8月1日(日)は神戸を午後2時半に出発して、出雲へ向かった。一人で車を運転して帰るのだが、35年も通った勝手知ったる道だ。米子道を走るようになってから、距離も約280キロメートルとなり、時間も4時間ちょっとで走る事が出来る。
5日(木)までいた。神戸に帰り着いたのは、翌6日の午前4時半頃だった。
この間ブログの事は全く考えていなかったので、何をしたかが明瞭には思い浮かばない。ただゆとりの中で、充実した時を過ごしていた。
横浜から下の妹の家族が4人来た。それは、勿論日程を打ち合わせての事だった。1日は、午後7時50分に出雲空港に到着するので、彼らを拾って帰る為の時間調節の運転だった。出雲の妹の息子達とは日が合わず、残念ながら会う事は出来なかった。
今回は旅行記と言った類のものではなく、出来るだけ思い浮かぶ事を簡略に書く積もりだ。それも、印象に残った事だけを、気儘に書いて見ようと思っている。強いて言えば、それがリフレッシュと言えるだろうか。
出雲空港は小さな国内線の空港だ。4人の元気な姿を見るまでには30分位時間があった。3階の送迎デッキに出て、飛行機の姿が見えたら下に降りる事にした。暑いとは言ってももう日は沈んでいて、むっとする程ではなかった。
100円払って出たデッキに、人影はなかった。ベンチに腰掛けると、徐にオカリナを取り出して吹いた。然るべき場所以外で吹くのは苦手だが、全く人がいない事が幸いした。
今回持参したオカリナは、イカロスと吉塚オカリナの4C管と1C管だった。もう暗くなってはいたが、こんな事で勇気が必要だとは思わなかった。思い付くまま、手当たり次第に吹いた。「ふるさと」や「里の秋」。
その時、人の気配がした。男の人がデッキに入って来た。最初から人がいたら吹いてはいなかったのだが、急に止めるのも変な気がして、次から次へと吹き捲った。その時の衝撃と言ったらない。胸が激しく鼓動していたのだ。慰問やフェスティバルやライブなど、出番が決まっているものだったら覚悟が出来ているが、こんな突然の事態には対応出来ない。音も響かないし、自分でも気持ち良く吹いている訳ではなかった。
男の人は、デッキの端に行ったりベンチに座ったり。私のオカリナなど見向きもしなかった。けれど、音は聞こえていると思うと複雑な心境で、「亜麻色の髪の乙女」や「トルコ行進曲」や「主よ、人の望みの喜びよ」など、急に童謡、唱歌を止めて吹き始めた。もう演奏どころではなかった。余裕など、全くなかった。この人がデッキにいる事が信じられない程だった。
人がいて反応がないのは気になるし、かと言って拍手などされたら、それこそ心臓が飛び出ただろう。当たり前のようにオカリナをしまうと、まだ飛行機は到着しなかったがロビーの出口付近に下りて行った。
妹と旦那、それに2人の息子達が出て来た。到着は予定よりやや早く、元気な姿を認める事が出来た。楽しいだろう5日間の幕開け。ベースを弾く甥がいて、彼には何曲かの伴奏を作って貰う事になっていた。私には、それも大きな楽しみの一つだったのだ。
先ほどの男の人が目に入った。向こうはやっぱり意識していないように見える。もし、路上で私がオカリナを吹く事があったとしても、それはまた別の事である。聴かれるのが当然だと言う心構えが出来ているからである。今回は、誰もいないと思っている所に人がいたのである。鳩が豆鉄砲を食らったようだった。
4人を乗せると、出雲の妹の住んでいる、かつては父も母も祖母も住んでいた、妹の待つ家へと向かった。途中その話をすると、他人事のように笑った。えらい受けたものだ。
夏はこうして会う事が多いが、会えば最初は外で食事をする。一旦家に着くと、いつもと同じ食堂へ出かけた。弟の方の甥が、特にうなぎが好きで、これが外せない行事の一つに定着しつつあったのだ。
家ではビールでささやかに乾杯をしたのだが、疲れもあったのだろうか、やがて少量で真っ赤な顔になり、心行くまでの眠りに就いた。余り強くないベースの甥も、11時に2階から下りて来ると言ったまま、そんな気配は全くなかった。きっと爆睡していた事だろう。
ヒアルロンサンを飲んでいると言った出雲の妹は、幾分顔に艶があるように感じられた。何事にも努力が大切で、物心両面での手入れは怠ってはならないと思った。
