自信の法則 ジェリー・ミンチントン
「夢をかなえる」
19 失敗を生かす (1)確信:自分は必ず成功すると信じる (2)改善:失敗の原因を分析して方法を改める (3)忍耐:途中で投げ出したくなっても辛抱する (4)努力:成功するまで粘り強く取り組む (5):勇気:失敗を恐れずに何度でも挑戦する
◆「今はダメでも、いつか必ず成功すると信じよう。失敗は、学習を通じて飛躍するための貴重な機会だ。
確信、改善、忍耐、努力、勇気。
私の確信は確固たるものではない。改善も自ら積極的には出来ない。忍耐も生来飽きやすい私には難しい。努力は本当に好きな事にちょこっとやっているに過ぎない。勇気など更々持てない。
この5文字を実行する事は至難の技である。出来ないくせにしようとするのは何故だ。分かっているのに・・ね。
失敗は付き物だとか、失敗は成功の元だとか、よく聞いて来た言葉だ。確かに失敗なくしては成功どころか進歩も成長もない。「失敗あって成功もし、成長もする」と、自分でこんな言葉に書き換えてみた。
「失敗は成功への道標だ」。あっ、これもいい。道標を見ながら、ゆっくり歩いて行こう。
「母(かか)にどう言う?」
か(確信)か(改善)に(忍耐)どう(努力)ゆう(勇気)。何とか覚えようとしてこんな語呂合わせを考えてみた。へんてこりんな言葉だが、「夢をかなえる」為の大切な苦肉の策でもある。思う余り、この、変な言葉だけが浮かんで来ないか心配だ。
さて、6月18日の朝日新聞「声」に載った切抜きを紹介しよう。
この通りの事を盛んにシマさんが力説していた事を思い出し、すぐに彼の言葉と重なってしまった。彼は、簡潔を力説した訳ではなく、「○○でよろしかったでしょうか?」の所に疑問を挟んだ。
言葉はなるべく簡潔がいい
主婦 洲上 みち(熊本県水俣市 81)
「よろしければスタートボタンを押してください」。ドラム式洗濯機が声を上げている。音声ガイド付きを選んだのはこの私である。離れていても経過が分かって便利だと思ったからである。しかしこの「よろしければ」には娘と共に笑ってしまった。「『スタートボタンを押してください』だけでいいのにね」。丁寧語も度を過ぎるとおかしなものだ。
そう言えばこのごろ喫茶店で、注文のあと「○○でよろしかったでしょうか?」と念を押す店員がいる。復唱のつもりなのだろうか。いや、そういう風に指導されているのだろう。よろしいから頼んでいるのよと噴き出したくなるのをこらえる。「よろしかった」と過去形だし、「か?」と疑問符がついているので違和感がある。「○○でよろしいでしょうか?」、これでもくどい。簡潔に「はい、○○ですね」で事足りるのに。
言葉はなるべく簡潔なのがいい。
丁寧語とテンスとすっきり感の問題が提起されている。それプラス、言葉を含めた職場教育が絡む。
「○○でよろしかったでしょうか?」
私にはこの言葉を撃破して快哉を叫ぶまでに行かない、優柔不断な所がある。この投稿者の言う事が理解出来そうで出来ない、つまりもやもやとしたものを抱いている。
「○○でよろしかったでしょうか?」
この言葉に何も不自然な所を感じないのは、私のセンスの問題か理解不足の問題かまたは国語力の欠如なのか。この辺で躓く。
普段乱暴な言葉を使っている若者が、幾ら社員教育だと言ってもこんな場所で改まられると、誰だって不自然さを感じるだろう。だからと言って、客に対してぞんざいな言葉遣いは許されない。これは俄仕立ての面での違和感で、この言葉をそう言う店員とのアンバランスから来るものだと思っている。私も、ファミレスなどでよく聞いて来た。
注文を言い終わればすでに過去の出来事になるには違いないが、余りにもすぐの事なので、どう考えていいか曖昧になる。この店員が一端注文を聞いて厨房前まで行き、忘れるかはっきりしなくなってもう一度聞きに来た場合、この「(恐れ入ります)。○○でよろしかったでしょうか?」と聞いてもおかしくはない。
注文を繰り返す場合はどうか。確認の為なら、「○○でよろしいでしょうか?」と「(今仰ったのは)○○でよろしかったでしょうか?」とはどちらでも聞けると私は思うのだが。ただ、過去になった(注文してしまった)事には違いないが、それが今の今の事である為に、一瞬微妙な空間に戸惑いがが生じる。それで変に聞こえたりするのかも知れない。
他人の言い分を否定する積もりはないし、私も、実際の所は国語ではどう言えばいいのか、どちらかが正しいのか間違っているのかを知りたいと思って来た。
