ピアノの椅子に座ってから3秒も待たないのが仲道郁代さんだ。時には1秒も待たない。すぐに鍵盤に指が触れ、音が動き出す。

13日の午後2時には、文化ホールの中ホールにいた。

「もっこす」のチャーシューメンを食べてからホールに向かい、左側の席、後ろから2番目に座った。

これは「女神たちの饗宴(全4回)」の内の、今日4月13日(火)は2回目だった。因みに次回5月12日(水)は、山形由美さんのフルート演奏になっている。私は全部聴く訳ではないので、所謂摘み食いと言う奴だ。

私は、ピアノ伴奏をして頂くS.Sさんのピアノの響きもあって、最近ピアノのリサイタルにも行くようになった。ここで言って置きたいが、オカリナを吹く者はオカリナ馬鹿になってはならないと思うし、様々なジャンルの演奏を聴く必要があると思う。

中村紘子さんの演奏も好きだけれど、仲道郁代さんは、今日でまた一段とファンになった。

緊張のきの字も見せないで、自然体で聴衆を魅了する。それに、同じ曲でも他の演奏者が霞む位に魅力と迫力がある。今回で、音の明瞭な上手さを感じさせられた。

椅子は平らではなく、前が低くなっている。演奏が終わると、緩やかでない曲を弾き終わった後は、中村紘子さんと同じように仰け反る。ヴァイオリニストが、終わった後、弓を高々と持ち上げるのに似ている。

第1部はベートーヴェンの曲2曲。第2部はショパンの曲6曲だ。

愈々鳴り始めた。ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」op.13だ。第1楽章から第3楽章まである。

私がもう一度聴いてみたいのは、次のピアノ・ソナタ第21番ハ長調「ワルトシュタイン」op.53だった。最大のパトロンの一人と言われるこの人物の為に書かれ、献呈された。力強く、壮麗で雄大である。

長くなり過ぎるのを避け、3楽章構成を止めて2楽章で終わっている。

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ。
第2楽章 アダージョ・モルト(導入部)- アレグレット・モデラート。

スタインウェイ&サンズがいいのか、いやこれは腕だろうが、音が素晴らしい。後ろから2列目なんて全く関係なかった。

20分の休憩となった。公演協賛のドイツ菓子の老舗カーベ・カイザーが入って来ている。私は1個だけ買って(280円)、もうホットは売り切れていたので店頭で販売している類の冷たいコーヒーを注文した。普段口にしない砂糖とミルクが、甘いお菓子を更に甘く、口の中で溶かした。ここのバウムクーヘンは、全国にファンを持つ程の逸品だが、目的外なので買わなかった。

カーベ・カイザー
西宮市甲子園4-1-31 TEL0120-47-2466

やがてブザーが鳴って、暫くすると衣装を薄緑色のドレスに着替えた仲道郁代さんが、下手から出て来た。

ピアノの後ろに大きなテーブルが置いてある。この人は、話すのも堂に入ったものである。問題を出し始めた。

「ピアノの鍵盤は幾つありますか」

即座に88だと分かった。前の方の誰かが答えた。「当たったのでお菓子を上げます」と言ったかと思うと、職員の人が紙の手提げ袋に入ったお菓子をその人に渡した。

「当たったら5名の人にこれを差し上げる事にしています」

と仲道さんは言った。

いつも仲道さんと一緒に回っている専属の調律師が出て来て、鍵盤の部分をごそっと外して、テーブルに置いた。驚いたが、瞬時に仕組みが分かった。

「では、弦は何本でしょう」

これは誰も手を挙げなかった。一つのハンマーに3本だから単純には264本となる所だが、

「これは240本です。低い所はぐるぐる巻きの弦が1本なんです」

と言った。

「この弦を叩くハンマーには、何が被せてあるでしょうか」

さっと答えた人がいる。また一つお菓子の袋が飛んで行く。コンドルではない。

「羊毛」

「そうですね。羊毛のフェルトです。お菓子を上げて下さい。これも、固かったり柔らかかったりすると音が違うのですね。だから、メーカーによって音が違うのです。大体リサイタルを終えるとボロボロになっています。鍵盤を叩くのが多い曲では『チャイコフスキーのピアノ協奏曲』がありますが、何度ハンマーを打ち付けているでしょう。はい、どうぞ」

「3万5千回」

「ちょっと違います。他にありませんか」

こんな事は普段誰も考えてもいない事だから、そう簡単には答えられない。当然知らなければ当てずっぽうになる。仲道さんは調律師にマイクを向けた。

「2万1千回です」

「大分違いましたね。でも一人しか答えなかったから、お菓子、上げます」

と言って、皆が笑った。

「ピアノの本体のカーブを描いている部分は、10人の男の人で曲げるんですよ。そのようにしてピアノの側面は作られているのです」

「また、弦を引っ張っている力ですが、幾ら位だと思いますか。20トンなんです」

会場から小さなどよめきが起こった。

「こんな曲がありますが・・」

と言って手を伸ばして弾いてみようとした所、鍵盤が外されているので、

「あっ、ない」

と言ったので、爆笑を誘った。


いよいよ2部のショパンが始まった。

並べてみよう。

○ ワルツ第2番変イ長調op.34-1「華麗なる円舞曲」

○ <12の練習曲>op.25より第1番変イ長調「エオリアンハープ」

○ スケルツォ第2番変ロ短調op.31

○ マズルカ第13番イ短調op.17-4

○ <12の練習曲>op.10より第3番ホ長調「別れの曲」

○ ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」op.53


指の動きがこれ程までに滑らかに動くものなのか。会場には、1000人近い人がいる筈なのに、私一人しかいなかった。こんなに贅沢な、こんなに幸せな一時も、そうざらにあるものではない。

この前に仲道郁代さんを聴いた時より、ピアノの音が全く違ったものででもあるかのように、明瞭に聞えた。これは凄い発見でもあった。ピアノって、こんなに素晴らしいものだったのか。アンコールも入れて、この10曲をCDにして貰えないものだろうか。ライブを注文を取ってCDにして欲しいと思ったのは、この時が始めてだった。

仲道さん自身も歯切れがいいが、ピアノの音も力強くてメリハリがある。「別れの曲」はショパン自身が大変気に入っている曲だそうだが、私は「スケルツォ」と「英雄」が好きだ。「タタタタ・タタタタ・タタタタ・タタタタ・・」、後半左指が円を描くかのように音を刻む。何と性格の際立った曲だろう。沢山ショパンを弾く人達はいる。だが、私には、仲道さんのショパン、そう呼びたいと思った程の完成度だった。可能な限り、また聴きに行きたい。2500円は安いと思ったし、有り難いと思った。

最初のアンコール曲の名前を忘れた。そして次で終わりとなった。エルガーの「愛のあいさつ」だった。これは美しかった。私が家に帰ってから、オカリナで吹かない筈がなかった。3連の「イカロス」は、また私の挨拶を素直に受け入れてくれて、とことん、付き合ってくれた。