早くオカリナを吹きたいので、ブログを書いて置かないと安心して練習出来ない。究極のダイエットはもう少ししてから気合いを入れて載せる積もりなので、今日は軽音楽風のタッチのブログにしたい。
と思って思案していると、新聞の切れ端が目に付いた。懐かしい3月27日の「人生案内」だった。読売新聞はもう朝日新聞に戻り既に過去へと過ぎ去ったが、それはO・ヘンリーの「最後の一葉」のように、静かに呼吸していた。
こうして目を落とすと、相談者も自己中心的なら相談対象者も自己中心的だと思えて、人間そんなものかなあと思ったりした。そうして、その矛先は自分自身にも向けられている気がした。年を取ると、少し余裕を持って内省出来るのが、せめての、ここまで生きて来られたメリットかなと思ったりする。
姉妹でも骨肉の争いをしている記事も目にするのであるから、これ位の事は有りがちな事実であろう。
パソコン覚えぬ上司に不満
(静岡・B子)
30代女性。50歳前後の課長はパソコンが使えません。課長が鉛筆で下書きしたものを私が打ち込んで書類を作成。課長のパスワードを使って私がメールを送信します。昇級試験の前に提出する作文の清書をさせられた時は嫌悪感が最大になりました。清書ばかりで、業務に支障が出ることも。課長は伝票の印刷もできず部下(主に私)を呼びます。やり方を聞くのではなく丸投げです。
清書作業が嫌いなのではありません。パソコンを全く覚える気のない態度や、仕事をなすりつけてくる態度が腹立たしい。「オジサン世代だからねえ」とかばう人もいますがーー。
異動を申し出ましたが、かないませんでした。といって転職するほどの不満はありません。パソコンの技術向上のためだと自分に言い聞かせ作業しているのですが、「いいかげんにしてください」と、課長にどなりちらしてしまいそうで怖いです。
回答
高橋秀美(作家)
その課長にはもう期待しないでください。パソコンを「覚える気のない態度」にお怒りのご様子ですが、こういう人が下手に学ぼうとすると「これ、動かないんだけど」とか「字がヘンなんだけど」などと、周りの人にいちいち聞くようになってかえって迷惑。無視したりすると、あなたは不親切な人に見えてしまいます。イライラするだけ損。「オジサン世代」というより、文字を使えない縄文人だと思ってあきらめたほうがよいでしょう。
清書も大切な仕事です。私なども自分の文章が美しく活字化されているのを見ると感謝の気持ちが込み上げてきます。どうか邪魔と思わずに、最初から業務として真剣に取り組み、その責任を果たすべく誤字脱字や下手な文章を見つけたら赤ペンで容赦なく添削してください。内容がヘンだったら、「意味不明」と書いて突き返してもいいと思います。それこそ時間の無駄ですから。
清書をなめてはいけません。あなたが本腰を入れるとどうなるか課長に思い知らせてあげましょう。
これで、やっと新聞交代が終わった気がする。さあ、オカリナの練習を始めよう。
私が15年程前には、ピアノで伴奏して貰うなどの考えもなく、私がそんな事をして貰えるなどは考えたこともなかった。
2000年7月4日に文化ホールの大舞台に初めて上った時は、5組だけだった。この時は、宗次郎さんがゲストだった。
「オカリナフェスティバルin神戸」の第1回目が発足したのは、2001年の事だ。この記念すべき時も、ゲストは宗次郎さんだった。
昨日、2000年の演奏テープを聴いてみた。伴奏なしで「シチリアーノ」と「コンドルは飛んで行く」を吹き、歌のない曲からそれを伴奏にして「浜辺の歌」を吹いていた。この時も譜面なしだったが、随分その行為も選曲も大胆だったと思った。
決して上手いなどと言えるものではないが、それから10年経ってどれ位上手くなっているだろうかと自分のMDを聴いてみたが、大して上手くはなかった。これだけ経ったのに、進歩は殆ど見られない。却ってその時のテープの演奏が新鮮に思えるのである。
進歩と敢えて言うとすれば、レパートリーが増えた事。作曲が下手なりに出来た事。編曲して貰ったお陰でピアノで伴奏して貰えるようになった事。オカリナが増えた事。3連オカリナの出現でクラシックなどの音域の広い曲が吹けるようになった事。オカリナを吹く人達との交わりが出来た事。プロの奏者の演奏を聴く機会が増え、ついて行けないけれど自己啓発になった事。また、ブログでオカリナの事が書けるようになった事。等が、10年の内に徐々に開けて行った事だと思う。
それでも10年前と今の私の演奏がそんなに変わらないとすれば、それは能力がないのは分かっているが、10年間細々と続けて来られた事にあると思っている。と言う事は、練習していなかったら10年前よりは明らかに下手になっていた、と言うに尽きる。
実際は20年前に漠然とオカリナを吹いてみようかと言う気になった。そして15年前からのめり込んで行ったような気がする。
オカリナと出会ったのは、50年位前だけれど、やろうと言う気になったのが15年前だから、出会っただけで、そこから35年以上はオカリナの事は頭になかったのだ。
何も、オカリナは年数ではない。10年やっていると言う人と、やり出してから2年になると言う人とどちらが上手いかと問われたら、何と答えるだろうか。練習量も然る事ながら、オカリナへの思いと努力と才能が関与していると思われる。思いは人一倍あるけれど才能のない私には、救われる道はあるのか。それが先人の残した、月並みな言葉の中にあったのだ。「継続は力なり」と。
始めてからの年数ではない。何処まで続けて来られたか。そして、年数ではなく、今出している音が自分の今の音だと、素直に認識すべきだと思った。そこに感動して貰える要素が加われば、最後に残った一葉は、はらはらと虚しく散ってしまう事はないと思う。
