興南フィーバーの夏が、今は夢ででもあったかのように終わった。やっぱり、若さと情熱と力は素晴らしい。テレビの前に釘付けにしてくれたからだ。今はこれに匹敵するものがなく、何となく気が抜けたようで寂しい。

直接は関係ないとは思うが、野球ついでに8月20日の朝日新聞「天声人語」を載せて、区切りを付けたいと思う。


天声人語 2010.8.20

名を成した人の親なら、子育て自慢も許されよう。半世紀も「偉人の母」でありながら、控えめを通したこの人は稀有な例である。世界のホームラン王、王貞治さん(70)の母登美さんが108歳の天寿を全うした。

世界記録を抜く756号が出た試合、グラウンドに招かれた老父母は、孝行息子から記念の花盾を受けた。質素な普段着、慣れぬ場ではにかむ笑顔に、人格者が巣立った家庭をのぞき見た思いだった。

富山市で生まれた登美さんは、10代半ばで東京に奉公に出て、中国出身の王仕福さんと出会う。差別の中、どんな仕事もいとわぬ出稼ぎ労働者だった。若夫婦は、屋号ごと継いだ下町の中華そば屋「五十番」に将来を賭けた。

王さん曰く「気は強いが、一面では優しく陽気な働き者」は、一途で不器用な夫を支え、小さな店を切り回した。夕飯は登美さんが作る栄養満天のおじやで、ふうふう食べたという。仮死状態で生まれた病弱な子は大きく育ち、球史に太字の名を刻む。

母は、球場に通い詰める〈後楽園の名物ばあさん〉でもあった。現役引退時の思いを、自著に記す。「無学の上に特別な才能も何もない親のもとで、ここまでやってくれて、母さんは幸せです」(『ありがとうの歳月を生きて』勁文社)。

いや、徹夜の看病がなければ、そして大空襲の夜におぶって逃げてくれなければ、868本の本塁打はない。多くの野球少年が「世界」を夢見ることもなかったろう。そうそう、左利きの矯正をあきらめてくれたのも正しかった。「ありがとう」は尽きない。




ただただ頭の下がる王貞治さんだが、併せて両親にも畏敬の念を抱く。私から見れば遥かに無駄のない堅実な生き方に、今更ながら涙が滲むのだ。