だった。よく来てくれたと思い、感謝している。
窪田さんとは簡単な挨拶を済ませ、一番後ろの席に4人は座った。時間を大切にする人のようで、1時30分きっかりに始まった。
アコーディオンの響きは素晴らしく、自分達が歌ったり、「ふう」のメンバーが歌ったりした。聴衆は40年もとっくの昔の思い出となった「うたごえ喫茶」さながらに、彼のアコーディオンに合わせて歌った。今回はロシア民謡特集で、「カチューシャ」「カリンカ」「黒い瞳の」「灯」「トロイカ」「山のロザリア」などを歌った。途中休憩でコーヒータイム。
勿論「かあさんの歌」も歌った。
新しく来た人が10人以上いた。牛窓は元より岡山、倉敷、広島、そして神戸、大阪。歌わせるタイミングは流石だと思った。何の緊張もないどころか、自然と歌わされる。これも人柄か経験か。
「予約している人達を紹介します。神戸からもオカリナをする人が来ています」
私は窪田聡さんの前で吹ける事。ただマンツーマンで聴いて貰えればそれでいいと思っていたし、そうとしか思えなかった。事実その通りの結果とはなったが。
この紹介の仕方なら、全部終わった後で、皆が私の「かあさんの歌」を聴いてくれるような運びになるのではないかと思ってしまい、自分一人、何だか愉快な気持ちになっていた。
「郵便馬車の馭者だった頃」や「ステンカ・ラージン」もいい歌だった。最後は、窪田聡作詞作曲の「青い空は誰のもの?」と「あたりまえの地球」で終わった。重いラジカセを持ち出す準備を始めたが、もともと窪田さんのライブだからそんな筈はないと思いながらの心積もりだった。
「終わります」
と言ったかと思うと、参加者は少しずつ帰り始めた。少しして女の人が、
打ち合わせがあるのでそれが済んでからなので、少しお待ち下さい」
と言った。外で、4人は景色を眺めていた。少しずつ、自分の勝手な思いから、テンションが下がるのを感じていた。そんなものだろう。でも、ひょっとしてこんなに親しく歌う会なら、1曲、しかも窪田さんの歌だ。皆で聴いて貰えるかも知れないと思ったのは、矢張り思い上がりだった。
電話で見ず知らずの私が、有名人の窪田さんに電話をして、やっと聴いて貰える事になったのだ。それ以上考えてはならない事だったし、考えもしていなかったのだ。
やっと聴いて貰える時間が来た。ラジカセをセットして伴奏を流した。窪田さんは前に座ってくれた。友の3人は後にいた。吹き始めると何人かの人が入って来て、座って聴いた。Yさんが残っている人に声をかけてくれていたようだ。
気分は余り乗らなかったが、一生懸命に吹いた。終わった後私は、
「ありがとうございました」
とお礼を言った。窪田さんは、何も言わなかった。私の吹き方とフィーリングが合わなかったのだろうと思った。辛抱して聴いていたと思うと、申し訳ない気持ちになった。聴いて貰う事を心待ちにしていたから、私は何をしに来たのだろうと恥ずかしい思いに駆られた。でも、終わった。「かあさんの歌」の作詞作曲者に聴いて貰えたのだから、これ以上何の言う事があるのだろう。
2年間案内を送ると言う帯に名前と住所を書いたのだけれど、牛窓には来る事があっても、私の迷惑だったかも知れない行為を恥じながら、「自由空間DON」にはもう来る事はないだろうと思った。
あれだけ楽しみにしていた思いも、空中分解してしまったが、私の勝手な思い上がりも、大いに反省しなければならない事である。
仲間は、「小沢征爾に似ている」と言ったが、風貌はそんな感じの人である。優しそうな人だった。
どこの馬の骨とも分からぬ私如きのオカリナを、聴いて頂けた事には心から感謝をしている。ただ、思いが伝わらなかったのが残念だ。何の手掛かりも掴めないで帰る事になったからである。
その後「HOTEL Limani」に行った。この辺では一等のホテルだろう。素敵な建物だった。
5時から夕食を取った。6時からクルージングだ。ゆっくり食べている暇はない。それでも、食堂「沙羅紗」のおしながきには、美味しいものが並んだ。
おしながき
先 付 「錦秋和え」菱蟹、占地、とんぶり、菊菜、いくら、もって菊
向 付 「厳選造り 四種盛り」あしらい一式、柚香醤油
煮 物 「鰻飛龍頭」木茸、人参、百合根、友地餡、溶き辛子
