24日は23日と打って変わって、すっかり雨は上がっていた。
23日、24日、25日と杵築の特養に義母を見舞った。大体昼を中心に1時間から1時間半位。90歳を越えた義母は寝たきりだが、私は分かるらしく、顔を見ると笑ってくれた。寝たきりはさぞ辛いだろうと思うが、生きていて貰いたい。
目を瞑って眠っている事の方が多い。目が覚めると娘と連れ合いが交互に耳元に口を近づけ、声を大きくして話しかける。何とか喜ばそうとする。
この日も2時前になると特養を出て、食堂に行った。この時点では24日なのだが、ここへは23日から3日連続で来た。おかずを選べる店で、「三川食堂」と言った。これはあちこちにチェーン店があり、神戸でも○○食堂と称して何店か見た事がある。
23日はカツ綴じと肉じゃがを取った。この日24日は2時頃だった所為もあって、待望の肉じゃがは売り切れていた。その器には、大きな男爵いもの半分もある大きなものが3個も入っている。人参や玉ねぎが程よい味になっている。肉は柔らかく、十分に形を成していたのだった。
御飯は小。こんな所でダイエットを意識しなくてもいいのだが、気は心と言うではないか。そしてみそ汁。肉じゃがの代わりに茄子の煮付けにした。
25日もカツ綴じ。他の二人は秋刀魚を取っていたが、いい形をしていた。娘は私の話が上手かったのか、最後のこの日は私と同じ肉じゃがをトレーに載せていた。カツ綴じは「一切れ頂戴」と言って、箸を伸ばした。「美味い」と言った。
さて、食堂の話がメインではないので、24日に行く所、行った所の事を書いておこう。
宇佐神宮へ行く事にした。朱色の鳥居、広い境内、何と心が広々とする事だろう。鳥居は幾つもあるが、この大鳥居を潜ると、若宮を通って上宮へと誘われる。鳥居の両柱の上方にタイヤの輪のようなものがある。これは神仏混交の名残なのだと娘が言った。
鳥居の前で腰を90度に折って、お辞儀をして入って行った若者がいた。後で擦れ違った時に聞いたが、こちらの人ではなく、京都から来たと言った。学生らしく、ひょっとして皇學館などで学んでいるのかも知れないと思ったりした。2人も真似をして丁寧にお辞儀をしていたが、普段した事のない私は、そのまま潜った。
「お父さんはお辞儀をしていないから、透明人間に見えて、来た事を認めて貰えないわ」
と、娘が言いながらお辞儀を催促する。けれど、照れ臭くて出来なかった。
宇佐神宮のあらましを書く積もりではないが、この神宮は大分県宇佐市にあり、全国四万四千社の八幡宮の総本社である。創建は神亀2年(725年)と言う。
国宝になっているのは、第一殿から第三殿に至る3棟だ。主祭神は八幡三神と呼ばれ、祭られている神殿の順に応神天皇(一の御殿)、比咩大神(ひめのおおかみ/二の御殿)、神功皇后(三の御殿)で、上宮、下宮ともどちらにも同じ三柱が祀られている。
先ず上宮に行った。朱塗りが鮮やかである。私は3度目だが、いよいよ美しくなっているような気がした。その時は3殿ある事を忘れていて、賽銭も普通に賽銭箱に入れた。右に移動し、後2つある事に気付いた。同じ額を投じた。大した額ではないが、このように並んでいるのも私には珍しかった。
お参りを終えるとそこには樹齢何百年かの大木があった。楠だと思う。その時、普段は感じた事もなかったが、私などより遥か昔から生きていたのだなと、感慨深いものを感じた。
これは読むのを飛ばして貰っても結構だが、おみくじを引いた事とも関係があるので、記しておきたい。
この他敷地内には、次の神社が末社として存在する。
仁徳天皇以下五柱の通称「若宮五神」を祭る若宮神社。
応神天皇の子神を祭る春日神社。
大山積尊を祭る亀山神社。
境内の菱形池を守る水分(みくまり)神社。
菅原道真を祭る天満神社。
素戔鳴尊を祭る八坂神社。
武内宿禰を祭る黒男神社。
和気清麻呂を祭る護皇神社。
初代大宮司・大神比義を祭る大神祖神社。
