「月桃夜」を知って、ひと月以上経ってから読了した。読み始めたら止められない話で、一気に読むならば、読了にそんなに時間はかからない。

私はシマさんから借りて読んだ。皮肉にも昨日垂水図書館から、予約していた「月桃夜」の順番が来たと電話連絡があった。「18日までにご利用お願いします」と言われたと、娘がオカリナを練習している私にメモを手渡した。今日、次の人に渡して貰うように電話しようと思っている。

シマさんは私が借りて読む前に、手紙と資料を送ってくれていた。「月桃夜」を読む前と読んでからとは、理解度が全然違う。

くれた資料と言うのは、その本の138頁と139頁のコピーが一つ。それには、サネンとフィエクサの名前やミヤソや安熊、亀加那の名前が出ていた。サネン餅やカサムチ、ハズキデーク、そしてヤンチュ屋の言葉まで、オンパレードだ。だが、これだけでは何の事かは分からなかった。

「サネンは月の下で餅を包むサネン葉を開いた」

何故サネンとサネン葉を同じ名前にしたのだろうか。紐解いてみるのも面白いかも知れない。


シマさんがくれたもう一枚のコピー。それは「悲恋カンツメ物語」の話の部分だった。カンツメは家が貧乏なので家人(ヤンチュ)として働く為に身売りする事になる。それは奴隷にも等しいものなのだ。

その主人は彼女の美貌にのぼせ、いつかは、と狙っていた。カンツメは公用で立ち寄って饗応を受けた岩加那と言う男と恋に落ち、デイトを重ねる。それが佐念山だった。

この豪農の女主人はカンツメにいかれている夫に嫉妬し、彼女に口には出来ぬ程のリンチを加えた。深い傷を負ったカンツメは、失意の中、逢引きの佐念山で、楽しかった思いを廻らせながら首を吊った。

その後この名柄の夫婦は亡霊にとりつかれ変死し、その豪農の家は没落した。カンツメの事は歌となり、奄美全体で歌われるようになった。カンツメがよく歌っていたメロディー「草なぎ節」で歌われる。

カンツメの伝説を後世に残そうと、名柄部落の老人会の手で、佐念山の頂上に「カンツメの碑」が建立された。

岩加那とカンツメの逢引きの場所は、彼女の死後草も生えず、村人達に恐れられていた所である。


もう一つのコピーは、言霊の事が記してあった。

「忌まわしいから知らなくていい」と言って教えようとしなかった古老から、やっとの思いで聞き取った歌は、人を呪い殺すと恐れられた歌である。古くから「言葉には現実を動かす霊力(言霊)がある」と信じられて来た。「歌詞は言葉を変化させ、非日常の神に通じさせる言霊でもある」と言う話がある。そこから、即興で歌詞の豊富さを競う奄美島唄の歌掛けは、言霊同士のぶつかり合いともみられているようだ。

歌掛けはよそのシマ(集落)で不用意にしてはいけないと祖母から戒めを受けた春代さんは、この歌を歌った徳之島町亀徳の唄者冶井秋喜さんの妻である。他の集落で歌掛けをする際は、「言霊を信じる」が故に最初に歌う返し歌を教わり、それを守っていると言う。

沖永良部・和泊町の畦布集落には「支度直し」と言う儀式があるそうだ。敬老会でお年寄りを踊りなどで持て成した翌日、薩摩藩の役人に対して踊る行事の後に行われたものと言う。

踊りを練習した道路脇などにもう一度同じ5、6人のメンバーが集まる。本番と同じ衣装で踊ったり飲食して楽しんだ後、使った三線や太鼓を並べ「踊りの神」や「三線の神」に向かって唱えごとをする。その儀式をしないと、いつまでも三線の音が夜に鳴り響いたり、不孝を招いたりするそうだ。

アニミズムは、こうしてシマの人達の心に根強く刻まれている。


話が逸れたと思うが、ここで本題のシマさんからの手紙を公開しよう。「月桃夜」がより分かり易くなるのではないかと思うのだ。

○○○○様

「月桃夜」を読み始める前に、事前知識として、背景について少しお話します。話してどうなるというものではありませんが、あの話は、フィクションでありながら、背景や風習は必ずしもファンタジーを作り出すためのフィクションではないということを伝えたいのです。他の資料も同封します。ぜひ目を通してみてください。ブログの材料の一つになるかもしれません。