焼 物 「国産フィレ肉と野菜のオリーブ石焼」
口直し 「無花果卸し合え」
合 肴 「鱚蓑揚げ、鱧奉書巻」トマト、青唐辛子、牛窓唐子塩
食 事 「木の子御飯 香の物」占地、舞茸、榎木、振り柚子
止 椀 「味噌仕立」焼茄子、三つ葉
デザート
6時に10分前にホテルを出てフェリーに乗った。これがクルージングの船だ。10人位のものだと思っていたら、結構多い人数で驚いた。瀬戸内海をぐるっと2時間かけて回る。風が強い。寒いが、震える程でもない。景色が見たい為に、上に上がった。部屋は満員で、デッキで凭れていた。
夕焼けで空が染まり、一刻一刻姿を変えて行き、やがて色も焦る頃一番星が目に入った。厚く覆われた雲の横から煌々と輝く満月が顔を覗かせた。幸せ、と言って感動していた若い女性がいた。モーションにも言葉にも力が入っていた。私達も、その度に通路を移動してデジカメに収めたり、眺めたりした。満月は恥ずかしいのか、雲の横で覗いたり隠れたりした。
灯台の光が、強い力で点滅している。島のシルエットが郷愁を誘った。この瞬間瞬間の美しさを、思い出として刻んで行くのが人生なのかとも思った。フェリーには200人乗っていたと後から聞いた。
夜は3階のK夫妻の部屋で酒盛りをした。たった一つの話題で4時間が過ぎた。K君が準備してくれていた「五郎八」やワイン、焼酎を飲みながら語り合った。この楽しい一時も、いつしか夢の中へと融合して行った。
24日は8時から朝食で、8時半頃に食堂へと向かった。種類も豊富で、少しずつ殆どを皿に乗せた。こんなに食べる事は滅多にないが、終わって見ると苦しくて動けない程だった。不味ければ余り食べずに済んだのに。
10時半にチェックアウトをして、すぐ近くの「海遊文化館」に行った。どれも船型をしているだんじりが8基ある内の2基がここにはあった。獅子の頭と麒麟の頭のついただんじりだった。今も続けられていると言う話である。
鎖国の江戸時代に日本と朝鮮の両国は誠信の交隣関係があり、江戸幕府は前後12回にわたる朝鮮通信使の来日を歓迎していた。往復に5ヶ月から8ヶ月を費やしており、また人数もおよそ500人に及んだと言う。
帰りに韓服が4着あると言って、着せてくれた。早速デジカメに収めたが、朝鮮の宮廷を彷彿とさせた。
牛窓神社では奉納と称して、「アニーローリー」を吹いた。こんな所では始めてだった。神社の女の人が出て来て、「神主は今留守です」と言いながら、再び私の吹く「かあさんの歌」を聴いてくれた。
それから、オリーブの里へ行った。島々が展望出来る。屋島まで見えていた。みやげ物屋の店員は2人とも楽しい人で、牛窓の人達は全体的に親切で好意的だと思った。ソフトクリームを食べ、土産を買って一路日生(ひなせ)へ。
朝の網がもう売れなくなっていた。凄い量の海老をK君が安く買い、3つに分けて2人にくれた。勿論家では塩茹でにして食べた。
本当に楽しい2日間だった。私は窪田聡さんに「かあさんの歌」を聴いて貰うと言う念願が叶って幸せだった。もう、蟠りはない。
この旅が楽しかった事が何よりだった。垂水駅まで送って貰い、K君にはお世話になった。奥様のEさんには、いい話を聞かせて貰った。Yさんにも参加して貰い、数段楽しい時が持てた。ちょっとしたきっかけからの旅だったが、実現できて心から感謝している。ありがとう、K君、Eさん、Yさん。
人情味のある牛島! 来てよかった。
9時40分頃に垂水駅西口南側のロータリーから、K君の車で出発した。Kさんとその奥様Eさん、Yさんと私だ。
12時前に着いたのは岡山県牛島だった。昼食を取ってから向かったのは、「自由空間DON」だ。窪田聡「歌のある風景」の10年に50回行われた改訂版が行われる。1階40人、2階20人の約60人程は入れる空間(ホール)は満員だった。1時半から始まる。うたごえ60選「歌の手帳」も買った。
窪田聡さんは「かあさんの歌」の作詞作曲者である。1935年生まれ。そして牛島に移り住んだと言う話をインターネットで見て感動したのが数年前の事だった。しかも健在でこうして歌う会まで開いているのはある種の衝撃ではあった。
私はオカリナのレパートリーに「かあさんの歌」を入れている。最後に吹く位、気に入っているメロディーと歌詞である。いつの日かそれを本人の前で聴いて貰いたいと、純粋な思いを抱いていた。いつか牛島に行って、聴いて貰おう・・。
