自信の法則 ジェリー・ミンチントン

「心を磨く」

50 許す (1)相手に復讐しようとすると、精神的な痛みを繰り返し経験することになる。 (2)前を向いて生きていくべきなのに、絶えず後ろを振り返らざるをえない。 (3)相手への怒りと憎しみのために、自分がつらい思いをしつづける。

◆「弱い人間は相手を許すことができない。それができるのは強い人間の証しだ」

☆ 許すことは、相手のためだけでなく自分のためでもある。早く気持ちを切り替えて、すがすがしい気持ちで生きていこう。




ああ、やっと50回目が終わった。参考になった所もあったし、これだ! と思った所もあった。余り関心のない部分もあった。ジェリー・ミンチントンさんさえ完全な人間ではないのだから、全部100パーセント認めるとしたら、彼の人生全部を妄信する事になるだろう。そして、彼は神になってしまう。

こんな所から新興宗教なるものが生まれて来るのだろうか。けれども、彼の人生から得た教訓や指針は素晴らしいものがある。とてもこんな生き方は、したくても出来ないだろう。様々な先人(いや後輩からだって学べるものはあるが)から学べる所を吸収して、それを土台の一つに加えたらいいと思う。

また、心に染み入ったものや幸せになれる話が載せられたらいいと考える。兎に角、これで50回全て、資料掲載を終える事が出来た。結構これも義務化して、辛いものがあった。やっぱりノルマを決めたりせずに、縦横無尽に動き回る方が楽しい。ただし、苦しくても、達成させる為に目標を立てて実行するのとは違う。その努力の先には、必ず、充実感を感じる一時がある筈だ。

先の事はそう簡単には読めない。だから、「やってみる」と言う「努力」の呪文があるのだ。山あり谷ありそれが人生で、だから挑戦してみたくなる。希望とは、前に向かって歩いて行くものに示される、天からの光である。

気持ちの中だけの話であるが、何だか出来ないと思う事も出来ると思えるような感じがする。こう言う心の動きをハイテンションと言うのだろう。こんな時に、何かが出来る。

50回を掲載したので、ちょっとブログを休んだり進めたりしたいと思う。大して私のブログは長いばかりで気に入られているかどうかは不鮮明だが、もしブログに来て頂けるなら、「お気に入り」をクリックして頂くと、あなたのブログに私がアップした時がすぐさま分かるようになっている。何度も来て頂いて更新されてないと嫌になると思うので。

オカリナの練習を第一に考えたい事を前に書いた。なので、何日かブログを書かないでいる時があると思う。リフレッシュして、また意欲的に書いてみたい。


さあ、「天声人語」(2010.7.30)を載せて、7月は締めくくりとしたい。コラム氏にも、随分と勉強させて貰った。


「天声人語」
中国の明代の『菜根譚』は語録風の随筆で、本国よりむしろ日本でよく読まれた。その中に「衣冠の盗」と言う言葉が出てくる。衣冠とは官職につく者をさしていて、平たく言えば「給料泥棒」の意味である。

難関で鳴る科挙に晴れて受かり、あと役得にどっぷり漬かる者が多かったかもしれない。失礼ながら、この話を、国会議員の「月割り歳費」の問題で思い出した。先の参院選で当選した新議員は7月の在任が6日しかない。なのに満額の230万円が支払われる。

お手盛りの大盤振る舞いと見られても仕方あるまい。去年の衆院選では8月30日に当選した議員が、たった2日で全額もらった。批判がわいたが、足元を清める動きは鈍く、政権交代の熱にかき消えた。そして今回、またぞろである。

浮世離れした厚遇は新議員を勘違いさせかねない。だが結局、この国会では「日割り」への法改正とはいかず、自主返納という形を整えるそうだ。かえって気の毒ではないか。同期当選の仲間をうかがいつつ、踏み絵を踏まされるような紀気分だろう。

仙谷官房長官がこのあいだ「引き下げデモクラシー」なる言葉を使っていた。恵まれた立場の人を引きずり下ろして溜飲を下げる、低級な民主主義のことだ。むやみなバッシングは不毛だが、この問題への批判はしごく真っ当な庶民感覚だろう。

『菜根譚』は、給料泥棒たる「衣冠の盗」を「民衆を思い愛さない者」と定義している。きょう初登院する新人は55人。その本来の意味で、ドロボーとは無縁であってほしいと願う。



この「天声人語」を読む人も多いと思う。がしかし、これが共感を持たれたとしても変わって行ったり採用されたりする事は殆どなく、ただ書くだけに終わってしまう。そうして、時に流され、いつしか忘れ去られ、次の問題が提起される。政治を動かす事など、所詮至難の技なのだ。

弱い者が強い物に勝てる筈もなく、貧しい者は日々に貧しく、当たる事のない1番違いの宝くじのような日々が過ぎて行くだけだ。一人ひとり皆違った物差しを持った者同士が、今の自分の利益を求めて猛々しく、いや弱々しくか、吠えるだけ。

私は、新しい希望に満ちた日本を、そして世界を望むけれど、貧富の天秤は益々一方が重く下がるばかりだ。人は、この人生、自分の物差しの範囲で決着をつけるしかないのだろう。大金が欲しかったら政治家か実業家か成金になるしかない。だが、清楚にやりたい事をやって生きる方が賢い場合もある。

高望みはしないで欲望を絶ち、自分のスケールを自覚して生き抜かなければならないのだろうか。そして、条件は「やりたい事、好きな事をする」。