あら捜しではないが、言葉は生き物であり時代によって変化する為に、流動的に捉えなければならない面もある。兎に角難しいのだ。
「全然」が最初に来ると後は否定の言葉が続くと習い、そのように使って来た。「全然楽しくない」と言う風に。所が今は「全然楽しい」のような全く正反対の使われ方もしている。これは言葉の危機なのか流れなのか。
「その絵を見ました」と言う所を「その絵が見ました」のように言う人がとても多い。意味は分かるが、どうしてもまだ受け入れられずにいる。「その絵は見ました」とは言うけれど。
先の「よろしい」も長い変遷を辿っている。手許の角川国語辞典で調べてみよう。
【よろしい(宜しい)】
,韻辰海Δ澄「このほうがよろしいと存知じます」 △世い燭いいぁ E当だ。「早く出かけるがよろしい」 い気靴弔えない。「もう行ってよろしい」 ァ垳邸佞佞気錣靴ぁ似合いである。「同じくはよろしきほどにおはしまさましかば」〔源氏〕 Α垳邸嬋當未任△襦「なべてのよろしき人にはあらじ」〔源氏〕 А毀昌譴硫爾砲弔い董奸ΑΔ里茲Δ法・・をまねて。・・を気どって。「忠弥よろしく石を投げた」
もう一つあるが、長くなるのでこれは反古にせざるを得ない。が、簡単に言うと「脳内出血で他界した夫が、65歳から倒れるまでの9年間、「天声人語」を万年筆で欠かさず書き写して来た」。それをこの69歳の京都の主婦は、夫の書き写した「天声人語」を見ながら、共に歩んだ人生に懐かしく浸っていると言う話だ。絶筆の3月1日。シンボルスカの詩集「終わりと始まり」の一節が載っていて、涙があふれてきて仕方がないと書いてある。
わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと・・・
洗練された言葉を、10年近くも写経のように書き写して来た人の事実を知った。この人の真似をして、私も「天声人語」を書き写せばもっと文章力が付くかも知れないと思った。
学生時代に、好きな作家の文章をそっくり原稿用紙に埋めて行った事があるのを思い出した。それは単に気紛れの遊びに過ぎなかったようだ。この人のような、厳かな、念ずるようなものでは更々なかった。
「夢をかなえる」
19 失敗を生かす (1)確信:自分は必ず成功すると信じる (2)改善:失敗の原因を分析して方法を改める (3)忍耐:途中で投げ出したくなっても辛抱する (4)努力:成功するまで粘り強く取り組む (5):勇気:失敗を恐れずに何度でも挑戦する
◆「今はダメでも、いつか必ず成功すると信じよう。失敗は、学習を通じて飛躍するための貴重な機会だ。
確信、改善、忍耐、努力、勇気。
私の確信は確固たるものではない。改善も自ら積極的には出来ない。忍耐も生来飽きやすい私には難しい。努力は本当に好きな事にちょこっとやっているに過ぎない。勇気など更々持てない。
この5文字を実行する事は至難の技である。出来ないくせにしようとするのは何故だ。分かっているのに・・ね。
失敗は付き物だとか、失敗は成功の元だとか、よく聞いて来た言葉だ。確かに失敗なくしては成功どころか進歩も成長もない。「失敗あって成功もし、成長もする」と、自分でこんな言葉に書き換えてみた。
「失敗は成功への道標だ」。あっ、これもいい。道標を見ながら、ゆっくり歩いて行こう。
「母(かか)にどう言う?」
か(確信)か(改善)に(忍耐)どう(努力)ゆう(勇気)。何とか覚えようとしてこんな語呂合わせを考えてみた。へんてこりんな言葉だが、「夢をかなえる」為の大切な苦肉の策でもある。思う余り、この、変な言葉だけが浮かんで来ないか心配だ。
さて、6月18日の朝日新聞「声」に載った切抜きを紹介しよう。
この通りの事を盛んにシマさんが力説していた事を思い出し、すぐに彼の言葉と重なってしまった。彼は、簡潔を力説した訳ではなく、「○○でよろしかったでしょうか?」の所に疑問を挟んだ。
言葉はなるべく簡潔がいい
主婦 洲上 みち(熊本県水俣市 81)
「よろしければスタートボタンを押してください」。ドラム式洗濯機が声を上げている。音声ガイド付きを選んだのはこの私である。離れていても経過が分かって便利だと思ったからである。しかしこの「よろしければ」には娘と共に笑ってしまった。「『スタートボタンを押してください』だけでいいのにね」。丁寧語も度を過ぎるとおかしなものだ。
