「よろしい。師のご坊にお取りつぎしよう。そなた、お会いする目的は、法然上人門下にくわわりたいというのであろう。ちょうどよい。わたしも歌のわかる仲間がほしかったところだ。さあ、ついてきなさい」
遵西につれられて草庵の奥の部屋へいくと、突然、そこに法然上人その人の姿があった。範宴は思わず床にひざまずき、頭をたれた。
「この者はーー」
と、遵西が範宴を紹介しようとするのを、法然は手をあげて制した。そして、範宴に微笑していった。
「しばらくぶりじゃのう。達者であったか」
範宴はおどろいて法然の顔を見あげた。
<この目だーー>
と、範宴は心の中でつぶやいた。柔和な目の奥に、不思議な深い世界がある。この世のすべてを究めつくして、そして人間をそのまま受け入れようと覚悟をきめた目。
「この者をご存じでしたか」
法然の言葉をきいて、遵西が意外そうに、
「もとは横川の念仏僧だったとか」
「いまから十年ほど前になるかのう」
と、法然が豊かな頸に顎をうずめるようにうなずいていった。
「この草庵に、三度ほど通うてこられたことがあったはずじゃ。ちがうか?」
範宴は唾をのみこんでうなずいた。あれは十九歳のときだった。慈円阿闍梨に命じられて山をおり、法然の法話をききにやってきたことがある。しかし、どうしておぼえているのだろう。
「わたしは気になった人の顔は、なぜか忘れることがないのじゃ。そなたはあのとき、わたしの話を半信半疑で首をかしげながらきいていたようであった。しかし十年後に、ふたたびここへもどってきた。こんどは疑心なき赤子のような顔になって話をきいておった。きょうで百日になるかのう。よう通われた。そなたの名前も、経歴も、なにひとつ知らぬが、わたしはなぜか、そなたをずっと十年間、待っていたような気がしてならぬ」
思いがけない法然の言葉に、範宴は体が震えるのをおさえることができなかった。
「もったいのうございます」
範宴は突然、熱いものが瞼にあふれるのを感じた。床についた両手のあいだに、汗と涙とがまざりあってぽとぽととこぼれた。
「親鸞」下 五木寛之(講談社)49~50頁
上巻を読んで、今下巻を読みかけた所だ。臨場感溢れる五木氏の表現にのめり込み、今自分も範宴(親鸞)になり、法然の言葉に触れる。こんな凄い体験が、どこで出来ると言うのか。
今日のブログは止めようと思ったが、そうするとずるずる何日も書かなくなると思い、この本の紹介がてら一部を写す事で、読んでみようと思う人がいればそれも有難い事だと感じ、さっと載せた後は再び「親鸞」のあの時代の世界に入り込んで、法然の教えと範宴の生き方にまみれてみたいと思っている。
では、暫くの間失礼する。
遵西につれられて草庵の奥の部屋へいくと、突然、そこに法然上人その人の姿があった。範宴は思わず床にひざまずき、頭をたれた。
「この者はーー」
と、遵西が範宴を紹介しようとするのを、法然は手をあげて制した。そして、範宴に微笑していった。
「しばらくぶりじゃのう。達者であったか」
範宴はおどろいて法然の顔を見あげた。
<この目だーー>
と、範宴は心の中でつぶやいた。柔和な目の奥に、不思議な深い世界がある。この世のすべてを究めつくして、そして人間をそのまま受け入れようと覚悟をきめた目。
「この者をご存じでしたか」
法然の言葉をきいて、遵西が意外そうに、
「もとは横川の念仏僧だったとか」
「いまから十年ほど前になるかのう」
と、法然が豊かな頸に顎をうずめるようにうなずいていった。
「この草庵に、三度ほど通うてこられたことがあったはずじゃ。ちがうか?」
範宴は唾をのみこんでうなずいた。あれは十九歳のときだった。慈円阿闍梨に命じられて山をおり、法然の法話をききにやってきたことがある。しかし、どうしておぼえているのだろう。
「わたしは気になった人の顔は、なぜか忘れることがないのじゃ。そなたはあのとき、わたしの話を半信半疑で首をかしげながらきいていたようであった。しかし十年後に、ふたたびここへもどってきた。こんどは疑心なき赤子のような顔になって話をきいておった。きょうで百日になるかのう。よう通われた。そなたの名前も、経歴も、なにひとつ知らぬが、わたしはなぜか、そなたをずっと十年間、待っていたような気がしてならぬ」
思いがけない法然の言葉に、範宴は体が震えるのをおさえることができなかった。
「もったいのうございます」
範宴は突然、熱いものが瞼にあふれるのを感じた。床についた両手のあいだに、汗と涙とがまざりあってぽとぽととこぼれた。
「親鸞」下 五木寛之(講談社)49~50頁
上巻を読んで、今下巻を読みかけた所だ。臨場感溢れる五木氏の表現にのめり込み、今自分も範宴(親鸞)になり、法然の言葉に触れる。こんな凄い体験が、どこで出来ると言うのか。
今日のブログは止めようと思ったが、そうするとずるずる何日も書かなくなると思い、この本の紹介がてら一部を写す事で、読んでみようと思う人がいればそれも有難い事だと感じ、さっと載せた後は再び「親鸞」のあの時代の世界に入り込んで、法然の教えと範宴の生き方にまみれてみたいと思っている。
では、暫くの間失礼する。