かつて東征中の神武天皇をこの地でもてなしたとされる菟沙津彦・菟沙津姫を祭る宇佐祖神社。など。
敷地外にある外宮として、大許(おおもと)神社が近隣の御許山(おもとさん)の上にある。
そこで引いたおみくじの中に、小さな金色のご神体が入っている。上記の中の内の8種類だが、私には素戔鳴尊が入っていた。出雲大社にも日御碕神社にも祀ってあり、色々ご縁のある神様だと思ったのである。徐に財布にしまった。
上宮を下りて行くと若宮があり、左手を下りて行くと下宮がある。そこへ行かないのは方参りだと書いてあった。ここも上宮と同じ三柱の神を祀ってある。庶民の為だったそうである。少額の賽銭を、気持ちだけ3箇所に入れてお参りした。
丁寧に祈っている婦人がいて、数段の石段を地面まで下りて荷物を置いては祈っていた。待っている訳にも行かず、失礼だったかも知れないが、石段の一番上まで上って頭を下げた。ここは出雲大社と同じで、二礼四拍手一礼である。普通は二礼ニ拍手一礼だ。
色々勉強して行くと面白いのだが、一例を挙げるなら、大宮司宇佐公通は平清盛の娘を妻としていたので、源平争乱期には平氏についた。屋島の戦いから敗走する総大将平宗盛ら平家一門は宇佐神宮を頼って公通の館に滞在したが、それも束の間の事だった。それは、豊後の緒方惟義が源氏方につき叛逆した為、庇護仕切れなかった事もある。その上、緒方氏によって神宮が焼き討ちにあったとも言う。
このほんの短い間、あの入水した幼い安徳天皇も一緒だったのである。
暫く時間を費やすと、真玉の夕陽をみようとそちらに向かった。斜めに傾いた陽もなかなか沈まなかった。雨も降らないのでさぞ美しい夕陽がみられるだろうと思った。ここの夕陽は「夕陽百選」のうちで3番目に綺麗だとされる。期待に胸が踊る。
海から直接に長く段になっている石段に腰を下ろした。少し赤く燃えた陽は、徐々に降りて行く。肌寒い気がしたが、それは期待の為に辛抱出来た。
おや? 水平線から上に靄のような層が出来ている。これは駄目だと感じた。今見えている夕陽をデジカメに納めた。けれど、電車から見る須磨の辺りの夕陽には叶わない。が、雲ひとつなく晴れていたら、感動するだろう事は容易に想像出来た。潮が退いたら砂の部分が縞模様となって、素敵な景観を呈する事だろう。遠くまで行ってオーロラが見られなかった訳でもなし、今度来た時にもう一度来る楽しみが出来た。
カメラを三脚に据えている人もいた。名残惜しそうにしているのが分かる。私たちは早々にその場を離れた。
唐揚げを買って帰って、それで「いいちこ」を飲もうと考えていたが、店は定休日だった。非常に残念だ。
マックスバリューで買い物をすると、スパランド真玉で最後の温泉に浸かった。また最初の浴場に変わっていたが、小さな浴槽であれだけ出ていた泡が、一つも出ていない。がっかりだった。きっと土日以外は止めているのに違いないと思った。
まあ収穫と言えば言えるが、大分ではよくこうして食べるらしいが、マックスバリューの中のコーナーで瓶詰めのタレを売っていた。よく見ると、その素材は醤油とみりんだけだった。態々買う必要もない。神戸に帰ってから早速マグロの刺身を買い、浸かる位に醤油とみりんを混ぜ、それにマグロの刺身を浸けた。待つこと10分。これで浸かっているそうだ。丼に御飯を盛り、その上にマグロを置いた。タレも少し御飯にかけてみた。美味い。これは簡単で美味い。簡単メニューの素敵なレパートリーが増えたと思った。多分、刺身は好きなもの何でもいいのかも。高田の家に戻ると、やっぱり「いいちこ」が待っていた。
翌25日はお見舞いと昼食の三川食堂。そして神戸へと進路を向けた。夜中の12時を過ぎて高速を下りると料金は半額になる。1万円もかかるものが5千円なら、ちょっとでも待って下りるのが懸命だ。閉店時間間際になったスーパーの、半額のラベルが貼られた揚げ物みたいではある。
日が替わり、26日の深夜を過ぎて神戸の家に着いた。変化に富んだ大分の旅も幕を閉じた。心配していたオカリナ達は皆無事だった。
