自信の法則 ジェリー・ミンチントン

「自分を大切にする」

07 なりたい自分になる

◆「人間はいつも心の中で思っているとおりの存在になる」ソロモン王
◆「人間はずっと考えているものになる」プラトン
◆「人間は自分の思考より高いところに到達することはできない」ベンジャミン・ディズレーリ




6月6日(日)が来た。半年前から、あれやこれやブログで好きな事を言っていた気楽さはとっくに消え、今日の「シマ唄発表会」で、私は賛助出演としてオカリナを演奏すると言う現実だけが、目の前に重くぶら下がっていた。

この日マリーさんも私もシマさんも、別々に兵庫県立美術館に行く事になっていた。10時半がその約束の時間だった。

ロビーで初めて、シマさんの穏やかでやさしそうな奥様と対面した。在り来たりの挨拶を交わしているとマリーさんもやって来て、奥様に控え室まで案内して貰った。何年か前の神戸のオカリナフェスティバルで、私の演奏を聴いて下さっていた。だから私は初めてでも、奥様にしたら私の顔はもう知っていた事になる。

今日演奏するミュージアムホールでは、もう機材の配線やセッテングが行われていた。ミキシング装置も最上段に据えられ、思ったより本格的なものだった。シマさんはもう既に依頼した人と打ち合わせをしていた。

私たち3人は控え室に入った。マリーさんのオカリナは、ブログにアップされていたので私は聴いているからよく知っている。マリーさんのブログに集う人達もそうだ。けれども、私のオカリナの音はマリーさんは知らない。

第2部ではマリーさんとコラボで「ふるさと」と「浜辺の歌」を演奏する筈になっていた。

「じゃあ合わせましょうか」

と言って吉塚オカリナのアルトのC管をケースから取り出した。マリーさんはカンターレのC管である。私はこの日の為にも昨年遅く同じカンターレを注文していて、12月末には届くと言われ喜んで待っていた。けれど期待も虚しく、未だに送られて来ていない。それは口約束だったので向こうが忘れていたのと、普通は6ヶ月待ちになっているので、私に1ヶ月で送られて来る筈もなかったのだった。

「ふるさと」は、マリーさんが最初のワンコーラスのメロディーをソロで吹く。ツーコーラス目、マリーさんはメロディーを繰り返し、私は下のパートで入って行くようにしていた。

私が音を重ねてツーコーラス目が終わるや否や、マリーさんは壁の方へ行って泣いた。ティッシュが濡れていた。

「どうしたん?」

白々しい聞き方だと思われるだろうが、こう聞くより他に咄嗟に掛ける言葉もなかった。感動してくれたのだと思う。それは私の音を初めて聴いた所為もあるだろうし、想像していたコラボが今実現したと言う驚きと喜びもあるだろう。架空のものが現実になった瞬間の、複雑な思いが交錯しての事だった。

時々涙を見せながら合わせた。「浜辺の歌」は私がメロディーと間奏を入れ、マリーさんはツーコーラスとも下のパートだ。マリーさんは同じオカリナ、私は吉塚オカリナのソプラノのF管を使った。

後は私のケースの中のオカリナを珍しそうに眺めていた。

「遠慮なく吹いてみて」

と言った。

「このオカリナはすぐに音が出てくれますね。優しい音がするんですね」

と、吉塚オカリナに対してはそう言った。ブログでは公開しないと言う事で、ケースの中のオカリナを写していた。自分的に見たいから、と言った。勿体ぶる訳ではないし何ぼのものでもないけれど、今は公開したくない。

私は、泣いてくれたマリーさんを素敵な人だと思った。もうこれでいいとさえ思った。第2部で私の演奏を聴いてくれる人達も勿論大切だが、ここにはそれ以上のものがあった。この空間での出来事は私しか知らないし、その時も今も、その涙は私の掛け替えのない財産となったのだ。もう、何も要らない気分だった。

私のリハーサルの時間が来た。一通り流す事になった。私は音響の人の耳に頼らざるを得ない。どう聞こえるかは、いつだってお任せだ。今度は伴奏の音が入ったりして、音楽らしく聞こえるだろう。マリーさんはじっと耳を傾けてくれている。

コラボも1度通して、シマさんと3人での「奄美情話」も演奏してみた。シマ唄が入ると、これもまたいいものだなあと思った。シマさんのプロに匹敵する三線の腕と声がいいから、尚更だった。

KOBAさんが台湾で買ったと言う、プラスチック製で種類の違うオカリナを2個持って来ていた。これでもいい音がする。だが私は今は「オオサワオカリナ」が欲しいだけなので、これはマリーさんに上げた。

