究極のダイエットはいつ書くんだ、と思っている人もいると思う。忘れた訳ではないし焦らしている訳でもないが、4月中には書く積もりなので、それまでのご辛抱を願いたい。他意はなく、他の事を先に書いて置きたいからである。
今日(2010.4.16)の朝日新聞の「天声人語」はこれぞ私好み。何処がと言われると、内容も然る事ながら、着眼点、筆致がいいと思う。久々の「天声人語」に出会った気持ちがした。特に直線と曲線を引き合いに出した所の感性が嬉しい。そして、それは共鳴出来るのである。
「天声人語」
言われて気づけば、目に映る自然の造形に直線はない。山も川も、木の葉も雲も、ことごとく曲線である。造物の神は定規を持たなかったようだ。片や人間の造ったものは、ビルにせよ橋にせよ、直線に満ちている。
直線を発見し、そこに最大の効率を見いだしたのは人類の英知だったかも知れない。2点を結ぶ最短距離である。さりとて人の生き方にまで直線を求めすぎれば、社会は潤いも活力も失いかねない。大学生の就職をめぐる動きに、そうした思いがよぎる。
1年生のうちから「就業力」をつける教育を、文科省が支援するそうだ。就職活動はいま、早々と3年の夏ごろに始まる。それでも遅いのだという。入学前から「就活」で個別面談をしたり、父母への説明会を開いたりする大学もあるというから驚く。
入学から就職までを最短距離で駆け抜ける。その成功者を「勝ち組」などと呼ぶ。道草の許されない大学生活を、老婆心ながら案じてしまう。むろん学生のせいではない。すべてに保水力の衰えた時代が、ゆたかな曲線を封じてしまうのである。
フランスの哲学者ジャン・ギットンに、次の言葉があるそうだ。「学校とは一点から一点への最長距離を教えるところであると、私は言いたい」。小欄の先輩筆者だった白井健策が著書に引用していた。
直線の定規だけで人生は描けないし、2点を結ぶ線はそれこそ数限りない。希望はどこにあり、どの線でつながっているのか。悩みつつ見いだす時間は、大学生の特権でもあったはずだ。保水力を取り戻せないものか。
***
久々にすっきりした構成の文章だと思った。これに絡めて今日の新聞から、2人の人物を挙げて、ほんのちょっと人生と絡めてみたい。
昨日の巨人阪神戦は、5-2で巨人が阪神の5連勝目を阻止した。どちらの応援と言う事ではなく、逆転の満塁弾が出た事に関係する。
左中間席最前列に届いたホ-ムランを打った坂本選手も褒めたい。けれどそれ以上に、この試合から人生に結び付く事を知る。
阪神が1回目先攻で1点を取ってから6回の裏までは1対0で、進展する事なく阪神のリードだった。所が7回の裏、無死二塁にいながら忽ちツーアウトとなったが塁が埋まり、満塁となった。
打席には坂本が立った。泳がせられながら左腕で振りぬいた球は、バックスタンドの最前列に運ばれた。一挙に4点が入ったのだ。外野フライだったらどうだっただろう。8回目には両チーム1点ずつ点を入れたが、勝利の女神は5-2で巨人に微笑んだ。
野球から学ぶ事は、人生最後まで分からない、と言う事である。願いや思いが何処で実現するか分からない。いいイメージを持ち、それを信じて行く所に道が開けるのではないかと思ったのだ。努力する先は、本人には見えなくても、実現が曲線で繋がれているのだと確信した。
因みに坂本選手、一昨年は祝勝会で「ビールをかけないで下さい」と言う札を首からぶら下げていたそうだ。口にはマスクをして。未成年だったからだ。何だか微笑ましい。
もう一つは、自己ベスト世界ランキング8位になった卓球の福原愛選手。彼女は苦渋の決断に迫られ、早稲田大学を3年間通って退学した。実の所WR31位にまで落ちていた福原愛の選手生命は、もうこの辺りかと私は思っていた程だ。
1年の半分以上を海外で過ごす福原選手には、実際授業に出席する事は難しい。福原愛の言葉の端々から、思いが伝わって来る。朝日新聞の記事から拾ってみよう。
「プロツアーに行っても『ああ、大学の授業どうしよう』と考えている状態。もんもんとしていました」
「今のままだと(卓球も大学も)両方が中途半端になる、と思った」
1月にはWR1位の劉詩雯に勝利した。2月のクウェートオープンではWR3、4位を連破している。決勝ではフルゲームの末、劉選手には敗れたが、行く末の明るい兆しを感じた。
「相手の心理状況など試合全体を見ながら冷静に戦えるようになった。大学のことを考えなくてよくなって、すっきりしたのもあるのかな」
5月23日からモスクワで行われる世界選手権団体戦には、
「今回はあわよくば決勝までいけたらいい」
と意欲を見せる。
6月からは中国超級リーグに、広東チームから出場する。
「世界で一番のリーグでどれだけ勝てるか試してみたい」