23日、24日、25日と杵築の特養に義母を見舞った。大体昼を中心に1時間から1時間半位。90歳を越えた義母は寝たきりだが、私は分かるらしく、顔を見ると笑ってくれた。寝たきりはさぞ辛いだろうと思うが、生きていて貰いたい。
目を瞑って眠っている事の方が多い。目が覚めると娘と連れ合いが交互に耳元に口を近づけ、声を大きくして話しかける。何とか喜ばそうとする。
この日も2時前になると特養を出て、食堂に行った。この時点では24日なのだが、ここへは23日から3日連続で来た。おかずを選べる店で、「三川食堂」と言った。これはあちこちにチェーン店があり、神戸でも○○食堂と称して何店か見た事がある。
23日はカツ綴じと肉じゃがを取った。この日24日は2時頃だった所為もあって、待望の肉じゃがは売り切れていた。その器には、大きな男爵いもの半分もある大きなものが3個も入っている。人参や玉ねぎが程よい味になっている。肉は柔らかく、十分に形を成していたのだった。
御飯は小。こんな所でダイエットを意識しなくてもいいのだが、気は心と言うではないか。そしてみそ汁。肉じゃがの代わりに茄子の煮付けにした。
25日もカツ綴じ。他の二人は秋刀魚を取っていたが、いい形をしていた。娘は私の話が上手かったのか、最後のこの日は私と同じ肉じゃがをトレーに載せていた。カツ綴じは「一切れ頂戴」と言って、箸を伸ばした。「美味い」と言った。
さて、食堂の話がメインではないので、24日に行く所、行った所の事を書いておこう。
宇佐神宮へ行く事にした。朱色の鳥居、広い境内、何と心が広々とする事だろう。鳥居は幾つもあるが、この大鳥居を潜ると、若宮を通って上宮へと誘われる。鳥居の両柱の上方にタイヤの輪のようなものがある。これは神仏混交の名残なのだと娘が言った。
鳥居の前で腰を90度に折って、お辞儀をして入って行った若者がいた。後で擦れ違った時に聞いたが、こちらの人ではなく、京都から来たと言った。学生らしく、ひょっとして皇學館などで学んでいるのかも知れないと思ったりした。2人も真似をして丁寧にお辞儀をしていたが、普段した事のない私は、そのまま潜った。
「お父さんはお辞儀をしていないから、透明人間に見えて、来た事を認めて貰えないわ」
と、娘が言いながらお辞儀を催促する。けれど、照れ臭くて出来なかった。
宇佐神宮のあらましを書く積もりではないが、この神宮は大分県宇佐市にあり、全国四万四千社の八幡宮の総本社である。創建は神亀2年(725年)と言う。
国宝になっているのは、第一殿から第三殿に至る3棟だ。主祭神は八幡三神と呼ばれ、祭られている神殿の順に応神天皇(一の御殿)、比咩大神(ひめのおおかみ/二の御殿)、神功皇后(三の御殿)で、上宮、下宮ともどちらにも同じ三柱が祀られている。
先ず上宮に行った。朱塗りが鮮やかである。私は3度目だが、いよいよ美しくなっているような気がした。その時は3殿ある事を忘れていて、賽銭も普通に賽銭箱に入れた。右に移動し、後2つある事に気付いた。同じ額を投じた。大した額ではないが、このように並んでいるのも私には珍しかった。
お参りを終えるとそこには樹齢何百年かの大木があった。楠だと思う。その時、普段は感じた事もなかったが、私などより遥か昔から生きていたのだなと、感慨深いものを感じた。
これは読むのを飛ばして貰っても結構だが、おみくじを引いた事とも関係があるので、記しておきたい。
この他敷地内には、次の神社が末社として存在する。
仁徳天皇以下五柱の通称「若宮五神」を祭る若宮神社。
応神天皇の子神を祭る春日神社。
大山積尊を祭る亀山神社。
境内の菱形池を守る水分(みくまり)神社。
菅原道真を祭る天満神社。
素戔鳴尊を祭る八坂神社。
武内宿禰を祭る黒男神社。
和気清麻呂を祭る護皇神社。
初代大宮司・大神比義を祭る大神祖神社。
かつて東征中の神武天皇をこの地でもてなしたとされる菟沙津彦・菟沙津姫を祭る宇佐祖神社。など。