こうして、瞬く間に出雲での第1日目が終わってしまっていた。
5日(木)までいた。神戸に帰り着いたのは、翌6日の午前4時半頃だった。
この間ブログの事は全く考えていなかったので、何をしたかが明瞭には思い浮かばない。ただゆとりの中で、充実した時を過ごしていた。
横浜から下の妹の家族が4人来た。それは、勿論日程を打ち合わせての事だった。1日は、午後7時50分に出雲空港に到着するので、彼らを拾って帰る為の時間調節の運転だった。出雲の妹の息子達とは日が合わず、残念ながら会う事は出来なかった。
今回は旅行記と言った類のものではなく、出来るだけ思い浮かぶ事を簡略に書く積もりだ。それも、印象に残った事だけを、気儘に書いて見ようと思っている。強いて言えば、それがリフレッシュと言えるだろうか。
出雲空港は小さな国内線の空港だ。4人の元気な姿を見るまでには30分位時間があった。3階の送迎デッキに出て、飛行機の姿が見えたら下に降りる事にした。暑いとは言ってももう日は沈んでいて、むっとする程ではなかった。
100円払って出たデッキに、人影はなかった。ベンチに腰掛けると、徐にオカリナを取り出して吹いた。然るべき場所以外で吹くのは苦手だが、全く人がいない事が幸いした。
今回持参したオカリナは、イカロスと吉塚オカリナの4C管と1C管だった。もう暗くなってはいたが、こんな事で勇気が必要だとは思わなかった。思い付くまま、手当たり次第に吹いた。「ふるさと」や「里の秋」。
その時、人の気配がした。男の人がデッキに入って来た。最初から人がいたら吹いてはいなかったのだが、急に止めるのも変な気がして、次から次へと吹き捲った。その時の衝撃と言ったらない。胸が激しく鼓動していたのだ。慰問やフェスティバルやライブなど、出番が決まっているものだったら覚悟が出来ているが、こんな突然の事態には対応出来ない。音も響かないし、自分でも気持ち良く吹いている訳ではなかった。
男の人は、デッキの端に行ったりベンチに座ったり。私のオカリナなど見向きもしなかった。けれど、音は聞こえていると思うと複雑な心境で、「亜麻色の髪の乙女」や「トルコ行進曲」や「主よ、人の望みの喜びよ」など、急に童謡、唱歌を止めて吹き始めた。もう演奏どころではなかった。余裕など、全くなかった。この人がデッキにいる事が信じられない程だった。
人がいて反応がないのは気になるし、かと言って拍手などされたら、それこそ心臓が飛び出ただろう。当たり前のようにオカリナをしまうと、まだ飛行機は到着しなかったがロビーの出口付近に下りて行った。
妹と旦那、それに2人の息子達が出て来た。到着は予定よりやや早く、元気な姿を認める事が出来た。楽しいだろう5日間の幕開け。ベースを弾く甥がいて、彼には何曲かの伴奏を作って貰う事になっていた。私には、それも大きな楽しみの一つだったのだ。
先ほどの男の人が目に入った。向こうはやっぱり意識していないように見える。もし、路上で私がオカリナを吹く事があったとしても、それはまた別の事である。聴かれるのが当然だと言う心構えが出来ているからである。今回は、誰もいないと思っている所に人がいたのである。鳩が豆鉄砲を食らったようだった。
4人を乗せると、出雲の妹の住んでいる、かつては父も母も祖母も住んでいた、妹の待つ家へと向かった。途中その話をすると、他人事のように笑った。えらい受けたものだ。
夏はこうして会う事が多いが、会えば最初は外で食事をする。一旦家に着くと、いつもと同じ食堂へ出かけた。弟の方の甥が、特にうなぎが好きで、これが外せない行事の一つに定着しつつあったのだ。
家ではビールでささやかに乾杯をしたのだが、疲れもあったのだろうか、やがて少量で真っ赤な顔になり、心行くまでの眠りに就いた。余り強くないベースの甥も、11時に2階から下りて来ると言ったまま、そんな気配は全くなかった。きっと爆睡していた事だろう。
ヒアルロンサンを飲んでいると言った出雲の妹は、幾分顔に艶があるように感じられた。何事にも努力が大切で、物心両面での手入れは怠ってはならないと思った。
こうして、瞬く間に出雲での第1日目が終わってしまっていた。