自信の法則 ジェリー・ミンチントン
「いい人間関係を築く」
◆「富を生み出さなければ豊かさを享受する権利がないのと同様、人びとを幸せにしなければ幸せをつかむ権利もない」バーナード・ショー
行ってきた。食べて帰った。飲んでも帰った。凄い。凄かった。眠ると思っていたけど、耳の穴は最後まで大きく開いていた。それは、千住真理子の素晴らしさ。バッハの偉大さだった。
今日はもう書かないで寝ようと思った。後2時間しかないし。けれど、久し振りにKOBAさんがコメをくれた。嬉しかったのと安心したのとで、もうちょっと頑張って書こうと思った。それに7月はまだ1日も書かない日がなかったからだ。
その代わり、短い文章にする事に決めた。もう、素晴らしかった事を言ったので、それで十分だろうと思う。
「デビュー35周年記念・千住真理子・バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会」。それは大阪のザ・シンフォニーホールで行われた。
私はチケットを取るのが遅く、ギリギリだった。だから、3階席の右端、RRF列14番と言う席だった。その列だけ、固定した席ではなく、椅子が並べられている。身を乗り出して見ると、千住真理子さんの全体の立ち姿がやっと見えた。そこはステ-ジの左半分しか見えない位置なのである。それでも幸せだった。こんな素敵な機会に巡り合えたのだから。
双眼鏡がなかったら、自分がキングコングになっていた。千住真理子さんをぐっと手で掴んで持ち上げられそうな程、小さな生き物が音を奏でているような、斜め上から俯瞰された光景だった。私は、凄く大きなキングコングだ。
双眼鏡を覗くと等身大の真理子さんがいた。梳った髪の毛の一筋一筋が美しく見える。腕の筋肉が躍動する。黒いロングスカートで、上はチョゴリを思わせるように白とピンクの小さな飾りが縫い付けられていた。その裾から半分覗く靴も、黒い色をしていた。
6回ステ-ジから離れたが、最後まで、シックなその衣装のままだった。黄色や赤に着替えれば華やかではあっただろうが、それは却ってバッハの演奏には邪魔だったかも知れなかった。千住真理子の思いと意気込みが伝わってくる。彼女は右足を前に出して構える。
会場のどの席を見渡しても空席は見当たらなかった。パイプオルガンの置いてある後ろの席まで、1704名分の観客席が埋まっていた。
険しい顔が、斜め上から眺められる。そう感じただけだったのかも知れない。ソナタ第1番が終わると一端引き下がり、また現れるとパルティータ1番が演奏される。それが終わると20分の休憩だ。
次にソナタ第3番を演奏し引き下がる。すぐに現れるとパルティータ第3番を演奏する。そこで15分の休憩となる。これで3分の2を聴いた事になる。
最後はソナタ第2番。ステージから引っ込むとまた現れてパルティータ第2番。
もう今日中の時間が余りないので、ちょっと簡単に演奏曲を並べてみよう。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番 ト短調BWV.1001
機ゥ▲澄璽献
供ゥ奸璽 アレグロ
掘ゥ轡船螢◆璽
検ゥ廛譽好
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番 ロ短調BWV.1002
機ゥ▲襯泪鵐鼻淵▲譽泪鵐澄
供ゥーラント(コレンテ)
掘ゥ汽薀丱鵐
検ゥ屐璽譟淵椒譽◆
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第3番 ハ長調BWV.1005
機ゥ▲澄璽献
供ゥ奸璽
掘ゥ薀襯
検ゥ▲譽哀蹇Ε▲奪汽
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調BWV.1006
機ゥ廛譽螢紂璽
供ゥ襦璽
掘ゥヴォット・アン・ロンドー
検ゥ瓮魅┘奪鉢機?