敷地外にある外宮として、大許(おおもと)神社が近隣の御許山(おもとさん)の上にある。
そこで引いたおみくじの中に、小さな金色のご神体が入っている。上記の中の内の8種類だが、私には素戔鳴尊が入っていた。出雲大社にも日御碕神社にも祀ってあり、色々ご縁のある神様だと思ったのである。徐に財布にしまった。
上宮を下りて行くと若宮があり、左手を下りて行くと下宮がある。そこへ行かないのは方参りだと書いてあった。ここも上宮と同じ三柱の神を祀ってある。庶民の為だったそうである。少額の賽銭を、気持ちだけ3箇所に入れてお参りした。
丁寧に祈っている婦人がいて、数段の石段を地面まで下りて荷物を置いては祈っていた。待っている訳にも行かず、失礼だったかも知れないが、石段の一番上まで上って頭を下げた。ここは出雲大社と同じで、二礼四拍手一礼である。普通は二礼ニ拍手一礼だ。
色々勉強して行くと面白いのだが、一例を挙げるなら、大宮司宇佐公通は平清盛の娘を妻としていたので、源平争乱期には平氏についた。屋島の戦いから敗走する総大将平宗盛ら平家一門は宇佐神宮を頼って公通の館に滞在したが、それも束の間の事だった。それは、豊後の緒方惟義が源氏方につき叛逆した為、庇護仕切れなかった事もある。その上、緒方氏によって神宮が焼き討ちにあったとも言う。
このほんの短い間、あの入水した幼い安徳天皇も一緒だったのである。
暫く時間を費やすと、真玉の夕陽をみようとそちらに向かった。斜めに傾いた陽もなかなか沈まなかった。雨も降らないのでさぞ美しい夕陽がみられるだろうと思った。ここの夕陽は「夕陽百選」のうちで3番目に綺麗だとされる。期待に胸が踊る。
海から直接に長く段になっている石段に腰を下ろした。少し赤く燃えた陽は、徐々に降りて行く。肌寒い気がしたが、それは期待の為に辛抱出来た。
おや? 水平線から上に靄のような層が出来ている。これは駄目だと感じた。今見えている夕陽をデジカメに納めた。けれど、電車から見る須磨の辺りの夕陽には叶わない。が、雲ひとつなく晴れていたら、感動するだろう事は容易に想像出来た。潮が退いたら砂の部分が縞模様となって、素敵な景観を呈する事だろう。遠くまで行ってオーロラが見られなかった訳でもなし、今度来た時にもう一度来る楽しみが出来た。
カメラを三脚に据えている人もいた。名残惜しそうにしているのが分かる。私たちは早々にその場を離れた。
唐揚げを買って帰って、それで「いいちこ」を飲もうと考えていたが、店は定休日だった。非常に残念だ。
マックスバリューで買い物をすると、スパランド真玉で最後の温泉に浸かった。また最初の浴場に変わっていたが、小さな浴槽であれだけ出ていた泡が、一つも出ていない。がっかりだった。きっと土日以外は止めているのに違いないと思った。
まあ収穫と言えば言えるが、大分ではよくこうして食べるらしいが、マックスバリューの中のコーナーで瓶詰めのタレを売っていた。よく見ると、その素材は醤油とみりんだけだった。態々買う必要もない。神戸に帰ってから早速マグロの刺身を買い、浸かる位に醤油とみりんを混ぜ、それにマグロの刺身を浸けた。待つこと10分。これで浸かっているそうだ。丼に御飯を盛り、その上にマグロを置いた。タレも少し御飯にかけてみた。美味い。これは簡単で美味い。簡単メニューの素敵なレパートリーが増えたと思った。多分、刺身は好きなもの何でもいいのかも。高田の家に戻ると、やっぱり「いいちこ」が待っていた。
翌25日はお見舞いと昼食の三川食堂。そして神戸へと進路を向けた。夜中の12時を過ぎて高速を下りると料金は半額になる。1万円もかかるものが5千円なら、ちょっとでも待って下りるのが懸命だ。閉店時間間際になったスーパーの、半額のラベルが貼られた揚げ物みたいではある。
日が替わり、26日の深夜を過ぎて神戸の家に着いた。変化に富んだ大分の旅も幕を閉じた。心配していたオカリナ達は皆無事だった。