Tさんが奥様と一緒に聴きに来て下さったのは嬉しかった。奥様のチケットを渡した。

えっ? と思ったが、もう12時50分だった。昼食を食べる時間など全くなかった。慌ててホールの最前列左の席に座った。色々知っている人が来てくれていて、懐かしさも一入だった。250人収容のホールだが、ざっと8割くらいの入りだっただろうか。シマさんはよく集めたと思う。

これはシマさんの発表会なので彼が第1部で挨拶をし、三線を弾きながら唄い始めた。流石に40年。その喉は誰にも負けないものがある。それに、人生の重みも加わる。後で頻りに喉が掠れて声が出なかったと言うが、聴くものにそんな事は分からなかった。美声と裏声が続いた。

確かにこれだけの曲を唄うとなると、声も掠れよう。MCも堂に入っていた。相方のMさんとの気もばっちりだ。ブログの字数制限は5000字である。このまま詳しく続けると削らなければアップ出来なくなるので、この発表会に関しては曲目を書き連ねる事で通り過ぎたいと思う。

シマさんは、第1部と第3部で唄った。第3部は時間が足らなくて割愛した曲もあるが、予定曲の全部を載せておこう。


第1部

徳之島一切い節

亀津朝花節

井之川ぬいぶぃ加那志

みち節

阿室ぬ慢女節

しゅんかねぃ節

まんかい玉節

ねんどねんど節

畦越えぬ水節

作たぬ米節

稲しり節


第3部

三京ぬ後節

取たん金ぐゎ節

犬田布節

まんこい節

島かんちむぃ節

ヨイシュリ節

大和山川節

うっしょ原ちょうきく節

与路ぬ与路くまし節

祝ぬ酒ぐゎ節

どんどん節(餅給れ)

最後の餅給れ(むちたぼれ)では、フロアーに出て来て踊った人もいた。とても楽しい曲で、皆も腰は踊りたくてむずむずした事と思う。


第2部は2つあり、1つは最初が私。もう1つは I さん(シマさんの先輩)の三線による琉球民謡だった。これは黄色い衣装を着て、いかにも沖縄らしい気分を感じさせる女性が3人で踊ったり、その他の曲ではそれに数人が加わって踊ったりした。シマさんが言うように、奄美と沖縄の比較が出来たように思う。


琉球民謡

踊いくわでぃさ

守礼の島

やいま

上い口説

南の島


次にオカリナ演奏の曲目を列記するに止めるが、ここで聴いてくれている人達は、曲の演奏途中でも伴奏になると拍手をしてくれる。寧ろ、ちゃんと聴いてくれているのだなと言う気持ちが伝わって来て、嬉しい気分にもなった。

マリーさんとも夢のようなコラボをし、シマさんを加えて3人での「奄美情話」もいい記念になった。私は隣にいるマリーさんがどんなに素晴らしい人かと言うことを、つぶさに感じながら吹いていた。


オカリナ演奏

リュブリャーナの青い空

故郷の山や海(オリジナル)

ふるさと

浜辺の歌

奄美情話

千の風になって

川の流れのように

かあさんの歌


1時から5時までの4時間に及ぶライブは、こうして終わった。私はシマさんが私を出演させてくれた事に感謝をしている。何故なら、ただ演奏して人に聴いて貰うと言うようなものではなく、これは人と人との繋がりが齎した、心の通い合った発表会(演奏会)だったからである。

それに加え、マリーさんの涙。これを真珠の涙と言うのだろうか。こんなに美しい、琴線に触れる涙を知らない。遠く秋田から来て、思いが現実になった感動と感激が一緒になった涙だったのだろう。それは、私も感じた事だ。エンジェルのプレゼントとして、しっかりと受け止めている。

ああ、終わった。もう固定して動かない。しかし、一瞬の時が永遠の時空に向かって動き出しているのを感じる。このミュージアムホールで出会った全部の人や出来事が・・。



懇親会は10名で、三宮の「まさ木」で行った。かつて仰木監督がよく来たと言う店でもある。馬刺しもレバーも平気で食べられる。豆腐も、何もかもが美味い。ビールもJINROもマッコリも。シマさん、シマさんの奥様、相方のMさん、 琉球民謡のI さん、受付のMさん、それにマリーさん、KOBAさん、Sさん、Yさん、それに私だった。

ここでも三線が聴けた。また交じり合った1つの集団が生まれた。6時から始まって、時計を見ると既に9時30分を回っていた。


うっかりして垂水駅を通り越し、次の舞子駅まで行ってしまった。垂水で降りて走って最終のバスに乗る計画だった。もうタクシーしかない。次の上りの電車を待って垂水に戻った。家に着いた時は、とっくに11時を過ぎていた。