后ゥ屐璽譟淵椒譽◆
此ゥ検璽
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番 イ短調BWV.1003
機ゥ哀蕁璽凜
供ゥ奸璽
掘ゥ▲鵐瀬鵐
検ゥ▲譽哀
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調BWV.1004
機ゥ▲襯泪鵐鼻淵▲譽泪鵐澄
供ゥーラント(コレンテ)
掘ゥ汽薀丱鵐
検ゥ検璽
后ゥ轡礇灰鵐
ブラボー! これは千住真理子さんに。リスペクト! これはヨハン・セバスチャン・バッハに捧げたい。一つとして同じものを感じさせない創りに改めて驚嘆する。超絶技巧を要する曲もある。暗い程ではないがそんな感じの曲も、明るい曲も、躍動を感じる曲もある。冷静な、計算し尽くされていると思っていたバッハの曲に、人間的な喜びも感じる事の出来る曲があった。バッハの曲は広く深く冷徹で、しかも温かい。
バッハが「音楽の父」である事は、小学校の頃教わった。そして今日まで漠然と「音楽の父」か、と思っていた。そして今日。本当に、正しく「音楽の父」だと思った。それは感動から確信へと変わった。今に生きるバッハの凄さは、単に音楽の原点ではなく、誰も乗り越える事の出来ない、巨大な原点なのである。
良かった! 聴きに来て、良かった! こんなに素晴らしい曲が、千住真理子さんと言う天才によって再現されたのだ。
凄い。凄かった。体全身で受け止めて、一気にこれだけの曲を弾き終えた真理子さんを讃えたい。休憩はあったものの、午後2時からの開演が、終わったのは殆ど5時だった。
ステージには、譜面台の譜面が置かれる部分が黒く塗った板に変わったかのような台が置いてあるだけだった。そこには、真理子さんのハンカチが置かれていた。彼女は、一区切りの演奏が終わると手や額の汗を拭いた。
全曲を弾き終わったその顔は、安堵と歓喜に満ちていた。大きな仕事をなし終えた、恍惚にも似た顔だった。ステージの袖に消えた。拍手の嵐だった。再び現れると幾つかの方向にお辞儀をした。ハッとした。こちらを向いた時、双眼鏡を覗く私の目と、真理子さんの目がぶつかった。それは思い過ごしではないと思う。双眼鏡を覗いているのは私位だったから、それが分かったのだろう。とてもいい顔だった。
その拍手に誘われて、結局4回現れた。最後に退場する時は、足が縺れているようにも見えた。いや、縺れていた。ふらふらだったと思う。それを私ははっきり、美しいものだと感じた。そうして、凄い挑戦による無伴奏ヴァイオリンの時が終わった。
千住真理子さんの言葉を載せて、私は幕を引く。次にまた私自らが幕を開ける為に。
嘆きのうただ、とブゾーニは語った。シャコンヌへの言葉だった。その言葉を知ってから、それは私にとって、バッハに対する永遠のテーマとなった。
バッハの全曲が弾きたい――。
時折私はそんな衝動にかられる。
しかしバッハ全曲演奏というのは、演奏家として醍醐味であるのと同時にものすごく怖いのだ。
精神力と体力のバランスを維持しながら、独りステージに立つとき、私はこの世の中にたった独りで生きているような孤独を感じる。
そして弾き始めるバッハの音楽は、険しくも神聖なる世界へと私を導く。まるでエベレストへ単独登山するような気持ちで、一歩一歩、音の山肌を歩く。時に遭難しそうになりながら、時に光だけを道しるべにして――。
孤高のバッハは、それぞれの心の中にそびえ立つ崇高なるエベレストなのだと思う。
千住真理子
「いい人間関係を築く」
◆「富を生み出さなければ豊かさを享受する権利がないのと同様、人びとを幸せにしなければ幸せをつかむ権利もない」バーナード・ショー
行ってきた。食べて帰った。飲んでも帰った。凄い。凄かった。眠ると思っていたけど、耳の穴は最後まで大きく開いていた。それは、千住真理子の素晴らしさ。バッハの偉大さだった。
今日はもう書かないで寝ようと思った。後2時間しかないし。けれど、久し振りにKOBAさんがコメをくれた。嬉しかったのと安心したのとで、もうちょっと頑張って書こうと思った。それに7月はまだ1日も書かない日がなかったからだ。
その代わり、短い文章にする事に決めた。もう、素晴らしかった事を言ったので、それで十分だろうと思う。
「デビュー35周年記念・千住真理子・バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会」。それは大阪のザ・シンフォニーホールで行われた。
私はチケットを取るのが遅く、ギリギリだった。だから、3階席の右端、RRF列14番と言う席だった。その列だけ、固定した席ではなく、椅子が並べられている。身を乗り出して見ると、千住真理子さんの全体の立ち姿がやっと見えた。そこはステ-ジの左半分しか見えない位置なのである。それでも幸せだった。こんな素敵な機会に巡り合えたのだから。
双眼鏡がなかったら、自分がキングコングになっていた。千住真理子さんをぐっと手で掴んで持ち上げられそうな程、小さな生き物が音を奏でているような、斜め上から俯瞰された光景だった。私は、凄く大きなキングコングだ。
双眼鏡を覗くと等身大の真理子さんがいた。梳った髪の毛の一筋一筋が美しく見える。腕の筋肉が躍動する。黒いロングスカートで、上はチョゴリを思わせるように白とピンクの小さな飾りが縫い付けられていた。その裾から半分覗く靴も、黒い色をしていた。
6回ステ-ジから離れたが、最後まで、シックなその衣装のままだった。黄色や赤に着替えれば華やかではあっただろうが、それは却ってバッハの演奏には邪魔だったかも知れなかった。千住真理子の思いと意気込みが伝わってくる。彼女は右足を前に出して構える。
会場のどの席を見渡しても空席は見当たらなかった。パイプオルガンの置いてある後ろの席まで、1704名分の観客席が埋まっていた。
険しい顔が、斜め上から眺められる。そう感じただけだったのかも知れない。ソナタ第1番が終わると一端引き下がり、また現れるとパルティータ1番が演奏される。それが終わると20分の休憩だ。
次にソナタ第3番を演奏し引き下がる。すぐに現れるとパルティータ第3番を演奏する。そこで15分の休憩となる。これで3分の2を聴いた事になる。
最後はソナタ第2番。ステージから引っ込むとまた現れてパルティータ第2番。
もう今日中の時間が余りないので、ちょっと簡単に演奏曲を並べてみよう。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番 ト短調BWV.1001
機ゥ▲澄璽献
供ゥ奸璽 アレグロ
掘ゥ轡船螢◆璽
検ゥ廛譽好
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番 ロ短調BWV.1002
機ゥ▲襯泪鵐鼻淵▲譽泪鵐澄
供ゥーラント(コレンテ)
掘ゥ汽薀丱鵐
検ゥ屐璽譟淵椒譽◆
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第3番 ハ長調BWV.1005
機ゥ▲澄璽献
供ゥ奸璽
掘ゥ薀襯
検ゥ▲譽哀蹇Ε▲奪汽
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調BWV.1006
機ゥ廛譽螢紂璽
供ゥ襦璽
掘ゥヴォット・アン・ロンドー
検ゥ瓮魅┘奪鉢機?
