自信の法則 ジェリー・ミンチントン
「心を磨く」
48 落ち着いて行動する (1)待つ。重大な事態が緊急事態とはかぎらないから、すぐに行動を起こそうとせず少し間をおこう。 (2)考える。選択肢をリストアップし、その中で最善の結果につながるのはどれかを自問しよう。 (3)選ぶ。目先の利益を追い求めるのではなく、長期的視野に立って自分に最大の利益をもたらす行動を選ぼう。
☆ 目先の利益より長期的な利益を優先しよう。少し待ち、よく考え、正しく選ぶことが大切だ。
7月26日の朝日新聞「声」と「天声人語」より(2010年)
「声」
辛い時でも笑顔、亡妹に学ぶ 主婦 眞鍋ミチ子(愛媛県新居浜市72)
5日は、63歳で亡くなった妹の七回忌だった。写経していたらいろいろ思い出し、不覚にも涙がこぼれた。
亡くなる少し前に病床で妹は言った。「かぐや姫のお話はおとぎ話ではなくこの世のことを教えてくれるのよね。姫を月に帰さないよう大勢が守るのね。でも時期が来ればお迎えが来て帰らねばならないの」。治療に努めても、時が来たら私も行かねばならないという意味だったのか。
妹は続けて「お姉さんの妹に生まれて幸せだった。いっしょに四国八十八カ所を参拝させてもらいうれしかった。ありがとうございました」と、手を合わせてにっこり笑った。妹の笑顔を前に涙は出なかったが、亡くなった後、思い出して涙が止まらなかった。
あのとき妹はしっかり教えてくれたのだ。どんなに辛いときでも人間は笑顔でいられるのだということを。
写経を終えてあの世の妹に言った。「ごめんね、泣くのはこれでおしまいにする」。私は涙をぬぐい、鏡に向かってほほえんだ。
「天声人語」
名古屋場所の千秋楽を、日本相撲協会のネット中継で見た。結びの一番は、白鵬と把瑠都が四つに組んでの力比べ。実況も解説もないので、場内の興奮がびんびん伝わる。白鵬が大きな上手投げに仕留めると、パソコンの薄い画面が震えた。3場所続きの全勝優勝である。
異例ずくめの場所だった。野球賭博で琴光喜が解雇され、幕内の謹慎休場が6人。魁皇らが故障で休んだため、幕内力士は外国出身者が多数となった。客の入り、懸賞とも寂しく、NHKの生中継も天皇賜杯もなかった。
身から出た毒にのたうつ大相撲を、かろうじて一人横綱の偉業が救った。これがなければ、大衆の興味は土俵を離れ、「国技」はいよいよ見限られていたはずだ。抱けなかった賜杯二つ分に値する奮闘である。
朝青龍の引退で迎えた春場所、解説の舞の海秀平さんが、白鵬の宿命を「一人寂しく勝ち続けるしかないでしょうね」と味な言葉で語っていた。確かに名古屋の白鵬は、孤高ゆえの悲壮感をまとい、すごみがあった。
好きに取らせて料理する横綱相撲ながら、細かい動きにも対応できる運動神経で、連勝は47に伸びた。まだ25歳、当分はこの人の時代だろう。越すべき名峰はあと二つ。まずは53の千代の富士、その先に69の双葉山がそびえる。
親方衆と暴力団の関係が新たに報じられるなど、角界の前途は多難を思わせる。強い白鵬が人気をつないでいるうちに、再生の足がかりをつかむほかなかろう。相撲協会は、危機を一人で背負える大横綱の存在に感謝しないといけない。
その朝日新聞17頁スポーツに、記者松沢憲司さんはこんないい記事を残している。
「わずか5分 寂しい表彰式」
角界の頂点に立つ大男が、悔し涙をこらえきれなかった。「この国の横綱として、力士の代表として、千秋楽の賜杯だけはいただきたかった」。白鵬は、表彰式後のインタビューで声を震わせた。
3場所連続の全勝優勝という偉業の達成は、華やかな表彰式で彩られることはなかった。野球賭博問題に絡み、日本相撲協会が天皇賜杯や内閣総理大臣賞など外部からの表彰をすべて辞退。昨年の名古屋場所では23の表彰を受けたが、今年は協会からの表彰状と優勝旗だけ。式は、わずか5分で終わった。
連勝記録を「47」まで伸ばし、昭和以降で単独3位になるなど仕事は全うした。「一番うれしいのは、15日間、名古屋の皆さんが応援してくれたこと。こういう場所で残念ですが、こんなのは二度とない、と前向きにとらえて・・」。高ぶった感情は、なかなか収まらなかった。
それから3時間半後、名古屋市内のホテルで行われた部屋の千秋楽祝賀会を終えると、涙に込められたもう一つの思いを笑顔で明かした。「初日から、期待の大きさを重圧に感じていた。表彰式の声援を聞いて、なによりうれしかった」
モンゴルから来て、日本の大相撲を支えてくれた。直向きに頑張ってくれている横綱白鵬。日本は悲しくないのか。さらなる連勝への希望を繋いでくれた。こんな寂しい状況の、こんな悲しい男に誰がした・・。