と思って思案していると、新聞の切れ端が目に付いた。懐かしい3月27日の「人生案内」だった。読売新聞はもう朝日新聞に戻り既に過去へと過ぎ去ったが、それはO・ヘンリーの「最後の一葉」のように、静かに呼吸していた。
こうして目を落とすと、相談者も自己中心的なら相談対象者も自己中心的だと思えて、人間そんなものかなあと思ったりした。そうして、その矛先は自分自身にも向けられている気がした。年を取ると、少し余裕を持って内省出来るのが、せめての、ここまで生きて来られたメリットかなと思ったりする。
姉妹でも骨肉の争いをしている記事も目にするのであるから、これ位の事は有りがちな事実であろう。
パソコン覚えぬ上司に不満
(静岡・B子)
30代女性。50歳前後の課長はパソコンが使えません。課長が鉛筆で下書きしたものを私が打ち込んで書類を作成。課長のパスワードを使って私がメールを送信します。昇級試験の前に提出する作文の清書をさせられた時は嫌悪感が最大になりました。清書ばかりで、業務に支障が出ることも。課長は伝票の印刷もできず部下(主に私)を呼びます。やり方を聞くのではなく丸投げです。
清書作業が嫌いなのではありません。パソコンを全く覚える気のない態度や、仕事をなすりつけてくる態度が腹立たしい。「オジサン世代だからねえ」とかばう人もいますがーー。
異動を申し出ましたが、かないませんでした。といって転職するほどの不満はありません。パソコンの技術向上のためだと自分に言い聞かせ作業しているのですが、「いいかげんにしてください」と、課長にどなりちらしてしまいそうで怖いです。
回答
高橋秀美(作家)
その課長にはもう期待しないでください。パソコンを「覚える気のない態度」にお怒りのご様子ですが、こういう人が下手に学ぼうとすると「これ、動かないんだけど」とか「字がヘンなんだけど」などと、周りの人にいちいち聞くようになってかえって迷惑。無視したりすると、あなたは不親切な人に見えてしまいます。イライラするだけ損。「オジサン世代」というより、文字を使えない縄文人だと思ってあきらめたほうがよいでしょう。
清書も大切な仕事です。私なども自分の文章が美しく活字化されているのを見ると感謝の気持ちが込み上げてきます。どうか邪魔と思わずに、最初から業務として真剣に取り組み、その責任を果たすべく誤字脱字や下手な文章を見つけたら赤ペンで容赦なく添削してください。内容がヘンだったら、「意味不明」と書いて突き返してもいいと思います。それこそ時間の無駄ですから。
清書をなめてはいけません。あなたが本腰を入れるとどうなるか課長に思い知らせてあげましょう。
これで、やっと新聞交代が終わった気がする。さあ、オカリナの練習を始めよう。
私が15年程前には、ピアノで伴奏して貰うなどの考えもなく、私がそんな事をして貰えるなどは考えたこともなかった。
2000年7月4日に文化ホールの大舞台に初めて上った時は、5組だけだった。この時は、宗次郎さんがゲストだった。
「オカリナフェスティバルin神戸」の第1回目が発足したのは、2001年の事だ。この記念すべき時も、ゲストは宗次郎さんだった。
昨日、2000年の演奏テープを聴いてみた。伴奏なしで「シチリアーノ」と「コンドルは飛んで行く」を吹き、歌のない曲からそれを伴奏にして「浜辺の歌」を吹いていた。この時も譜面なしだったが、随分その行為も選曲も大胆だったと思った。
決して上手いなどと言えるものではないが、それから10年経ってどれ位上手くなっているだろうかと自分のMDを聴いてみたが、大して上手くはなかった。これだけ経ったのに、進歩は殆ど見られない。却ってその時のテープの演奏が新鮮に思えるのである。
進歩と敢えて言うとすれば、レパートリーが増えた事。作曲が下手なりに出来た事。編曲して貰ったお陰でピアノで伴奏して貰えるようになった事。オカリナが増えた事。3連オカリナの出現でクラシックなどの音域の広い曲が吹けるようになった事。オカリナを吹く人達との交わりが出来た事。プロの奏者の演奏を聴く機会が増え、ついて行けないけれど自己啓発になった事。また、ブログでオカリナの事が書けるようになった事。等が、10年の内に徐々に開けて行った事だと思う。
それでも10年前と今の私の演奏がそんなに変わらないとすれば、それは能力がないのは分かっているが、10年間細々と続けて来られた事にあると思っている。と言う事は、練習していなかったら10年前よりは明らかに下手になっていた、と言うに尽きる。
実際は20年前に漠然とオカリナを吹いてみようかと言う気になった。そして15年前からのめり込んで行ったような気がする。
オカリナと出会ったのは、50年位前だけれど、やろうと言う気になったのが15年前だから、出会っただけで、そこから35年以上はオカリナの事は頭になかったのだ。
何も、オカリナは年数ではない。10年やっていると言う人と、やり出してから2年になると言う人とどちらが上手いかと問われたら、何と答えるだろうか。練習量も然る事ながら、オカリナへの思いと努力と才能が関与していると思われる。思いは人一倍あるけれど才能のない私には、救われる道はあるのか。それが先人の残した、月並みな言葉の中にあったのだ。「継続は力なり」と。
始めてからの年数ではない。何処まで続けて来られたか。そして、年数ではなく、今出している音が自分の今の音だと、素直に認識すべきだと思った。そこに感動して貰える要素が加われば、最後に残った一葉は、はらはらと虚しく散ってしまう事はないと思う。