自信の法則 ジェリー・ミンチントン
「自分を大切にする」
04 自分の可能性に目覚める
☆ 自分の中に眠っている能力をぞんぶんに発揮しよう。無限の可能性を追求することが人生の最大の課題だ。
書き散らしたものや切抜きなどが炬燵板の上に無造作に見られ、時たま家族の叱責を受ける。でも、この80センチ掛ける120センチの小さな面積は、私の譲れない遊び場だ。
オカリナ「イカロス」も乗っている。楽譜集3冊も「イカロス」での演奏を練習する為だ。辞書あり、新書本あり、韓国語講座のテキストあり、ジャズのCDあり、ビートルズのCDも10枚セットになった黒い箱が乗っている。後は訳の分からないものまで、書類やチラシが山を築いている。黒と赤のボールペンも。携帯もあればリモコンも4つ。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ8番、14番、23番の入った1枚のCDも小高い山に埋もれていた。「悲愴」、「月光」、「熱情」。古いCDなのに、何とピアノがマリア・ジョアン・ピリスだったのだ。
さて、この中でオカリナ演奏が私に出来るとしたらどれだろうか。それはピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」である。この内の物凄く遅いテンポの第2楽章アダージョ・カンタービレ。敬愛するL.V.ベートーヴェン(1770~1827)の曲をオカリナで吹く。これはどえらい事なのである。およそ200年程前に、こんな偉大な音楽家がいたと思うと、7人の小人になったように遥か上を仰いでしまう。楽聖と言われるベートーヴェンのピアノ・ソナタをオカリナで! 興奮が沸き起こる。
73小節あるが、遅過ぎるとは言え素晴らしいメロディーである。けれど、20、21、22小節と68小節は随分速いテクニックが必要とされる。21、22小節が吹けたら何とか形にはなるだろうが、これが難しい。たったのこの1ヶ所で曲にメリハリが出来、それ故にオカリナでの挑戦意欲が湧く。
3オクターブの出る3連の「イカロス」を知らなかったら、相変わらず音域の少ない曲に制限されていただろう。その「イカロス」を制作した波多野杜邦さんも凄腕なら、それを吹きこなし最先端を行っている大沢聡さんもオカリナ界だけに留まらず、音楽界にも大きく貢献している。彼の演奏を聴かなかったら、そしてその楽器と演奏の余りの凄さに落胆しっ放しで奮起しなかったら、今、私はオカリナを放棄していただろうと思う。
「イカロス」を知らなかったら、私にでも花は開くだろうと言う希望と期待があった。けれど「イカロス」との出会いの衝撃は、3日間私を無口にした。ショックから脱出した今は、蕾どころかやっと土の中から覗かせた、名も知らぬ芽に過ぎない。
それからあの手この手で制作者の住所と電話番号を調べたが、叶わなかった。7ヶ月にもなろうとする頃、或る方が波多野さんのお弟子である事が分かり、見も知らぬその人に必死で手紙を書いた。そうして、たまたま1つだけ波多野さんの手元にあった「イカロス」が、2年前の桜が満開の4月5日に落手したのだ。
そうして、鶯でも鳴き始めの頃は練習するが、私も鶯の子供そのものだった。今でもそうだが、こんなに難しいオカリナはないと思う。
私はオカリナ購入には心血を注いだ積もりだ。だが、引き出しで眠っているオカリナも20本では利かない。無駄だったと言ってしまえばお仕舞いだが、それは私のオカリナと出会ってからの、私なりのささやかな歴史なのだった。
もうこんなに家族不幸、延いては親不孝を重ねた私に今更言う資格はないが、オカリナは1本でいい、と言う事だ。それ1本に魂が込められたなら、聴く人はきっと感動する事だろう。感動はオカリナの数ではないからだ。
だが、染み付いた匂いは拭い切れないように、私は1本だけで演奏など出来ない。況して3連のオカリナを知ってしまったのだった。
「イカロス」は、演奏の巧拙は別にして、私のオカリナへの認識と世界と楽しみを広げてくれた。基本は12穴のオカリナである事は言うまでもないが、その上に立った「イカロス」こそ、3連の基となった。
「イカロス」が手に入ってから、喜びで、3連を全部使った簡単な曲を作った。それでも作曲能力など全くない私には精一杯だったが、「イカロス」への賛歌でもあった。この「故郷の山や海」は6月6日、シマさんの三線発表会でも吹くし、奈良や神戸のオカリナフェスティバルでも演奏する。
それから、「オオサワオカリナ」が突然に出現した。3月に4本試奏させて貰った。安定した音で素晴らしかったが、じっくり吹き比べるまでには至らなかった。そして、欲しいとの思いが今も続いている。
1本10万5千円。すぐに買える訳がない。500円硬貨を、吉本の貯金缶に入れる。まだまだ貯まらない。それもそうだ。とっくに缶きりで開けて、何度も透明の幅の広いテープを剥がしては貼っているからだ。何時またテープを剥がして、不足を補うかも知れないからである。
何週間か前に受け取った茶封筒に走り書きして、その部分を千切って置いていた紙切れがある。それには、こんな事を写し取っていた。
「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ」
米国の神学者ニーバー:大木英夫訳
私に「オオサワオカリナ」は手に入るのか? いささか今は冷静さを失っている。