この積極性には、私までが嬉しくなった。そこには、一つの大切なものを捨てた福原愛選手の明るい希望があった。紆余曲折の後には、もう曇りがない。さて女神達は、どんな曲線で愛ちゃんを結び付けているだろうか。
今日(2010.4.16)の朝日新聞の「天声人語」はこれぞ私好み。何処がと言われると、内容も然る事ながら、着眼点、筆致がいいと思う。久々の「天声人語」に出会った気持ちがした。特に直線と曲線を引き合いに出した所の感性が嬉しい。そして、それは共鳴出来るのである。
「天声人語」
言われて気づけば、目に映る自然の造形に直線はない。山も川も、木の葉も雲も、ことごとく曲線である。造物の神は定規を持たなかったようだ。片や人間の造ったものは、ビルにせよ橋にせよ、直線に満ちている。
直線を発見し、そこに最大の効率を見いだしたのは人類の英知だったかも知れない。2点を結ぶ最短距離である。さりとて人の生き方にまで直線を求めすぎれば、社会は潤いも活力も失いかねない。大学生の就職をめぐる動きに、そうした思いがよぎる。
1年生のうちから「就業力」をつける教育を、文科省が支援するそうだ。就職活動はいま、早々と3年の夏ごろに始まる。それでも遅いのだという。入学前から「就活」で個別面談をしたり、父母への説明会を開いたりする大学もあるというから驚く。
入学から就職までを最短距離で駆け抜ける。その成功者を「勝ち組」などと呼ぶ。道草の許されない大学生活を、老婆心ながら案じてしまう。むろん学生のせいではない。すべてに保水力の衰えた時代が、ゆたかな曲線を封じてしまうのである。
フランスの哲学者ジャン・ギットンに、次の言葉があるそうだ。「学校とは一点から一点への最長距離を教えるところであると、私は言いたい」。小欄の先輩筆者だった白井健策が著書に引用していた。
直線の定規だけで人生は描けないし、2点を結ぶ線はそれこそ数限りない。希望はどこにあり、どの線でつながっているのか。悩みつつ見いだす時間は、大学生の特権でもあったはずだ。保水力を取り戻せないものか。
***
久々にすっきりした構成の文章だと思った。これに絡めて今日の新聞から、2人の人物を挙げて、ほんのちょっと人生と絡めてみたい。
昨日の巨人阪神戦は、5-2で巨人が阪神の5連勝目を阻止した。どちらの応援と言う事ではなく、逆転の満塁弾が出た事に関係する。
左中間席最前列に届いたホ-ムランを打った坂本選手も褒めたい。けれどそれ以上に、この試合から人生に結び付く事を知る。
阪神が1回目先攻で1点を取ってから6回の裏までは1対0で、進展する事なく阪神のリードだった。所が7回の裏、無死二塁にいながら忽ちツーアウトとなったが塁が埋まり、満塁となった。
打席には坂本が立った。泳がせられながら左腕で振りぬいた球は、バックスタンドの最前列に運ばれた。一挙に4点が入ったのだ。外野フライだったらどうだっただろう。8回目には両チーム1点ずつ点を入れたが、勝利の女神は5-2で巨人に微笑んだ。
野球から学ぶ事は、人生最後まで分からない、と言う事である。願いや思いが何処で実現するか分からない。いいイメージを持ち、それを信じて行く所に道が開けるのではないかと思ったのだ。努力する先は、本人には見えなくても、実現が曲線で繋がれているのだと確信した。
因みに坂本選手、一昨年は祝勝会で「ビールをかけないで下さい」と言う札を首からぶら下げていたそうだ。口にはマスクをして。未成年だったからだ。何だか微笑ましい。
もう一つは、自己ベスト世界ランキング8位になった卓球の福原愛選手。彼女は苦渋の決断に迫られ、早稲田大学を3年間通って退学した。実の所WR31位にまで落ちていた福原愛の選手生命は、もうこの辺りかと私は思っていた程だ。
1年の半分以上を海外で過ごす福原選手には、実際授業に出席する事は難しい。福原愛の言葉の端々から、思いが伝わって来る。朝日新聞の記事から拾ってみよう。
「プロツアーに行っても『ああ、大学の授業どうしよう』と考えている状態。もんもんとしていました」
「今のままだと(卓球も大学も)両方が中途半端になる、と思った」
1月にはWR1位の劉詩雯に勝利した。2月のクウェートオープンではWR3、4位を連破している。決勝ではフルゲームの末、劉選手には敗れたが、行く末の明るい兆しを感じた。
「相手の心理状況など試合全体を見ながら冷静に戦えるようになった。大学のことを考えなくてよくなって、すっきりしたのもあるのかな」
5月23日からモスクワで行われる世界選手権団体戦には、
「今回はあわよくば決勝までいけたらいい」
と意欲を見せる。
6月からは中国超級リーグに、広東チームから出場する。
「世界で一番のリーグでどれだけ勝てるか試してみたい」
この積極性には、私までが嬉しくなった。そこには、一つの大切なものを捨てた福原愛選手の明るい希望があった。紆余曲折の後には、もう曇りがない。さて女神達は、どんな曲線で愛ちゃんを結び付けているだろうか。