5月15日は奈良へ行った。4月29日に仲間と5人で行ってから、結構日は経っていた。日差しはきつく、良く晴れ上がっていた。

大和西大寺駅は、私にとって馴染みの駅となった。改札に切符を通して外に出ないのに、ここは店があったりカレー屋さんがあったりする。そう、えびすカレーだ。あの時、皆ここで食べた。私は400円のビーフカレーを食べ、後コーヒーを飲んだのを覚えている。

柿の葉ずしを買って、奈良遷都1300年記念会場のどこかで座って食べようかとも思ったが、またこの400円のカレーを食べてしまった。今度来てもまた食べるような気がする。ああ、何でだろ?

29日はシャトルバスに乗らずに歩いた。15分で行けた。歩く方が俄然健康的だと思った。この日も歩いた。理由は、シャトルバスより、今は歩いた方が早く着きますと、スタッフの人が言っていたのが聞こえたからだ。

全く同じ道程を歩いた。あの日の事が、懐かしく思い出されていた。近鉄電車の踏み切りで待たされたが、渡ろうとするとすぐに警報が鳴った。3秒で遮断機が下りた。結構危ない踏み切りだし、いつでもしょっちゅうこんな状態なのだ。今は1300年記念の為人出が多く、警備員が何人かいて指図をしている。

もう会場に入っても、何の不安もなく歩き回れるような気がした。初回の驚きが、今は当たり前の事に変わっていた。


家から2時間15分あれば、今まで遠い所に思われていた奈良に来る事が出来る。京都でも遠いと思っているのだから、奈良と聞けば数回しか来た事がないし、縁のない所のようにしか思っていなかった。それが、三宮で阪神電車3番ホームから乗ると、大和西大寺駅には直通で行けるようになった。始発で、座ったまま行けるのも魅力の一つである。

鶴橋から元気のいい女の人が乗り込んできた。どちらかの若い旦那も一緒だし、ベビーカーが2つ。赤ちゃんがそれぞれに乗っていると思いきや、そこにはどちらかの赤ちゃんのお姉ちゃんが座っていた。2人の女性は赤ちゃんを、体の前で固定して抱いていた。赤ちゃんの股下の脚が凄く開いた状態だ。

お姉ちゃんがベビーカーから下り、旦那が抱っこした。すると何かを落とした。お姉ちゃんは抱っこから下り、探し始めた。母親が言った。「ヨギヨギ」。あれっ? 韓国人だったのか。「ここ、ここ」と指差していたのだ。韓国の人は元気がいい。まるで破竹の勢いなのだ。

1人の女性はジーンズの短パンをはき、モスグリーンのようなシャツを着ていた。その色にマニキュアを合わせているものだから、随分派手な爪に見えた。もう一人は黄緑色のシャツだが、かなり以上に太った体型をしていた。前から赤ちゃんを外すと、旦那に預けた。旦那は同じように前にくくりつけ固定した。太った以上に大きな母親は、ホッとした顔付きになった。


11時20分位に、まだ人の疎らな「まほろばステージ」の長椅子に座った。12時15分から「ラ・クロシュ」さんのオカリナ演奏が1時まであると言うので、聴きに来たのだった。

飛鳥時代の衣装を着て、5人の女性がリハーサルを始めた。これが「ラ・クロシュ」の皆さんだった。ステージの背面には、大きなスクリーンが備え付けてある。5人は消え、譜面台などがステージの奥に置かれて暫くすると、司会の女の人が出て来た。12時になったのだ。何とこの15分の中でセント君が現れた。

セント君は乗り乗りで、会場に下りてきて聴衆とハイタッチなどしていた。こちらにも来た。セント君と私の手も触れた。再びステージに上がると、司会者の言う通りに動いた。感謝のポーズや秘密のポーズなどをして見せてくれた。真ん中で、左側で、右側で・・。最初の印象もあり、まだ溶け込める所まで行かない人もいると思うが、私は少し慣れたようだった。最後に真っ赤な衣装の若い女の子達が出て来て、セント君と踊った。

司会者が大写しになっていたが、実際に喋っている口の開け方よりスクリーンの口の開きが微妙に遅い事に気付いた。あれだけ速い電波も、これだけ遅れるのかと思ったが、この事に気付いた人も結構いたのではないかと思う程、微妙でも明確だった。

オカリナが始まろうとすると、セント君目当てだった人達が席を立ち、空いた所がオカリナ目当ての人達で埋まった。

美しい飛鳥の衣装を見ながら、演奏を聴いた。結構ハモっていて、楽しく聴けたと思う。順番に司会を交代しながら、自分達で進めて行った。最初の演奏曲を忘れてしまったが、宮崎アニメの「風になる」ではなかったかと思う。間違っていたら、この部分は後日訂正と言う事になる。

オカリナの師匠は、山本優子さんだと言っていた。山本さんは私もずっと前から知っている。教え方も上手いと言う評判だし、CDも出していて演奏も上手な人である。

次の曲が面白かった。「プリンクプランク」と言う、楽しい曲である。

次が三重奏の「おしえて」で、これはアルプスの少女ハイジの主題歌でもある。

2人で演奏したジャズ風の曲も面白かった。やってみたいと思わせた。「イージージャズデュエット」と言った。

8月15日の奈良でのオカリナフェスティバルでは宗次郎さんをゲストに迎えているので、宗次郎さんの曲を演奏すると言って「天空のオリオン」を吹いた。これは全部ではなく、最初の所の演奏だけで終わった。アルトのC管が中心だったかと思うが、ここはソプラノのG管で吹いた方が音が澄んで広がると思った。

