2台の車で4人(男)、2人(女)のパターンで出雲大社へ向かった。南中をずっと過ぎてからの事である。25年の遷宮まで仮の神殿が出来ている。以前の本殿は閉ざされ、盛んに工事中だ。3年後(25年)の5月10日に美しくなった神殿を見に来よう。

大きく太い木が3本巴になって1本の役割をする柱の跡が発見されてから、地上48メートルに神殿が存在した事が明らかになった。長い階段を神官や豪族達が上って行く様を想像するだけでロマンを感じてしまう。

歩いている巫女さんに出会うと、それがあたかも古代を現実のものにする。暫し、壮大な御世に思いを馳せる。

そして車は日御碕灯台のすぐ近くの日御碕神社に向かった。そこは天照大御神の神殿があり、すぐの石段を上ると須佐之男命の神殿がある。古事記を単なる神話と思えない私には、日本にそんな凄い代があったと思うと、ただ願い事をするだけの対象とは考え難い。

皆が御神籤を引いた。それぞれが当たっていると、今の自分の在り様を反省したようだ。横浜の妹はいつも御神籤を持って帰る。身に沁みた言葉があったようだ。

「家に持って帰って、写経のように毎日書いたらどう?」

と、冗談っぽく言った。けれど、強ち当たっていないとも思えなかった。忘れてしまうより、意識付けをする方がずっと成長の糧となる。もう4時半近くなっており、社務所は開いていなかった。すぐに日御碕へと行ったが、残念ながら灯台の中は見学出来なかった。4時半までだからである。私なら10回以上上っているから、どちらでも良かった。でも、この灯台は上れば必ずと言っていい程息せき切るのだ。

海抜100メートルは東洋一と言われている。ウミネコはもう北の島に行ったのだろう。どこにもその姿はなかった。


出雲の家に戻ると、昭和天皇に献上した羽根屋のそばを食べに行った。奥のとても落ち着く部屋は予約で入れなかったので、2階に上がった。割りごそばの3段重ねを食べる予定だったが、天丼が美味しそうでそれにすると、ベースの甥がかも南蛮にした他は全員が天丼にした。そばの名店で天丼も面白かろう。そばは、1枚ずつ食べるようには注文した。


女性群と言っても2人は、買い物をすると言って大きなスーパーに行った。私たち4人は家の鍵を貰い、先に帰る事になった。ドアを開ける前に、皆が暗くなった空を見上げた。そこには、都会ではみられない瞬く星空が広がっていた。忘れていた星の世界。降り注ぐ星屑の煌き。何と美しい事だろう。首が痛くなる程天を仰いだ。

家が邪魔をしてはいたが、北斗七星がはっきりと見えた。あの柄杓の7倍伸ばした先には北極星があった。ポラリスなどと言う言葉は、「冬のソナタ」以来だ。

「あっ、流れ星」

それは長く尾を引いた。それでも一瞬の事で、皆には見えなかった。もう一つ視界に入ったが、それも私にだけ見えた。ワクワクした感動は、これで終わるには勿体無い事だった。でもこの日は4日で、明日はどちらも帰る事になっている。

「来年夜、田儀の海へ行って砂浜に寝そべり、星を堪能しよう」

と言った。この宝石は、人間に頂いた贈り物ではないのか。美しい。余りにも美しい。それは感動する事の喜びを思い出させてくれた。部屋に入ると、忽ち台所は語らいの場となる。


やがてそれから、皆は眠りに就くのである。


私は4時頃に目が開いた。老人パワーか。まだ暗いか明けるかの境みたいな外へ出てみた。星はまだキラメキを失っていなかったが、配置が大きく変わっていた。何と東の地平すれすれに、見た事もない大きさでオリオン座が横たわっていた。はあ~と、溜息を吐いた。また流れ星。それは短かった。

早起きは三文の徳と言うが、意識して起きた訳ではなかったにしても、随分得をした気がした。すぐに朝風呂に入った。風呂の窓が少し赤らんで来たようだった。上がると再び外に出た。朝焼けがほんのりと空の雲を染めていた。

もう少ししたら朝日が昇って来るだろう、そう思った。どうせ見るなら斐伊川へ行ってみようと思い立ち、車を走らせた。そんなに遠くはないが、もう昇ってしまっているかも知れなかった。土手に車を置き、デジカメと携帯をポケットにいれたまま、西の川縁に立った。まさに東の端が明るくなったかと思うと、見る見る太陽が顔を覗かせた。

何度かシャッターを切った。神立橋の下の川に、青い空と白い雲が写っている。何の歪みもない。昔の女性は、こんな所で水にその面を写し見たのだろう。正月なら、ご来光に変わる所だ。丁度5時30分頃だった。

もう地面にくっつきそうな大きな宇宙船艦ヤマトのような雲が、出雲の雲の美しさとスケールの大きさを無言で語っていた。大きいけれど、キッコロのようなアヒルのような姿がが3匹、こちらに微笑んでいるような雲もあった。

おじさんが、「おはようございます」と行って通り過ぎた。私も「おはようございます」と、何の不自然もなく返した。昨夕から今朝にかけて、何と儲けた気分になった事か。

自然は、心を癒してくれる。その自然を忘れかけていた。そして、自分が自然の一部だと言う事も。故郷は、そんな癒しの力で満ち溢れている。だから、帰るのだろうか。美しい自然を忘れてはならないと思った。自然と塗れる事が、どれだけ心に取って大切かが思われた。

都会に林立するビルが自然の木々だと間違わないように、美しい自然を愛し感謝出来るように、その掛け替えのない財産を失う事のないように、その愛しさを、私は伝えて行けたらと思った。

「故郷の山や海」。そんな曲を作ったなあ。ここで生まれた訳ではないが、確実に自分の故郷になっている悠介のアレンジで出来たこの曲は、正しく私の宝物となった。いや、これは妹達や私の家族全部の宝物だと言ってもいい。そして、自然を愛する者、自然に癒されたい者達の、皆の宝物になったらいいなと思っている。


夕方近く、横浜の妹の家族は出雲空港でみやげを買っていた。ここは結構何でもあって楽しく買い物が出来る。私もつられてサザエの混ぜご飯の素を買った。妹は12個も買ったのだから余程旨いのだろうと思った。それは当たっていた。

握手を交わし、出雲の妹とデッキに上った。飛行機と繋ぐ通路で立ち止まり、手を振っているのが見えた。暑いフェンスの方に近づいて、こちらも手を振った。飛行機の窓の遮光板が幾つか開けられた。それが横浜組みかどうかは分からなかったが、何となくそんな気がした。

JALはゆっくり滑走路の端に進むと、徐にスピードを上げ、機体は滑走路から離れた。上空でゆっくり旋回して消えて行った。

私は妹と家に戻り、夕食を食べて少ししてから神戸へと向かった。外はすっかり暗く、もう9時を回っていた。