来年か再来年か、そんな気持ちでいた。所が牛島の地名をK君に喋った瞬間、「牛島は是非行って見たい所だ」と言ったかと思うと、数日してから「牛島に行かないか」と電話をして来た。えっ、こんなに早く。そう思ったが、思い立ったが吉日、に便乗する事にした。
ホテルがキャンペーン中だと言う事で、安くなっていると言うのだ。ただ基本的には2人部屋で、2人なら1人分は10,000円2食付である。1人なら16,000円になると言う話だった。
私はYさんを誘った。暫く保留になっていた返事が来て、「行けそうだ」との事。彼が加われば一段と楽しい旅行になるのは目に見えている。内心その事もだが、費用が無駄にならない事も喜びの対象に十分だった。よく来てくれたと思い、感謝している。
窪田さんとは簡単な挨拶を済ませ、一番後ろの席に4人は座った。時間を大切にする人のようで、1時30分きっかりに始まった。
アコーディオンの響きは素晴らしく、自分達が歌ったり、「ふう」のメンバーが歌ったりした。聴衆は40年もとっくの昔の思い出となった「うたごえ喫茶」さながらに、彼のアコーディオンに合わせて歌った。今回はロシア民謡特集で、「カチューシャ」「カリンカ」「黒い瞳の」「灯」「トロイカ」「山のロザリア」などを歌った。途中休憩でコーヒータイム。
勿論「かあさんの歌」も歌った。
新しく来た人が10人以上いた。牛窓は元より岡山、倉敷、広島、そして神戸、大阪。歌わせるタイミングは流石だと思った。何の緊張もないどころか、自然と歌わされる。これも人柄か経験か。
「予約している人達を紹介します。神戸からもオカリナをする人が来ています」
私は窪田聡さんの前で吹ける事。ただマンツーマンで聴いて貰えればそれでいいと思っていたし、そうとしか思えなかった。事実その通りの結果とはなったが。
この紹介の仕方なら、全部終わった後で、皆が私の「かあさんの歌」を聴いてくれるような運びになるのではないかと思ってしまい、自分一人、何だか愉快な気持ちになっていた。
「郵便馬車の馭者だった頃」や「ステンカ・ラージン」もいい歌だった。最後は、窪田聡作詞作曲の「青い空は誰のもの?」と「あたりまえの地球」で終わった。重いラジカセを持ち出す準備を始めたが、もともと窪田さんのライブだからそんな筈はないと思いながらの心積もりだった。
「終わります」
と言ったかと思うと、参加者は少しずつ帰り始めた。少しして女の人が、
打ち合わせがあるのでそれが済んでからなので、少しお待ち下さい」
と言った。外で、4人は景色を眺めていた。少しずつ、自分の勝手な思いから、テンションが下がるのを感じていた。そんなものだろう。でも、ひょっとしてこんなに親しく歌う会なら、1曲、しかも窪田さんの歌だ。皆で聴いて貰えるかも知れないと思ったのは、矢張り思い上がりだった。
電話で見ず知らずの私が、有名人の窪田さんに電話をして、やっと聴いて貰える事になったのだ。それ以上考えてはならない事だったし、考えもしていなかったのだ。
やっと聴いて貰える時間が来た。ラジカセをセットして伴奏を流した。窪田さんは前に座ってくれた。友の3人は後にいた。吹き始めると何人かの人が入って来て、座って聴いた。Yさんが残っている人に声をかけてくれていたようだ。
気分は余り乗らなかったが、一生懸命に吹いた。終わった後私は、
「ありがとうございました」
とお礼を言った。窪田さんは、何も言わなかった。私の吹き方とフィーリングが合わなかったのだろうと思った。辛抱して聴いていたと思うと、申し訳ない気持ちになった。聴いて貰う事を心待ちにしていたから、私は何をしに来たのだろうと恥ずかしい思いに駆られた。でも、終わった。「かあさんの歌」の作詞作曲者に聴いて貰えたのだから、これ以上何の言う事があるのだろう。
2年間案内を送ると言う帯に名前と住所を書いたのだけれど、牛窓には来る事があっても、私の迷惑だったかも知れない行為を恥じながら、「自由空間DON」にはもう来る事はないだろうと思った。
あれだけ楽しみにしていた思いも、空中分解してしまったが、私の勝手な思い上がりも、大いに反省しなければならない事である。