后ゥ屐璽譟淵椒譽◆
此ゥ検璽
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番 イ短調BWV.1003
機ゥ哀蕁璽凜
供ゥ奸璽
掘ゥ▲鵐瀬鵐
検ゥ▲譽哀
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調BWV.1004
機ゥ▲襯泪鵐鼻淵▲譽泪鵐澄
供ゥーラント(コレンテ)
掘ゥ汽薀丱鵐
検ゥ検璽
后ゥ轡礇灰鵐
ブラボー! これは千住真理子さんに。リスペクト! これはヨハン・セバスチャン・バッハに捧げたい。一つとして同じものを感じさせない創りに改めて驚嘆する。超絶技巧を要する曲もある。暗い程ではないがそんな感じの曲も、明るい曲も、躍動を感じる曲もある。冷静な、計算し尽くされていると思っていたバッハの曲に、人間的な喜びも感じる事の出来る曲があった。バッハの曲は広く深く冷徹で、しかも温かい。
バッハが「音楽の父」である事は、小学校の頃教わった。そして今日まで漠然と「音楽の父」か、と思っていた。そして今日。本当に、正しく「音楽の父」だと思った。それは感動から確信へと変わった。今に生きるバッハの凄さは、単に音楽の原点ではなく、誰も乗り越える事の出来ない、巨大な原点なのである。
良かった! 聴きに来て、良かった! こんなに素晴らしい曲が、千住真理子さんと言う天才によって再現されたのだ。
凄い。凄かった。体全身で受け止めて、一気にこれだけの曲を弾き終えた真理子さんを讃えたい。休憩はあったものの、午後2時からの開演が、終わったのは殆ど5時だった。
ステージには、譜面台の譜面が置かれる部分が黒く塗った板に変わったかのような台が置いてあるだけだった。そこには、真理子さんのハンカチが置かれていた。彼女は、一区切りの演奏が終わると手や額の汗を拭いた。
全曲を弾き終わったその顔は、安堵と歓喜に満ちていた。大きな仕事をなし終えた、恍惚にも似た顔だった。ステージの袖に消えた。拍手の嵐だった。再び現れると幾つかの方向にお辞儀をした。ハッとした。こちらを向いた時、双眼鏡を覗く私の目と、真理子さんの目がぶつかった。それは思い過ごしではないと思う。双眼鏡を覗いているのは私位だったから、それが分かったのだろう。とてもいい顔だった。
その拍手に誘われて、結局4回現れた。最後に退場する時は、足が縺れているようにも見えた。いや、縺れていた。ふらふらだったと思う。それを私ははっきり、美しいものだと感じた。そうして、凄い挑戦による無伴奏ヴァイオリンの時が終わった。
千住真理子さんの言葉を載せて、私は幕を引く。次にまた私自らが幕を開ける為に。
嘆きのうただ、とブゾーニは語った。シャコンヌへの言葉だった。その言葉を知ってから、それは私にとって、バッハに対する永遠のテーマとなった。
バッハの全曲が弾きたい――。
時折私はそんな衝動にかられる。
しかしバッハ全曲演奏というのは、演奏家として醍醐味であるのと同時にものすごく怖いのだ。
精神力と体力のバランスを維持しながら、独りステージに立つとき、私はこの世の中にたった独りで生きているような孤独を感じる。
そして弾き始めるバッハの音楽は、険しくも神聖なる世界へと私を導く。まるでエベレストへ単独登山するような気持ちで、一歩一歩、音の山肌を歩く。時に遭難しそうになりながら、時に光だけを道しるべにして――。
孤高のバッハは、それぞれの心の中にそびえ立つ崇高なるエベレストなのだと思う。
千住真理子