一念発起。この言葉を証明してくれるような凄い人の事が、朝日新聞の「ひと」に書かれていた。2010年5月20日(木)。文・森直由。


医学博士号を取った元タカラジェンヌの歯科医
                                       桝谷多紀子さん(64)

20代は、華麗な世界を生きた。1966年、宝塚音楽学校を首席で卒業。宝塚歌劇団では「花園とみよ」の名の娘役で大役を演じた。4年半で退団後、NHK大河ドラマ「新・平家物語」などに出演した。

33歳、すっぱり女優を引退し、歯科医を目指す。大学入試は1回、国家試験は3回落ちた。93年に開業したとき47歳になっていた。

宝塚で心血を注いだ発声や稽古は歯並びで変わる。口の中に興味を持った。でも、歯科医としては、口の中だけでなく、患者の生活そのものにかかわりたいと願ってきた。

6年前に再会したかつての恩師は認知症を患い、「死ぬんや」と繰り返していた。患者は高齢化が進む。精神ケアを学ぼうと、60歳で神戸大大学院の精神医学分野に入学。今春、高齢者の生きがいについての論文で医学博士号を取得した。

大学の受験勉強は、毎日睡眠3時間。体をひもでいすにくくりつけて机に向かった。国家試験に落ち続けたときは、あまりの苦しさに駅のホームで電車に吸い込まれそうになった。大学院受験のために朝6時に起きて英単語を覚えた。

「手に届かなそうなものを一生、追い続けてしまうのかな」と笑う。

宝塚では、はいつくばってでも舞台に上がった。弱音をはいたら次の役はなかった。培った打たれ強さが後の人生を支えてくれた。

医院は兵庫県宝塚市のビル8階にある。宝塚大劇場の屋根が見える。



私の感想

自分中心にものを考えたらいけない。凄い人はいくらでもいる。自分は甘いと思う。




「記者有論」にも、いい話があった。その一葉を。

・・・体罰で育てられた選手が、指導者になって体罰を行う。飛田穂洲は戦時中、敵性スポーツと呼ばれた野球を軍部から守った人物でもあるが、今日まで続く負の連鎖をどうやって断ち切ればいいのだろう。

ヒントはある。京大アメリカンフットボール部の水野弥一監督と対談した時だ。彼は言った。「うちでは、雑用は全部4年生にやらせます。トイレ掃除も。おまえたちが一番強いんだろう。一番勝ちたいんだろう。なら一番嫌な仕事をやれ、と教えます」。逆転の発想で体罰はなくなっていく可能性がある。・・・



さてさて、ちょっと笑って、今日のブログを閉じよう。

どこのラジオ放送局だったかは分からない。ラジオ関西ではなかった。リスナーからの便りを読んでいた。

〇「僕たち、お母さんを楽させてあげる。お使いにも行けるよ」。と5歳のお兄ちゃんが言った。横には3歳の妹がいた。お母さんは早速次の日、「今日はカレーを作るから、この紙に書いた材料を買って来てね」と袋に紙を入れてお使いに出した。5分くらい経った時、玄関のチャイムが鳴った。誰だろうと思って出てみると、2人が立っていた。手元を見ると、「ここ壱番カレー」と書いた袋を提げていた。「お母さんが楽できるように、これを買って来た」と、その中には出来立てのカレーが入っていた。泣ける話ではないか。

○おじいさんが、「今から障子を張り替えるから、この障子を破ってもいいよ」と言った。子供は喜んだのなんの。ぶつぶつに穴を開けまわった。その内眠くなって、子供は寝てしまった。おじいさんは張り替えた障子を持って来て、重ねて置いた。外出したおじいさんは、帰って来て悲鳴を上げた。折角張り替えた障子が、またびりびりに破られていたのだ。「母親に物凄く怒られましたよ」と言ったのは、もう27歳になった青年だった。


小さな所に幾らでも話題は尽きない。けれど、この辺で今日のマイブログはお仕舞いだ。