仲間は、「小沢征爾に似ている」と言ったが、風貌はそんな感じの人である。優しそうな人だった。
どこの馬の骨とも分からぬ私如きのオカリナを、聴いて頂けた事には心から感謝をしている。ただ、思いが伝わらなかったのが残念だ。何の手掛かりも掴めないで帰る事になったからである。
その後「HOTEL Limani」に行った。この辺では一等のホテルだろう。素敵な建物だった。
5時から夕食を取った。6時からクルージングだ。ゆっくり食べている暇はない。それでも、食堂「沙羅紗」のおしながきには、美味しいものが並んだ。
おしながき
先 付 「錦秋和え」菱蟹、占地、とんぶり、菊菜、いくら、もって菊
向 付 「厳選造り 四種盛り」あしらい一式、柚香醤油
煮 物 「鰻飛龍頭」木茸、人参、百合根、友地餡、溶き辛子
焼 物 「国産フィレ肉と野菜のオリーブ石焼」
口直し 「無花果卸し合え」
合 肴 「鱚蓑揚げ、鱧奉書巻」トマト、青唐辛子、牛窓唐子塩
食 事 「木の子御飯 香の物」占地、舞茸、榎木、振り柚子
止 椀 「味噌仕立」焼茄子、三つ葉
デザート
6時に10分前にホテルを出てフェリーに乗った。これがクルージングの船だ。10人位のものだと思っていたら、結構多い人数で驚いた。瀬戸内海をぐるっと2時間かけて回る。風が強い。寒いが、震える程でもない。景色が見たい為に、上に上がった。部屋は満員で、デッキで凭れていた。
夕焼けで空が染まり、一刻一刻姿を変えて行き、やがて色も焦る頃一番星が目に入った。厚く覆われた雲の横から煌々と輝く満月が顔を覗かせた。幸せ、と言って感動していた若い女性がいた。モーションにも言葉にも力が入っていた。私達も、その度に通路を移動してデジカメに収めたり、眺めたりした。満月は恥ずかしいのか、雲の横で覗いたり隠れたりした。
灯台の光が、強い力で点滅している。島のシルエットが郷愁を誘った。この瞬間瞬間の美しさを、思い出として刻んで行くのが人生なのかとも思った。フェリーには200人乗っていたと後から聞いた。
夜は3階のK夫妻の部屋で酒盛りをした。たった一つの話題で4時間が過ぎた。K君が準備してくれていた「五郎八」やワイン、焼酎を飲みながら語り合った。この楽しい一時も、いつしか夢の中へと融合して行った。
24日は8時から朝食で、8時半頃に食堂へと向かった。種類も豊富で、少しずつ殆どを皿に乗せた。こんなに食べる事は滅多にないが、終わって見ると苦しくて動けない程だった。不味ければ余り食べずに済んだのに。
10時半にチェックアウトをして、すぐ近くの「海遊文化館」に行った。どれも船型をしているだんじりが8基ある内の2基がここにはあった。獅子の頭と麒麟の頭のついただんじりだった。今も続けられていると言う話である。
鎖国の江戸時代に日本と朝鮮の両国は誠信の交隣関係があり、江戸幕府は前後12回にわたる朝鮮通信使の来日を歓迎していた。往復に5ヶ月から8ヶ月を費やしており、また人数もおよそ500人に及んだと言う。
帰りに韓服が4着あると言って、着せてくれた。早速デジカメに収めたが、朝鮮の宮廷を彷彿とさせた。
牛窓神社では奉納と称して、「アニーローリー」を吹いた。こんな所では始めてだった。神社の女の人が出て来て、「神主は今留守です」と言いながら、再び私の吹く「かあさんの歌」を聴いてくれた。
それから、オリーブの里へ行った。島々が展望出来る。屋島まで見えていた。みやげ物屋の店員は2人とも楽しい人で、牛窓の人達は全体的に親切で好意的だと思った。ソフトクリームを食べ、土産を買って一路日生(ひなせ)へ。
朝の網がもう売れなくなっていた。凄い量の海老をK君が安く買い、3つに分けて2人にくれた。勿論家では塩茹でにして食べた。
本当に楽しい2日間だった。私は窪田聡さんに「かあさんの歌」を聴いて貰うと言う念願が叶って幸せだった。もう、蟠りはない。
この旅が楽しかった事が何よりだった。垂水駅まで送って貰い、K君にはお世話になった。奥様のEさんには、いい話を聞かせて貰った。Yさんにも参加して貰い、数段楽しい時が持てた。ちょっとしたきっかけからの旅だったが、実現できて心から感謝している。ありがとう、K君、Eさん、Yさん。
人情味のある牛島! 来てよかった。