そう言えばこのごろ喫茶店で、注文のあと「○○でよろしかったでしょうか?」と念を押す店員がいる。復唱のつもりなのだろうか。いや、そういう風に指導されているのだろう。よろしいから頼んでいるのよと噴き出したくなるのをこらえる。「よろしかった」と過去形だし、「か?」と疑問符がついているので違和感がある。「○○でよろしいでしょうか?」、これでもくどい。簡潔に「はい、○○ですね」で事足りるのに。
言葉はなるべく簡潔なのがいい。
丁寧語とテンスとすっきり感の問題が提起されている。それプラス、言葉を含めた職場教育が絡む。
「○○でよろしかったでしょうか?」
私にはこの言葉を撃破して快哉を叫ぶまでに行かない、優柔不断な所がある。この投稿者の言う事が理解出来そうで出来ない、つまりもやもやとしたものを抱いている。
「○○でよろしかったでしょうか?」
この言葉に何も不自然な所を感じないのは、私のセンスの問題か理解不足の問題かまたは国語力の欠如なのか。この辺で躓く。
普段乱暴な言葉を使っている若者が、幾ら社員教育だと言ってもこんな場所で改まられると、誰だって不自然さを感じるだろう。だからと言って、客に対してぞんざいな言葉遣いは許されない。これは俄仕立ての面での違和感で、この言葉をそう言う店員とのアンバランスから来るものだと思っている。私も、ファミレスなどでよく聞いて来た。
注文を言い終わればすでに過去の出来事になるには違いないが、余りにもすぐの事なので、どう考えていいか曖昧になる。この店員が一端注文を聞いて厨房前まで行き、忘れるかはっきりしなくなってもう一度聞きに来た場合、この「(恐れ入ります)。○○でよろしかったでしょうか?」と聞いてもおかしくはない。
注文を繰り返す場合はどうか。確認の為なら、「○○でよろしいでしょうか?」と「(今仰ったのは)○○でよろしかったでしょうか?」とはどちらでも聞けると私は思うのだが。ただ、過去になった(注文してしまった)事には違いないが、それが今の今の事である為に、一瞬微妙な空間に戸惑いがが生じる。それで変に聞こえたりするのかも知れない。
他人の言い分を否定する積もりはないし、私も、実際の所は国語ではどう言えばいいのか、どちらかが正しいのか間違っているのかを知りたいと思って来た。
あら捜しではないが、言葉は生き物であり時代によって変化する為に、流動的に捉えなければならない面もある。兎に角難しいのだ。
「全然」が最初に来ると後は否定の言葉が続くと習い、そのように使って来た。「全然楽しくない」と言う風に。所が今は「全然楽しい」のような全く正反対の使われ方もしている。これは言葉の危機なのか流れなのか。
「その絵を見ました」と言う所を「その絵が見ました」のように言う人がとても多い。意味は分かるが、どうしてもまだ受け入れられずにいる。「その絵は見ました」とは言うけれど。
先の「よろしい」も長い変遷を辿っている。手許の角川国語辞典で調べてみよう。
【よろしい(宜しい)】
,韻辰海Δ澄「このほうがよろしいと存知じます」 △世い燭いいぁ E当だ。「早く出かけるがよろしい」 い気靴弔えない。「もう行ってよろしい」 ァ垳邸佞佞気錣靴ぁ似合いである。「同じくはよろしきほどにおはしまさましかば」〔源氏〕 Α垳邸嬋當未任△襦「なべてのよろしき人にはあらじ」〔源氏〕 А毀昌譴硫爾砲弔い董奸ΑΔ里茲Δ法・・をまねて。・・を気どって。「忠弥よろしく石を投げた」
もう一つあるが、長くなるのでこれは反古にせざるを得ない。が、簡単に言うと「脳内出血で他界した夫が、65歳から倒れるまでの9年間、「天声人語」を万年筆で欠かさず書き写して来た」。それをこの69歳の京都の主婦は、夫の書き写した「天声人語」を見ながら、共に歩んだ人生に懐かしく浸っていると言う話だ。絶筆の3月1日。シンボルスカの詩集「終わりと始まり」の一節が載っていて、涙があふれてきて仕方がないと書いてある。
わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと・・・
洗練された言葉を、10年近くも写経のように書き写して来た人の事実を知った。この人の真似をして、私も「天声人語」を書き写せばもっと文章力が付くかも知れないと思った。
学生時代に、好きな作家の文章をそっくり原稿用紙に埋めて行った事があるのを思い出した。それは単に気紛れの遊びに過ぎなかったようだ。この人のような、厳かな、念ずるようなものでは更々なかった。