そして「初夏のメドレー」へと続く。茶摘、雨、七夕、椰子の実、海、だった。♪見ーよ昼の海、見ーよ昼の海・・。

最後から一つ前の曲は、「見あげてごらん夜の星を」だった。7年位続いているこのグループからは、挑戦して行こうとする気持ちが伝わって来た。今も随分楽しませてくれるけれど、演奏をやる毎に上手くなって行くなと直感した。8月15日のフェスティバルは、この「ラ・クロシュ」が手がけた事だ。熱意に賛辞を送りたいと思う。

最後は、声のきれいな人が歌を歌って聴かせてくれ、聴衆も一緒に歌おうと言う事だった。題名は聞いた事があるが、歌も曲も知らなかった。「ラ・クロシュ」さん達は、この場で言った訳ではないが、去年神戸のフェステイバルでこの曲を吹いたと言った。


「奈良の大仏さん」

奈良の 奈良の 大仏さんは

天火に焼けて

アリャ ドンドンドン

コリャ ドンドンドン

正面どなた うしろに誰がいる?

*くりかえし

違いました 違いました 舟のかげ


5人の飛鳥美人の額には、赤い点々が付いている。何の印なのだろう。調べてみなければ。


電話があった時、15日には聴きに行くと言っていたので、その時は必ず声をかけて欲しいと言われていた。終わってから、記念写真を撮ったりして外に出ていたので、撮影や他の人との話が終わるまで側で見ていた。すると、 I さんが近づいて来て、私の名前を聞いた。そして皆に私を紹介した。

暫く喋って、3人は着替えの為に中に入ったが、私は残った2人と写真を撮った。そこにいた人に私のデジカメで写して貰った。お互いに、宜しくと挨拶して分かれた。

次の西宮でのサックスのコンサートまでには、かなりの時間がある。けれど、再び大極殿を見たいとは思わなかったし、この暑さの中で歩き回ろうとも思わなかった。

時間潰しに何か食べようと思った。ビールとポテトチップスはステージを見る前も思った事だが、昼間から真っ赤な顔は嫌なので、この時も誘惑に駆られはしたが止めにした。その代わり、美味しいと言ったのが聞こえたので、自分の単純さに呆れながらも「かやく御飯」を食べる事にした。カレーもキレーに消化した事だし。

とてもシンプルで、お米の他はごぼう、人参、あげが入り、醤油と和風だしで作ったものだった。農業法人當麻の家で作られたもので、250円だった。ジュースが作り立てだと言った。かやく御飯とジュースはなあ、と思ったが聞き返すと、紫蘇ジュースだった。100円出して炎天下のベンチに座った。なかなか行けるジュースだと思ったし、50円だったらもう1杯飲みたいと思った。

すぐそこに花の迷路があった。中に入れば迷路とまでは行かないで、誰でも中の道さえ通れば難なく出られる。人の胸辺りまである花の迷路は、孫達を連れて来ても面白いだろうと思った。

暑いので、早々に食べ終えた。やっぱり歩きたくない。もう西宮に行こうと思った。ゆっくり歩いていると、突然私を呼ぶ声がした。着替えを終わった「ラ・クロシュ」の人達だった。「良かったら、ソフトクリームでも食べませんか」と言って来た。こんな所で会って話が出来るなどとは思ってもみなかった。二つ返事でOKをした。けれども、その店が連休中のものだったのだろうか、最早なかった。

他の店に入る事にした。メンバーの旦那も一人いて、かれも一緒に7人で順番を待った。6人掛けのテーブルに椅子を無理やり入れて7人で座った。初めて会うのに初めて会った気がしない。自然に、楽しく話が出来た。オカリナをやっていると言うだけで、こんなに気楽な気持ちになれるのだろうか。この旦那も隣の私に、ウエイトレスの運んで来たコップや何かを私の側に置いてくれるような、よく気の付く人だった。

店を出る前に名前を聞いたら、皆が名刺をくれた。1人は持って来ていなかったが、1人はもう名前は知っている人だった。Uさん、 I さん、Ueさん、Yさん、Bさんだった。オカリナ吹く人達っていいなあと、つくづく感じた一時だった。 I さんからは、夜早速にメールを貰った位だったから。

この店の前には小さなポスターが貼ってあり、こんな事が書いてあった。


流水何太急   流れる水は何でそんなに急いでいるのでしょう

深宮盡日間   わたしは奥深い宮居で過ごす日々

慇懃謝紅葉   思いを込めて紅葉をそって流しましょう

好去到人間   ああまだ見ぬあなた


唐の時代。朝の事である。ある男が科挙の為に上京して、皇城の後宮の堀端をとぼとぼ歩いていた。ここには絶世の美女達が・・、と思いながら立ち止まり、水面を眺めた。すると1枚の紅葉が流れて来た。その葉には、女性らしい優美な筆跡の詩が書かれていた。


曾聞葉上紅怨題   紅葉に積もる思いを書かれたようですね

葉上題詩寄与誰?  葉に記した詩はいったい誰に?

そう自分も書いて、廻る流れに任せた。

大分経って結婚した時、二人は共にこの紅葉を大切に持っていた。その時は、柿の紅葉に書かれたものだったのだ。

優雅なそんな時代が、1300年前にあったとは・。文明がここまで進んだけれど、それよりも豊かな世界がその頃にあった事を思うと、1300年の回帰が望まれる。

核もなく、戦はあったけれど、まだ幾らでも人は生きながらえられる時代だった。