「心を磨く」
48 落ち着いて行動する (1)待つ。重大な事態が緊急事態とはかぎらないから、すぐに行動を起こそうとせず少し間をおこう。 (2)考える。選択肢をリストアップし、その中で最善の結果につながるのはどれかを自問しよう。 (3)選ぶ。目先の利益を追い求めるのではなく、長期的視野に立って自分に最大の利益をもたらす行動を選ぼう。
☆ 目先の利益より長期的な利益を優先しよう。少し待ち、よく考え、正しく選ぶことが大切だ。
7月26日の朝日新聞「声」と「天声人語」より(2010年)
「声」
辛い時でも笑顔、亡妹に学ぶ 主婦 眞鍋ミチ子(愛媛県新居浜市72)
5日は、63歳で亡くなった妹の七回忌だった。写経していたらいろいろ思い出し、不覚にも涙がこぼれた。
亡くなる少し前に病床で妹は言った。「かぐや姫のお話はおとぎ話ではなくこの世のことを教えてくれるのよね。姫を月に帰さないよう大勢が守るのね。でも時期が来ればお迎えが来て帰らねばならないの」。治療に努めても、時が来たら私も行かねばならないという意味だったのか。
妹は続けて「お姉さんの妹に生まれて幸せだった。いっしょに四国八十八カ所を参拝させてもらいうれしかった。ありがとうございました」と、手を合わせてにっこり笑った。妹の笑顔を前に涙は出なかったが、亡くなった後、思い出して涙が止まらなかった。
あのとき妹はしっかり教えてくれたのだ。どんなに辛いときでも人間は笑顔でいられるのだということを。
写経を終えてあの世の妹に言った。「ごめんね、泣くのはこれでおしまいにする」。私は涙をぬぐい、鏡に向かってほほえんだ。
「天声人語」
名古屋場所の千秋楽を、日本相撲協会のネット中継で見た。結びの一番は、白鵬と把瑠都が四つに組んでの力比べ。実況も解説もないので、場内の興奮がびんびん伝わる。白鵬が大きな上手投げに仕留めると、パソコンの薄い画面が震えた。3場所続きの全勝優勝である。
異例ずくめの場所だった。野球賭博で琴光喜が解雇され、幕内の謹慎休場が6人。魁皇らが故障で休んだため、幕内力士は外国出身者が多数となった。客の入り、懸賞とも寂しく、NHKの生中継も天皇賜杯もなかった。
身から出た毒にのたうつ大相撲を、かろうじて一人横綱の偉業が救った。これがなければ、大衆の興味は土俵を離れ、「国技」はいよいよ見限られていたはずだ。抱けなかった賜杯二つ分に値する奮闘である。
朝青龍の引退で迎えた春場所、解説の舞の海秀平さんが、白鵬の宿命を「一人寂しく勝ち続けるしかないでしょうね」と味な言葉で語っていた。確かに名古屋の白鵬は、孤高ゆえの悲壮感をまとい、すごみがあった。
好きに取らせて料理する横綱相撲ながら、細かい動きにも対応できる運動神経で、連勝は47に伸びた。まだ25歳、当分はこの人の時代だろう。越すべき名峰はあと二つ。まずは53の千代の富士、その先に69の双葉山がそびえる。
親方衆と暴力団の関係が新たに報じられるなど、角界の前途は多難を思わせる。強い白鵬が人気をつないでいるうちに、再生の足がかりをつかむほかなかろう。相撲協会は、危機を一人で背負える大横綱の存在に感謝しないといけない。
その朝日新聞17頁スポーツに、記者松沢憲司さんはこんないい記事を残している。
「わずか5分 寂しい表彰式」
角界の頂点に立つ大男が、悔し涙をこらえきれなかった。「この国の横綱として、力士の代表として、千秋楽の賜杯だけはいただきたかった」。白鵬は、表彰式後のインタビューで声を震わせた。
3場所連続の全勝優勝という偉業の達成は、華やかな表彰式で彩られることはなかった。野球賭博問題に絡み、日本相撲協会が天皇賜杯や内閣総理大臣賞など外部からの表彰をすべて辞退。昨年の名古屋場所では23の表彰を受けたが、今年は協会からの表彰状と優勝旗だけ。式は、わずか5分で終わった。
連勝記録を「47」まで伸ばし、昭和以降で単独3位になるなど仕事は全うした。「一番うれしいのは、15日間、名古屋の皆さんが応援してくれたこと。こういう場所で残念ですが、こんなのは二度とない、と前向きにとらえて・・」。高ぶった感情は、なかなか収まらなかった。
それから3時間半後、名古屋市内のホテルで行われた部屋の千秋楽祝賀会を終えると、涙に込められたもう一つの思いを笑顔で明かした。「初日から、期待の大きさを重圧に感じていた。表彰式の声援を聞いて、なによりうれしかった」
モンゴルから来て、日本の大相撲を支えてくれた。直向きに頑張ってくれている横綱白鵬。日本は悲しくないのか。さらなる連勝への希望を繋いでくれた。こんな寂しい状況の、こんな悲しい男に誰がした・・。