奄美には、すべてのものに霊魂が宿るという考えがあります。奄美はアニミズムの世界といっても過言ではありません。

水の神・石の神・木の霊・山の神などはもちろん、言葉やシマ唄にさえ霊魂が宿ると考えられています。(シマ唄に霊魂が宿るということについては、6月に話します。そういう唄も歌おうと思っています。)

ですから、「月桃夜」に出てくる山の神は、ファンタジックにするために登場させているのではありません。

船の艫に止まっている白い鳥は大島では、オナリ神(この神は女神ですが・・)の化身であり、航海の安全を守ってくれるものと信じられています。ですから、鷲がカヤックにとまってずっと茉莉香と話をしているということは、その霊力によって彼女が救出されるということを暗示していると考えてもいいでしょう。


山で登場する白い動物が「神の使い」という考えは今も根強く残っています。

わたしが子供のときに、大人が「白いイノシシなどを射止めたときは、神が探しに来るので、身をひそめ、サナギ(ふんどし)をかぶってやり過ごさなければいけない」なんて話していたのをはっきりと覚えています。

真常アジャが最初の日に碁を打ちならす音も、怪しげな音として書かれています。今でも古老の間では、人が死ぬ前の夜には死出の準備の音が聞こえると信じられていて、恐れられているし、島の人たちの口からは普通に出てきます。わたしも子供のころ、叔父などが話題にしているのを耳にしています。

役人をあやめたフィエクサがサネンと山へ逃げ込んで、山狩りが行われたときに、

いちゅびやまぬぶてぃ・・・(6月にこの歌詞も使おうかな、どうしよう)の歌が聞こえると、みんなが恐れ、あわてて逃げたのはこういう環境の中にあるからこそであって、島の風習を知らないとそんなことくらいでなんで?と思うでしょう。


ヤンチュは薩摩藩の厳しい政策によって生まれた、忌まわしい制度です。黒砂糖があるが故の地獄を味わったのです。黍横目の正木とフィエクサが碁を打ちながら交わす話の内容は、歴史的な事実を基にしています。

ヤンチュに関する悲劇の事実は、数多く存在します。そのシマ唄も存在していますが、わたしは大衆の前では今でも歌っていません。いや、神戸で一度だけ大勢の前で歌いましたが、歌うのに勇気が必要でした。たたりがあるといわれているからです。内地の人は「たたりなんて・・・、」と笑うかもしれませんが、わたしがたたりを恐れるのは、これまでに書いている環境や背景の中で育ったことを考えると理解してもらえると思います。

また、登場人物の女性がなぜサネンという名前か、これも差しさわりがあるし、語れば長いのでここには書けませんが、奄美の人にはすぐわかります。


針突(ハジチ)は、わたしの祖母より上の人たちは両手に入れていました。子供のころ何人もの年寄りの手の甲にあるものを見ました。シマ唄にも

ものがほしいのは一時、針突(ハジチ)が欲しいのは命のある限り

と歌われているくらいです。だからこそ、サネンもやりたがったのです。この針突(ハジチ)の資料も持っていますが、わたしの持っている資料と同じ本を参考にしたようです。参考文献のなかに書いてあります。


こうした歴史と生活習慣、しきたり・信仰のうえに立って読むと、島の人たちには(わたしにも)過去のことが重たくのしかかってくるのです。

だから胸が熱くなり、涙するだけでなく、身の毛がよだったり、震えたり、背中がぞくぞくしたりするのです。




この最後の3行から、シマさんの心の内を痛い程に覗く事が出来る。そして、フィクションであってフィクションでない「月桃夜」の背景を、より詳しく、感情まで移入して読む事が出来るのである。それはシマさんの真摯な心が訴えているからである。

この手紙の冒頭に「話してどうなるというものではありませんが・・」とある。いや、ここまで話して貰えたら、それは最早「ブログの材料の一つ」などでは決してない。


マリーさんが、シマさんの「手紙」を載せられたら、自分も「奄美情話」をオカリナで演奏してブログに載せると言う。まだ会った事のない私もマリーさんも、ブログの中で「同日発売だ」、と言って笑った。