「自分を大切にする」
04 自分の可能性に目覚める
☆ 自分の中に眠っている能力をぞんぶんに発揮しよう。無限の可能性を追求することが人生の最大の課題だ。
書き散らしたものや切抜きなどが炬燵板の上に無造作に見られ、時たま家族の叱責を受ける。でも、この80センチ掛ける120センチの小さな面積は、私の譲れない遊び場だ。
オカリナ「イカロス」も乗っている。楽譜集3冊も「イカロス」での演奏を練習する為だ。辞書あり、新書本あり、韓国語講座のテキストあり、ジャズのCDあり、ビートルズのCDも10枚セットになった黒い箱が乗っている。後は訳の分からないものまで、書類やチラシが山を築いている。黒と赤のボールペンも。携帯もあればリモコンも4つ。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ8番、14番、23番の入った1枚のCDも小高い山に埋もれていた。「悲愴」、「月光」、「熱情」。古いCDなのに、何とピアノがマリア・ジョアン・ピリスだったのだ。
さて、この中でオカリナ演奏が私に出来るとしたらどれだろうか。それはピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」である。この内の物凄く遅いテンポの第2楽章アダージョ・カンタービレ。敬愛するL.V.ベートーヴェン(1770~1827)の曲をオカリナで吹く。これはどえらい事なのである。およそ200年程前に、こんな偉大な音楽家がいたと思うと、7人の小人になったように遥か上を仰いでしまう。楽聖と言われるベートーヴェンのピアノ・ソナタをオカリナで! 興奮が沸き起こる。
73小節あるが、遅過ぎるとは言え素晴らしいメロディーである。けれど、20、21、22小節と68小節は随分速いテクニックが必要とされる。21、22小節が吹けたら何とか形にはなるだろうが、これが難しい。たったのこの1ヶ所で曲にメリハリが出来、それ故にオカリナでの挑戦意欲が湧く。
3オクターブの出る3連の「イカロス」を知らなかったら、相変わらず音域の少ない曲に制限されていただろう。その「イカロス」を制作した波多野杜邦さんも凄腕なら、それを吹きこなし最先端を行っている大沢聡さんもオカリナ界だけに留まらず、音楽界にも大きく貢献している。彼の演奏を聴かなかったら、そしてその楽器と演奏の余りの凄さに落胆しっ放しで奮起しなかったら、今、私はオカリナを放棄していただろうと思う。
「イカロス」を知らなかったら、私にでも花は開くだろうと言う希望と期待があった。けれど「イカロス」との出会いの衝撃は、3日間私を無口にした。ショックから脱出した今は、蕾どころかやっと土の中から覗かせた、名も知らぬ芽に過ぎない。
それからあの手この手で制作者の住所と電話番号を調べたが、叶わなかった。7ヶ月にもなろうとする頃、或る方が波多野さんのお弟子である事が分かり、見も知らぬその人に必死で手紙を書いた。そうして、たまたま1つだけ波多野さんの手元にあった「イカロス」が、2年前の桜が満開の4月5日に落手したのだ。
そうして、鶯でも鳴き始めの頃は練習するが、私も鶯の子供そのものだった。今でもそうだが、こんなに難しいオカリナはないと思う。
私はオカリナ購入には心血を注いだ積もりだ。だが、引き出しで眠っているオカリナも20本では利かない。無駄だったと言ってしまえばお仕舞いだが、それは私のオカリナと出会ってからの、私なりのささやかな歴史なのだった。
もうこんなに家族不幸、延いては親不孝を重ねた私に今更言う資格はないが、オカリナは1本でいい、と言う事だ。それ1本に魂が込められたなら、聴く人はきっと感動する事だろう。感動はオカリナの数ではないからだ。
だが、染み付いた匂いは拭い切れないように、私は1本だけで演奏など出来ない。況して3連のオカリナを知ってしまったのだった。
「イカロス」は、演奏の巧拙は別にして、私のオカリナへの認識と世界と楽しみを広げてくれた。基本は12穴のオカリナである事は言うまでもないが、その上に立った「イカロス」こそ、3連の基となった。
「イカロス」が手に入ってから、喜びで、3連を全部使った簡単な曲を作った。それでも作曲能力など全くない私には精一杯だったが、「イカロス」への賛歌でもあった。この「故郷の山や海」は6月6日、シマさんの三線発表会でも吹くし、奈良や神戸のオカリナフェスティバルでも演奏する。
それから、「オオサワオカリナ」が突然に出現した。3月に4本試奏させて貰った。安定した音で素晴らしかったが、じっくり吹き比べるまでには至らなかった。そして、欲しいとの思いが今も続いている。
1本10万5千円。すぐに買える訳がない。500円硬貨を、吉本の貯金缶に入れる。まだまだ貯まらない。それもそうだ。とっくに缶きりで開けて、何度も透明の幅の広いテープを剥がしては貼っているからだ。何時またテープを剥がして、不足を補うかも知れないからである。
何週間か前に受け取った茶封筒に走り書きして、その部分を千切って置いていた紙切れがある。それには、こんな事を写し取っていた。
「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ」
米国の神学者ニーバー:大木英夫訳
私に「オオサワオカリナ」は手に入るのか? いささか今は冷静さを失っている。